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闇と光の混血児  作者: maria
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 根の作り上げる小さな洞穴は奇妙に曲がりくねって、或る時は魔物の足音響く空間のすぐ傍を通り、或る時は風が吹き込むのも感じた。サーシャは時折息を潜めながら、恐怖に身を凝らせながら、それでも根が導くままに淀み無く進んだ。木々は完全に解している筈であった。自身の使命を。そして希求を。

 根が形作るままに上へ、下へ。有象無象の闇の気配からは不思議と次第に遠ざかっていた。サーシャが安堵した矢先、はっきりと、耳を劈くような悲鳴が聞こえた。無論それは実際の音響では無く、それほどの絶望を有しているということ。サーシャはその者のあまりの激情に一瞬怯んだが、叱咤して進んだ。

この者はかつて治療した誰よりも酷い痛苦に襲われている――。それは最早確信となった。消えかかっている生の気配は、魔とも人間とも判じ難い。サーシャは暫し止まって訝しんだ。もしかすると魔物に連れられ、その監禁生活で発狂し人間性を喪失したか、あるいは病の苦痛が長引き、まともな思考を喪失したか……。

遠く、向こうの根と根の合間から鈍い光が差した。進むに連れて、光は大きくなる。やがて光、では無いと気付く。それは到達した空間の壁に生じた苔が発する、僅かな露による煌きであった。しかしそれが小さな空間をびっしりと埋め、夜空に浮かぶかの如く幻想的な風景を創り出していたのである。サーシャは諸手を突いて、穴から身を捩じらせ、人一人立てるようになったその空間に降り立った。

土に塗れ根に引っかかれた衣服や、すり傷だらけの手足もそのままに、サーシャは睨むように一方向を見据えた。何も無い、ことになっているのだろう。巧妙な術であった。

サーシャは片手で空を薙ぐような仕草をすると、霧が晴れるようにして空間は一気に拡大し、巨大な古色帯びた扉が目前に現れた。サーシャの十倍もありそうな、堅牢そのものの扉である。それは全てを阻んでいるかにも見えた。ここまで厳重に病者を留めておかねばならない理由とは何であろうか。余程の魔力を秘めた存在であるのかもしれない、とサーシャは一瞬緊張に身を震わせた。そして深々と息を吐いて、扉に手をゆっくりとかけた。口には、そこに掛けられた呪法を無化させる祈りを繰り返しながら。

 扉は小さな掌に渋々従うように、緩慢に開いた。

中は闇。

サーシャが目を凝らして見ると、中には天蓋に幾つもの絹布を纏わらせた豪奢な寝台を中心として、その周囲に大小様々の壺瓶が散乱しているのが確認された。寝台の中から荒々しい呼吸音と時折呻き声とか聞こえてくる。サーシャは迷いなく寝台に歩み寄った。先ず目に入ったのは、長い銀色に輝く髪と、白磁の膚である。思わず見る者の心臓を凍らせる程の完全なる美貌がそこにはあった。

唇の色も色を失い、時折開かれる瞳は定まらぬものの、金とも銀とも付かぬ不思議な輝きを秘めていた。口からは血痰の入り混じった唾液を垂れ流しつつ、それでも僅かにも喪わない美貌と高貴さに、サーシャは殆ど感嘆した。しかし人を救いたいという賢明な祈りが、何とか自分の成すべきことに意識を集中させた。

熱と痛みに始終震える目の前の華奢な肉体に手を触れた。突風に突かれるが如く、ありとあらゆる負の感情が襲い来る。サーシャは滅した故郷を逐一思い浮かべた。それはこの上なく残忍な想像ではあったけれど。この絶望する男を救うことでしか、己も救えないという確信があった。だからサーシャは唇頭に笑みをさえ浮かべながら、必死に治療に取り組んだ。

男の病は深刻であった。生まれついての、男の満身を巡っている血が創り出している病であった。男は夢魔に襲われながら、それでも異様な程に恐ろしく美しかった。サーシャが時折治療を停止して一頻り驚嘆せざるを得ない程に。

僅かに吊り上がった目は、見る者を圧倒させる金色、白銀の豊かな長髪は麻のように乱れながら男を覆う。男は無上の苦しみの中で、それでもはっきりとサーシャを見据えた。そして驚いたように目を見開き、何かを言おうとしてしかし言葉は痛みに抑圧される。更に追い払おうと伸ばした手を、サーシャは優しく握った。「大丈夫よ。もう少しの辛抱。直ぐにこの痛みを取り除いてあげるから。」

 男は突如、確かにこう、小さく呟いた。「母さん」と。絶望の淵から、一縷の助けを求めるように、それこそが唯一の望であるとでもいうように、切実に。

 サーシャは自分とそう年嵩の変わらぬ筈の、この人間離れした美麗な男に深く同情した。狂ってしまったのに相違ないと思って。魔物に連れてこられ、長く経つのかもしれない。でも、それも今この治療が終われば、幕を下ろす。

サーシャは深々と頭を下げ、血で滲んだ男の胸に両の掌を置いた。糸引く生暖かい感触がサーシャの掌に伝わる。口早に呪法を唱えた。どこのものとも知れない失われた言語は、不思議な音律を伴って男の身を包み込んだ。しかし苦しみは癒えぬ。

サーシャは何度も何度も、目を閉じながら、目に見えぬ何者かの力を我が身に宿すようにして、同じ文言を旧い音楽のように丹念に繰り返した。それは高くなり低くなり、渦を巻くようにして時間と場所とを超越した。男はその間呻いたり、また意識を喪ったりした。

 そうしてどの位経ったのであろう。サーシャは想像以上の事態に、心臓が握り潰されるような疲労を覚えた。腕が、躰が、己の意識から遠ざかる。額からは汗が伝い、視界を滲ませていく。眸は血走り、眩暈さえした。

生まれるより何代も前から決定付けられた宿業の病に、サーシャは血みどろになった父母の姿によって戦い続けた。諦める訳にはいかなかった。そして、こんなにも早く己の罪を償える対象と出会えたことに、サーシャは事実喜んでいた。課せられる課題が難関であればある程、村を殲滅させた元凶たるところの己が許されるのではないかと錯覚して。サーシャは時に天を仰ぎ、集中をし直し、何度も挫けずに病に向き合った。

胸中には両親と友人との、信じ難い永訣の様が往来する。それは魔物の好きにはさせぬとの決意を生じさせる。どんな方向性でも構わない。ただ、かの異形の不意を突いてやりさえすれば。「大丈夫。治せる。」それは自然と言語化した。

 その時である。男の身から、巨大な暗黒の光が抜け出、一本の筋となって空に消えたのは。サーシャは歓喜の笑みを浮かべた。随分巨大ではないか。いかなる病であっても、ここまで巨大なのは見たことが無い。サーシャの胸は随喜と達成感に踊った。

 男は今までの荒々しい呼吸が嘘であるように、深々と息を吸い、吐いた。男はこの甚大なる異変に気付いて、茫然とサーシャを見上げた。戸惑うように、感極まるように眸を潤ませて。しかし疲労までもが失せるわけではなかった。何か言おうとして、叶わず、黙す。

 「私はサーシャ。あなたと同様、魔物に攫われてここまでやってきた。でも、もう痛みは取れた筈。大丈夫。さあ、ここから逃げましょう。立てる?」

 サーシャは男を抱え、無理やりに立たせた。男はサーシャの肩で半身を支えられながら、サーシャと共に一歩、一歩、歩み出した。男に言葉が通じ、そして素直に自分に従うのにサーシャは安堵した。部屋を出たら魔物に見つからぬ内に根に語り掛け、来たように出口を開けさせればよい。あと、少しだ。

「大丈夫よ。私が守るから。」その言葉に男が泣き出したのを、サーシャは首筋にかかる熱い涙で知った。

 サーシャは根に両の掌を当て、人間世界への最短にして安全な路程を開くよう祈った。間もなく――瞬時の煌きと共にぽっかりと穴が開く。今度は人二人が支え合って通れる程の大きな穴が。サーシャは男を支えながら、穴へと入った。

 見えぬが道の向こうには魔物が居る。それは先達ても同様であったが、魔物の様子が異なることにサーシャは間もなく気付いた。盛んに声、らしき音が聞こえる。内容までは感じ取れぬものの(魔物の中には単純な音だけで交感を行う者も多いようであった)、何やら頻りに交わされる音声からは、焦燥の念が見て取れた。何かが起こり得る前兆かもしれない、とサーシャは思った。できればそのいざこざの合間に、ここを抜け出たいものだとも思った。

 光ある世界へと到達したのはそれから間もなくのことであった。祈った通りに、樹々は、土は、最短の路程を二人に辿らせたらしい。サーシャの目の前には、空を圧するかに見える分厚い雲の合間から、見るに懐かしき一条の日の光が差していた。どうやらこの場所は魔軍が高山の一部に元来の自然を利用して創り上げた根城であり、その森が白一色に染められていることを見るに、寒帯のどこかであるに思われた。山の裾には、森と、未だ侵略を受けていない村里までが目に入った。ここを降下しさえすれば、人間世界へと帰還できる筈であった。

 「さあ、戻りましょう。」

 サーシャは喜び勇んでそう言った。サーシャの肩に寄り掛かったままの男は一瞬、光の筋を見上げ、脅えた様子を見せた。

 「大丈夫、怖くは無いわ。」

 サーシャが一歩を踏み出さんとした、まさにその時であった。気付けば、サーシャの一歩前には、腰辺りまである、泥めいた皮膚持つ黒蜥蜴が、ぬらぬらする眸で見上げていた。蜥蜴はサーシャではなく、明らかに男の方を向き、長細い舌を巻き上げ、巻き上げ、言葉を用いた。

 「王、お戻りになりましょうぞ。皆共が案じておりまする。」

 「王?」蜥蜴に嫌悪を覚える以前に疑念が生じた。サーシャは震える声でそう問うた。「誰が?」

 「我が魔軍の総司令官にて唯一の具象せし王、ルスカ様をお連れするには身分が違いすぎる。そなたは天界の者であろう。であるとすれば今ここで殺しても逃げても、我々にとっては相構わで。多少呪術の心得はあるようであるが。さて、いずれにさしょう。」

 サーシャは己の無知による恥辱、突き上げる憤怒、過ちに対する悔恨、それらに襲われ叫び声を上げた。すぐさま男を蜥蜴に向かって突き放し、震える脚を叱咤して、一瞬の内に吹き荒れる暴風の中に身を躍らせた。

 だから見なかった。崩れたルスカが口惜しそうに手を遥か上空へと伸ばしたことを。

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