第8話
ドローテア地方王立ドローテア大学、それはドローテア地方において最も権威があり、最も高い難易度を誇るドローテア地方唯一の王立大学である。
大学そのものはドローテア地方にも様々な経営母体の物が存在するが、王立大学はそれぞれの地方の主星に一つずつと王都にしか存在しない。
そこに入学するだけでもステータスであり、卒業までしたならばエリートコースは約束されたも同然なのである。
そして現在、そんな大学に俺は足を踏み入れた。
「今日ここで講演会が行われるの?」
「うむ、そうじゃ。ここの大学の大講堂にて13時より開催される」
俺は今回お爺様と二人で来ていた。
両親はまず古代学に全く興味がないので、お爺様が引率を言い出すと、これ幸いと俺の事はお爺様に押しつけ、自分たちはショッピングに出かけてしまった。
なんて薄情なとも思うが、今回の旅行は両親にとっては休暇でもあるので、のんびり羽を伸ばしてほしいと思う。
「そう言えばお爺様、教授と会うことが出来るかもって話はどうなったの?」
「うむ、それはのう……内緒じゃ。講演が終わるまで待て」
うーむこの期に及んでまだ隠そうとするとは。
実はこの3日間何度もお爺様に聞いて言いたのだが、毎回こうやってはぐらかされてしまっていた。
「でも。気になって講演を集中して聞けないんだけど」
「ん~そう言われてものう、知り合いに頼んではいるのじゃが実はまだ返事が来とらんのじゃ。講演会終了までには返事は来るはずじゃから、それまで待っていてくれ」
なんと、まだ結果が来ていなかったとは思わなかった。
これは当初の予定通り講演会終了後に直接直撃する必要があるかもしれない。
そんな不安を抱きながら講演会はスタートした。
アルビオン王立大学古代学教授クリシュティナ・ボロゾフ(55)。
彼女は、王国一の大学である王都にある王立大学アルビオン王立大学の教授を務めている。
先ほど言った通り王立大学は他の大学とは一線を隠す大学であり、その中でも王都のアルビオン大学は正にトップの大学であると言えよう。
その大学で教授を務めるボロゾフ教授は正に王国古代学会のトップと言っても過言ではないのである。
そして、更に彼女は史上最年少で教授になった正に天才と言っていい才女なのである。
もし、彼女が料理について詳しく知らないとしてもそれを研究している学者を紹介して貰えるのではないかという思惑もあった。
そんな古代学の天才である彼女の講演会があるという事で、この5000人入りの大講堂は現在満員御礼の状態となっており、チラホラ立ち見も増えてきた状態となって来ていた。
そんな中早めに来ていた俺は最前列に座る事が出来ていた。
何度も言うようだが俺は現在、1歳である。2列目だと絶対に前の人の背中で遮られて見ることが出来ないのだ。
更に大学に子供用の椅子なんてあるとも思えないため、絶対に最前列を確保する必要があった。
その為1時間は早く来てこの席を確保した。
最初、まだ受付等を準備中だったらしい係員の人が、この時間に来たことと、この年齢の子供が来た事両方の事で驚いていたのは印象深かった。
さて待つこと1時間、今回の主演クリシュティナ・ボロゾフ教授が講堂に入ってきた。
容姿は淡麗であり、事前に調べた通りやはり若い。
見た目は20代前半程だろうか。
そして教授はステージに立つと客席を見回す。
最初、自身の目の前に幼児が座っていることに驚いた様子だったが気を取り直し周囲を見回す。
そして、第一声を上げた。
「皆さん本日は私の講演に来ていただき誠にありがとうございます。」
そうして講演会が始まった。
ボロゾフ教授の講演はとても面白いものだった。
まず、教授という職業柄なのか話がとても上手く観客が引き込まれるような話し方をするという印象だった。
時にはジョークで観客を笑わせ、その後には最も大事な事を言い観客の意識に刻み込む。それは一歩間違えば洗脳にも思えるような優雅なしゃべりだった。
講演の内容としてはありきたりな、古代学の意義や現状、そして研究費の減額の愚かさ等どこかで聞いた事があるようなものだったが、その合間合間に入る教授の豊富な実体験を元にした含蓄は正に人生のためになるような事も多く、その主張に重みをもたせていた。
講演会は予定通り2時間で終わり、好評のうちに幕を下ろした。
そして、ここからが俺の本番だった。
更に講演の最中に分かった事なのだが、なんとこの教授、古代学の中でも市民文化や風俗を専門に研究しているらしいのだ。
絶対にこの機会を逃してはいけない。この機会を逃すともう真実にたどり着けないかもしれない。
そんな思いでステージから去ろうとする教授に声を掛けようとした。
しかし、それは祖父に手を掴まれて未遂に終わってしまった。
「お爺様、教授にお話を聞きに行きたいんですが」
半ば睨むようにして手を振りほどこうとする。
「まあ、落ち着け。今連絡があった。30分程度なら時間が取れるそうじゃ。」
なんと、半ば諦めていたのだが正規ルートでアポイントメントが取れたというのか。
「ほ、本当ですかお爺様」
「うむ、本当に今連絡があっての。今から30分程度なら良いと教授が仰っているようだ」
「なら、行きましょう今行きましょう!時間は有限です」
「分かった分かった。分かったから落ち着け、そんな調子で教授と会うのか?ちゃんと聞きたいことを考えて置くのだぞ」
むう、確かに少しはしゃぎ過ぎた。これでは呆れられてしまうかもしれない。
唯でさえ、見た目が幼いのに、これでは相手をして貰えないかもしれない。
時間は30分間と短いのだ、質問は厳選しないとな。
「うむ、少しは落ち着いたようじゃの。では行くか。こっちじゃ」
俺はお爺様に連れられて講堂を後にした。
連れています来られたのは、大学校舎にある応接室だった。
応接室のソファーに座り、頭の中で質問をまとめつつ暫く待っているとノックと共に一人の女性が入ってきた。言わずもがなボロゾフ教授である。
広大な舞台の上では彼女は小さく見えていたため、余り容姿は気にならなかったが、こうして直接顔を合わせるとやはりその美貌に目がいった。
髪はアッシュブロンドであり、顔は堀が深い所謂地球人で言うとロシア美人を彷彿とさせる人であった。
そして、ボロゾフ教授は先程の最前列で見ていた子供が俺だと気づいたのか何処か納得した表情を浮かべていた。
俺は立ち上がると挨拶をした。
「本日はお時間を取って頂き誠にありがとうございます。アルバート・クーパーと申します」
「アルバートの祖父シルビオ・クーパーと申します。今回は急なお願いを聞いて頂き感謝します」
「ご丁寧にありがとう御座います。私がクリシュティナ・ボロゾフです。今日はお孫さんがどうやら聞きたいことがあるとのことですが」
「はい。このアルバートなんですがまだ1歳と、とても幼いながらも古代学に興味を持っており是非ボロゾフ教授にお会いしたいと言いましてな、今回急ながらもアポイントメントを取らせていただいた次第です」
祖父の話は普段の爺めいたしゃべり方とは違うどこか落ち着いた物だった。
「成程、そうだったのですね。アルバート君は古代学の何に興味を持っているのですか」
「はい、僕は古代地球の料理について興味を持っています。しかし、いくらネット等で調べても概要しか出てこず詳しい情報は出て来なかったのです。まだ僕はこの年齢のため大学等の文献を調べる訳にもいかず。今回、祖父にボロゾフ教授に会えるようお願いしたのです」
「成程、また料理とは渋いところに興味を持っていますね。」
「我が家の稼業は食料生産なので、現在の完全食料のルーツを調べる過程で興味を持ちました」
これは、何故これに興味を持ったかと聞かれたときに答える理由として予め用意していたものだった。
現状、料理と言う存在は一般人からすると余りにも専門的すぎる内容であり、幼児が答えるには余りに不釣り合いな回答だったためでもあり、料理という存在が忘れ去られてそれ程長い年月が経ってしまったためでもあった。
「成程、クーパー家は男爵家でしたね。そういう繋がりでしたか。それで、今日はどんな事が聞きたいのでしょうか」
「はい、まずは料理という文化は何故なくなったのか。そしてそれはいつか。大まかな質問はこの二つです」
「そうですか。では順に語っていきましょうか。まず、料理とはいったい何だったのか、アルバート君はご存知ですか」
料理とは一体何か?前世では余りにも身近過ぎて考えたことはなかったが……
「そうですね、生きていくのに必要な行為であり、一種の娯楽であったのではないかと考えています」
「そう、その通りです。良く調べていますね。正に今知っておいて欲しいのは料理とは娯楽でもあったという事実です」
俺も食事とは一種の娯楽であったと思う。
毎日何を食べようか、ここのお店はおいしいだとか、それは日々を生きていくためのスパイスであり、立派な娯楽であった。
「では、何故娯楽的意味合いを持っていた料理という存在が無くなってしまったのか。それは、料理の必要性が無くなってしまったこと、料理をする事が難しくなってしまった事、最後に料理を忘れてしまった事。この3つの要因が重なってしまった事が原因と考えられています」
3つの要因?
「まず、必要がなくなった。これは普段から我々が食べている完全食の開発です。」
あの不味い、食べ物とも認めがたい栄養補給剤のことか!?あれが料理喪失の要因の一つ!?
「あの食料の開発のおかげで、人類は一日に必要な栄養を一口で補給する事が可能となりました。そして、この完全食は次の要因とも関わって来ます。2つ目の要因料理をする事が難しくなってしまった、という項目です。これは人口爆発の事です。」
人口爆発?確かに、今の宇宙の人類の人口はとんでもない数だとは思うが……
「西暦2200年ごろ、人類は自身にある遺伝子操作を施します。それは生殖機能の回復でした」
まあ、人口爆発何だから生殖機能に関係して来るのは何となく理解は出来る。
しかし、それがどう関係するのかは全く分からんな。
「西暦2000年代初頭から人類はY染色体の突然変異が急速に進み、500年以内に男性が完全に消滅するという事態が起こりそうになったそうです。そして、その先にあるのは勿論人類の滅亡です。それを回避すべく我々の祖先はすべての男性を対象に遺伝子治療を施したのです。そして、それは成功し、人類の滅亡は回避されました。しかし、副作用があったのです。それは生殖機能の過剰とも思える増進効果でした。」
確かに、俺が生きていた時代ではY染色体の欠損が原因で人類が滅びるかもしれないとか言っていたが、それは500万年は先の出来事と聞いていた。
そんな危機的状況が俺の死後、急激に進行していたとは……
そして、それが原因で人口が急激に増えるなんて全く当時の人間も予想はつかなかっただろう。
「また、当時対処するなら間に合ったのかもしれません。しかし、Y染色体異常により男性が減少していたことや、前回の遺伝子治療で副作用が出たことで今度はどんな副作用が出るか分からないという世論の動きに押され、遺伝子の再治療を行わなったのです。そしてその後、資料によると人類は100年で5倍に増えたようです」
おおう、100年で5倍って鼠算式に増えてんじゃねえか。そりゃ人口爆発だ間違いない。
「そして、当然の事ながら急速に人類が増えて行く訳ですから、資源も住む場所も勿論足りなくなります」
「まさか……それで本格的な宇宙進出ですか!?」
「そう、その通りです。これを機に人類は本格的に宇宙へ飛び出しました。しかもこの動きが完全食料の普及を促しました。地球より更にスペースが限られる移民船団では食料はよりコンパクトで栄養価が高いものが好まれました。故に完全食はその条件に正に適合し、ほぼ全ての移民船の標準装備となったのです。」
な、なんという壮大な話だろう。まさか唯料理の話を聞くだけの予定だったのにそんな人類の歴史が大きく関わってくるなんて。
「そして、当時の技術では移民先の惑星まで、何十年という時間が掛かりました。そして、その船の中でも世代交代が起こり、料理と言う文化は廃れます。更に植民先の惑星でも到着した後はは開発作業が待っているわけです。最早娯楽とも言って良くなった料理は植民者にとってより縁遠い存在になってしまったのです」
「で、でもまだその段階では地球では料理という存在はあったのではないですか?」
「はい、その通りです。唯、例え移民として人類を宇宙に送り出したとしても人類は地球に残りました。当然人口は増え続けます。故に地球でも一般庶民は完全食料が一般的となり、料理は富裕層か一般市民は特別な時にしか食べられない存在となっていたようです」
何という事だ人口爆発がそこまで影響を与えるとは。
「そして、遂に決定的な事件が起こります」
決定的な事件?
「独立戦争です。この戦争により地球にあった歴史的遺産資料は悉く灰塵に散りました」
「まさか、料理も同じように、全て……」
「はい、料理に関する資料人員も例外なく失われました」
何という事だ、こんな、こんな事で人類が数千年、下手すると万年単位を掛けて培ってきた技術、文化が失われてしまうなんて。
「つまり、料理という文化が失われてしまったのは西暦3000年頃ということですね」
「はいその通りです。良く歴史を勉強していますね。正確には料理文化を持った人間は植民地にもいたようなのですが、本土に比べると人数も少なく、質も高くなかったため、自然消滅的に料理文化は消滅したようです。」
事態は俺の想定していたよりも更に悪いものだった。
俺は最後の望みを掛けて更に質問をしようと、口を開いた。
しかし、そんな俺の望みなど知った事かという様に別の男性が扉から入ってきた。
「教授、そろそろお時間です」
え?時間?
デバイスを見ると既に45分が過ぎようとしていた。
「あら、もうそんな時間でしたか。申し訳ありません、この後大学主催のパーティーがありまして。どうしても時間を開けられないのです。……しかし、アルバート君はまだ聴きたい事があるご様子。どうでしょう、明日なら2時間程なら時間を空けられます。」
「是非!是非お願いします」
俺は反射的に答えていた。
ここで掴んだ料理への手がかりを此処で手放すわけにはいかなかった。
「分かりました、では私の滞在しているホテルの住所をお送りしますので、そちらの方に来ていただいてもよろしいですか?」
そう言うとボロゾフ教授はデバイスを操作するとメールをお爺様に送った。
「勿論大丈夫です。では明日、申し訳ないのですがもう一度お邪魔させていただきます。今日は本当にお時間を取って頂き有難うございます」
「儂からもお礼を、孫の長々とした質問に紳士に答えてくださって誠に有難うございます」
「いえいえ、未来の古代学者さんとの議論はとても楽しい事でした。惜しむらくは、尻切れトンボになってしまった事ですが、それは明日の楽しみに取っておきましょう。では失礼します」
そう言ってボロゾフ教授は応接室を去っていった。
ボロゾフ教授が去っていった応接室で俺は切り出す。
「お爺様、今日お父様、お母様を交えて皆に話したいことがあるのですけれど時間を取って貰ってもいいですか?」
「うむ?別に構わんが?」
急な俺の申し出に少々訝し気にしながらもお爺様は了承してくれた。
今日のボロゾフ教授との会談で俺は一つの決意を固めていた。
それは、もしかしたらこれ以降家族に拒絶されるかもしれない事でもあり、俺は内心恐怖しながらも、絶対にしなければならない事であると感じていた。