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3.東大通

 夕陽が傾くころ、ベリン中央広場の活気は緩やかに静まっていく。昼には埋め尽くされていた露店街にも隙間が見える。あの空白も二日のうちに無くなり、季節が移るころには今日あった店を覚えている者は一握りになっているだろう。


――明日、昼までにもう一度お会いしたい。


 応接室の重苦しさは、緊急招集を伝える職員の慌ただしいノックで直ぐに打ち消された。ローランに一言残し、旧友は長年作り慣れた表情で戻っていった。アカデミアの問題は今まさに沸騰しようとしている。タイミングよく乾麺を投入しなければ、パスタの出来が不味くなる。


 そんな熱量も次第に薄れていき、近い将来、講義の箸休めとしての昔話になるだろう。偉そうに達観していると笑みが漏れる。胸奥の悲喜交々は踏みしめる段数よりも、とっくに多くなったのではないのか。我ながら長々と生きている…。


「やっと戻ってきた。待ちくたびれたよぅ」


 広場へとたどり着くなり、ずんぐりした同行者は、腰掛けた最下段から立ち上がり、不満を訴えてきた。赤やけた茶色い髪が西日にあてられ燃え上がっている。 


「もっと早いと思ったのに。気をまわして現地調査を切り上げて損したかなぁ」

「ただの買い食いだろう」

「その一口一口が、将来への蓄えになっていくのさ」


 ふんっと軽く胸を反らし、腹を一叩き。恨めしいことに、奴の胃袋は幸福な時を過ごしたようだ。


「しっかし交易都市はすごいや。はじめましてが沢山あって、目ん玉がちっとも足りないよ。露店だけじゃなくて大通りからの小脇や裏通りにも賑わいがあってさ。おいらのいた村やここまで立ち寄った街じゃ、みんな束になっても敵わないやぁ」

「商いにおいて、ベリンを上回る土地は存在せんからな。立地だけでなく、まずこの街と同じような歓迎はできんだろう」

「うん、それは分かるかも。おいらみたいな外から来た連中と、長いこと街で暮らしてきた住人との間に隔たりが無いよね。お客だからじゃなく」


 二人の傍を、幼い姉妹が駆けてゆく。家に帰れば豪華でなくとも暖かい食卓を囲むのだろう。

 不幸な我が腹を哀れみて、素早く夕日に背を向ける。


「この地は遥か昔、二大国の時代から物流拠点として栄えていた。当時は睨みあった東西両陣営の間を取り持つ市場として民生品や文の運搬を担い、大戦後は闇市として庶民の生活を支える役割を果たした。その為、行き場を失った兵士や身寄りのない者たちがここを頼って集まってきた。東からも西からもな」


 広場を抜け大通りへと歩を進めながら、昔話を続けてみる。少しは気も紛れよう。

 

「集った者たちは互いのありのままを受け入れた。後にやってきた者達もそれに倣った。そうした歴史の上で建てられたベリンは、雑多なものをそのまま受け入れてしまう。今日も変わらずに。法として定めたのではなく、心得として身についているのだ」

「ふーん」

「…ゆえにベリンを真似ても熟成期間が違うため、奥深さが足りず、かえって滑稽になる」

「でもさぁ、それでも差別は無くならないよね?」

 

 若輩者だが愚かではない。旅の連れ合いが暗愚では先行き不安であるが、そこは大丈夫のようだ。


「そのままを受け入れたんならさ。生まれながら自分を特別だと思っている、…例えば貴族とか」

「そうした輩は少数ながら今でも居るよ。ゆえにこうして東大通を歩いているのだ。大戦の名残で反対側は旧公国寄りの気風の店が多いからな。お主と一緒では場違いだと追い返されるわ」

「場違いなのは、おいらだけかなぁ」

「フン、ところで儂が長話に付き合わされている間、何ぞ食したか。流行ものでもあったなら知りたいものだ」

「それが今日はぐるっと見て回るだけの予定だったんだけどさ、途中で行列があって思わず並んじゃったんだ。でもさ、その価値は十分あったなぁ。……美味かったなぁ」


 両の頬に手を当て口元を緩ませ悦に入る。馬車でもそうだったが、飲み食いの話になると、どうもこ奴は途端に緩くなる。この点は、気に留めておくとしよう。


「焼いた鶏なんだけど――」

「…鶏か。ならば仔細なし」

「まだ話してないんですけど」

「ベリンで鶏といえば衆目一致する。その店に勝ることはあるまい」

「でも本っ当に美味しかったんだよ。肉もだけど味付けが他とは違うとみたね」

「だとしても儂が知る味には敵わんよ。口にもせず評するのは無礼だがな」

「…思い出してにやにやしちゃうくらいなんだ。今からそこへ行くの?」


 咳払いをして、心を落ち着かせる。極度の空腹とは真に恐ろしい。危うく隙を見せるところだった。


「残念ながらその店は南大通だ。しかし案ずるな。もうすぐ見える水牛亭はベリンで三指に入る」

「そんなすごいとこへ向かっているんだ。おいら支払い足りるかなぁ…」

「足りるだろうさ。あそこは露店からの成り上がりで、大通りに店を構えてからも“安く美味く満足させる”の理念を崩しておらん。客層も露店街と然程違わんしな」

「…なら問題はこっちかぁ」

「どれだけ腹に収めるつもりかは知らんが、宿までは歩けよ」


 北へ旅立つ前に訪れた懐かしい記憶をたどろうとしていると、背後から一つの影が伸びてきて、二人を追い越した。振り返るが鋭い光がさしこみ、はっきりとした姿をとらえられない。逆光の中でぼやけた陰が口を開いた。


「お二人さん、水牛亭に行くんだってな。俺もそうだ。よかったら一緒に行かないか」


 手をかざして目を細めると、屈強な体躯を持つ中年の男が西日を浴びて立っている。


「どこかでお会いしたかな、覚えはないが」

「いや、初対面だ。あんた等だけなら門前払いを食うと思って声をかけたんだ」

「あの店は客を選ばんはずだが…」

「昨今、方針を変えてな。西大通よろしく、誰でも入れる店ではなくなったのさ」


 眩さに慣れてきたのか、男が身にまとう衣服の模様が目に映った。鯆。それも南海で極めてまれに発見される大型のシロイルカ。ベリン南大門を管理する十人頭の証。 


「そんな訳で常連の紹介があった方がいいと思うが、どうするよ。エルフの旦那と、…そっちはドワーフかい?」

「半分当たり。おいら純血じゃないんだ。人間とドワーフの『デミ』だよ」


 隣から聞こえた明朗な声は、すぐに大通りの雑踏へ消えていった。


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