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外傷こそ回復に向かっているものの、ルスカの意識は数日が経過しても戻ることは無かった。既に精魂尽き果てているファナンだけに治療を任せておくこともできず、アダリアは己の権力を行使し、有能な治療師を各国より集めた。彼、彼女らに一つのチームを築かせ、ファナンにはその統率の役目を担ってもらうこととした。
しかしルスカの意識は一向に戻らぬ。ファナンが自分の力量が足りないためだと焦燥し始め、ルスカがアダリアの城にやってきて以来暫く落ち着くこととなった四人の間にも、それに伴って不穏な空気が流れ始めた。
いつもの通り四人での朝食を王専用の卓で済ませた後、給仕を下がらせ、「いつまでルスカのことを隠し通すつもりなの。」とリスティンが唐突に問うた。しばしそれに答えられず黙したアダリアの後をファナンが継いだ。「ルスカが西南の塔に居るということだったら、彼女は既に知っている筈だわ。」
「だとしたら、余計に危険じゃないの。ルスカを殺そうとするかもしれない。あんだけ憎んでいるんだから。」
「まさか。幼い頃から虫一匹殺したことの無い奴が。」
「そりゃ、虫は親の仇ではないからな。」ディノルタが平然とそう言い放った。
アダリアは眉を顰めてディノルタを見据えた。「あいつは根っからの治療師だ。いかに憎しみ募ろうとも、生命を断つ行為に達する訳は無い。」
「それは願望に過ぎない。人間の信条なんて、どこでどう変わるか知れたものではない。」背信渦巻く城内で育ったリスティンが低くそう呟いた。
「サーシャはそういう類の人間ではない。俺は生まれた時からサーシャと一緒に暮らしてきた。変わる部分も変わらない部分も、誰よりも熟知している。」
「酷い自惚れだこと。」リスティンが顔を顰めながら、そう言い放った。
「事実だ。」
「サーシャの性質については、不問にしましょう。」ファナンが溜息交じりに言った。「アダリアは侵入者に備えて、地下室に堅固な錠を付けて。それから門番も。今後増えるであろう他国からの客人の為、城内を広く使うが故、宝物館を分譲したとでも云っておけばいいわ。しかし問題は……、」ファナンが丹念に一人一人の顔を見回した。「ルスカの今後の病状次第では、誰に殺されなくとも、死に至る可能性がある。」
「お前の腕でどうにもならなきゃあ、世の中のどいつにもどうにもならないんじゃねえのか。」ディノルタが背凭れに深く寄り掛りながら言った。
「お褒めの言葉をありがとう。」頬を固くしたまま、リスティンは続ける。「手は尽くしている。アダリアが集めてくれた治療師たちも頗る有能。でも、」声は悲嘆に震え出した。そしてそのまま残忍な言葉は飲み込まれる。
「でも?」ディノルタが何でもなさそうに問う。
「意識が戻らない。……外傷はもう、ほぼ治り掛けている。だのに意識が戻らない。どうしてなのかわからない。」
三人の間に沈黙が訪れた。ファナンが弱気になることなど旅中には見られなかったので、少なからず動揺したのである。
「外傷以外で原因を求めるとすれば、あとは心……。」ファナンが呟くように言った。「ルスカが己の罪に打ちひしがれているということ。でも、だとすれば今の私の知識には無い。」
無論それを責め立てる謂れはなかった。旅の最中、どれだけファナンの呪術に怪我を治療して貰ったことであろう。
「解ったわ。」リスティンが食べかけの麺麭を口に詰め込むと、勢いよく立ち上がった。「ファナン、行くわよ。あなた達はルスカを看ていて。」
「行くってどこへ?」アダリアが不審げに尋ねる。
「うちよ、うち。城の地下の図書館を探すの。ファナンがわからないんだったら、もう、そこで調べる以外にないでしょう。いつまでもここでうだうだしていたって仕様がない。それにね、未だ残っている図書館なんて世界中探してもうちぐらいよ。兵士が命をかけて守ってくれたからね。」
ファナンは茫然とリスティンを見上げていた。
「うちは代々本好きの家系なのよね、それ目当てでファナンのおばあちゃんはしょっちゅううちに遊びに来てくれてたんだから。ねえ、ファナン、そうでしょ? 魔物が滅した今、父は一層張り切って医学に関するものも含めて、本を古今東西から集めている最中よ。もしかしたら新しい発見が、あるかもしれない。」
リスティンは天啓を得たかの如く「そうだわ。」と小さく発して立ち上がった。「どうしてこんなことに気付かなかったろう。老師の家も破壊され、何も術が無いように思い込んでいた。」アダリアに向き直る。「ごめんなさい、数日ファナンの所へ行ってきます。その間、ルスカの傍には呪術師を昼夜二人ずつ付けておいて。絶対に一人にすることがないように。すぐに戻って来るから。」アダリアが首肯するより早く、二人は早々と部屋を駆け出して行った。