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闇と光の混血児  作者: maria
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 何故これほどの痛苦を得てまで、死に抗い続けなければならないのか。アダリアは半ば停止した思考でもってそんなことをぼんやりと考えた。

かつて死を回避し得た者が絶無であるならば、死もまた生と同等の安寧を伴って迎えるべきではないのか。

 数刻前には明らかに滾っていた、魔を滅するとの使命感は完全に滅却していた。もう、何も考えたくはなかったし、考えようとする意志さえ失われていた。

 ぬらぬらとする血が視界を覆っている。何も、見えない。手足も動かない。剣を握っているのだか、握っていないのだか、既に感覚さえ消滅していた。

 アダリアの脳裏には、目の前の現実よりも、死の直前に訪れるという過去がもう既に次々と現れては消えていた。これまで、どれ程苦慮に満ちた旅をしてきたことであろう。数え切れぬ程の魔物との闘争があり、それに伴って大きな痛手も被った。今も体には癒えぬ傷が無数にある。体のどこにも痛みがない、などという状態なぞ、旅を始めてから一日たりともなかったのではないかとさえ思われる。

しかし何より大きな痛苦を齎したのが、旅のさなかに訪れる先々で、民から成せもせぬ戯言を吹聴し人心を惑わす者と、軽侮され、嘲弄され、そして排除されたこと。街に到達するなり、旅の準備を整え次第すぐにも出立しようと、休息も不十分のまま予定を早めたことも一度や二度ではない。己が使命と現実との乖離の中で、幾年も命を賭し戦い続けてきた。

それは過ちであったのか。

……解らない。それは考えてはならぬことであったから。疑念はいかに些細なことであれど、やがては昏迷の闇を生む。そしてそれは己の剣技に如実に現れる。惑いを有しながら揮う剣が、敵を過たず撃つことなどできやしない。だから戦う意義などは、考えてはならなかった。それに向かわんとする思考ごと、滅さねばならなかった。機械の如く、魔物を屠り殺める、それ以外に生きる術は無かった。預言師が述べたように、古文書が記したように、そして亡き父が定めたように、剣先を常に魔物に向け生きる他に、自らの生は無かった。

 かくして守り抜かんと尽力した人、世界も、しかし今、魔の手に屈することは必定。今、魔の創造主を前に絶望と痛苦だけが、己をこの世に繋ぎ止めている。これだけが、生き続けている証。この上なく意味のない生。

再び訪れた現実では、炎が飛び交う。充満する煙は、体の機能を麻痺させる。もう、長くはない。死とはこうして訪れるものなのか。アダリアの胸中には悲しみより、苦しみより、恥辱が勝った。かつて訪れた街々で出会った人々の嘲弄する顔。あの民は嗤うであろうか。否、魔に抗った人間が居たことなぞ、想起さえされまい。たとい想起したところで、虚言師一人世界の果てに堕ちたとて、誰が悲しみ悼もうか。己が露命消えたとて旭日は昇り、そして落ちる。かつて数え切れぬ程に繰り返された通りの日々が、寸分違わず繰り返されるのだ。

嗚呼、己の全てを賭した戦いの日々は無意味であった。

アダリアは恥辱に身の内が燃え出すのを感じた。しかしそんな中でも、ひとえに口惜しいのが、仲間の命である。ファナン、リスティン、ディノルタ、そしてルスカ。彼等を殺してしまうことだけは、いかにしても諦め切れなかった。彼等はどれだけ己を支え、救ってくれたであろう。彼等無くして、この場に来ることは能わなかった。旅無くして己の居場所が無かったことに鑑みるに、彼等の存在こそが己の生の依代であった。全てであった。

彼らは今、どうしているのであろうか。近くに居る筈だのに、気配は、無い。既にあの世に旅立ってしまったのかもしれぬと思えば、身は否応なしに震えた。それはアダリアにとって死よりも耐え難い恐怖であり、絶望であった。

しかし己も又指一本、最早自己の意識で動かせない。救いたい気持ちはそれこそ溢れる程にあれど、体はどうしたって微動だにしない。視界すらも血と汗に霞み、闇中を切り走る炎の紅が熱風と共に僅かな光を与えるのみ。今や死刑囚の如く、最後の一振りを待つのみ。

 アダリアは奇蹟を願った。神でも悪魔でも構わない。どうか、仲間を救ってくれ、と。

 いかなる時も弱者に添い続けた、真の奉仕者であるファナンを、その真直ぐな明朗さで人々を惹き付けた、真の高貴なる姫君リスティンを、民からいかに迫害されても揺るがぬ正義の哲学を掲げた、真の英雄ディノルタを、救ってくれ。そして何より、魔の王としてそれに相応しき剣技と魔術を兼ね備えながら、アダリアに与した三界に敵無しのルスカ、彼ばかりは……。

 アダリアは見えぬ眼をカッと見開いた。

 その時である。アダリアの視界に確かに、炎を裂くようにして銀色の姿が過った。それは優美なる舞。人々を歓喜に導く芸術。アダリアは死に瀕しながら胸中を踊らせた。剣士は長い滝の如き髪を後方に靡かせ、白銀の氷の中に紅蓮の炎を纏わせた剣でもって、暗黒の敵に斬り掛かったのである。

 その剣に迷いは無かった。それこそが、アダリアを心底歓喜させた。結果、敵を屠ることとなるのか、再び(嗚呼、何度目であろうか)更なる攻撃を受けることとなるのか、そんなことを思ったのでは無い。唯、魔を滅する剣に迷いが無かった、それだけがアダリアの胸を貫く程の歓喜を与えたのである。

 だから、敵は滅した。アダリアは英雄であった。敵の死を実際に世界中の誰よりも先んじて確信した点において、英雄であった。


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