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いかにして魔の根城から脱したのかは、解らない。気付けば溢るる光の中にアダリアは身を横たえていた。見る限り全てが純白に輝いた一室であるからに、神々の力に依って、天界に引き戻されたであろうことは容易に想像がついた。
仲間は、どうしたろう。乾き切った喉を振り絞る。
「おい。」名前を呼べなかったのは、もしその者が命を喪っていたらと、それを恐れたためである。
「目覚めたのね。」
アダリアは声のする方に懸命に首を捩じ曲げた。そこには自分と同じように、純白の寝台に横たわったまま、顔だけをこちらに向けたファナンの姿があった。激しい歓喜が突き上げる。本物か、生きているのか、触れたかった。しかしそれは叶わず、ただただ彼女の顔を凝視した。
その眼は深く眼窩を落とし、頬には幾筋ものこの距離でもはっきりとわかる傷を付け、憐憫を覚える程に疲弊していたが、おそらくは自分もまた斯様の顔付きをしているのだろうと、思わず苦笑を浮かべた。
「ファナン……生きてたのか。」
「ええ。」照れたように微笑む。
「他のみんなは?」勇気を得て、そう尋ねた。
答えより早く首を捻じ曲げると、周囲には抜け殻となった寝台が二つあった。アダリアの胸は早鐘の如く鳴り始める。――二つ。
「リスティンとディノルタが、さっきルスカを探しに行ったわ。」ファナンは視線を落として言い難そうに答えた。
「ルスカは。まさか、まだあの場所に?」
「否、気配は確かにここにある……。」ファナンは遠くを見つめながら呟いた。
「ルスカが、世界を救ったんだ。」アダリアは焦燥して誰へともつかぬ説示を行った。「俺じゃあない。ルスカの最後の一振りを見たか? あれこそが預言師の言った、定められた、……それだったんだよ。だから、何よりも美しかった。芸術だった。」
「アダリア。」と、呼んだのはファナンではなかった。
風も無いままに揺らいでいた純白の幕が荒々しく捲り上げられ、顔を見せたのはリスティンであった。頬は扱け、ファナン同様痛々しい傷もその頬を走っている。夜空の如き紺碧の眸も幾許か充血していた。「ルスカが……。」大きな双眸が細く棚引いたかと思うと、リスティンはわあと遠慮も無く声を上げ、その場にへたり込んで泣き喚いた。
「ルスカが、どうした?」アダリアの鼓動は早鐘の如く鳴った。最も忌避すべき――死を想起して。
「……地上へ行ってしまった。」
「地上へ?」アダリアは安堵と意外性の交じった頓狂な声を上げた。リスティンを案じる間もなく、意外なその言葉を繰り返す。「何故、地上へ?」
その後方から、ディノルタが珍しくも物憂げな顔付きでやって来て、後を継ぐ。「流石魔王様だ。神のあらゆる恩恵を惜しげも拒絶しやがった。」
「どういうことなの。」ファナンは顔を痛苦に歪めながら上体を起こし、射抜くようにディノルタを見据えた。いかなる残酷な答えでも聞き逃さぬまいとする気迫がそこには、あった。
「そのままさ。神は、魔を滅したルスカにあらゆる宝を贈ることを申し出たが、ルスカは罪を償うことこそを願った。そして、一人地上へと向かった。」ディノルタは痛いような笑みを唇端に上らせながら、そう述べた。
アダリアは身をぶるりと震わせた。自分が意識を取り戻さぬ間に、さっさとルスカの行く末を決めてしまった神々に言い知れぬ怒りが沸き起こってきたのである。
「奴が何を考えているのは相変わらず解らねえが、大した覚悟を有していることだけは判った。あの御方は地上じゃあ生きていかれねえのになあ。」
「追わなければ。」
アダリアはそう固く絞り出すように言うと、咄嗟に起き上がらんと欲して、両腕で上半身を支えようとして叶わず、責苦とも自棄とも付かぬ妙に攻撃的な呻き声を上げた。
ルスカは地上では生きられない。陽の下では生きられない。あの白磁の肌は、そういう風には出来上がっていないのである。アダリアは今度は悔しさに呻いた。
「本気か? あいつは己の意志で向かったんだぞ。」
「……ルスカが、最後に剣を揮ったんだ。あいつが、魔を滅したんだ。見たか?」アダリアはそう必死に説示する。
「見た、って?……」
「俺が魔を滅したんじゃない。俺は死を覚悟した。否、冀った。そこをルスカが、立ち上がって斬り込んだんだ。誰も見ちゃいないのか?」三人の顔を順繰りに見詰めるが、三人は三人とも眉根を寄せてアダリアを見返すばかり。
「……アダリアじゃ、ないの?」リスティンが躊躇いがちに呟く。
「俺じゃない! ルスカなんだ。魔王が魔を滅したんだ。」アダリアは胸を上下させながら言った。これを、人類の全てに伝えたい。伝えなければ、ならない。アダリアの胸中にはかつて魔王を倒すと誓ったのと同等の使命感が生まれていた。
「ルスカは光の下では生きられない。早く、追わなければ」そう言ったファナンの顔は一層疲弊が色濃くなったかにも見えた。
「おい、本気か。ルスカが自ら決めた事を邪魔立てする気なのかよ。」ディノルタが慌てたように言った。
「友の過ちは糺す必要がある。」満身の力を以て、アダリアは顔を赤くしながら漸く半身を起こした。「ディノルタ、頼む。力を貸してくれ。」
ディノルタは呆れたとばかりに、鼻を鳴らしつつ寝台の下に膝を突き肩を差し出した。アダリアはそれを掴みながら、どうにか寝台から足を下におろした。
「お前は、本当に彼の魔王様が好きだな。物は云わねえ、泣きも笑いもしねえ、やたら強えって以外には全く何も知れねえ奴をよ。」
アダリアは無言でディノルタの肩を支えに寝台から降り立つ。
「そりゃあ、仲間だからな。」
「アダリア、落ち着いて。ルスカが地上の何処へ行ったのか、それを確認してからよ。」ファナンは憎悪とも執念ともつかぬ語気でそう、半ば叱咤するようにして云った。
アダリアはそこに自分以上の執念を覚え、思わずそのまま立ちすくんだ。




