表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
闇と光の混血児  作者: maria
23/25

23

 ファナンは行き止まりの楼閣の階において、無にしか見えぬ闇に向かい、水晶を翳しながら必死に呪法を唱え続けた。それは高くなり低くなり、異曲めいた音律を形成しながら小さな空洞に染み入っていくように思えた。

すると突如、闇が消え、正に水晶に映し出された通りの扉が現れた。肩で呼吸をしているファナンに感謝の笑みを浮かべると、アダリアは勢いよくその扉を押し開いた。

 室には、光が幾筋も射し込んでいた。毀れ半ば崩れた天蓋の割れ目から、陽光が幾筋も剣先斬り交わすが如く交わり合って、直線に床に落ちているのである。その中心で、肩膝を付いて剣を身の支えにするかのように握り締め、こちらを睥睨する青年の姿があった。

アダリアは息を呑んだ。この存在が、ルスカ。――しかし世界を恐怖に陥れているとは到底考え及ばなかった。身はあくまで細く、膚は骨の色。ただし恐ろしいほどの気品と美貌とが、他の魔物との圧倒的な差異を生み出していたことは確かである。魔物? その枠組さえ疑われる程に彼は美しかった。娘めいた顔つき、それを覆う長く豊かな絹の如き白銀の髪。そして暗黒の無風にさえ靡く長い外套。豪奢な飾りと宝石で覆われた細剣。

同じ頃、ファナンは必死に思いを巡らせていた。ルスカの顔にどこか見覚えのある気がして。甘く懐かしきそれでは無い。しかし決して遠すぎる過去ではないどこかで、似た風貌、というよりルスカの醸し出す雰囲気をそのまま感受したような気がしていた。決して多くの人間の持つそれではない。限りなく稀有な、いつそんな存在と出会ったろう。ファナンは一人訝った。

ルスカはアダリアを見詰めた。その瞬間、アダリアは腰の刀を抜きルスカに飛び掛かった。

剣にかけてはいずこの強国の兵にも膝を屈することなく、地上最強の剣士と謳われたアダリアでさえも、ルスカの前では完全に格下であった。ルスカの動きには、無駄が無いばかりか自然そのものであった。意図、さえないように思われた。極限までに達した神々のみが操れる舞、その動きを生み出すとしたら、それは世界や天の意思と直結している以外には考えられなかった。アダリアは恐れるよりも妬むよりも、ひたすら圧倒された。しかし能力の低さを理由に現状に甘んじていられる猶予は無かった。戦いは既に始まっており、一縷の逸脱も許されぬ渦中にいた為である。それはどうあがいても払拭できない絶対的な無力感を味わわす渦中であった。

リスティンの剣技も、ファナンの呪術攻撃も、ルスカの前では児戯に過ぎなかった。人々に賛嘆されたことのある(それ事態が遠い記憶として霞んだ)我々も、特別な人間ではなかった。卑近な人間に過ぎなかった。そう自らのあらゆる可能性を暗に否定しかかった頃、奇跡が起きた。

 ルスカの自滅である。

 体制を整えようファナンが必死に仲間達へと回復の呪法を唱えていたその時、突如何かを吐き出すかのような呻きを漏らし倒れ込んだルスカの姿に、絶望していた人間たちは更なる恐怖が訪れるかと身体を強張らせた。しかしそれに対し想定していた時間を過ぎると、自然と再び人間らは自分の最も得意とする攻撃態勢を取った。

そこで異形の魔物を倒すことに関しては迷いなくとも、美しい人間の容貌をしたルスカに刃を下すことに対し一片の躊躇が生じたのは人間の利己心に相違無い。

 そこでリスティンが腰を低く屈めると、長い息を吐きながら勢いよく駆け出した。それをアダリアは、即座にルスカに駆け寄り、抱き留めるようにして制した。

 「何するの! どいて!」絶叫にも近い声を上げ、リスティンはアダリアを睨んだ。

 「だめだ!」アダリアは自らに降された直感を信じようと、何か目に見えぬものに従う者特有の、妙に定まった声で言い放った。「こいつを殺しては、いけない。」

 仲間たちは戦いが長引いたため、絶望を強いられ続けたため、アダリアは精神を侵されたのかと思った。そしてそれが最悪の時機にやってきたと。

 「こいつは魔物ではない。」

 リスティンが舌打しながらその拳をアダリアに向けた時である。「神だ。」

 呆気に取られて脱力し拳を下ろしたリスティンの傍で、ファナンが、あ、と小さな声を漏らした。と同時に、ルスカは顔を蒼白にしながら喉を両手で押さえると倒れ込んだ。

 ファナンはそれまで握り締めていた杖を思わず取り落とした。乾いた音が静まり返った魔の城の底に響きわたった。

思い出したのである。

というより、絶対に交わることとの無い二者が奇跡の上に合致したと言った方がいいかもしれない。

 意図せずそれは戦いの終わりを告げる合図となった。ルスカはもう倒れこんだきり、呻き続けていた。冬月色の髪が乱れたまま地に広がって、その合間に金色の眸がそれでも気丈に睨め上げていた。ファナンはその様を見て確信を抱いた。

 ルスカは、先ほど出会ったばかりのサーシャと酷似していた。確かに髪の色も瞳の色も異なる。しかし存在の仕方が、呼吸の仕方が、目に映らぬ以外の全てが、あたかも兄妹、とでもいうように確かに似通っていた。誰も気付いていないのであろうか。ファナンは激しく高鳴る鼓動を抑えつつ、アダリアを見遣った。

アダリアは尚も戦いの渦中にあるような荒々しい呼吸を繰り返しながら、「ファナン、治療を。」とのたまった。

 ファナンは一瞬瞠目して、幻聴と判断し、身じろいだ。それはあまりにも都合のよい発言に聞こえたので。「ファナン、ルスカに回復の呪法を。」アダリアがもう一度、今度は苛立ちながら吐き出した。

ファナンはわなわなと小刻みに震えだした。己の使命はアダリアを助け、魔王を滅し、世界を救う為にある。この命は、それに準じるものであるのか。反逆、するものとしか思えない。

 アダリアはそんなファナンの躊躇に一瞬、少なからず戸惑って、悲嘆に暮れた。ああ、これは普遍的な思考ではないのだと思い当たって。

アダリアは暫し黙考し、逢着した。――当然である、と。

誰にも聞こえぬ神託の如く、突如として我が身に湧いた(そして絶対的に従わねばならない)この主張に、ただし旅そのものさえ無化し得ないこの主張に、従う仲間などいるわけが無かった。ルスカを殺害し、魔物を滅するのが全ての目的であった。それに連ならぬ一切は無駄であり、邪魔であった。

仲間と戦うことは出来ない。だとすればルスカを連れてここから逃げようか。さて、どうやって。アダリアが毀れ掛けた天井を見上げたその時であった。

ファナンが歩み寄ってルスカの傍に座り込んだ。アダリアは信じられぬものを見るように目を見開いた。しかし一切の危惧は無用であった。それにしてはあまりにファナンの手は優美に、柔らかに、動いていた。そして何やら呟き始めた呪法も、冷たさは無く、包み込むような優しい響きを秘めていた。だからリスティンもディノルタも茫然とその様を見守った。

 主張は、受け入れられたのだ。アダリアは興奮しながらそう確信した。

 ルスカの周囲には闇が滞り始める。不穏なそれさえもアダリアは治療の一環であると確信していた。そしてその中でルスカは深々と呼吸を繰り返した。視線が、合う。高貴な獣のようなその瞳は、茫然としたまま揺れた。アダリアを見ているのか、この世に存在しない何かを見ているのかは、解らない。

 アダリアはさすがにルスカに掛けるべき言葉を持たなかった。治療を命じたその理由さえ、説示できないのである。しかし、何かこの停滞を破壊すべきだという焦燥に駆られ出した。そして言った。

 「この城は、間もなく崩落する。行こう。」

 しかしルスカは微動だにしなかった。病による極限的な疲労によってか、アダリアの言葉を信じられなかったのかはわからない。アダリアは新たな言葉を紡ぐことは辞め、静かにルスカの脇に腰を下ろすと、肩を抱き立ち上がった。ルスカの体に温かみがあるのが、アダリアから迷いを一掃し、快活にさせた。

 「帰ろう。」

応答もなくルスカは項垂れた。

アダリアたちは頽れた城を出た。ルスカの元へと向かう途中、アダリアたちの進行を止めようとする強者は全て葬り去ったが、それ以外にも無数の魔物の気配があった。しかしそれらはどこへ行ったのか、魔物は一匹たりとも姿を現さなかった。一切の静寂に支配された魔の城は、天から漏れ出ずる陽光に切り裂かれながら、英雄たちの帰還を静かに見守っていた。

魔の城の入口で待たされていた狼が、アダリアに気付いて立ち上がった。驚異の念一つも表さず、当然の如くに立ち上がった二頭の獣にアダリアは苦しく微笑んだ。「ただいま。」

これからルスカと共にどこへ向かうのか、それは今までの旅を無化するものとはならぬのか。新たな敵はどこにいるのか。人間と我々は相容れぬ仲となったのではないか。

 数多の問いがアダリアの胸中に次々に暗雲を伴って浮かんだ。それは、無言の仲間達も同様である。しかしそれは自分等が従ったアダリアに対する疑念ではない。五年を越す命を賭した旅である。不信なぞは毛筋程にも無かった。万が一アダリアが誤った判断を下したとしても、――己と世界を犠牲にする覚悟は出来ていた。

 「毛皮を、一枚。」そう言って差し出したアダリアの手には、即座に仲間の手によって求めたものが握らされた。

 アダリアは感謝と疑念を奇妙に混在させながら、荷台にルスカを背負い入れ毛皮で包み込んだ。ルスカはそのまま倒れ込んだ。きっとファナンの呪法が効きつつあるのであろうとアダリアは微笑んだ。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ