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現代恋愛関係(短編)

---キリトリ---

作者: ジルコ

「いいかい、真白。写真っていうのは真実を写すって書くんだ。でもね、その真実っていうのは写す人の気持ち次第なんだよ。何を切り取りたいのか、その人の心が写真に現れるんだ。」


 それは大好きなおじいちゃんが、小さいころに家族写真を撮るために訪れた私に良く話してくれた言葉だ。

 おじいちゃんは写真館を営んでいたが、数年前に体調を悪くしてやめてしまった。そして使っていた内の一台のカメラを私に譲り渡してくれたのだが、その時に同じ言葉を言われたのだ。私の頭をなでるそのごつごつした手が思いのほか細くなっていて驚いたのを覚えている。

 おじいちゃんの言葉を理解できたかはまだ私にはわからない。だから私は今日も首から譲ってもらった一眼レフカメラを吊り下げ歩くのだ。





「うぅ~、あっつい。」


 夏休みが終わり2学期が始まったのだが、校庭は真夏のような太陽の光によって陽炎がゆらゆらと上っていた。木の幹ではいまだにセミが大合唱を繰り広げている。もうちょっと夏休みを延ばせばいいのに

 首からぶら下げたカメラが熱を持ちすぎないか気をつけながら歩く。


「う~む、いまいち。」


 両手の親指と人差し指で四角いフレームを作り風景を切り取る。

 おじいちゃんからカメラをもらい、そしてすぐにその魅力にのめりこんだ。

 初めのころはカメラをのぞき込んだまま良い風景を探したりしていたのだが、池に落ちたり、田んぼに突っこんだりと言う、あわやカメラが損傷する一歩手前のことがたびたび起こったため今では自重しているのだ。


「うん、こっちはなかなか。」


 サッカー部のマネージャーが選手たちを応援しているフレームを気に入ったのでカメラを構えピントを調節するとすかさずシャッターを切る。

 カシャッという小気味よい音が聞こえた。


「青春って感じだけどテーマとはちょっと違うんだよね。」


 そう言いながらも思わず顔がにやける。マネージャーの視線がエースストライカーばかりを追っていることに気づいてしまったのだ。


「恋する乙女だね~。」


 次の被写体を探そうと歩き出したが、思い直してもう一度カメラを構える。

 ほどなく休憩に入ったサッカー部員たちにマネージャーがお茶を渡していく。そしてエースストライカーの順番になったところで再びシャッターを切った。

 タオルで汗を拭く少年と少し頬を染めながらお茶を差し出す少女が切り取られた。


「うん、現像したらあげよう。」


 いい写真が撮れた時や、今回のような時に写真をあげることがあるがおおむね好評だ。なかなか好きな相手の写真なんか撮れないしね。欲しい子は多い。

 もちろん怒られることもあるんだけど、私が撮った写真で喜んでくれる誰かがいるなら嬉しいっていう方が勝るのだ。怒られた時はちゃんと写真は処分しているし。


 こういったことをしているからか、年中カメラをぶら下げて歩いているからか私のあだ名は1年の2学期にはカメ子になっていた。カメラ女子を縮めてカメ子。親友の朋ちんに言わせるとひどいあだ名だそうだがわかりやすくて私は好きだ。

 いいじゃん、カメ子。なんとなくのんびりしていて可愛いし。


 校庭を歩きながら次なる被写体を探していく。フレームを作り、少しでも琴線に触れたらシャッターを押す。そこまでではないときは口だけシャッターだ。まあ押した気で「カシャッ」って言うだけだけど。フィルム代もただじゃないしね。

 それにしても・・・


「うーん、見えないもの・・・見えないものかぁ。難しいなぁ。」


 思わず眉間にしわが寄ってしまう。

 文化祭で写真部が発表するテーマが「目に見えないもの」なのだ。文化祭がある11月までまだ2か月余裕があると言っても、時間をかければ良い写真が撮れるわけじゃない。

 もともとぶらぶらと歩きながら撮るのが好きで、テーマに沿った写真と言うのは苦手なのだ。


 ふだん歩いているときには気にも留めないのに、カメラをもって歩くだけで面白いものが見つかったり、変なものが見つかったりする。

 それが楽しい。面白い。

 だから写真がもっと好きになる。テーマなんて枠、私にはいらないのだ。


 とは言え写真部に入っているからにはテーマに沿った写真を撮るのは絶対だ。そして発表するからには自分の納得のいく写真を撮りたい。


「よしっ、頑張ろ!」


 気合を入れなおし、汗をぬぐいながら校庭を進む。

 絶対にいい写真を撮ってやるんだから。





 職員室そばの「給湯室」のプレートの文字に一本取り消し線が引かれた部屋のドアをガラッと開ける。薄暗いその部屋は現像に使う停止液特有の酸っぱい匂いがほのかに漂っている。この匂いなんか落ち着くんだよね。

 写真部の部員は私以外デジカメ派だ。つまりこの給湯室ならぬ現像室は私一人の城だ。幸いなことにちょっと前まではフィルムカメラを使用していた先輩もいたらしいので用品はまだまだ在庫があった。それを自由に使えるだけでも写真部に入ってよかった。


「よしっ!」


 数秒目をつぶり、精神を集中させ自分自身に活を入れる。慣れた手つきで巻き戻しクランクを回し、裏ぶたを開けるとフィルムを取り出す。

 いい写真になるかどうか、ここが正念場だ。


「うまくいきますように!」


 神様でもおじいちゃんでもいいから奇跡が起きますように。





「真白っち、浮かない顔だね。」

「うん、文化祭の課題がうまく撮れなくて。」

「あぁ、見えないものを撮影するだっけ?」


 翌朝、現像した写真が自分の理想の出来には程遠かったので、机に頭をつけたままうなだれていたら朋ちんが声をかけてきた。

 朋ちんは1年の時からの親友で、女子バスケ部の次期主将とも言われるくらい背も高くて運動神経も良い。後輩の面倒見も良いので頼りにされている体育会系女子だ。

 ジャージ姿でカメラをもって外を歩き回っているせいで真っ黒に日焼けした私のような偽運動部員とはわけが違う。というか私は運動が苦手だ。


 そんなわけで日焼け以外はあんまり共通点がない私たちだったが、最初の席が前後だったのをきっかけに仲の良い友達になった。そんな朋ちんが慰めるように私の頭を撫でてくれるのはいつものことだ。朋ちんパワーを補充するのだ!


「写真なのに目に見えないとはこれいかに。」

「まあ匂いとか音とかが伝わるような写真だってわかってるんだけどね。」

「それじゃあ真白っちは納得できないと。これがその候補?」


 朋ちんパワーを補充してちょっとやる気がアップしたので昨日現像したばっかりの写真を渡す。

 朋ちんはペラペラとめくって机に置いていくが見るだけで何も言わない。たぶん何を言っても私が納得しないって分かってるんだろうな。さすが朋ちん。下手な慰めはさらに傷をえぐるんだよ。

 しかし行き詰っているのも確か。別の視点からの意見が欲しいところなんだよね。うん、見終わったらちょっと朋ちんに相談して・・えっ!?


「どしたん?」


 一枚の写真が目に留まって思わず朋ちんの手を掴んでしまう。

 私と同じポーズをしている男子がいた。奥に見えるのは多分スケッチブック。美術部員なのかな。そういえば絵も風景を切り取るって考えれば写真に似ている。もしかして話を聞けば・・・


「そうだ、そうだよ!違う視点から見たら何か分かるかも!?」

「どしたん?」


 朋ちんの手をぶんぶんと上下に振って感謝を伝える。やっぱり朋ちんは頼りになるね。今度、朋ちんの好きなバスケ部3年の主将のかっこいい写真を報酬として渡そう。





 それからは早く放課後にならないかと待ち遠しくて仕方がなかった。授業も上の空で、当てられた時は焦ったが朋ちんのフォローで何とかなった。サンキュー朋ちん。愛してる。

 やっと授業が終わり速攻でいつもの小豆色の学年ジャージに着替え、職員室でカメラを受け取って外へ出た。


「えっと、たぶんこっちよね。」


 先ほどの写真と風景を見比べ校庭を歩く。目的の場所は校庭の隅、花壇やなんかも何もなくただ木陰があるだけの誰も近づかない忘れ去られたような場所だ。


「ここ・・・だけどいない。」


 人差し指と親指でフレームを作る。

 風景は一緒だけどいて欲しい人がいない。うーん、昨日だけだったのかな?

 しばらくそうやって立っていると、そのフレームの中へとことこと1人の男子が侵入してきた。そしてその男子は木陰へと向かうと、持ってきた椅子に座った。

 被写体発見!


「カシャッ。」


 カメラを構えず、声にだけ出してシャッターを切った。

 ふっふっふ、ジャージの色から判断してやっぱり後輩君のようだ。男子っていうのがちょっと気になるが声をかけてちょっと話を聞くだけだし楽勝よね。

 私は気楽に考え、歩調も軽く美術部の彼に向かって歩き出した。


 校庭の隅の木陰は夏の暑い日差しを遮っているだけでなく、どうも風の通り道になっているようで想像したよりも快適だった。

 あと数歩のところまで接近したのだが未だに声をかけられず止まったままだ。楽勝だと考えていた数分前の自分を叩いてやりたい。


 はっきり言おう。彼はイケメンだった。

 メラニン色素が働いていないんじゃないかと思われるほど病的な白さの肌。眉の上あたりで切られた黒髪が夏風に吹かれてサラサラと揺れている。二重の大きな瞳はすぐそばにいる私を映すことなく、風景を見てはスケッチブックへと鉛筆を走らせている。


 自分の腕をまじまじと見る。確認するまでもなく日に焼けて真っ黒だ。髪は縛ったところからちょこっと出るくらいのポニーテールにして無理やり寝癖を誤魔化しているし、目は純和風の一重まぶただ。特に大きくもない。

 あまりに不釣り合いだ。というか私のメラニン色素君。働き過ぎじゃない?

 うん、馬鹿なこと考えたらちょっと落ち着いた。色々と思うところもあるがナンパする訳じゃないし写真のためだ。


「えっと、あの・・・こんにちは。」


 ゆっくりとその彼が私の方を向いた。なぜ自分が話しかけられたのか分からないと首をかしげる姿が小動物のようでちょっと親近感が沸いた。

 いやいやいや、そんなことを考えている場合じゃないから。


「・・・こんにちは。」

「うーんと、その、絵、描いてるんだよね?」

「・・・はい。」

「えっと描いているところ見せてもらっていい?あっ、私、桐谷真白って言って写真部の・・・」

「・・・邪魔しないなら、いいです。」

「えーっと、はい。静かに見ています。」


 なんだろう、思った以上に取り付く島もなかったよ。

 会話は難しそうだけど絵を描くところを見る許可はもらったので存分に見させてもらおう。写真の参考になることがあるかもしれないし。


 ときおり私と同じように両手の親指と人差し指でフレームを作りながら彼は描き上げていく。スケッチブックには写真を現像するかのように風景が彼の手によって浮かび上がる。

 一心不乱に鉛筆を動かす彼の真剣な表情が年上に見えて少しドキッとする。でも気のせいかもしれないけれど、なんで・・・なんでちょっと悲しそうに見えるんだろう?


 キーンコーンカーンコーン。


「えっ?」


 絵に集中していたらいつの間にか部活の終了時間だ。写真以外でこんなことになるなんて初めてかも。

 彼はチャイムが聞こえた途端にそそくさと片づけをはじめ、折り畳みの椅子を手に持つとそのまま帰ろうとしていた。っとと、見送っている場合じゃない。


「あの、明日も見に来ていい?」

「・・・」


 振り返ったその男子は首を少しだけ傾げ、視線を空へと向け何かを考えるような仕草をする。

 なんとなく彼が絵を描くのを見ていれば何かが変わるんじゃないかって予感がする。だからお願い。


「・・・邪魔しないなら、いいです。」


 それだけ言ってくるりと向きを変えると私の方を二度と見ることなく彼は校舎へと向かって歩いて行った。

 ふぅ、良かった。とりあえず明日は寝癖をちゃんと直してから来よう。





 翌日から放課後に私は校庭の隅へと行き、彼が絵を描くのを見るのが日課になった。最初はコミュニケーションが難しいと思っていたが、絵を描く間の少しの休憩時間などに話しかけるとちゃんと会話出来た。まあ当たり前なんだけどね。

 彼の名前は香取 彩斗(かとり あやと)。美術部に所属している1年生だ。

 1週間経った今では少し慣れたのか会話も少しスムーズになってきたし、知らない人から知人以上友達未満くらいまで来れたんじゃないかな。


 水性絵の具をパレットで混ぜては、自分の満足のいく色を探して彼は絵を完成させていく。

 そして絵が完成に近づくにつれ私の中で違和感が少しずつ大きくなっていく。

 彼の絵はまるで写真のように正確に風景を模写していた。それは色が塗られても同じだ。限りなく現実に近い絵。それが彼の絵だった。絵の知識がない私でも彼の技量が優れているのがわかる。

 こんな綺麗な絵は見たことがない。ただの校庭の風景なのに。だけど・・・

 そして休憩時間、私は思い切ってそのことを聞いてみることにした。


「ねえ、香取君。絵を描くってどういうこと?」

「意味が分かりません。」


 うん、確かに質問が悪かったかもしれない。

 困った顔でこちらを見てくる彼に心の中で謝っておく。うーん、でもいい言葉が浮かばないんだよね。

 首から下げられたカメラを何気なく触って眺めながら言葉を続ける。


「写真もさ、風景を切り取るっていう意味じゃあ絵を描くのと同じでしょ。どんな感じなのかなって思って。」


 カメラに向けていた視線を彼へと戻すと、眉間に皺をよせ苛立たし気にしていた。

 彼がそんな表情をしているのは初めてだ。まずい。これは非常にまずい。

 彼は焦る私に声をかけることなく、休憩を終え再びスケッチブックへと筆を下ろしていった。しかしそのタッチは先ほどまでと比べ物にならないほど荒かった。

 私のせいだよね。


「えっと、なんかごめん。」

「・・・」

「何が悪かったのか、いまいちわかんないけどこのとーり!」


 ぱんっ、と手を合わせながら頭を下げる。

 望むなら土下座でもなんでもしよう。だってさっきの彼の顔はとても傷ついていた。

 1秒が数分にも感じられる沈黙が続き、そして彼がため息を吐いた。おそるおそる顔を上げると彼は筆をスケッチブックからゆっくりと離し水で洗い、そしてパレットの絵の具を新たに混ぜた。

 そして荒れたスケッチブックへとその筆が再び下ろされた。


「絵は写真とは違います。ただ風景を映す写真と違って・・・絵の具に作者の思いが溶け出して、その一筆一筆にこもっていくんです。写真なんかとは・・・違う。」


 プチッ。自分の中で何かが切れる音がした。

 それはまるで独白のようだった。たぶん彼に写真を馬鹿にする意図は無い。理性ではわかっているけれど止められなかった。

 パレットの絵の具をつけようと動かした彼の腕を握りしめる。

 彼が顔を上げた。ちょっと驚いたというかおびえたような顔をしているけれどなんでだろう?うん、きっと写真の良さをこれから知ることが出来ることへの武者震いだよね。


「香取君、ちょっと来なさい。」

「・・・やだ。」

「いいから、さっさと来る!!」


 有無を言わさずに引っ張ると少しの抵抗はあったが素直についてきた。

 この1週間しっかりと絵を見せてもらったんだから、お礼に写真のいいところをちゃんと教えてあげるからね。




「桐谷先輩、臭いです。」

「ちょーっとその言い方はやめてほしいかな。私が臭うみたいじゃない。」


 暗室へと連れ込まれた彼の言葉に先ほどまでの勢いがちょっと削がれる。

 確かにこの部屋は酸っぱい匂いが漂っている。でも私にとっては安心する匂いだし、匂いが移らないように洗濯もお風呂も入念にしているのだ。いや、洗濯するのはお母さんだけど。

 女子を捨てつつあると朋ちんに言われる私でもさすがに臭いっていうのは聞き捨てならない。


 私の抗議は彼にとってはよく分からないようで不思議そうな顔をしていた。うん、やっぱりちょっとずれてるよね。この1週間で十分すぎるほど分かってたけど。

 ため息をつきそうになる私へ彼は何気なく近づいてくると首筋へと顔を近づけ、すんすんと鼻を鳴らした。


「桐谷先輩は良い匂いがする。」


 へっ?

 すぐ横に彼の顔がある。と言うかサラサラの髪が頬に当たってる。彼の体温を感じる。心臓の鼓動が聞こえるんじゃないかってくらい早く大きくなっていく。

 いつものすっぱいだけのこの部屋なのに、彼の髪のいい匂いが私の鼻をくすぐる。リンスかな?私のとは違うけどいい匂い。

 ってそうじゃない!


「わ、私の匂いのことはいいから!ちょっとそこで座って待ってなさい。危ないからむやみに動かないでよ。」

「・・・わかった。」


 彼が素直に椅子に座ったのを確認して、数回深呼吸をした。

 と言うかこのドキドキが収まらないと現像作業なんて出来ないよ。そしたらここに連れこんだ意味が・・・私、男子と2人っきりでしかも暗い部屋に連れ込んじゃったよ!

 違う、違う。あくまで私は写真の良さを伝えるために連れ込んだんだからセーフ。セーフだよね、教えて朋ちん。


 何とか集中し直して現像作業を行った。写真に命を吹き込む大事なところだ。洗濯バサミに挟まれた3枚の写真を満足げに眺め、そしてふと気づく。

 あっ、集中しすぎて彼がいるのを忘れてた!


「えっとゴメン。完全に放置しちゃった。」

「んっ・・・大丈夫です。」


 私の心配をよそに彼は退屈そうな表情も見せずにこちらを眺めていた。

 ふぅ、ちょっと安心した。現像作業中に人がいるなんて初めてのことだから、うん仕方がないよね。

 心の中で言い訳をしつつ乾燥中の写真が見える位置へ彼を手招きする。椅子から立ち上がった彼はゆっくりと歩き、私の隣に立った。この部屋は暗くて狭いからすぐ隣にいる。

 ちょっと早くなる鼓動に落ち着けと呼びかける。


「僕・・・ですね。」

「うん。分かりやすいかなって思って。えっと暗くってごめんね。まだ乾燥中なんだ。」


 彼が写真を見る。

 3枚の写真はすべて同じ構図だ。写真の右下で彼が椅子に座りながらスケッチブックへと鉛筆を走らせている。そんな彼の前を一匹の猫がのほほんと通り過ぎていく。彼の真剣な表情と猫のまったりとした様子がいい感じだ。


「これが普通にプリントしたもので、こっちは香取君を主にしたもの、でこっちは猫ちゃんを主にしたものだね。」


 1枚1枚を指さしながら説明していく。

 通常のプリントと違い、彼や猫を主にしたものはそれ以外の部分をわざとぼやかせて現像したものだ。現像テクニックの1つではあるのだが、下手をすれば写真を台無しにしてしまう可能性のある方法だ。今回はうまくいったようだ。良かった。


「現像だけでもこれだけ違いが出るし、私はシャッターを切る一瞬に自分のすべての思いを込めているつもりだよ。だから写真なんか、なんて言ってほしくないかな。」


 私の正直な気持ちを伝える。

 こんな風に写真について真剣に想いを伝えるなんて初めてだ。思った以上に恥ずかしい。変な人って思われないかな。でも写真を誤解されたままでいるのは絶対に嫌だ。

 写真だって想いを切り取るんだ。決して写真なんかじゃない!

 彼はそんな私の姿をしばらく見つめた後、再び写真へと視線を戻した。


「・・・ごめんなさい。」

「う、ううん。いいから、いいから。というか私もちょっと強引に連れ込んじゃったし。」


 彼はとても申し訳なさそうに頭を下げた。

 うん、すごく気まずい。やってしまった感がある。私としては写真の良さを知ってもらえば満足だったのに。

 部活動の終了を告げるチャイムが鳴り響いた。話すきっかけが掴めずしばらくして彼は暗室を出ていってしまった。

 うわ~、やっちゃった。やっちゃったよ。でもああいう時ってどう声をかければいいのかわかんないんだもん。よし、とりあえず明日もう一回謝りに行こう。それでお互いに水に流せばいいよね。





「やっぱりいない・・・か。」


 翌日の放課後、いつもの場所へ行ったがそこに彼はいなかった。何か用事とか、休んでいるのかなと別の理由で気を反らそうとしたが、今日を含めて既にもう4日だ。

 やっぱり変な女だと思われたのかな。一言謝りたかったな。


 なんとなく木陰へと歩を進める。そして彼が座っていたその場所へ立つと両手の親指と人差し指を使ってフレームを作り風景を切り取った。


「カシャッ。」


 彼が描こうとしていた景色はそこに変わらずあった。しかし彼が描いていた絵よりもなぜか色あせているように見えた。

 とても上手なはずなのに、技術は優れているはずなのに彼の絵は空っぽだった。絵と写真、方法は違えど同じ切り取る者としてそう感じたのかもしれない。そして今の私にとってはこの風景はさらに何もない。


 ふぅ、と息をつき、カメラを構える。

 ここでシャッターを押せば彼が描いていた景色は切り取れるだろう。しかしその写真に私の想いはひとかけらも入らない。そんな確信が私の指の動きを止めた。


「やーめたっ。」

「・・・何がですか?」

「うわっ!!」


 思わずカメラごと振り向くと彼の顔がレンズいっぱいに映っていた。

 慌ててカメラを定位置へと戻すと、そこにはつい先日と同じように折り畳みの椅子とスケッチブックなどを持った彼がちょっと面白そうに首をかしげて驚く私を見ていた。


「香取君、ここで描くのをやめたんじゃないの?」

「何でですか?」

「だってこの4日くらい来てなかったし。」

「先に書きたいものが出来たので美術室で描いていました。」

「えっと・・・あー、そっか。」


 彼のいつもと変わらない返答に今までの私の想いとかは何だったんだと肩を落とす。

 いや、彼が悪い訳じゃない。どこで絵を描こうと彼の自由だ。自由なんだけど、なんかもやもやする。

 少し心配そうにする彼に大丈夫だからと私は手をひらひら振った。

 頭をちょっと冷やせば落ち着くはずだ。大丈夫。大丈夫なはずなんだけど・・・なんかもやもやが止まらない。


「真白先輩。」

「えっ、うん。何?」

「これを見てほしい。」


 ぼーっとしていたところにいきなり話しかけられてスケッチブックを差し出された。反射的に受け取るとそのスケッチブックに描かれた絵を見る。


「私だ・・・。」


 スケッチブックに描かれていたのは私だった。暗室で写真を現像しているときの私だ。

 暗室の中の絵なのでもちろん全体的に暗い色合いなのだが、描かれた真白の表情が、その姿が写真にかける熱い思いを表していた。

 恥ずかしくもどこか誇らしく、ほっとするような温かい気持ちになるそんな絵だった。ちょっとだけ美人に描かれているような気もするし。


「あの時の私だね。スケッチしてたんだ。」

「うん。あの時の真白先輩を見て描きたいって思った。」

「暗室でよく描けたわね。」


 暗室は特殊なライトがあるので真っ暗と言う訳ではないがそれでもかなり暗い。そんな中でここまで描けるなんてやっぱり彼には才能がある。

 スケッチブックを彼に返す。いいものを見せてもらった。他人から見た私はあんな感じなのか。ちょっと嬉しいかもしれない。

 彼はそのスケッチブックを見つめ、少し迷った仕草をした後真っすぐに私を見た。


「真白先輩。先輩の絵が描きたい。」

「えっ、なんで?」

「先輩の写真は先輩でいっぱいだった。僕の絵には僕はいなかった。でもさっきの先輩の絵を描いたとき初めて絵の中に僕が入れた。だから・・・」

「うん・・・」

「僕に先輩を切り取らせてほしい。」


 まるで告白みたいだ。

 でも分かっている。ここで勘違いしちゃだめだ。あくまで彼は絵のモデルが欲しいんであって私が欲しい訳じゃない。

 私の写真が彼の絵の変わるきっかけになったに過ぎないんだ。

 彼のきれいな顔が緊張でちょっとこわばり紅潮している。サラサラの黒髪が木漏れ日に当たって天使の輪を作る。勘違いしそうだ。分かっていても心臓の鼓動は早鐘のようにうるさく響いている。

 笑おう、笑えばきっと何とかなる。


「モデルなんて出来るかわからないけど、いいよ。でも香取君。さっきの言葉はちょっと照れるよ。なんか告白されたみたいで。」

「彩斗。」

「んっ?」

「彩斗って呼んでほしい。」

「了解。じゃあ彩斗君、私は何をすればいいの?あっ、もちろんヌードとかはNGね。」

「そんなのはいらない。」

「そんなのって・・・」


 自分で言っておいてなんだがそんなの呼ばわりはさすがにひどいと思う。もちろんお見せできるほど立体感はありませんが、まだ成長期なんだからね!


「好きって気持ちが伝わるまで描き続けるから。」

「んっ、何か言った?」

「なんでもない。」


 彩斗君が何かを言った気がするが良く聞こえなかったので聞き返したのだが誤魔化されてしまった。スケッチブックを広げる彩斗君の後ろからその様子をのぞき込む。先ほどまで色あせていたはずの目の前の景色が急に色づいて見えた。


「カシャッ。」


 この景色を忘れないよう、刻みつけるよう心のシャッターを押す。彩斗君の鉛筆を走らせる音が空へと溶けていった。

最後までお読みいただきありがとうございました。

実はいきなりクライマックスという面白い言葉に触発されて突発的に書きあげたもので、同じ話を視線を替えて書いてみたらどうなるかを試してみた作品でもあります。


キリトリ---   三人称視点

---キリトリ--- 真白視点

---キリトリ   彩斗視点


話の内容はほぼ同じですが、下記にリンクを貼っていますのでよろしければ読んでいただければと思います。


読まれない方もここまでお付き合いいただきありがとうございました。

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少しでも気になった方は読んでみてください。
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