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闇と光の混血児  作者: maria
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 息を殺してルスカの様を見詰める影があった。アダリアである。

 四人でルスカの過去を見、治療の方針について話し合いを済ませたその直後、ルスカの寝所を訪れるとその姿が無いのである。

意識が戻ったという喜びは瞬時に過ぎ去り、ルスカが罪滅だとかのために己を傷つける暴挙に再び出るのではないかという恐怖がアダリアの身を襲った。とはいえさほど遠くへは行けないであろうルスカの病状に鑑み、アダリアは城内を探し始めた。無論ファナンもリスティンも、ディノルタも慌てて血相を変えて場内を駆け巡った。

夜明けにもなれば、王が不審の動きをすることは憚れる。紫色に山入端が染まるのを、焦燥の眼差しで眺めながら、アダリアは城内、地下、庭園、と走り回った。されどルスカの姿はどこにも見えぬ。疲弊し切ってルスカの寝所に戻ったアダリアは、ふと空気孔から一条差す月光を見て、ルスカの白銀の髪がこの月光に反射して、発見できるのではないかと最後の淡い期待を抱き、塔を上ってきたのである。

 最上階へと駆け上ると、そこには、長い銀髪を麻の如くに乱れたまま広げ、伏す姿があった。思わず駆け寄ろうとして、アダリアは足を止め、息を顰めた。

「サーシャ」と、ルスカが呟いたので。おそらく口を手で覆いながら、くぐもった声は再度同じように繰り返された。アダリアは思わず石壁に身を寄せた。

 アダリアはこの時始めて、ルスカの真情にはっきりと気付かされたのである。無論ルスカの過去を見た時にサーシャとの思い出が唯一光を伴って現れたことに、予感がないわけではなかった。ただ、ルスカがその愛しい人の名を呼ぶがために、意思を取り戻すや否や、この最上階までおそらくは身を引き摺りながら登って来た、その事実にアダリアはほどんと震撼さえしたのである。

 アダリアは今度は先達てとは全く異なる意味合いにおいて、夜の未だ明けぬことを願った。ルスカにせめて、もう一度だけ呼ばせてやって欲しい。もう一度。もう一度。……

 ルスカの声は途切れ途切れとなり、やがて涙交じりの嘆声となった。アダリアは眼を閉じた。未だルスカを探しているであろう三人には不思議と意識が及ばなかった。

 ルスカは自身の震える肩を抱きながら、ひたすら自身を呪っていた。もはやここがどこであるとか、自分の罪滅が中途半端な形で終わってしまったことなど意識の向こうに追いやられていた。ただただ、サーシャを思えば思う程、彼女に絶望を与え、苦しめた己が憎くて堪らなかった。一身に背負うのは、永遠の時間がかかろうとも薄紙一枚剥ぐことの無い大罪。眩暈がした。夢であってくれれば、あるいは未だ罪を犯さぬあの頃に戻ることが出来たら。しかしそれよりも、サーシャに生涯拭い去ることのできない、深い深い苦悩を突きつけたという事実。彼は幸福に満ちて笑っているのが似合いであるのに、己の蛮行がそれを根こそぎ奪い去った。人生において笑うことはあるやもしれない。しかしその翳には、己ばかりが笑いながら生きていることへの押し迫る罪悪感と、それを齎した魔物に対する限り無き憎悪と、それを許容している兄や仲間達への不信、疑惑、憤怒が存在し続ける。それの一切を、己が、齎した。

己が此の世に存在する限り、サーシャに幸福は戻らぬ。そう思うことはルスカに、しかし僅かな光を灯した。

己の死こそが、彼の人を、幸せにする事が出来るのだから。そして己を何時でも滅することが出来るのは、己のみ。

ルスカはゆっくりと顔を上げた。闇の狼の如く月に白い面を馳せると、さすがにその眩さに小さく唇を歪ませた。笑んだのである。かつて光は、月のそれも太陽のそれもルスカの生命を脅かすものであった。しかしそんなことは最早どうでもよかったし、実際に何故か今ばかりは皮膚の糜爛することも無く、自分の決意を祝したかにも思われた。ルスカは、魔の一員となって以来初の幸福感に酔い痴れた。ルスカは片膝を突きゆっくりと立ち上がると、足と衣とを引き摺りながら歩を進めた。塔の端まで到達すると、両手で手摺りを掴んだ。そこからは一瞬であった。深々と頭を下げたかと思うと、翼の如く両の腕を開き、堕ちた。

 アダリアが異変に気付き駆け寄った時、既にルスカは空を舞っていた。

 声にならぬ声を発した、ような、気がする。アダリアは手摺りを握りながら、遥か下方を臨んだ。

 白鳥が地に吸い寄せられていく。伸ばした手は当然届かない。アダリアは絶叫した。

 その時である。無数の黒き水泡が地より噴出したのは。その嵐の如き逆風にアダリアは思わず仰け反った。これは呪法に相違ない。しかしファナンのそれにしては、余りに醜悪で奇怪であった。恰も毒気を帯びたような大小の黒き泡にルスカが包み込まれ、アダリアの目前にまで浮上してきた時、アダリアは目の前で再び意識を喪っているルスカが無傷であるのに関わらず、救われた気はしなかった。剣を携えて来なかったことを悔やんだ位である。アダリアは呪法の構えを取りつつ宙に浮かぶルスカを見据えた。

 ルスカは力無く項垂れ、眼窩は深く、疲弊し切っているようであった。その腕を掴もうと手を伸ばした時、稲妻の如き衝撃がアダリアを襲った。

 「寄るな。」

 ルスカを取り囲む泡の如き煙の隣に突如現れ、苦々しげに呟いた者は、一見して人間と変わらぬように思えた。背に翼が生じ、全身が古木の樹皮の如きもので覆われている以外には。

 「貴様、魔物の残党か。」アダリアは剣を携えていないことも忘れ、そう低く問うた。

 「王を奪還しに来た。」翼を大きく翻しながら、それはアダリアに明らかな敵意を浮かべながら云った。

 「ルスカは病に伏す身だ。放せ。」

 「病より早く、王を自死にまで追い込んだ。」

 アダリアは流石に言いよどむ。「ルスカの病は深刻だ。適切な治療が必要なのだ。ここにはそれが出来る有能な呪術師が居る。」

 「信用ならぬ。その前に死に追い込まれてしまう。実際に、今が、そうだ。我は初めより地上におられる我が王を見て来た。何も長らく奪還しようと思っていた訳では無い。王自身、地上に生きることを欲されていたが故。王の御意志は絶対。しかし」限り無い憎悪と怒気を滾らせながら、震える声で魔物は云った。「王の御命が儚くなりぬれば、貴様も人間も許さぬ。」

 アダリアはその言葉が何かとてつもなく重大な事を意図しているのか、それとも単なる比喩であるのか計り兼ねた。アダリアが密かに息を呑んだのを見て、魔物は確認し更に続けた。

 「王は我々の為だけに生きて来られた。我々を厳護しながら戦の矢面に立ち、いかなる貢献も見逃さず最大限に賛美なされた。故に我々は王の為に命を投げ出すことを光栄とこそ思え、一切、惜しいとは思わぬ。王の一日の延命のために、数万の魔物が己の生命を無上の喜びとして差し出すことこれ必定。貴様の友情遊戯とは、根柢から違う。」

 友情遊戯、という言葉にアダリアはらしくもなく頭に血を上らせた。「ルスカは、人間の為に魔王としての座を放擲し、魔軍を裏切り、魔の核なるものを自らの剣によって滅ぼしたのだぞ。お前はそんなことさえ知らぬのか。」

 「王は我々に剣を向けてはいない。王が剣を向けられたのは、地下世界において己の強大さのみを追求し、自我さえ喪失した者共と、それを次々に創出して来た魔の核のみだ。」魔物は憎々しげに紫色に染まりつつある空を睨んだ。「嗚呼、太陽が昇る。時間だ、さらば。」

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