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闇と光の混血児  作者: maria
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 ある日ルスカが歩みを止めたその場所は、闇が霧のように凝り、意志を持った何かのように深く揺蕩う魔の城であった。城? 城では無かった。人工物では無かったので。しかし山は、木々は、土は、一つ一つ確かなる意志を持って城を形作っているのであった。その造形は巨大さを排しても瞠目すべきものであった。各々がこの上も無く精密に結合し、何物にも屈すること無い不滅の堅牢さを主張していた。そしてこの世の全ての絶望を吐き出すかのように、苦悶に口を大きく歪め広げたその城門には、地上では一切感じたことの無い異様な空気が漂っていた。不快に擽る湿り気。冷酷なまでの不穏。未来永劫を物凄く照らす闇の威力。

 だから何も言わずとも知れた。ここが魔の源泉であると。魔の創造主、の在り処であると。

 先導を歩み続けてきたルスカは暫くその前で佇んだが、誰もそれを非難することはあたわず、ルスカの時折大きく翻しては明るみになる緋色の外套ばかりを凝視していた。これはルスカの複雑であろう胸中を慮った為では無い。アダリア達もまた、その根城の放つ悪魔的威容に威圧されていたが為である。アダリアは己の膝の震えを隠そうとするのにむしろ必死であった。際限無く沸き出る敵意。その全てが己に向けられていることが、何よりも明白な敵意。

 「さあ、行こう。行かねば、ならない。」少しばかり語尾が震えたが、漸く言語を紡ぎ出せた事にアダリアは久方ぶりの自信を覚えた。

 ルスカはそれに応えたのか、軽く腰元の細剣に手を触れると、再び元の速度で城内へと踏み入った。

 「寝返りしルスカ。恩を仇で返ししルスカ。」

 「裏切り者は死をもって償え。裏切り者は死をもって償え。」

城が、壁が、わんわんと四方八方より声を反響させる。それらは内容以前に、地を這い擦り回るような地響きを伴い、しかもいつまでも長く伸びて不快に耳に纏わり付いた。

 「父の名汚し。父の名汚し。」

 先を行くルスカの顔にどのような表情が浮かんでいるかは、無論誰も知れない。しかしその歩みに僅かな乱れも見出せないことだけが、アダリアに一縷の安堵を与えていた。

 「裏切り者の混血児。神の血巡りし汚泥の子。」

 その時、突如震撼が走った。アダリアが瞬時に剣を構え後方を振り返ると、ファナンがもの凄く血走った眼で、土埃を立てながら壁に大穴を空けていた。風圧を起こす呪法でも唱えたに相違無い。

 「もう一度言って御覧。城ごと吹き飛ばしてやるから。」

 かつて聞いたことの無い、老人の如くひしゃげた声でファナンはそうはっきりと嘯いた。剥き出しになった真白な歯が闇の中に真珠の煌めきを呈す。--思えばあの時が、初めてファナンの感情が露呈した瞬間であったのかもしれないと、今更ながらにアダリアは思う。

 「ファナン、無駄な体力を使うな。これからが本番だ。」

 アダリアはファナンに対し、驚嘆を抑えながら静かに叫んだ。

「ファナン、いいわ。今度この不気味な城が何か気に食わないことを言いやがったら、私が、ぶち壊してやるから。」

リスティンが拳に装備した、長い刃を何本も持つ、爪型の武器を高々と掲げて見せた。この上無く誇らしげに。この上無く頼もしげに。

「お前のその細腕だけじゃあ、丸ごとはいけねえだろう。」

ディノルタが身の幅もありそうな太刀を、風を切りながら振り回し、壁に打ち付けた。その瞬間、壁が崩れ落ち、思わずアダリアも足元を救われ兼ねない程の振動が響いた。

城は静まった。

 五人は再び、ルスカを先鋒に城内を進んだ。敵は益々強力となる。

しかしアダリアは知らず足取りの軽くなるのを感じた。今まで常に躊躇を感じていたから。それはルスカを理由なく庇護することに対して。いつだって、自分のこの行動をどこまで仲間が解してくれているのであろうかと、果たしてどこまで付いてきてくれるのであろうかという疑念は今まで、一度たりとも払拭出来た例が無かった。しかし今、ファナンの怒号を聞いて、リスティンの宣言を聞いて、ディノルタの凄まじき破壊力を見て、それらが完全なる徒労であることをはっきりと思い知らされた。己の内なる声に誤りは無かった。アダリアは胸の奥から熱きものが抑えようも無く次々に込み上げて来るのを感じた。

 しかしこの面々以外において、ルスカは紛れも無く世界を滅せし悪魔であり、人間の敵であった。 

アダリアにとって今や唯一血の繋がった存在であるサーシャは、とりわけその念を強固にしていた。至極当然の如く。故郷を破壊され、親を、懐かしい人々を殺害され、憎悪せぬ訳が無い。サーシャの周囲に対する深き愛はそのまま憎しみへと一変した。その時、アダリアとは僅かにも交わることの無い、血のみの兄妹となり得たのである。

サーシャとは幼少時より仲違い一つしたことは無かった。彼女は終始物静かであり、傷病を治癒できる力を兼ね備えていた為に、村人からは尊崇され、それと同じだけ彼女も彼らを愛した。それは家族の中でも同じであった。父母は我らが娘を何よりも愛おしんだし、兄は聡く穏やかな妹を何よりも自らの誇りとした。

 しかしそれは現在、どうであろうか。アダリアは、確かな寂寥を感ずる。

 昔、言葉にせずとも傍にいるだけで、微細な感情の全てが通じ合った、あの生活は日を経る毎に遠ざかり、最早取り返す術さえ喪われた。それはひとえに、自身のせいである。自身がルスカを仲間とし、無二の友愛を覚えるが為。そこには何の正当性も無いばかりか、父母を、友を、故郷を卑しめる結果をもたらした。それを重々承知していても、ルスカを憎むことは、どうしても、出来なかった。何故なのか。サーシャが言うよう、村が炎に焼かれる様を目にしなかったからか。でも本当にそれだけであったのだろうか。解らぬ。かりにルスカのその掌から出した炎が故郷を焼き尽くす、その様を目にし、それでもそれを美しいと感じてしまったなら……。その蓋然性に思い当たり、アダリアは長い息を吐いた。あの舞姫とも見紛う芸術的な剣士を。人の心も凍り付く、美しさを体現したあの男を。憎む? 想像が及ばない。

 決まってその問題に頭を悩ます時、ルスカが何故人間を殲滅させようとしたのかという問いに逢着するのだった。

ルスカは単に、何者かによって定められてしまった魔王としての生き方を偶然歩んでしまっただけなのではないか。それが思い込みに等しい、また、この上なく都合の良い願望に過ぎないことは承知していたけれど、アダリアは祈るように、ルスカの心に魔が巣食っていた可能性を拒絶した。人類に対する罪悪感よりも、己の覚える友愛こそを、優先させた。

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