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闇と光の混血児  作者: maria
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8

或る日のこと。

昏い地下牢に伏したルスカを、熟練の漁師が天候を読むように、注意深く見詰める一人の壮年が居た。男はつい先日、牢番としてこの場に居ることを職務とし始めたばかりである。だから牢番にしては精悍に過ぎる頬をしていたし、しかも、人を射抜くような眼差しは、一国の兵士長とでも言うべき鋭敏さを有していた。

その男の視線の先にあるルスカは、崩れた姿勢のまま、本来的にあり得ない角度に曲がった右腕を投げ出しながら、冷たく湿った地に伏していた。もうしばらくしたら、その口元に薬草を煮詰めたものを、流し入れてやらねばならない。

壮年は職務で命じられた以上の時間をここで過ごしていた。牢前は男の私的空間の如く設えられており、足元に置かれた、小さな移動用の火鉢には無造作に薪が突っ込まれ、その上には湯を沸かす鍋さえ置かれていた。男が狭そうに座る椅子は幾分古色を帯びてはいたが、膨れて男を持ち上げられる程度には綿が入れられていた。上半身を凭れさせた小机もまた不安定な揺れを齎していたが、冷めた珈琲が静かな粘りを呈したまま鎮座する程度には有用であった。

男は先程より眉根を寄せて一層ルスカを注視していたが、遂に、ルスカがゆるゆると瞼を戦がせるのが見間違えではないと確信すると、突如立ち上がり、上に向かって、「ドルフィネス! ドルフィネス!」と大声で呼ばわった。牢の入口、日光の当たる所で惰眠を貪っていた痩せぎすの男が慌てて、踝まで届く外套を片腕でまとめながら、魔女の如くに飛んできた。牢番は慌てて机上の鍵を引っ掴むと、金属音を響かせながら牢を開け放ち、ルスカの頭上に腰を下ろした。

「遂に、意識が戻ったか。」ドルフィネスは白髪交じりの乱れた長髪の中から、目だけを喜びに輝かせてそう云った。

「ドルフィネス、貴様に治療を頼んだ甲斐があった。」

牢番はルスカから目を離さずに、そう云った。目の前には、開いたばかりの焦点の定まらぬ金と銀の眸があった。それは静かに虚空を彷徨う。ドルフィネスは折れていない方の腕を取り、脈を測った。

「昨日よりは、強い。夢が、利いたかな。」

 牢番はそれを聞くと唇の端を歪めた。次で王手を取れる賭事師の笑みである。

「わかるか。」ドルフィネスはそうルスカに確かめるように云って、音を立てて唾を飲み込んだ。幾度となく治療は施していたものの、初めて見る金とも銀ともつかぬ瞳に圧倒されたのである。

ルスカの揺れる眸が、何も得られなかったとでもいうように絶望を揺るがせたまま再び閉じられようとした。ドルフィネスは腰に括り付けた、赤茶けた小さな酒瓶を慌てて取り出した。

「飲むんだ。」

コルクを開け、ルスカの唇に紅い色した葡萄酒を注ぎ込む。顎を持ち上げ、零れるのは零れるまま、首やら項にやら幾つもの線を描きながら、しかし多少なりともルスカの喉を通るものもあった。

「少しずつでいい。」

苦しいのかルスカは軽く眉根を寄せながら、再び眼を瞑った。

「どうだ。」牢番が目を険しく細めながら尋ねた。

「先ず大丈夫だろう。まさかここまで呪法と薬とが功を成すとは、正直思わなんだ。」

肌蹴たローブを丁寧に閉じながら、ドルフィネスは小さく微笑んでゆっくりと立ち上がった。

「余程、サーシャという娘を求めていたのだろう。その夢を見させたのは、ほとんど今生最後の願いを叶えてやる心算であったが。やはりこの者も一青年に過ぎぬと見える。」

牢番は痛いように右頬を歪め笑んで云った。「彼の預言者の戯言に踊らされるのは、だから、危険なのだ。しかしそろそろ奴の時代も終わる。手始めにこの男を、逃がしてさしょう。」

「貴様も物好きだな。反政府軍に加わりもせずに、こそこそと自己満足の手ばかりやらかす。」ドルフィネスは細い腰を屈めてルスカの伏す牢を潜り出た。

牢番もそれに続くと、牢前に置かれた小机に椀を並べた。ドルフィネスを向かいに座らせ、粘り気のある珈琲を注ぐ。暗闇の中に仄かな白い湯気が立った。

「あいつらは愚鈍だ。」どっかりと座った牢番が、カップを傾けながら苦々しく笑う。

「それに反論はしないがな、しかし今回のお前の道楽には付き合い切れぬところがある。この男を生かして何の面白みがある。」

 ドルフィネスは睨む。

「黙れ。まだ一つ、遊戯の貸しが残っている筈だ。」

ドルフィネスは参ったと言わんばかりに、苦笑を浮かべながら肩を竦めた。「忘れてはいないさ。だからこんな辛気臭いところへ遣って来て、無償の治療をしている。貸し以上に、貴様の道楽に付き合ってやっている。」

「何、辛気臭いところが厭だったら、堂々と治療師の看板を出せばいいさ。」

「そんな輩は余りに多過ぎてねえ。私の出る幕じゃあないよ。」

「じゃあ、自己満足の手をやらかしているのは一体どっちだい。」牢番は呆れたように、仰け反り返った。

「貴様とてわざわざ失脚して、こんな湿気た場所へ落ち着いているわけじゃなかろう。何か意図がある筈だ。そこを白状すれば、今後も力となってやらなくも、無い。」

牢番は笑いとも侮蔑ともつかぬ甲高い声を一つ、発した。

「全てお見通しってわけか。伊達に三十年の付き合いではないな、ドルフィネス。」にやりと笑むと、「実はな、こやつを餌にアダリア王をお呼びするのだ。」と声を低くして囁いた。

ドルフィネスは息を呑んだ。「アダリア王、って、あの、アダリア英雄王か。」

「正に。」

「先ず、本国ユーギュナータには、何人たりとも、入国出来ぬ。」ドルフィネスは確かめるように一語一語区切って言った。

「はははは。ユーギュナータは我の生まれ育ちし母国よ、馬鹿にするな。そんなことは重々承知。……されど世界を救った英雄王ならば?」

「有り得なくは無いが。……しかし何故アダリア王がユーギュナータに来られる? こんな世界の僻地に。」

牢番は意味ありげにルスカを遠目に見詰めた。「こやつを救う為だ。」

「救う? 殺しあぐねた仇敵を殺しに来るのではなくてか?」

「アダリア王とこやつは、敵対関係にはあらぬ。旅を共にした仲間だ。」

ドルフィネスは二、三度目を瞬いた。「貴様、気でも狂ったか。」

牢番は面白そうに珈琲を啜った。「民は混乱、するであろうな。ルスカとアダリア王が手を組んでいたなどと知れば、彼のアダリア王を擁する新国で暴動が起こるやもしれぬ。しかし……、」牢番は幾分温くなった珈琲の表面を覗き込んだ。そこには中央から地下牢に追い遣られながら、少しも窶れぬばかりか、揚々として盛んな己の顔が映る。多少痩せなければ企みが露呈するかなと、思わず失笑が出た。「アダリア王を失脚さすことが目的なのでは無い。」

「では、何なのだ。」ドルフィネスは眼光鋭く、牢番を見据えた。

「第一にあのペテン師を失脚さすこと、第二に己が世の真実に近付くこと。……以上。」

ドルフィネスは力無く首を横に振った。「真実、それは見る者に依って異なる。貴様の真実が人類普遍の真実足り得るのか。馬鹿げた話だ。」

「ドルフィネス、常識に縛られると碌な事態にはならぬぞ。しかも我々の常識たるや、詰まるところ、この偏頗な信条に溢れたユーギュナータで生成された『真実』だ。そいつに支配されたまんま鷹の餌になることこそ我慢のならぬものは無い。」一通り持論を展開すると、「そこでだな。」牢番は満足げに切り出した。「今、アダリア王が一、旅人であった時代の話が、巷では溢れ返っている。無論その中には虚言も多いが、一つ、気になることがあった。私はそれを確かめるべく、スーウェの村や、イヒルトナ城下町、果てはゴルデンの都に迄四方に伝令鳩で確認を取った。何れもまあ、一月ではとても行かれぬ距離だが、同じ証言が出た。」

「貴様未だそんな危うい行為をしていたか。露呈してみろ、今度こそ左遷では済まされんぞ。」と言ってドルフィネスは自分の首をさっと人差し指でなぞって見せた。

「捨て置け。問題はその複数の街で、アダリア王の馬車の中に真白い死体が積まれているという話が出たのだ。」

「溺死か凍死か、とかく死んだ仲間だろう。過酷な旅であったと云う。」

「死体が腐敗もせずにスーウェとイヒルトナを行けるか。その他ダリンツイオでも見たという者がいる。」

「……何が言いたい?」ドルフィネスは遂に睨んだ。

「真白い死体とは死体ではない。単に眠りに付いていたに過ぎぬ、つまり生きていたということだ。そしてその者とは」

牢番は再び意味ありげにルスカを見下ろした。

「この男だ。」

ドルフィネスは隠しようも無く驚愕し、まざまざとルスカを見詰めた。確かにドルフィネスは初見で既に、ルスカは白子であると見抜いていた。白子の獣は実際にも見たことがあったし、人体にも同じ事が起こり得るとの話も書物に読んだことがあった。だから白子に有害となる、日の光届かぬ地下牢はルスカにとって最適であるかに思えたし、預言者の気移りを機に、それを牢番に助言したのもドルフィネス自身であった。

「珍しかろう、白い人間というのは。」

「確かに白子の人間は珍しい。ただし、それでアダリア王が連れていたのがこの男だと断定できるか。」

「それが出来るのだよ。アダリア王の妹君の名がサーシャ。預言と呪術に長けた賢者よ。ルスカが夢に呼ばわったサーシャとは、彼女のこと。いつぞや見えて恋慕でもしたのやもしれん。」

ドルフィネスは低く唸った。二つの線が合致する可能性はあると思えたが、だからといって偶然という可能性を排除してしまうのは、余りに早急に過ぎる気がした。

それを見抜いたように牢番は唇を歪めて云った。

「貴様は絶対に勝てる賭けにしか乗じない。それが毎度の敗因なのだ。」

「余計な助言はいらぬわ。……それで貴様は何をしたいのだ。貴様の事、ここまで労を費やすには何らかの意図があろう。」

「よそ者の入国時に、奴らを蜂起さす。」

ドルフィネスは暫く口が利けなかったが、どうにか「何。」と絞り出すと、再び黙した。

「我は何もアダリア王の人類への裏切りを糾弾したいのでは無い。否、裏切りとも思うてはおらぬ。アダリア王が人間を救おうが、魔物と結託しようが、我には一切関係の無いこと。我にとっての世界は今も昔もこのユーギュナータのみ。そいつが滅び、新生するのをこの眼で見たい。ただそれだけだ。」

満足げに牢番は喉の奥でくつくつ笑い出すと、「人類の全滅に王手がかかっても動じなかったユーギュナータだ。内より崩してやらねば、あの虚言師は堕ちまい。これで貴様がこんな閑職に自ら赴いたわけも知れた。空から白き魔王が到来すると聞いて、即座に貴様には到底不似合いな失態を犯したわけも。」

「アダリア王の側近に、情報を流した。彼の英雄四人の一人、女呪術師ファナンよ。魔王を探し、内々にそこかしこに伝手を辿ってルスカを探し回っておった。それに乗じて、ルスカの居場所を流した。即座に王より御出座しとなるとの御連絡だ。その間処刑は許さぬとの厳命付きでな。」

「アダリア王は、信じたのか。」

「藁にも掴む思いなのであろう。ただ、堂々と探し回らぬという時点において、全てを内々に終わらせる心算ではあるらしい。魔王と通じていたと知れればたとい虚偽でさえ、疑念が生じた途端アダリア王の地位は失脚だ。王座に固執しているとも思えんが、敢えて国を混乱に陥らせるような愚鈍な行いはしたくはないのであろう。」

「そうか。」ドルフィネスは漸く笑った。「しかし、そうなれば、国内の騒乱よりもアダリア王からもっと面白いものが得られそうだ。」

「勘違いするな。アダリア王には何の怨恨も無い。そればかりか、間も無く深謝の念を抱くことになる。ユーギュナータ終幕の契機を齎してくれたことにな。我にとっては、襲撃一つ掛けぬ内に魔を滅してくれた以上に意義あることに相違無い。」

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