6
ルスカが真の魔を滅した後、神は表面上においては世界の秩序を齎したその恩に報いるがため、嘗ての行いについては一応黙過し、種々の礼を呈することとした。しかしそれは、ルスカが何よりも己の人生を憎悪し、後悔し、痛苦していたことを十分に承知していたからである。しかしほとんどルスカの手一つに依って世界が救われたことは事実であり、これは看過することはできなかった。
神々はその円卓の中心にルスカを早々と招いた(その際、アダリアたちに対しては、その傷が少しでも早く癒えるよう、睡眠を深くする呪法をかけていたのはアダリアの予想していた通りであった)。四方八方より光冴え渡る天界の中央に、光遮る暗幕さえ用意して。闇の中で声ばかりとなった神々は、このような状況を自ら創り出し、魔の王を相手としているという焦燥から、次々に各自が最も得意とする技芸を申し出た。
「そなたの病を治そうぞ。魔の血を浄化すれば容易いこと。」
「日の下で生きられるようにも、してあげる。」
「心直な友も、花の如き恋人も、進ぜてさしょう。」
「美しき城と。幾多の有能な使用人と。」
何れも人間たちが懇願し、然も決して容易には与えられぬ類のものばかりである。ルスカは白き顔を闇の中央に真直ぐに向け、答えた。
「その様にされる謂れは無い。」しかし間もなく、ルスカの最も真白き喉から、小さな呻きが漏れた。「唯、罪を償いたい。それが大海の一滴に過ぎぬとも。」
神々は慌てて目配せした。
「ぬしの身でか。」
ルスカはその儘闇の一点を見据えていた。
「永劫の時がかかる。人を殺し過ぎた故に。」
「無謀だ。即座に死を希求することとなるであるであろう。それは死よりも陰惨であるが故に。」
「罪を償うなど、到底不可能。それよりも父母と共に、恋人と共に暮らさぬか。」
ルスカの唇が小さく歪んだ。搾り出すような声が漏れる。「余は魔族の王である。そなたらから温情は得ぬ。」
「そうは、云っておらぬな……。」衣擦れの音をさらさらと立てながら、神はルスカの周りをゆっくりと巡った。「随分、己の胸中に目を背けることに、長けておるようじゃな。そこに至る迄には、相当の鍛錬を要したろうに。」神はルスカを包み込むように接近した。
しかしルスカは微動だにすること無く、静かな眼差しで神を見据えた。「巧みに過ぎて、自覚も喪われたか。ならば、教えて進ぜよう。ぬしは、許されることを願っている。陽の下を歩くことを。即ち、一人の娘に受け入れられんことを。」
ルスカはほんの僅かに眼を細めた。
「最期の日に。……許し叶えよう。ぬしの本心が、語るがままに。」
「不要。」
「これはぬしだけの問題ではない……ぬしは……。」
別の神が怒りに任せそう言いかけたのを、慌てて誰かが制した。最も身の大きな神が、滑るようにルスカに歩み寄る。
「よろしい、ならば行け。地上で最もそなたを痛めつけ、怨嗟の声高き処へ遣ろう。ぬしの力は全て奪う。卑小な虫となり、至上の罰を受けるがよい。但し最後の温情を贈る。それは死じゃ。これだけは故ありて、ぬしが如何に拒もうとも譲歩は出来ぬ。では、さらば。」
即座に、光の世界からルスカの気配は完全に消えた。
それに対し、天界の或る一室で一人の娘が、金切り声を挙げ、その場に崩れ落ちた。
魔の核を滅し、崩れ去る魔の城から神々の総力に拠って時空を越え、天界へと引き戻されて暫しの間、ルスカは五人の内最も深き、それも生命に関わる、深き傷を負うていた。ルスカが魔の核に身を以て斬り込んだから。その身が魔に侵食されることも顧みずに、斬り込んだから。しかしルスカが滅するすんでのところで核は砕かれ、その瞬間ルスカは仲間と共に神々の力に依って天界へと引き戻された。医の神々が取り巻く中、死の淵に瀕するその傍には、ルスカの母親が取り縋っていた。
母親、という言葉からは遠くかけ離れた、ほとんど少女とも見紛うこの女神は、アダリアの妹サーシャと驚く程酷似した容貌をしていた。その金と銀の眸、淡く蜜の如く輝く髪、神々の寵愛を以て作り上げられた華奢な姿態、全てにおいてそれは完全なる美を謳い上げていた。
母は意識の戻らぬルスカにしがみ付いては悲叫し、そして時折落ち着きを取り戻しては、ルスカの無実を誰彼ともなく頻りに訴えた。母は狂乱、していた。悲願であった息子との再会を果たしたものの、意識は戻らぬ。夫のそれをそのまま受け継いだ懐かしき金と銀の瞳は、閉ざされたまま。母は何度もルスカを揺さ振り、話し掛け、縋り泣き、そして遂にルスカから引き離された。母は魔族と通ずるという最大の禁忌を犯した故に、子と邂逅出来ぬ約が定められてあったのである。母は泣き叫びながらも、離別されられるということは即ち、ルスカの意識が戻る前兆であり、それはそれで喜ばしいことであると解し、しゃくり上げながら誰も立ち入ることの出来ぬ室へと再びその身を閉ざされた。
それから間もなく、ルスカは目覚めた。自らの掌に、はっきりと、魔の核を破壊せしめたという、熱く、そして凍り付く感覚が残っていた。懐かしき、甘き魔に侵食されながら(嗚呼、それは久方ぶりの何という快感であったろうか)、肝心な最後の一線でそれを拒み切った。そこには流石に達成感と安堵感とが禁じ得なかった。魔族の血筋に対する反逆、謂わば己の生そのものへの否定をやり遂げたのだ。しかし、何故己はそこまで搔き立てられたのか、……そこにうっすら浮かび上がるある娘の蔭にルスカは呻いた。そして、
「贖罪。」
自ずとそれは声として発せられた。
この身朽ちる迄。限り無い苦痛によって、朽ちる迄。己は贖罪をせねばならぬ。何の疑念も差し挟むこと無く、ルスカはそう確信した。さすればやがて、光へ?




