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異世界勇者プロデュース  作者: 高瀬一夜
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最期の通知

 その日はとても暑かった。この夏一番の暑さだと、今朝の天気予報のお姉さんが言っていた記憶がある。日本特有の湿気を含んだじっとりとした暑さに、翼の不快指数はマックスに近かった。その上、手元のスマホのメールの文面が追い打ちをかけてくるものだから、イライラを通り越してもはや虚無を抱えている。

 「今後のご活躍をお祈り致します、か………」

 文面を読み上げて、泣きたいような笑いたいような気持ちになった。

 末広翼、21歳。通算99通目のお祈りメールを受け取ってしまった。


 子供の頃から読書が好きな子供だった。大好きだった祖父母は古書店を営んでいて、個人的にも本の蒐集が好きな人だったから、本は身近だった。絵本をはじめ、児童書からライトノベル、時には文学書にも手を出して、読みふけっていた。中学、高校と図書委員を6年間にやり続け、周りからは図書館の主とまであだ名されたほどだ。図書館の司書になろうか、何て思っていた時期もあるし、実際、資格だけなら持っている。

 けれど、図書館の司書というのは求人がなかなか出ない。毎年出るものではなく、現に今年は近場の図書館の求人はどこも出ていなかった。ならば仕方ない、と民間の企業への就職活動を頑張ってみたものの、結果はこのざまだ。泣きたい。

 大学の決して多くはない友人たちの中にはもう、就職先が決まっている奴もいる。他人と比べても意味はないけれど、やっぱり焦ってしまう。気持ちばかりが急いて、面接やらディベートやらでもから回ってばかりだ。

 遠くから太鼓の音が聞こえる。ああ、今日は夏祭りだったか。駅を出ると浴衣を着た人がちらほら見える。楽しそうな人々の様子はどこか遠く見えた。自分とは違う世界の人間だと感じる。

 就活はまだ途中だ、と言われる。けれど、これだけの不採用を積み上げれば、誰からも必要とされていないような気持ちになるのは仕方ないのではないだろうか。

 翼はずり落ちていた眼鏡をあげて、祭りへ向かう人々の流れから外れた。そのままよろよろと家へと向かう。

 ああ、今日は疲れた。帰ったらライトノベル原作のアニメでも見よう。今は痛切に癒しが欲しい。

 そんなことを思いながら、歩く。疲れのせいかふらふらで、ゾンビか何かのようにも思える。就活ゾンビだ。

 目の前の信号が青になった。

 自分の妄想に自分でツボりながら、けれどそれを表には出さず、翼は横断歩道へと足を踏み出した。

 

 「危ない!」

 誰かの声が聞こえた。何を言っているのか認識するのに1秒かかった。

 危ない。何が?

 不思議に思って、翼は辺りを見回して。

 

 「え」


 すぐ目の前は車のフロントガラス。

 ブレーキの耳障りな音が響いた。

 視界が大きくブレた。体が歪みそうな衝撃に、息が詰まる。

 ああ、撥ねられたのか。そう、どこか他人事のようにのんびりと、脳が結論を出した。

 アスファルトに叩きつけられる。感覚がひどく鈍かった。薄膜を通したように、全てがぼんやりとしている。痛みをそれほど感じないので、それだけはありがたいと思った。

 ブブ、と振動音が聞こえた。目線をやると、スマホがそこにあった。画面はバキバキだが、奇跡的に破壊は免れていたらしい。その画面に、通知が出ているのがわかった。メッセージのようだ。例のごとく文面が一部だけ表示されている。

 ひゅ、と吐息が漏れた。


 そこにあったのは、「採用」の文字。

 歪んだ視界で、なぜかそれだけがはっきりと見えた。

あれだけ欲しかったものが、今目の前にある。どうして、今なんだ。

翼はスマホに手を伸ばそうとした。だが、腕は動かない。腕だけではなく、体全体が動かせなかった。じわりじわりと体から温度が抜けていくのがわかる。

やっと。やっとだ。100回目の正直で、やっと自分を採用してくれる場所が見つかったのに。

視界はどんどん暗くなっていく。救急車のサイレンが遠ざかる。温度も痛みも、感じるもの全てが無くなっていくのがわかった。

そうして翼の感覚は、完全な暗闇に塗りつぶされた。唯一あるのは、浮いているような沈んでいるような、不思議な感覚だけだ。

意外にも、自分の意識ははっきりとあるらしい。いっそ消えてしまった方が楽なのではないだろうか、と思う。


————消えられては困るのう。


はい?

声のような何かが闇の中を響いた。それは老人のもののようにも、若者のもののようにも聞こえる。同時に目の前に、きらりと光る糸のようなものが現れた。

まるで『蜘蛛の糸』のようだ。懐かしい。祖父の家にあった短編集の中で何度か読んだ覚えがあった。

つい眺める翼の目の前で、糸の先端が8つほどに分かれた。そのままするすると伸び、更に細かく分かれ、絡み合う。まるで網か何かのようだ。やがて光の網は翼の視界を覆いつくした。

そして。


そぉい!というどこか気の抜けた声が聞こえたかと思うと、思い切り引っ張られるような感覚に襲われた。

何!!!?

声があったなら、きっと叫び倒していただろう。昔、家族に無理矢理やらされたバンジージャンプを思い出す。悪夢の再来だ。めちゃくちゃ怖い。しかも、バンジージャンプと違って勢いは止まらない。むしろ加速しているような感覚がある。視界に見えるのは光の網だけだから、余計に不安感がある。

やっぱり意識なんてない方がずっといい!

翼はただただ耐えることしかできなかった。


どれほどそうしていただろうか。やがてその瞬間は訪れた。

とぷん、と水面から勢いよく飛び出たような感覚がした。それまで暗闇と光の網だけだった視界が一気に白んだ。引き上げられている感覚はいつのまにか失われ、代わりに少しの浮遊感を得る。

ややあって、翼の視界がはっきりとした像を結んだ。

白一色に仕上げられた部屋だ。家具はなく、装飾された柱だけがあるのが見える。以前資料集で見たギリシャの神殿によく似た雰囲気だ。

しかし、それらよりももっと目を引くものがある。

それは、人の形をしていた。

銀の髪に金の瞳。白い肌はくすみひとつなく滑らか。顔立ちは中性的かつ綺麗に整っており、豪奢なローブで体型もはっきりしないこともあってその性別は窺い知ることはできない。

彼————もしくは彼女————は、その容貌に不釣り合いな釣竿のようなものをその場に放り捨て、完璧な笑みを浮かべて口を開いた。


「ようこそ、新入社員君!」



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