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4.水牛亭

 テーブルに杯が置かれ、赤茶毛のドワーフから白い息がこぼれた。皿の上はきれいに片付けられ、口周りにホットミルクのあとがうっすら残るだけである。


「聞いていたのと違うんだけどなぁ」


 それでも横目で見ながら不満を述べるのは、歯に衣着せぬ、もとい豪胆な彼の種族らしい精神といえるだろう。もっとも矛先を向けられた老エルフの方は舌戦を放棄し、先ほどから目を伏せて降伏意思を示している。


 再訪した水牛亭は、ローランにとって知らぬ場所になっていた。変らない外観の内側にはかつての心地良さは微塵もない。人でない客を遠巻きに見る店の者たち。装飾に凝り固まり、機能性を失った内装は寛ぐことを許してくれない。名物料理の数々は跡形もなくメニュー表から消えていた。代わりに、名と値段だけが大仰な品が卓に並んだ。


「…パイ包みの中身が牛肉から野菜くずになっていたとは」

「三本の指ですか、…やっぱり露店の鶏は美味かったんだなぁ」

「どっちも随分な言い様だが、これでもまだ三つ指さ。格は一枚落ちたがな」


 エールを呷る男はパーヴェルと名乗った。戸惑いまごつくローランを後目に抜かりなく人数分の注文を終えた器量は、なるほど人の上に立つ者のそれである。しかし、この実力者を伴っていても入店を渋られたのには驚いた。


「パーヴェルよ、この店が野菜くずを包むようになったのは何時からだ」

「そう嫌な言い方しなさんな。…おっと、杯が空いちまった」


 空の木杯を掲げるが控えている女給仕は互いに視線を投げかけあい、動こうとはしない。入店してからずっとこの調子である。それを見て下級給仕の簡素な身なりをした女性が用を聞きにやってくる。


「親方さんもうお代わり?いつも言っているけれど飲み過ぎないでよ」

「大丈夫、ゆったりやるから。なにせ今日の連れはあいつらみたいな、品のない奴らじゃないからな」

「キャラバンの皆さんの事、悪く言わないの。エールの大とシェーブルチーズ、すぐお持ちしますね。…お客様もなにかご用意いたしましょうか?」


 けっして押し付けることのない柔らかな問い掛けに、かつて舌鼓を打った懐かしい味が思い出された。


「あぁそうだな。なら、窯焼きのピッツァをいただこう。具材は任せる」

「かしこまりました。お時間少々いただきますね」

「おいらは腸詰肉と白パンをお代わり。あと、春野菜の酢漬けと羊肉の香草焼きも!」

「はい。それとホットミルクも、ですね」


 軽やかな会釈を返し、彼女はテーブルを後にする。途中、何ぞ客から質問されしどろもどろの他の給仕を手助けし、また奥へ下がっていった。


「よく動くなぁ。他のやつらとは大違いだ」

「比べてやるなよ。あの子以外は貴族の子女だ。働いたこともなければ、誰かに仕えたこともない」

「そんなのでよく雇うよ」

「何事にも数は必要だ。お前さんだって文句言いながら、しっかり腹におさめているじゃあねえか」

「この世に空腹に勝る不幸なし!」

「ははっ、なんだそりゃ。面白いやつだな」


 二人のやり取りを聞き流していると、先ほどの注文が運ばれ、手際よく並んでいく。つかみやすい向きで置かれた杯に気付いた赤茶毛が、満足げな視線を向けると柔らかな微笑みが返ってきた。無駄のない所作。香草焼きとピッツァはしばらくかかるそうだ。 


「それにしても能力に不釣り合いな格好だな」

「ぱっと見じゃ分らんだろうが、彼女も『デミ』なんだ」


 同類と聞いて色めき立ち身を乗り出すも、ドワーフの口には隙間がなかった。


「二年前だ。マダムが旦那さんのもとに旅立った。それから少しずつ高貴なお顔を見るようになっていった」


 薄々感じてはいた。大通りでパーヴェルの言葉を聞いた時から。


「しばらくは跡を継いだ長兄を中心になんとかやっていたんだが、ふた月たった頃、従業員が三割辞めた。それも一斉にだ…」


 常套手段だな。大方まとまった金でも握らせたのだろう。


「後は流れるまま。人手不足と新入りの拙い接客で常連の足は少しずつ遠退く。客層が変わると共に暖かみがどんどん薄れていった。一年が経ち、最古参の御贔屓が見切りをつけたころには、貴族の嗜好に合わせなければ立ち行かなくなっていた」

 

 入り口で品定めを受ける最中、屋号を象ったレリーフが赤銅に光っていた。上品な白銀の雄牛はもういない。


「経営方針に異を唱えたメイド長がクビを言い渡されたのが半年前。翌日、コック長が辞意を伝え、二人連れ立って東の門から出て行ったそうだ。最後の支えを失ったのが終わりの始まりよ。年が改まるとブロンズに格下げられた。…あれも今年までだ。目端の利く連中はとっくに算盤をはじいて、売りに出されるのを待っているのさ」


 飲み干した後放たれた深い息は、アルコールの仕業だけだろうか。この街を初めて訪れた旅人は会話の糸口が見つからず、バツが悪そうにホットミルクをなめている。真夜中を思わせる無音の世界がテーブルを包んでいた。湯気が立ち上る皿が、そこに運ばれてくるまで。


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