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闇と光の混血児  作者: maria
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 サーシャは知らずとは言え己の犯してしまった大罪を思って、死さえ当然と、薄着一枚のままひたすらに森の雪道を辿った。城を一歩出た先は、雪山であった。

しかしそんなことに躊躇する間もなく、サーシャは泣きじゃくりながらひた走った。罪を滅する心算が、罪を重ねてしまった。魔王の病を、治癒してしまった。あのまま行けば、近き将来確実に死んでいたものを……。

涙さえ凍り付き、吐き出す叫びさえ白き粉塵となる。襤褸の衣服にすぐに身の感覚は失せ、暫くすると全身を貫く痛苦が襲ったが、それさえも、己に課せられた罰であると保護の呪法を行うというごく自然の発想さえサーシャには浮かばなかった。

 その時である。サーシャの目の前に巨大な白狼が踊り出たのは。これで死ねる、と驚懼するよりも安堵したサーシャの耳に、聞き慣れた声が届いた。

 「サーシャ。」

 最期の幻かと思った。なぜならこの勇ましくも温かな声は、もう永らく会っていない、兄のそれであったから。兄はいつも優しかった。全ての世の害悪から守ってくれた。たしかにこんな時だって、身を挺して救ってくれる筈であった。サーシャは残酷なこの幻聴に涙した。

 狼の上から、勢いよく飛び降りてきたのは、記憶よりも日に焼け、精悍な顔立ちとなったアダリアである。サーシャは茫然とアダリアを見上げた。幻にしては、あまりにその姿は鮮やかに、過ぎた。

 「サーシャ、一体こんなところでどうしたんだ。信じられん。ファナン、頼む。凍傷が酷い。治療を施してやってくれ。」

 サーシャは早速狼の後に括りつけられた荷車に乗せられ、回復の呪法を与えられた。

ファナン、と言ったか。見る見る赤く爛れた手足は元の皮膚を取り戻し、痛みも消えた。素晴らしい術師であるとサーシャは息を呑んだ。

「もう、傷は治りました。これを使って身を温めてください。」そうファナンは微笑みを浮かべて、毛皮でサーシャを覆った。次いで「ファナン、火を点けて欲しいんだけれど。」と外からリスティンが呼ばわった。馬車の外を見ると、何やら肉の塊や野菜を取り出し、ファナンがその掌から小さな炎を生じさせ、枯れ木に火を灯した。鼻歌交じりに味付けに精を出すのはディノルタである。出来たスープを荷馬車に持ってくると、サーシャに差し出した。「ほら、飲みな。」サーシャは恐る恐るその器を受け取り、唇を付けた。涙が溢れた。

次々に与えられる手厚い保護に、サーシャは胸の奥底から息を吐いた。

 「何故、こんなところで。」アダリアは眉根を顰め、今にも泣き出さんとばかりにサーシャの頬を撫で摩る。掌もそれを受ける頬も、酷くがさついていた。

 間もなくサーシャはつっかえ、つっかえ、語り始めた。故郷が魔物の襲撃に遭い、絶滅したこと(流石のアダリアも父母と友人の死を聞き、呆然と黙した)。その後自分だけが魔軍の根城と思しきところへと連れ行かれ、そこから脱したこと。

 「……よかった。偶然にしろ、ここで出会えて。」アダリアはサーシャの細い肩を掴み、強く抱き締めた。「お前までいなくなってしまったら……。」

 「でも、どうやってあそこの根城から、脱出したの。信じられない。」リスティンが眩しげに山奥に微かに見える根城を見据えながら云った。

 「あそこの」サーシャは震える指で山を指差した。「中腹に、木々が絡んで出来た城があるの。木にお願いをして、逃げ道を作ってもらって、そこを通って、逃げてきたの。」

 「中途で、魔物に見つからなかったのか。」ディノルタが心配そうに聞く。

 「見つかったわ……。」サーシャは茫然と呟いた。「見つかったというか、魔王に会った。」

 「魔王、ルスカに。」三人は驚きに目を見合わせた。

 サーシャは苦しげに目を瞑る。唇は震え、顔は多少蒼褪めて見えた。しかしそれが己の使命であるとでもいうように、再び語り始めた。「……魔王、とは思われなかった。とても、苦しんでいて、辛そうで。重い病だった。だから、私のように、どこぞより攫われた人間かと思ってしまった。」サーシャはそこまで言って泣きじゃくった。久方ぶりに自分の内側に感情が蘇ってきたことを感じた。

 「待って。ルスカは、病にかかったの?」リスティンが訝る。

 「昨今かかったのではない。あれは、おそらく、生まれついての病。」

「病にかかっていながら、世界中で戦いの先頭に立ち、あれ程の人類を殺戮し得るものかしら。」ファナンが問うた。「それは、本当に、ルスカ?」

サーシャは必死に頭を巡らす。「麻薬を投じていた。病気の発作というよりも、おそらくは、それの効果が切れて、苦しんでいたのだと思う。室には沢山の薬瓶が転がっていた。でも、私は……、」サーシャはそこまで云うと顔を覆って泣き伏した。「とんでもない過ちを犯してしまった。あの魔王を、魔王の病を治してしまった。母さんも、父さんも、殺したあいつの……」最後は既に言葉にはならず、嗚咽だけが響いた。

 「サーシャ。」アダリアは低く呟いた。落ち着いた、決意を秘めた声であった。「ここから道沿いに半日ばかり行くと、小さな村里がある。これらの装備も全て、そこで揃えた。旅人にも温かい村だ。そこで、暫く待っていてくれないか。……すぐにルスカを倒して、帰ってくるから。」

 リスティンとファナン、次いでディノルタが順々に首肯した。

 「私たちがルスカを倒してくるまで、そこで、待っていて。」リスティンがにっこりと笑う。「この狼に乗って、行けばいい。」

 サーシャは涙ながらにアダリアの提案に首肯した。いつまでも使命ある兄をここに留めておくことは出来ない。それはわかっていた。兄は魔を滅するがために旅へと出た。村中の期待を背負って、旅に出た。

あの時の様子がまざまざとサーシャの瞼の裏に蘇る。父母と、友と、村全ての期待を背負って兄は、旅へと出た。魔を滅する旅へと。あの時の父母の涙は忘れようと思っても忘れられるものではない。旅を完遂させることが、父母の魂にとって最大の慰めとなることは明らかだ。

 サーシャは一匹の狼を借り、兄の旅の武運を祈ると、それに乗って指示された村へと辿った


サーシャと別れたアダリアは一層強化された無数の魔物を屠りながら、懐かしき父母の死、友の死、故郷の消滅……に思いを巡らせた。それを抱えて間もなく魔王と対峙しようとしている。魔王が病にかかっているというのは、治療師のサーシャの言であるから嘘偽りは無い筈である。しかしだとするならば、病をおしてでも人間を殺戮せしめねばならぬ強固な事由がそこには存在するということになる。つまり、魔物は単に欲望だけで人間を攻撃しているわけでは無く、何らかの事由による怨恨と憎悪があるということになるのではないか。それは時に思ってもいない力を引き出させる因ともなり得る。麻薬を用いてまで、成さねばならぬ己が使命。それは人間を救うべく位置づけられた自己と同じなのではないか。

否応なしに高まる緊張は恐怖を伴い、城に突入する頃には、アダリアの剣に無駄を生じさせていた。

 それを見抜いたのは、同じく剣を用いるディノルタである。

 「アダリア、落ち着け。」

 山となった魔物の死骸の上で剣を肩に掛けたディノルタが肩を上下に大きく震わせながら、大声で言った。だからそこに居る全員に言い聞かせるような体となった。

 「俺たちは、今まで何をしてきたんだ。苦悩も、死も、排除も、絶望も、嫌という程見て来た。それは俺たちが魔軍と勇戦する覚悟を生成する為だろ。そこに一縷の迷いも生じさせねえようにする為だろ。そして、もう、こんな人間を一人も増やさないと決意する為だったんじゃあねえのか。俺たちに人間全ての命運が掛かっている。負ける戦いはどうしたって、出来ねえ。そう決意している俺たちが負ける筈が無ぇ。現実は何で決まるんだ。古ぼけた預言書じゃねえ。どれ程深い決意をしているかだ。」

 アダリアは腰元で微かに鳴り続ける金属音に聞き入った。これは怯えか。そうだ、かつて己は魔物と闘うことを恐れていた。異形を目の当たりにするのも恐ろしかった。いつからだろう、その恐怖が消滅、ではない、――制御できるようになったのは。それは仲間と出会い、予言者達から魔王を滅する存在であると言及され、逃げようも無く、己の運命と向き合った時だった。

 今目の前に居る仲間たちは、いつからそれに向き合えたのだろう。惑う姿など、僅かにも感じた例が無いことに今更ながらアダリアは気付いた。流石世界を股に掛けた盗賊だ。人を司る貴族の娘だ。一流の治療師だ。彼らは己を導く為に、懸命に己が弱さをひた隠しにして己の前に登場したのではないか。己に使命を全うさせるために。

 「解った。ありがとう、ディノルタ。」


 ルスカが近いのであろうか、闇の気配は一層濃厚に、吐き気を催すかにも感じられ始める。それを掻き分け、掻き分け、彼らは進んだ。屈強な魔物が次から次へと襲い来る。神経はいつしか研ぎ澄まされ、気付けば玉座のある間へと到達した。扉にも玉座にも、幾多もの宝玉が飾り立てられていた。全て古より僅かにもその輝きを失わない、価値の付けられぬ代物であるということは容易に知れた。

「魔王が、居ないわ。」リスティンが周囲を丹念に見回しながら言った。

アダリアも研ぎ澄ませて気配を窺う。

「確か、病なんだろう。どこぞで伏せっているに違いねえぜ。」ディノルタが返り血に染まった頬を拳で拭いながら云った。

「どこに、居るんだ。」アダリアが焦燥を抑えつつ、周囲を見回した。

 ファナンは目を閉じ、杖の頭に付いた掌大の水晶を撫で摩った。何やら口の中で古代呪文を唱える。三人が注目する中、暫くすると、水晶には扉が映し出された。漆黒の扉の周囲には、輝きとも言えない僅かな光の粒が静かに瞬いている。

 「……近い。」

リスティンが水晶を凝視してあっと叫んだ。「これ、この光、苔が発光しているのよ。さっき通ったところだわ。廻廊の階。……でも扉は無かった、筈。」

 「きっと呪法よ。扉を闇に隠す呪法。除すれば入り込める。」ファナンは顔を顰めて後方を振り向いた。

 四人は首肯し合うと無言で即座に踵を返した。

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