表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
闇と光の混血児  作者: maria
18/25

18

 男が悲嘆に暮れがちな妻を喜ばせようと、装飾物を奪うべく、多すぎる旅人を殺した為であった。人間に対する罪悪感は絶無であったが、男は後悔だけは痛烈に感じた。今や男は、魔力を喪失していたのである。かつて紅蓮の焔も、無数の氷の刃をも容易に操った能力は、地上世界へと降りてからというもの、男の中から完全に消えていた。

数人相手ならまだしも、松明と斧を手に集結した村人は総出で百名にも上った。近隣の村里の、老人と子供だけをきっかり抜かした男たち全員が集結した計算になる。

 外から響く怒声に身を震わせながら、母は固く両手を結び、天に向かって吼えた。「お願いこの子だけは、神よ、神よ、神よ。同胞を助けよ。」母の腕の中にいるのは最早赤子ではなかった。「どうしたの?」幼子は脅えつつそう問うた。

男は呻きながら、幼子を母の腕から奪い取るように素早く固く抱き締め額に接吻を与えると、即座に手離した。そして扉に立て掛けてあった、道なき道を通る際に用いる、枝を折るための小さな斧を手に取った。それを凝視し一つ二つ頷くと扉を勢いよく開け放ち、人間の前に立った。葉を越して斑になった陽光が鮮やかに男を彩った。

 許しを請う術は知らなかった。魔族として生まれて一度もそんな様を目にしたことはなかったし、そもそもそれを得意とする人間と対峙した経験さえ無かったのである。

 父は決したように手にした小さな斧振り上げ、無言のまま黒い人間の渦へと突っ込んだ。

 幾許の時間も掛からなかった。

 父が四肢を断ち切られ母が陵辱の末首を切断され、共に千々の肉塊とその姿を変えたのは。

 白子の幼子は照らされる陽光に顔を爛れさせながら、声ならぬ声で絶叫し続けた。不幸なことに幼子は地に散乱した肉塊が示す、死という概念を解する齢となっていた(父が持ってきてくれた、木の葉に擬態した虫を握って殺してしまったことがあったし、また、母が掌に抱いて悲しんだ、樹上の巣から落ちて死んだ鳥の雛を見たことがあったから)。幼子は地にうつ伏しながら、己が精神を保つべく両手で目を覆ったまま、潰れて老人のそれのような声になりながらも尚引き擦るように泣き続けていた。


 熱狂の祭を終えた人間らは、残された白い異形の子を露骨な嫌悪感でもって眺めた。子どもはか細く、膚は骨そのまま露骨したような白さであった。また、その所々から血や膿が垂れ、ある者は昔、一晩の内に町の半分が死滅した伝染病患者の容貌を思い起こし、ある者は暗々裏に葬らざるを得なかった、死んだまま生まれてきた赤子の容貌を思い起こした。

 「忌むべき子だ。」

 すぐ傍の村里から連れて来られた、最も年嵩のある頬髭長き老人が、一歩白子の子に近づくと、その白髭を捻りながらもっともらしく呟いた。一刻も早くこの子供を記憶から消し去りたいことだけを願っていた若者たちは、盛んに肯き合った。

 「そうだ。触れれば障る。」

 「子どもだ。放っておいてもやがて死ぬ。」

 その時であった。突如それまで誰もが感じたことのない、不穏な気配が辺りを充満したのは。人々は狼狽した。強い眩暈と視界が光を、色を喪失する。それは闇、であった。そして次の瞬間、何が起きたかを解した者は誰一人とていなかった。

 一瞬の内に周囲を侵食した闇が刃となり、人々を瞬時に切り裂いたのである。ちょうど今しがた幼子の父が刻まれた如くに、無尽に。

 完全に覆われた闇にこの上ない心地よさを感じた幼子は、ゆっくりとその頭を上げ、木々の露出した幹肌を、無数の肉塊を、涼やかな紺色の菫を、艶やかな木の実を、疲労困憊の体でゆるゆると見渡した。それは完璧に視覚の受容のみに留まり、いつしかそこから切り離された感情は僅かにも揺るがなかったけれども。

 すると闇は意思を持った霧の如く凝って幼子を覆い始めた。幼子は即座に意識を失った。闇は一層色濃く幼子を包み、やがて幼子は完全に闇に没し、見えなくなった。そして闇ごと、消えた。後にはまた、鮮やかな翠の馥郁たる生命の世界が広がっていた。


 幼子が導かれたのは、母の最後の悲願が届いたのか、光一筋さえ届かぬ闇の世界であった。そこは幼子が今まで感じていたあらゆる生き難さの排除された世界であったために、幼子は容易に泥んだ。異形の生き物たちは、幼子に人間を殺戮する為の戦闘の術と呪術、それから、その行為が有する普遍性を教えた。幼子は死んだ父母を限りなく愛していたが、それは人間への憎悪と同根であると位置づけられた。教育は丹念に、時に執拗なまでに行われた。幼子はいつしか人間の撲滅こそが己が使命であり、その根底となる怒りと憎しみとを決して希薄化させてはならぬと、あたかも堅固な鎖を自身に巻き付けるように思考するに至った。それはある日、誓約の形を取った。


 人間の最後の一人を殺し尽くすまで、一時たりとも停滞はせぬこと。万が一にもその手を緩めた際には、死の世界へ突入する寸前の、あたうる限り最大限の苦痛を自身に与えることを、冀う。

 魔の城の最も広き部屋に、熱さを持たぬ蒼き炎を四方に滾らせて、数多くの魔物に囲まれながら、幼子は種々に古代文字が記された円陣の上に、齢に不釣合いな威厳と妖艶さとを備えた姿で堂々と立っていた。

 誓約は王位継承の意味合いを兼ねた。

 魔物の創造主たる「闇」は己が形状の一部を譲り、幼子の誓いの輔弼とした。すなわち、幼子がその生涯において堕落した場合、「闇」の一部はその体に巣食い、死に至らぬ範囲の最大限の苦痛を与えるのであった。それは創造主との一体化を示し、また、その魂の普遍であるを誇示するのにこの上ない儀式であった。

 円陣の上で、幼子は足首まで届く長い外套を纏っていたが、儀礼の中途において、薄く覗いた首筋に一筋の黒き蛇が巣食って皮膚の下にうっすらと浮き出たのを、同席していた魔物らは確認した。幼子はそれにも僅かにもたじろぐことなく、その身体的異変を敢然と受け入れた。それがかつて魔王による背徳者への懲罰(蛇は巣食い主の監視もしたから)として行われ、首が捻じ切れる程の痛みを生じさせることを知る者たちは、王位継承者としてのこの上ない適性を確信し、震えた。

 蛇を暴れさすも肥え働かせるも、己次第。

 幼子は己が運命を決した喜びに、微かに頬を緩ませた。

 これであの人間ども全てが一掃されるまで、自分は戦える。もう、惑いも躊躇いも何もないと。歓喜よりも自負よりも、ひたすら安堵、した。

その後の歩みは、アダリア達を戦慄させるものばかりであった。魔の教育が、ここまで体系的に行われ、逐一徹底されたものであるとは正直、予見できなかった。剣技、呪法、これらについては死しでも止むなしという過酷さであった。ルスカは己が悲願の人類滅亡のその日まで生き延びるために戦い、そしてやがて魔の地上における統率者となった。

久方ぶりに見る始終降り注ぐ陽光と、醜悪な人間の姿――。ルスカの胸中に再びはっきりと、復讐心が宿り始めた。自分はここで復讐を決行せねばならない。ルスカは狂人と変らぬ光を瞳に満々と湛えながら、ひたぶるに人々の集落を襲った。その時ルスカは完全に魔物、否魔の王であった。

地上の支配者として君臨した頃、ルスカに対する魔の教育は総仕上げとばかりに一層の熱を増した。それは今までのそれとは矛盾をきたすようなものでもあった。何にも増して己の感情を滅すること。もう、今まで構築してきた憎悪を土台とせぬとも、ルスカが人類を根絶やしにすることは明白であった。あとは機械の如く、人類を滅亡させること。感情ごときに左右されずに、最後の一人まで一切の妥協を許さず貫徹すること。この最後の教育によってルスカはいかなる痛みであっても、眉一つ動かさなくなった。爪を剥ごうが、毒を盛られようが、王は唇に微笑を湛え続けた。更に人間を一気に殲滅し得る剣技と呪法を我が物とし、魔への生涯を賭しての貢献を具現することで、魔の王としての歩みを着々と進めていた、ように思われた。

ルスカには生まれついての病があった。血の病である。本来混じることのない血が混じった結果生じた、病。傷や毒の痛苦には耐性を完全なまでに形成したルスカであっても、内より湧き出ずる病の発作は耐え難かった。しばしばルスカは誰にも入ることの出来ぬ幻惑の室に、一人痛みが減ずるまで籠居した。決して己が弱味を露呈してはならぬとの、厳重なる教えからであった。依って常より魔群の前に姿を晒し続けるにはいかぬ。しかし王として蟄居が続くのは不審を買う。疑念と嫉妬の交錯する魔の群れにおいて、それは王位陥落と紙一重であった。ルスカを育てし者々は、遂にルスカに薬を使わせることを決定した。あらゆる痛苦を消し去り、気分が高揚する秘薬である。それに伴う常習性と短命化には目を瞑り。その分、ルスカの子孫を早々に残さんと、優れた能力を持つ若き娘を地上より浚っては交配を強いた。何よりも王として振る舞うことを教えられ、己の感情を滅すことに秀でたルスカは、それらに奇妙な程従順に応えた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ