「ブムレ発ニダウ行、最終馬車」<エンドリア物語外伝36>
「今日のオレ達はついている!」
オレとムーは、喜びのハイタッチをした。
魔法協会から呼び出し状が来て、オレとムーは早朝に魔法協会本部に行った。モジャによる瞬間移動であっという間に到着。
呼び出された理由は、先日、旅先で雨宿りをした小さな横穴でムーが魔法生物の製作をした件だった。長時間の尋問を覚悟したのに、魔法生物が人里まで行かなかったこと、1日で消滅したこと、の2点から、災害対策室長ガレス・スモールウッドの説教2時間と始末書3枚で済んだ。
帰りはオレ達が住むエンドリア王国の隣国ダイメンに魔法汚染が起こった可能性があるとかで調査員や白魔術師など18人の魔術師を運ぶために大型の高速飛竜が3匹飛ぶことになった。そこに同乗させてもらった。
到着したのはダイメンの王都ブムレの飛竜発着場。ブレムからはオレ達が住むエンドリア王国王都ニダウまでの直行便の乗り合い馬車がある。急げば最終便に間に合うと必死で馬車乗り場に駆けていった。
そして、いまオレ達の目の前にはブムレ発ニダウ行きの最終馬車が止まっている。
「わかっているな」
「わかってるしゅ」
オレとムーは着ていたコートのフードを深くかぶり、うつむいて馬車に乗った。
御者にオレ達だと気づかれたら、馬車から放り出される。
オレ達はとがめられることなく、一番奥の席に隠れるように座った。
夜には桃海亭に帰れる。
馬車が動き始めた。ゆらゆらとした振動が身体に伝わり眠気を誘う。
「ふわぁ~」
フードの下でムーが小さくあくびをした。
オレもつられてあくびをしそうになったとき、最前列に座っていた男が立ち上がったのが見えた。黒いローブを着ている。
「これより、この馬車はルシファに向かう」
右手に持っているのは攻撃用ロッド。宝石をはめ込む部分が羽を巻いたような変わった形をしているロッドだ。特注品のオリジナルロッドの可能性が高い。
そうなら、かなりの金持ちだ。
乗客たちがざわめきながら顔を見合わせている。
慌ててうつむいた。
ニダウ行きだ。
オレの顔を知っている乗客がいる可能性もある。
「ルシファって、どこだ?」
のんびりした声で前の方の乗客が聞いた。
「知らないのか?」
ローブの男が驚いた。
「知らない。おい、誰か知っているか?」
後ろに向かって声をかけた。
「知らんなあ」
「聞いたこともないわ」
「エンドリアにあった?」
「ないと、思う」
「わしは80年エンドリアにいるが聞いたことないぞ」
ドンと音がした。
ローブの男がロッドで馬車の壁を殴っていた。
「今はゲロンと呼ばれている」
「ゲロン…そりゃ、ダイメンだろうが」
「そうだそうだ、って、ゲロンって、どこだ?」
「ええとね、ここからだと、右の方角かしら」
「違うわよ、左。左の方のある盆地よ。デカデカイチゴの生産地よ」
「デカデカイチゴか。ありゃ、うまいな」
「冷やしたほうがうまいよな、でも、地下の共同保冷庫まで遠いんだよ」
「この間、行ったらよ、赤の壁が壊れていたぞ」
「あ、そりゃ、ウィルだ。桃海亭が壊したらしい」
「また、桃海亭なの。いい加減にして欲しいわ」
ドン。
男がロッドで壁を殴った音だ。
「黙れ」
「なぜだ?」
不思議そうに聞かれて、ローブの男も言葉に詰まった。
御者の席から陽気な声が聞こえた。
「それはですね、皆さんに事情を説明するためです。これから、皆さんをルシファにお連れてします。その際の注意事項などを今から彼が話しますから、よく聞いておいてください」
御者が偽物に入れ替わっていたらしい。
どうりで、オレとムーがすんなり乗れたわけだ。
「現在、ルシファでは我々の仲間が魔法による実験を行っている。この実験には人間が必要だ」
「あんた達の実験だろ。自分たちでやればいいだろう」
「そうだそうだ」
「黙れ!」
「早く帰らないとシュデルちゃんに約束したイチゴの鮮度が落ちるのよ」
「シュデルって、まさか、桃海亭のシュデルか?」
「そうよ。うちの豆をよく買ってくれるから、お礼に今度ダイメンに行ったらダイメン特産のデカデカイチゴを買っていってあげる、って、約束したのよ。これ、痛みやすいのよね」
「シュデルならしかたないな」
「ああ、しかたない。ウィルとムーなら、ここでオレ達がいただくことにするけれどな」
「あたしだって、ウィルとムーになんて買わないわよ」
フードの下でムーが頬を膨らませている。
「黙れ!」
「黙るから、急いでニダウに行ってくれる?」
「お前ら、オレが怖くないのか!」
黒のローブの魔術師の顔が怒りで赤くなっている。
「怖がれと言われてもなあ、ロッドを持っているだけだろ」
「使わないところみると、うまく使えないんじゃないか?」
「いや、壁を殴っている。殴るが正しい使い方なのかもしれない」
ロッドを乗客に向けた。
「やめろ」
御者の男が冷たい声で言った。
「代われ」
渋々といった様子で、黒いローブの男と御者が入れ替わった。
「いきなりで混乱していることと思います。このまま、ルシファに向かいます。そこで降りていただきます。男性の方は実験に参加していただき、女性の方は少々血をいただきたいと思っています」
「拒否権はあるのか?」
「ありません」
「そうか、じゃあ、仕方ないな」
「仕方ないわね」
「まったく、ウィルの不幸を呼ぶ能力が移っちまったかなあ」
「イヤなこと言うなよ」
乗客はオレ達を入れて16人。
男は12人。若いのはオレとムーだけで、中年から壮年の9人、老人が1人。残り4人は4、50代の女性だ。
全員、きわめて落ち着いている。
「皆さん、怖くはないのですか?」
さすがに御者の男も不審に思ったらしい。
「怖いに決まっているだろ」
「なんで、そんなこと聞くんだよ」
「前に他の場所で何回か同じようなことしています。どこでも、形は違いますが乗客の皆さんの多くがパニックに陥りました。このように乗客全員が冷静な反応をされたのは初めてです。参考までになぜ、パニックにならないのかを教えていただけますか?」
乗客たちが顔を見合わせた。
そして、一斉に言った。
「ニダウにいるから」
「ニダウの住人だぜ」
「ニダウを知らないのか?」
「ニダウに住んでいれば、これくらいでビビるかよ」
形は違えども、共通した単語は『ニダウ』。
「ニダウに住んでいると怖くなくなるのですか?」
「知らないの!桃海亭があるのよ!」
「いつものように店を開いていたら、いきなり豚顔のドラゴンが特大の火の玉を飛ばしてくるんだぜ」
「丸焼けになった銀行の話を知らないのか?あそこにオレの従兄弟が勤めいたんだ」
「セイヤーズ銀行か?」
「ゴールデンドラゴンが人に化けて、街をうろついているとは思うか?誰も思わないよな?」
「オレが怖かったのは、氷の槍が空を覆ったときだな。2時間くらい停止してからな。あれが落ちてきたらと思うと、気がきじゃなかったよ」
「それもこれも、みんな桃海亭のせいよ」
乗客の迫力に驚くことなく、御者は笑顔で言った。
「それならば、ニダウから引っ越されればいいのではないですか?」
「エンドリアは良い国なの」
「気候は温暖だ。税金は安い。なにより、王様が優しい」
「そうだ。人が良すぎるが、オレ達国民のことを心配してくれるいい王様なんだ」
「ニダウは治安もいい、活況もある、商売もしやすい。住むのには最高のところだ」
「見ろよ。ここはダイメンだから道がでこぼこしている。でも、エンドリアに入ると平らに整備されているんだ。集めた少ない税金をオレ達の為に使うんだぜ。いい王様だろ」
「整備された道を作っても他の国みたいに通行税も取らない。他の国の人もどうぞ使ってくださいという姿勢がいいだろ」
「そうよ、馬車も馬も人も……あ、ティパスは通行禁止になったわ」
「やっぱりな。堂々と走っていたからな」
「オレ達は危険がないとわかっているけど、他国の人からすれば獰猛そうな巨大モンスターだからな」
「ティパスというのは、桃海亭のムー・ペトリが使役する異次元モンスターのことね。すごく大きくて狼に似ているかな。ムーとウィルが乗って移動するのに使っていたの」
わざわざ、御者に説明している。
馬車が左に曲がった。
ニダウから遠ざかる。
「あと10分ほどでルシファに着きますので準備をお願いします」
「何をすればいいんだ?」
「荷物は持っていったほうがいいかしら」
「全部、置いていってください」
御者が笑顔で答えた。
「あら、デカデカイチゴ、だめになっちゃうわね」
「ボクしゃん、もらうしゅ」
我慢は限界だったらしい。
ムーがトテトテと歩いていくと、女性の膝に置かれたイチゴをパクリと食べた。
乗客がシーンとした。
男性の乗客がひとり、ギギギという錆びたネジのようにぎこちない動きで首を回してオレを見た。
両手で口を押さえた。
悲鳴を封じたらしい。
「どうかされましたか?」
乗客の雰囲気が変わったのがわかったらしい。
「ううん、違うの。子供がいて良かったわ。ほら、いっぱいお食べ」
ムーに箱ごと渡した。
「美味しいしゅ」
床に座り込んで、パクパク食べている。
さっきまでの楽天的な雰囲気から、絶望の雰囲気への変化。御者の男も感じてはいるらしいが、原因がわからないで困惑している。
「…遺書を書いたら届けてくれるか」
オレを見た男が言った。
「残念ですが、届けることはできません」
「そうか、そうだよな」
諦めた様子でうつむいた。
ムーにイチゴを渡した女性がうつろな目で言った。
「血を抜かれたら死ぬのかしら」
「はい」
「天国の門って、白色なのかしら」
「私は見たことがありません。それに私が行くのは地獄ですから」
「そうなの」
力を抜いて座席にもたれた。
「皆さん、いきなり、どうされたのですか?」
御者の男が聞いたが誰も返事をしない。
すべてを諦めたような表情で座席のもたれている。
御者の席にいた黒いローブの男が言った。
「ホークスピー様、連絡用の馬がきます」
「何かあったのか」
馬車を止めた。
近づいてきた馬に乗っていた男が、ホークスピーを見つけて近寄った。
「ホークスピー様、魔法協会の連中がきました」
「来たか。それで首尾は?」
「全員捕まえました。実験体として使用可能だと思われます」
「何人いる?」
「18人います」
「こちらには男が12人いる。子供がひとりいるがなんとかなるだろう」
「それでは準備に入ります」
「我々も急ぐ。頼んだぞ」
「はい」
「女の血抜きの準備も忘れないように」
「わかりました」
やってきた男は馬を返して、また来た道を戻っていった。
黒のローブの男がうれしそうに言った。
「魔法協会のおかげで実験ができますね。ホークスピー様」
「ああ、これで完成だ」
「長かったですね」
「今夜には発動できる」
イチゴを全部食べたムーが、トテトテとオレの元に戻ってきた。
「はぁしゅ」
「我慢だ、我慢」
オレとムーの会話が馬車に乗っている全員に聞こえているが、意味がわからないからだろう。誰も反応しない。
魔術協会の18人。
オレ達と一緒に大型飛竜に乗ってきた人たちだろう。飛竜発着場には大型の馬車が用意されていた。あれに乗ってすぐに向かったとすれば、時間はあう。
魔法汚染の可能性という話だけで詳しい内容は聞いていない。
いま動くと、事態を大きくするおそれがある。
馬車が動き出した。
「次に馬車が止まりましたら、全員降りていただきます。地面が白く塗られていますので、そこには入らず、右側に移動してください。人がいますから、わかります。よろしいですね」
「はいしゅ」
返事をしたのはムーだけだった。
「元気な子供さんですね。頼みましたよ」
オレに笑顔を向ける。
「それから、その子供のポシェットは外していただけますか?」
「すみません。この子供にとって大切なものなんでです。あと少しの命なら、ギリギリの時間まで持たせてやってください」
できるだけ哀れっぽく言った。
「しかたありませんね。あなたから言い聞かせておいてください」
「わかりました。ムー……無理だから、最後には外すように」
「わかったしゅ」
笑顔なのはムーとホークスピーだけだ。乗客は今頃、ムーのポシェットの中身を想像して恐怖していることだろう。
馬車が細道に入った。
ガタガタと大きく揺れながら、森に入っていく。4、5分ほどしたところで開けた場所にでた。
最近、作った場所らしく、葉がついたまま切られた木や、掘り起こされた切り株が森に積みあがっている。
馬車が止まった。
「降りてください」
「オレから降ります」
ムーの手を引いて、一緒にゆっくりと降りた。
右手に18人の魔法協会の人が縛られて転がされていた。
「やるしゅ」
「わかった」
オレは荷台の手すりをつかむと、ジャンプして御者台に飛び乗った。
「何を!」
黒いローブの男を蹴飛ばして、地面に落とすと手綱を取った。馬の首を返して来た道を走り始めた。
「追え!」
ムーの魔法が上空からファイアボールを、追っ手と馬車を遮るよう降らせ始めた。オレ達の側にも落ちてきたが、数は少ない。頑張って調節しているようだ。
「誰か、変わってくれ!」
後ろに声をかけると、すぐに壮年の男性が御者台に飛び乗ってきた。
「オレ達があいつらをくい止める。先に逃げてくれ」
「わかった」
手綱を渡して、御者台から草むらに飛び降りた。回転して勢いを殺す。
道の入り口に火の玉が降り注いでいるせいか追っ手は来ない。
森に入り、ムーのいる広場に向かって走った。
ニダウの住人は逃がした。
追っ手はかかっていない。
あとは捕まっている魔法協会の魔術師を逃がせば終わりだ。
茂みを走りながら、想像した。
逃がしたニダウの住人が『桃海亭のウィルに助けられた』と、ふれ回る。
その結果、オレの悪評が大幅にさがる。
いつも叱られているエンドリア国王からも誉められるかもしれない。城の晩餐に招待されるかもしれない。テーブルには大きな肉の塊が置かれていて。
顔の筋肉をゆるませて、気持ちよく茂みを走っていると木の陰から飛び出してきた奴にぶつかりそうになった。
「危ないだろ!」と、怒鳴ると「すみません」と謝ってきた。
その後「ああっーー!」とオレを指さした。
「人を指さすのは失礼なんだぞ」
「うるさい!馬車はどうした」
黒いローブの魔術師だった。
「じゃあ、元気でな」
オレが駆け出すと「待てー!」と追いかけてきた。
待つ理由がない。
すぐ横にある道を走れば楽だが、時々、方向制御をミスした火の玉が落ちてくる。しかたなく茂みを走っていると、後ろの方から音が聞こえた。
ニダウの方から馬車が猛スピードで走ってきた。
「あれっ?」
オレが逃がした乗り合い馬車が、全速力で戻ってくる。
御者をしてくれている男だけでなく、窓から外を見ている住人も森にいるオレを見つけた。
「バカやろー!」
「お前のせいだ!」
「シュデルくんに言いつけるからね!」
「ウィルのくせに馬車に乗るんじゃねえ!」
罵声をオレに浴びせながらオレの横を通り過ぎ、元の広場に向かって疾走していく。
「どうしてだろ?」
不思議に思いながらも、広場に向かって茂みを駆けだしたオレは、次にやってきたものに驚いた。
フェンリル狼。
体長10メートルほどの巨大な白い狼。
神の子のフェンリル狼ではない。よく似ているがモンスターの方のフェンリル狼だ。北の地に住んでいて、このあたりにはいないはずだ。
背中に誰かつかまっている。
「行け、行くんだ!」
フェンリル狼はあまり乗り気ではなさそうで、だるそうに馬車を追いかけていった。
フェンリル狼に追いかけられて、乗り合い馬車は戻ってきたらしい。
オレも茂みを急いで走り始めた。黒いローブの男はオレを追っているようで、後ろから茂みをかき分けるような音が聞こえる。
あと少しでオレ達が連れて行かれた広場だというところで、前から数人の魔術師が茂みに入っているのが見えた。
「どうかしましたか?」
オレが声をかけると、困ったような顔をした。
「子供が逃げてしまったんだ」
「それは大変ですね。探すのを手伝いましょうか?」
「頼む」
そこで、オレが誰なのか気がついたようだ。
「なんで、いるんだ?」
「もちろん、子供を迎えに来たんですが」
「こいつを捕まえろ!」
一斉に集まってきてオレの周囲を取り巻いた。警戒するようにジリジリと輪を狭めてくる。
「オレから提案があります」
大声で言った。が、無視された。
気にせず、続けて言った。
「小さな子供をこの茂みから探すのは大変だと思います。そこの黒いローブの魔術師を子供の代わりに実験体にすれば、数が揃うと思います」
「えっ!」
黒いローブの魔術師が狼狽した。
「もちろん、オレも一緒に行きます。実験を急いでやるには最善の方法だと思います」
疑っている。
だが、オレを攻撃しようとする動きはなくなった。
実験体になるという申し出をする人間がいるはずがないという気持ちと、実験を急ぎたいという気持ちがせめぎあっているようだ。
「暴れないな?」
「暴れたくても暴れられません。オレ、運動神経は良いけど、喧嘩は弱いんです」
「そうやって我々を油断させる気だな」
「ほら、この手を見てください。人を殴ったりしていたら、こんなきれいな手はしていません」
両手を開いて、前後を見せる。
「たしかに、殴っているようには見えないな」
「一緒に行きます」
オレは広場の方に向かって歩き始めた。囲んでいた輪の一角が崩れ、オレを通してくれる。
オレが先頭に立つ形で広場に戻った。
「オレを実験体にしませんよね?」
黒のローブを着た魔術師が必死な形相で他の魔術師に聞いていた。皆一様に「しない」と答えていたが、やりそうな雰囲気が漂っている。黒のローブの魔術師も感じ取っているようで、ビクビクしながらついてきた。
広場にはニダウ住人の乗った馬車があった。住人は既に馬車から降ろされて、一列に並んでいた。
「子供はどうした?」
ホークスピーがムーを追っていた魔術師のひとりに聞いた。
「逃げられました」
わずかに眉をひそめたが、それだけだった。
「男は魔法協会本部の連中と一緒に湖で身体を洗わせろ」
「はい」
「女は奥の実験室に移動させろ」
「わかりました」
命令された魔術師がニダウの住人を動かそうとしたとき、少し離れたところにいた魔術師が進み出た。
「殺すなら、その前にそいつを殴らせろ」
「時間がない。今回は…」
「誰がフェンリル狼でそいつらをここに戻したと思っているんだ」
強い口調でホークスピーの反論を封じた。
そして、オレの前に立った。
水色のローブを着ている。
「久しぶりだな。ウィル・バーカー」
見覚えがない。
「まさか、覚えていないとは言わないだろうな?」
水色のローブは召喚魔術師の色。
召喚魔術師が関わった事件と言えばひとつしかない。
「黒ミミズ事件の被害者の方ですよね。あの時はご迷惑をかけました」
オレはペコリと謝った。
ムーが呼んだ異次元召喚獣のせいで、召喚魔術師が大量に巨大ミミズにくっついた事件だ。
「違う!」
「えっ、違うんですか?」
「私の顔をよく見ろ!」
やはり、覚えがない。
「かつての私の名は『蒼き波濤のブランシェット』だ」
聞いたような気がする。
波濤……海…。
「あ、思い出した。卵事件の時に船に乗り込んできた海賊だ」
「ようやく、思い出したか」
「名前だけですけど」
「顔は覚えていないのか?」
「たしか、銀のバラの刺繍の服を着ていて、ララが『趣味が悪い』って言ったんだ」
「あの女のことは言うな!」
「ララが戦って、気がついたら逃げていたんだ。あれ?考えてみたら、オレ、関係ないですよね。ブランシェットさんに恨まれるようなことはしていない気が…」
「有名になった」
「はい?」
「オレは海賊として世界に名を響かせるつもりだった。だが、あの事件で他の海賊どもから『暗殺者志望の女に手下をやられて逃げた魔術師』という汚名をきせられ、オレは陸に上がった。いつか復讐してやろうと機会をうかがっている間に【ウィル&ムー】は世界的に有名になった。羨ましい。羨ましくて、悔しくて、眠れなくなった」
「あの、オレが有名になった理由を知っていますか?」
「『不幸を呼ぶ力』だろ」
「それでも羨ましいんですか?」
「羨ましい。羨ましかったから、この奇妙な計画に手を貸すことにした。うまくいけば、有名になれる」
「今の話だと『暗殺者志望の女に手下をやられて逃げた魔術師』というのは汚名ではなく事実で、恨むならララを恨んで、復讐もララにすればいいのではないでしょうか?」
「バカをいうな!ララ・ファーンズワースは今売り出し中の凄腕暗殺者だぞ。『恨んでいる』などと言ったら、殺されるだろうが!」
オレ達の長い話に焦れたホークスピーが、近づいてきた。
「話はそれくらいでよかろう」
「よくない。彼は私を忘れていたのだ」
「殺すことで復讐を果たせばよい。それと逃げたフェンリル狼はどうなった?探しに行かなくていいのか?」
厳しい口調で言われ、ブランシェットは不満を顔に浮かべながらも後ろに下がった。
前に召喚したロック鳥も逃げられていた。モンスターの召喚はできても、その後のコントロールは下手なのかもしれない。
「それでは、皆さんはあちらに…」
「ホークスピー様」
仲間の魔術師のひとりが必死の形相で言った。
「こやつ、ウィル・バーカーではないでしょうか?」
「知り合いか?」
「桃海亭の最悪コンビの片割れ、ウィル・バーカーのことです」
ホークスピーの顔色が変わった。
ニダウの住人の女性に飛びつくと、後ろから首に腕を回して拘束した。
「なぜ、黙っていた」
女性に聞いた。
「知ったのは、少し前よ。ウィルが乗っている馬車に乗るはずがないでしょ!」
「そうじゃ、お前が悪い」
80歳くらいの老人がホークスピーを指さした。
「乗り合い馬車の御者はウィルの顔を知っておる。若者が乗るときは必ず顔をチェックして、乗せないようにしている。お前さんがチェックせずに乗せたから、こんなことになったじゃ」
「そうだ、そうだ」
「ウィルは乗り合い馬車禁止なんだぞ。お前が乗せたから、不幸を呼んで、こんなことになったんだろうが!」
「責任をとれ!」
次から次と乗客から罵声が飛ぶ。
「黙れ!」
ホークスピーが怒鳴ったが効果がない。
オレはこのチャンスを逃すまいと、大声で叫んだ。
「だったら、ティパスを認めてくださいよ!」
シーンとした。が、すぐに罵声の嵐になった。
「バカ野郎、あんなのが普通に走っていたら、驚くだろう!」
「ニダウの恥になるから、やめろ!」
「ティパスを呼ぶのに、何回失敗すると思っているかわかっているのか!」
「この間は失敗の異次元モンスターが南門の前に居座って、3日間開かなかったんだぞ」
ここで引いたら、ティパスが使えなくなる。
「それだったら、オレ達が乗り合い馬車に乗るのを認めてくださいよ」
「歩け、歩け」
「足があるでしょ!」
バァンと破裂音がした。
しびれを切らしたらしいホークスピーが地面に魔法弾を撃っていた。
「もういい。男は、身体を洗って…」
「ホークスピー様、逃げた子供がムー・ペトリではないでしょうか?」
おびえた顔で魔術師が言った。
「もし、ムー・ペトリなら、我々の計画そのものが」
「考えるな!」
ホークスピーが怒鳴った。
「あれがムー・ペトリでも片割れのウィル・バーカーがこちらの手の落ちているのだ。下手に動けまい」
ニダウの住人達は微妙な表情した。
たぶん『ムーがそんなことを気にするはずない』と、真実をぶちまけたいのだろうが、言えば自分たちの不利になると我慢しているのだろう。
「男たちは身体を…」
「ちょっと、いいかな」
オレが話しかけると、ホークスピーが切れた。
「いい加減しろ!さっさと身体を洗え!」
「おばちゃん達の血抜きは、急がないとダメなのか?もし、時間的な余裕があるなら……」
「ない!実験に必要だ」
地面が真っ白に塗られている。
さっきから気になっていた。実験をするといっているのに、実験をするような設備が何もない。器具も機械も置かれていない。白い地面の向こう側にテントが張られているが、大きなガラスの容器が置いてあるだけだ。あれが抜いた血をいれるものなら、男たちの実験に使えそうなものが見えない。
もし、この下に何かしらの陣が書かれているならば、それの実験と考えるのが正解かもしれない。
「わかりました。身体を洗いに行きます」
「ちょっと、あたし達を見捨てる気なの!」
首に腕を回されている女性が言った。
「オレは一般人で何もできませんから」
女性はフッと息を出した。
「わかった。私も覚悟を決める」
オレの目をしっかりと見た。
「最高級デカデカイチゴ10箱」
「男性の皆さん、オレについてきてください」
オレは白く塗られた地面に走り込んだ。
「やめろぉーーー!」
絶叫が響いた。
女性を離したホークスピーが、オレを追いかけてくる。
ホークスピーは首に腕を回したが、ナイフなどは突きつけなかった。御者の格好をしているが魔術師だろう。
攻撃に魔法を使えば、すでに書かれている陣を痛めるおそれがある。
捕まって殴らたり、至近距離からの魔法攻撃を受けなければ、白く塗られた場所にいた方が安全だ。
「あ、なんか足がかゆいかなあ」
地面を足でゴシゴシとこすった。
何か線が見える。
「やめろと言っているんだ!」
飛びかかってきたホークスピーを右に飛んで避けた。
ニダウの住人の方々もオレの行動が飲み込めたらしい。
「オレ達も身体を洗いに行くぞ」
男性が一斉に白く塗られた地面に入ってきて、足でゴシゴシこすっている。
「やめさせろ!」
他の魔術師たちもやめさせようと入ってきて混戦になった。
止めようと入ってきた魔術師たちだが戸惑っていた。ニダウの住人は実験体に使わなければならないので、大怪我をさせたくない。後ろから腕を回して拘束しているだけだと、足をシャカシャカ動かして地面を傷つける。
それでも、数人の魔術師がニダウの住人をひとりずつ取り囲んで縄で縛ると動き回る住人は減り始めた。
女性たちは逃げただろうかと、目をやると、先ほどまでの場所にはいなかった。4人とも魔法協会の魔術師たちの縄をほどいている。そばに見張りをしていたらしい敵の魔術師が気絶をして転がっている。
縛られていた縄と猿ぐつわを外された魔法協会の魔術師が大声で怒鳴った。
「そこのあるのは、土壌汚染の魔法陣だ。おそらく、別に4カ所あって、連動して広範囲な土壌汚染を……」
「ばっかやろーーー!」
怒鳴り声が響いた。
ニダウの住人のひとりが、真っ赤な顔で怒っている。
「そうだ、黙っていろ!」
縛られて、転がされている男性も、文句を言った。
「もう一度縛られたい?」
目をつり上げたニダウの女性ににらまれている。
「わ、私は、その魔法陣の…」
「黙れといっているんだ。オレ達を殺す気か!」
怒鳴られた魔法協会の魔術師が、呆然としている。
ホークスピーの一派の魔術師も訳が分からないという顔をしている。
最初の男性が怒鳴ってなければ、オレが怒鳴っていた。
だが、もう遅い。
そのことをオレもニダウの住人達もわかっていた。
沈痛な面もちで、その時を待った。
そして、その時はすぐに訪れた。
茂みがゴソゴソ動き、そいつは現れた。
「面白そうな魔法陣でしゅ。ボクしゃんが手伝ってあげるしゅ」
「ムー・ペトリ…」
ホークスピーが目を見開いている。
正体を知る前は『元気な子供』だったようだが、今では計画を邪魔する最終ボスキャラだろう。
「全員、白いところからでるしゅ」
「うわぁーーー!」
早い、ニダウの住人は塗られた地面から外に駆けだした。縛られた住人を手分けして外に運び出していく。
オレも急いで、塗られた地面からでた。ついでに、魔法協会の魔術師の方に向かった。
オレ達の様子にホークスピーもホークスピーの仲間の魔術師も慌てて、地面の外にでた。
ムーを捕まえるとか、やめさせるとか、考えつかないらしい。
「やるしゅ」
ムーの印の結んだ指をつきだした。
白い粉が舞い上がった。
浮いた粉は細い雲のように一列になり飛んでいき、見えなくなる。
「ありしゅ」
魔力の調整を間違えたらしい。
塗料がなくなった地面には、黒い線が書かれていた。書くと言うより線を地面に刻み込んだといったほうがいいかもしれない。深い溝を掘り、そこに粘度の高い黒い液体を流し込んである。
「ほよほよ、ほよしゅ」
魔法陣をトテトテと歩き回る。
そして、ホークスピー達を見た。
「つまらないしゅ」
何を言われたのかわかなかったらしい。
ホークスピー達は動かなかった。
ムーは反応がないことには気にもとめず、今度は、オレ達が馬車で出会った黒いローブを着た魔術師のところに行った。
「よこすしゅ」
「な、何を」
「杖しゅ」
震える手で特注品のオリジナルロッドを渡した。
それを持って、トテトテと魔法陣のところに戻った。
ロッドのとがった方を地面に刺す。
「ほよほよ~」
線を引き始めた。
オレはホークスピーに怒鳴った。
「とめるんだ!」
ムーに向かって足を踏み出したホークスピーだが、そこで動きをとめた。
「なぜ、自分でとめない」
「怖いからに決まっているだろ」
オレの答えはお気に召さなかったらしい。
「ムー・ペトリはコンビの片割れだろう?」
「違うわよ!」
オレの代わりにニダウの女性のひとりが怒鳴った。
「桃海亭は2人組じゃないわ。3人組よ、トリオよ」
「そうよ、シュデルくんを忘れたら可哀想よ」
「留守番が多いけど、それでも桃海亭のメンバーよ」
ニダウの女性たちが口々に怒鳴った。
「言い直そう。君の仲間だろ?」
「そんなことをオレに聞く時間があったら、とめたほうがよくないか?ムーの奴、魔法陣の改造しているぞ」
振り向いたホークスピーは「ほよほよ~」と言いながらムーが書いているのを見て、慌てて止めに駆けていった。
「やめろ!」
「近づくと発動するしゅ」
「なにを…わぁ!」
地面の一角が隆起した。
魔法陣の外、テントのあたりだ。
そのあたりには線は書かれていない。なぜ、隆起したのか、想像もできない。ホークスピー『動くと発動するしゅ』と言われて、不安そうな顔で動きを停止している。
「ほよっ、調子いいしゅ~」
絶好調らしく、気持ちよさそうに線を引いている。
オレはニダウの住人と魔法協会の人が集まっている場所に行った。
「オレ達が乗ってきた馬車があります。帰りませんか?」
「彼をあのままにしておいていいのか?」
魔法協会の人がオレに聞いた。
「いいんだよ」
「そっとしておくんだ」
「あんたら、魔法協会の人なら、ムー・ペトリの噂は聞いているんだろ」
「実物は、あんなものじゃないから」
オレが返事をする前に、ニダウの人たちが答えてくれた。
せっぱ詰まった感じが伝わったらしい。
魔法協会の人も馬車に向かって移動を始めた。歩きながらもチラチラと魔法陣を見ている。土壌汚染が気になっているようだ。
「逃がすか!」
ホークスピーの仲間の若い魔術師が、オレ達の行く手に立ちはだかった。
その前にすっくと立ったのは、ニダウの住人の壮年の男性。馬車の手綱を引き受けてくれた人だ。
「あんたたちも逃げるんだ。ムー・ペトリの魔法陣に巻き込まれるぞ」
オレとは違い、態度と声に迫力があった。
「ようやく完成したんだ。いまさら…」
「ここの魔法陣は諦めるんだ。ムー・ペトリが上に図を書いている。もう、別物だ。どうしても、魔法陣を使いたければ別のところに書くんだ」
親身な態度で説得に当たっている。
私は味方だ。
あなたの心の友だ。
という、感じだ。
「場所がここでなければ、他の4本の魔法陣が発動しない」
「他にも魔法陣があるのか?」
「すでに準備はできているんだ。合図の閃光弾をあげれば、一斉に呪文の詠唱に入る」
「せっかく準備したのに、残念だな」
「諦められない。もう一度、場所を確保して、魔法陣を書いて、実験体を集めるのは大変すぎる」
「そりゃ、大変だ。二度とやりたくないよな。他のところにも実験体を30人も用意したのか?」
魔術師がうなずいた。
「1カ所につき、30人。計120人。今日まで健康管理には細心の注意を払って病気も怪我もさせず、慣れない食事の支度も栄養バランスまで考えて作ったのに『まずい』と文句を言われて」
「よく頑張ったな。偉いぞ。うん、偉いぞ」
「今日、ここで終わりにしたい」
「わかった。オレがいい方法を伝授してやる」
ムーを指でビシッと指した。
「あのチビの魔術師をタックルしてとめるんだ。今なら間に合うかもしれない」
壮年の男性は『頑張れ!』という目で、若い魔術師を応援した。
「やってみる」
若い魔術師は走っていって、魔法陣の中に一歩入った。
吹っ飛んだ。
50メートほど宙を飛んで、森の木に背中から激突した。気絶している。
「やっぱ、とめられないか」
壮年の男が腕を組んで、残念そうに言った。
「無駄なことしていないで、早く逃げようぜ」
他の二ダウの男性が、くいっと指で壮年の男を呼んだ。
「あの土壌汚染が……」
魔法協会の魔術師は、まだ諦められないらしい。
「そんなにいうなら、あそこに入ったら?」
二ダウの女性に言われたが、帰る決心も、なんとかしようとする決心もつかないらしい。
そこにムーがトテトテと歩いて来た。
「終わったしゅ。帰るしゅ」
「土壌汚染が…」
「もう、大丈夫しゅ」
そう言うと馬車に向かって歩き出した。
「オレはやるぞ」
ホークスピーの仲間のひとりが魔法陣の中に入った。
何も起こらなかった。
それを見た他の仲間とホークスピー本人も、ムーが上書きした線を足で消し始めた。
「消えない!」
「なぜだ!」
「どうなっているんだ!」
騒ぎを尻目に、オレ達は全員、定員オーバーの乗り合い馬車で二ダウに向かった。
途中、ダイメンの方角に5本の巨大な柱が立つのが見えたが、誰も何も言わなかった。
馬車が街道に出ると、道にフェンリル狼が寝そべっていた。
オレとムーは問答無用で馬車から放り出された。
馬車は二ダウに向かって全速力で走り去り、オレとムーは、起きあがったフェンリル狼と対峙した。
「しかたないよな」
「しかたないしゅ」
「緊急事態だよな」
「緊急事態しゅ」
ムーがティパスを召喚した。
「召喚状には用件を書いていないが、理由はわかっていると思う」
翌朝、オレとムーは魔法協会本部に呼び出された。緊急ということで、高速飛竜のお迎えが二ダウまでやってきた。
「弁解があるなら、今言って欲しい」
場所はいつもの第四会議室、通称【叱られ部屋】で、災害対策室長のスモールウッドさんが、笑顔でオレとムーに聞いた。
口角があがっているが、頬は痙攣している。
「昨日のことでしたら、不可抗力です」
「そうしゅ」
「わかった」
スモールウッドさんが指をピンと弾いた。
部屋に数人の屈強な魔術師が入ってきた。ムーの腕を左右から捕まえた。
「ほよ、しゅ」
「連れて行け」
ズルズルと部屋から引きずり出された。
「あの、ムーは」
「昨日書いた魔法陣をもう一度書かせ、それをムーに説明させる。解析するより早い」
「いい考えですね。じゃあ、オレはこれで」
引き出しから出した書類を、どさっと机の上に置いた。
「報告書と始末書を忘れないように。まあ、急げば明日の朝には終わる」
「エンドリア王宮からも呼び出しを受けているんですよ。魔法協会の迎えが先に着いたんで、ここに来たんですけど」
「そちらにはもう少し待ってくれるよう、連絡しておく」
終わらないと返してはくれそうもない。
「ペン、ありますか」
ペンとインク瓶を出された。
慣れている始末書から書き始める。
「ウィル、情報を交換しないか?」
「情報ですか?」
「あの柱が何かを至急知りたい。その代わりに私がわかっていることは教えよう」
「オレよりムーに聞くべきです。オレの知っていることはムーからの伝聞で、おまけに素人だから間違って解釈している可能性があります」
「ムーにはいま聞いているはずだ。だが、私たちはムーの扱いに慣れていない。いま、知っていることだけでいい。教えてくれないか?」
「温室らしいです」
「温室?」
「スモールウッドさんは、デカデカイチゴという果物を知っていますか?」
「ひとつが10センチほどもある大きなイチゴの名前だったと記憶しているが」
「あの辺りはデカデカイチゴの産地らしいんです。デカデカイチゴの原産地はもう少し南の方で、気温を25度以上、湿度を70パーセントくらいに保った状態だと一年中実をつけるそうなんです」
「まさか、だが」
「あの5本の柱に囲まれた空間は、常時気温27度湿度70パーセントに保たれるそうです。隣国でデカデカイチゴがいっぱいとれれば、安くなって、いっぱい食べられると喜んでいました」
「そんなことができるのか……いや、暫定結界の理論を応用すれば……しかし……温度維持の為のエネルギーを考えると…」
「あの、オレからも聞いていいですか?」
「もちろんだ。ただ、いま聞いた情報を魔法陣と結界の研究者にあげなければならない。聞きたいことは手短に頼む」
「120人捕まっていたと聞いています。大丈夫でしたか?」
スモールウッドが微笑んだ。
「君らしい質問だ。君が聞きたいだろうことをまとめて答えよう」
オレはうなずいた。
「120人の誘拐は慎重に行われたが、ダイメンと魔法協会は既に状況を把握していた。5カ所の魔法陣の位置も120人が監禁されている場所もつきとめていた。ただ、今回の首謀者アルドー・ホークスピーの居場所だけがわからなかった為、泳がせていたわけだ。もちろん、120人に危害が加えられないように監視も怠っていなかったから、安心してくれたまえ」
スモールウッドさんがお茶を一口飲んで、喉を潤した。
「ゲロンの土壌汚染の連絡は、手違いで災害担当の私のところにはこなかった。緊急派遣だったため戦闘員がついて行かず、全員捕まるという不測の事態が発生したが、ゲロンの魔法陣には監視がついていた為、我々のところに緊急連絡がきた。ムー・ペトリが魔法陣を発動させてから、1時間ほどで捕縛部隊が到着。首謀者のアルドー・ホークスピーをはじめ、あの場所にいた組織の人間を逮捕した。同時に他の4カ所も強襲。人質120人の解放と関係者の逮捕を行った」
スモールウッドが椅子の背にもたれた。
「彼らが行おうとしていた実験については、魔法陣がすでに地面に書かれていたため解析が終了している。5カ所の魔法陣に柱を立て、空間を区切る。この柱を建てるエネルギーに使われるのが30人の男性だ。難しくはないがマイナーな理論で可能にしたらしい。鍵となる柱、今回は君たちが行ったゲロンの柱だが、ここの魔法陣に結界内で増殖するものを組み込む。今回使われる予定だったのが、女性たちの血液、何種類かの栄養素を含んだ水、それと接触感染する好気性の細菌だ。柱を建てる時にばらまくことによって、空間が血液を含んだ液体培地になり、細菌が繁殖する。細菌が十分増殖したあとに、閉鎖した空間を解放して、周囲一体に細菌を含んだ血液を溢れさせるという計画だった」
細菌に汚染された血だらけの土地。
オレが眉をひそめたのに気がついたらしい。
「だが、実行しても何もばらまかれなかったらしい。どうも、魔法陣の計算式が間違っているらしい」
「間違っていたんですか?」
「柱が建って、それで終わりだ。空間も切れない。評価は斬新な魔法陣ではなく、失敗作だな。まあ、150人も犠牲にすれば話題になるかもしれないな」
スモールウッドさんが立ち上がった。
「温室であることを伝えてくる。その間に報告書と始末書を書いておくように」
そう言うと、扉に向かった。
「大変です!」
飛び込んできたのは、まだ、若い魔術師。
なぜか、浮遊魔法で浮いている。
「ムー・ペトリが逃げました」
「なに!」
「グーセンス教授がムー・ペトリを尋問…失礼しました。魔法陣について説明を求めるために部屋に行ったところ、扉が開かなかったそうです。警備員を呼んで力づくで開けたところ、中から大量の白いナメクジがでてきて、テーブルの上に乗っていたムー・ペトリがグーセンス教授に飛びついてきたそうです。慌てて受け止めたそうなのですが、すぐにナメクジがいないほうに降りて、逃げていったそうです」
「白いナメクジ…」
スモールウッドさんがオレをにらんだ。
「破棄していなかったのか?」
「オレが見ているところで全部破棄させました。でも、ムーは自分で作れますから」
スモールウッドさんが浮遊魔法を自分にかけて、浮かび上がった。
「至急、魔法協会にいる全職員及び研究員に伝えろ。白いナメクジには絶対に触れないようにすること。触れると強力な接着剤で変化するので、動けなくなるおそれがあることも一緒に伝えておけ」
スモールウッドさんは浮かんだ状態で、若い魔術師と部屋を出ていった。
オレは急いで扉を閉めた。
昨日、オレ達が呼び出された原因の魔法生物、白ナメりん(命名者ムー)を、ムーがばらまいたらしい。増殖力が非常に高く、1時間もかからずに魔法協会の壁や床を、白いナメクジがはうことになるだろう。触れるとくっついて離れなくなるが、触れなければ問題はない。人間のように体温をもった生物以外には反応しないし、健康を害する成分も含んでいない。放っておけば、24時間後には勝手に消える。
魔法陣を書くのが面倒くさかったムーが、逃げるために急いで作ったのだろう。魔法協会を接着剤だらけにしようとしたのではなく、ポシェットの中の材料で作れたのが白ナメりん、だったというだけだろう。
「始末書、追加されるよな」
いまは目の前の始末書を片づけるのが先だとオレはペンを走らせた。
「まあ、今回は収支が黒字だからいいか」
ムーが線を引くのに使った特注品のオリジナルロッド。ムーがそのまま持って帰ってきた。少ない魔力で炎が吹き出すように作られた特注品だったが、攻撃用ロッドとしては戦闘につかえるようなものでないので中古品の飾り物あつかい。銀貨5枚といった代物だった。
だが、はめ込まれた宝石が金貨10枚をこえる上等な物で、使用された金属も魔法と相性がいいレアメタルだった。宝石は宝石屋に売って、レアメタルはムーが使うことになっている。
魔法道具をばらすことに抵抗するシュデルでさえ『どうぞ』と切り捨てたほどの魔法道具としては粗悪品だった。
トントン。
扉をたたく音が聞こえた。
独特のリズム。
オレが扉を開けるとムーが転がり込んできた。すぐに閉める。
「逃げるなよ」
「逃げるしゅ」
「温室なんだから………違うのか?」
「チビっと、いじったしゅ」
「逃げよう」
「逃げるしゅ」
窓から逃げようとして驚いた。
ガラスにも窓枠にも、ビッシリと白ナメりんがついている。開けたら確実に触れる。
振り返って扉を見たオレに、ムーが首を横に振った。廊下も白ナメりんだらけらしい。
逃亡失敗。オレはさらに高くなった始末書の山を押しつけられ、ムーはどこかに閉じこめられた。
ヨレヨレになったオレ達が桃海亭に帰ったのが3日後、すぐに王宮に呼び出され説教のあと、アレン皇太子とダイメンに謝罪に行った。
ダイメンは誘拐されていた自国民の解放に寄与したこと、結界の内容についての報告をすでに受けていたこと、ダイメンの事件の解決にいままでも何度か手を貸していたこと、などを考慮してくれて、桃海亭の今回の行動は不問に付してくれた。また、隣国であるエンドリア王国とはいつまでも友好でありたいと笑顔で言ってくれた。
それから1ヶ月後、二ダウには新種のデカデカイチゴの実が出回るようになった。前より大きくなり、傷みやすさも改善され、甘みが強くジューシーで評判がいいのだが、問題がひとつある。
「ムーさん、スプーンを使ってくださいと言っているじゃないですか!」
「プップップッ!」
「店長、とめて……何で店長までやるんですか!」
「面倒なんだよ」
ムーの『チビっと、いじった』で、デカデカイチゴの大きさは50センチになった。
当然、種も巨大化。
食べてから、口に残った種を吐き出すしかない。
「食べ方が汚いです」
「ニダウで流行の食い方なんだよ」
「どうして、そういう嘘を言うんですか」
「プップップッ!」
「ムーさん、せめて、音を出さないでください」
「こっちの方が楽しいしゅ」
豆屋のおかみさんが約束どおりにくれた高級デカデカイチゴ。
残り9箱も、美味しくいただく予定だ。
切れたシュデルが、自分のイチゴの種を、スプーンを使って猛烈な勢いで取り始めた。
見る見るうちに、イチゴの表面から種がなくなる。
頭は悪くないのに、なぜ学習しないのだろうと不思議になる。
種をきれいに取り終わったシュデルが、イチゴを食べようとして悲鳴が上げた。
大口を開けたムーが、シュデルのイチゴに、ガッパリと食らいついていた。