8.使節
訪問者はアカデミアの学生だった。制服の色艶とあどけなさの残る外見から察するに上級生ではない。場慣れしていないのだろう、視線が定まらずソワソワしている。ただ、それはローランに対してだけで、部屋にいるもう一人には畏まった素振りがない。
「貴方に紹介しておきます。彼はマスケリン。本年度の首席入学生です。マスケリン、この方が、はっきりとした意見をもち自分を曲げず、勝ち気で、健啖家のローラン様です」
「マスケリンと申します。学長よりローラン様のお噂は聞き及んでおりました。本日はお会いできて光栄です」
飾りつけの言葉に促され、姿勢を正し深々と頭を垂れる。こちらも応じねば、礼を欠く。
「ご丁寧な挨拶、痛み入る。…儂が気難しく、負けず嫌いで、意地汚い、ローランだ」
年長者同士の乾いたじゃれあいは少々刺激が強かったようだ。もっとも年端もいかぬ彼の周りの諍いと程度はさほど違わないが。
たじろいだ若者を改めて見る。ブロンドの頭髪と端正な顔立ちに気品と知性を伴っている。まだ純朴な瞳の奥には思慮深さも秘めている。人によっては少し鼻につくかもしれないが悪くはない。体面に座す男の面影さえなければ。
「話していた通り楽しいお方だろう。これから顔を合わせる機会もあるだろうし、御挨拶しておいて損はないよ。…用件は以上だ。呼びつけて悪かったね。明日からの支度もあるでしょうし、もう下がっていいですよ」
本日二度目の律儀なお辞儀をして、マスケリンは本当に退室してしまった。怪訝さを増していくローランの気配を察知し、学長は弁明の準備を始める。
「裏はありませんよ。祝祭までの道中、人間関係を円滑にするための顔合わせです。まだ幼いので、扱い辛い面はご愛敬でお願いします。私譲りで聞き分けはいい方ですから」
呆れた男だ。本来の首席者を不合格にして血縁者を繰り上げ、さらにはアカデミア使節の名誉まで与える。本分である勉学を疎かにしてまですることか。それに同行するとなると少々気がかりがある。
「確認するがマスケリンは貴様の親類だな…」
「十数人いる孫の一人です」
「つまりは人間だな」
「もちろん。それが何か?」
「儂は言わずもがな、同行者二名はどちらも『デミ』だ…」
初対面の異なる種族同士で、ぎくしゃくせんかと年長者の配慮を発揮するが、向かいの男は目を伏せて含み笑いを堪えている。
「失礼。なかなかに愉快なやり取りをしてしまったもので。私も経験が有りますが、遠くまで見通せると余計な先回りをしてしまいますな」
学長は紅茶を淹れ直し、緩んだ口元を戻す。
「マスケリンは使節ではありません。あの子は社会勉強のため、祝祭へ向かわせます」
「入学したばかりで長期間アカデミアを離れるのはいかがなものかな」
「問題ありません。明日から半年間、停学処分を言い渡しておりますので」
流石に予想できなかった発言が飛び出し、面食らう。
「マスケリンは撤回派の代表です。初めは友人や一部の教員だけでしたが、いつの間にか上級生や研究部まで巻き込み巨大な集団をつくりあげました。私ともども、アカデミアを混乱させた責任をとることとなりました」
「一学生に、そこまでせんでも…」
「ローラン様の彼に対する心証はいかなものですかな?」
先に浮かんだ好意的な感想を披露してもよいが、相手を喜ばすだけだろう。
「アカデミアの大半を動かした事からも明らかなように、あれは優秀です。贔屓目なしに生まれ持った資質は、先代含め一族の中でも抜きんでています。私を除けば、ですがね」
「随分と高い自己評価だ」
「自惚れとは言わないのですね、有難いことです。なにせ貴方の人を見る目は、比類なき一品ですから。多少塩気が強いのは、玉に瑕ですが」
「相手次第で物言いは、まろやかにもできる」
まあ、客に迎合しない料理人であると自覚はしているが。
「いずれは私の様に、アカデミアの中核を担うでしょう。しかし、資質と才覚は別ものです。本件程度なら謀れることもないでしょうが、将来政治的な局面を迎えることもある。その時困らぬよう、今から経験を積ませたいのです。あの子はこの街の外を知りません。今回の事は世の中の広さを学ぶための第一歩として利用させてもらいます」
「祝祭への旅は、お坊ちゃんには重荷やもしれんぞ」
「擦り傷一つなく、立派に成長した者など私は知りません。それと、引率として然るべき者を同行させますので、貴方様のお手を煩わせるつもりはありませんよ。教師役などお似合いにならない事は、重々承知しておりますから」
外から射す光が強く感じられる。昨日の今頃は馬車から東の大門を眺めていた。明日はとっくに街を離れているのだろう。残り少ない時間、ベリンを満喫したいものだ。
「それで使節役の者はいつ現れる。そこのカップはその為だろう」
「とっくに貴方と対面している予定だったのですよ。秘書を一人呼びに遣ったのですが、どこへ寄り道しているのやら。困ったものです」
粛然としたアカデミアの階下から慌ただしい音が聞こえ、廊下を駆ける足音が近づいてきた。落ち着いたマスケリンの作法とは違い、扉が二度強く叩かれ、学長の返事を待つことなく何者かが慌てて飛び込んできた。