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蒼の果てのアルカディア  作者: 深見 鳴
一幕 緋色
4/22

Ep.04 レジスタンス(1)

 



 白。

 その部屋はほとんど白で埋め尽くされていた。壁も、床も、寝台も。その寝台の上には、白い服を着たひとりの女性が静かに横たわっていた。長い睫毛は白い頬に影を落とし、まぶたに隠された瞳の色は見えない。彼女の体からはいくつもの管が伸び、大きな装置に繋がっていた。その装置の液晶画面に表示されているのは、脈拍。かなり弱いが、彼女が確かに生きている証拠だった。死にかけている証拠でもあった。

 不意に彼女の睫毛が震え、ゆっくりとまぶたが開く。その翡翠色の瞳が少しだけ覗く。

 脈拍を表す緑色の線がわずかに乱れた。




 ◇




 目を覚ますと、目の前は白かった。白いというのは少し語弊があるかもしれない。薄汚れて色褪せた白色の天井がそこにあった。

 いつもと違う光景に狼狽え、ヒイロはベッドから飛び起きる。その瞬間に左腹部に鋭い痛みが走り、体を折り曲げて呻いた。

 閉じられていたカーテンがさっと開き、彼は痛みを堪えながらそちらを見やる。

「目が覚めたみたいだね」

 ナツハゼが、柔和な笑みを浮かべてそこに立っていた。彼はヒイロの眼前に液体が満たされたコップを差し出す。

「はい。まず水を飲んで」

「……水」

「ちゃんと浄水してあるよ」

 渋い顔をするヒイロが何を思っているのか瞬時に察して、ナツハゼは説明を付け加えた。そこまでを経てようやくヒイロはコップに口を付ける。水はほどほどに冷たく、特におかしな味もしなかった。渇いた喉はコップ一杯の水なんてあっという間に吸収してしまい、ナツハゼはすぐにまた水を注いでくれた。とぽとぽとコップの中に透明な水が泡をたてながら流れ込む。ヒイロが再びそれを受け取って飲み干す間に、ナツハゼは簡単に今の状況を教えてくれた。

「ここは僕らの拠点だ。敵はいないから、安心してほしい」

 にこりと微笑み、ナツハゼは丸椅子を引っ張ってきてヒイロが使っているベッドのそばに腰掛けた。

「君、丸一日寝ていたんだよ。かなり体力を消耗してたから、無理もない。腹部の怪我の方はそれほど深くないけど、あと二日は大人しくしていた方がいい」

「丸一日」

 呟いて、呆然とする。

 そんなに寝こけたのは久し振りだ。いや、初めてかもしれない。スラムで生活していた頃は眠りも浅かったしそもそも睡眠時間が短かった。研究所に入れられてからも、そんなにぐっすり眠ったことはない。無防備に寝てしまった理由はなにか。疲れていた。なぜそんなにも疲れたのか。その答えに思い当たって、ヒイロは唇を軽く噛んだ。

 手にはまだあの男の首を絞めたときの感触が残っているし、肉が焼ける臭いもしっかりと覚えていた。

 だがそれは口に出さず、ヒイロはベッドから降りようと体を動かす。

「ちょっ……何してるんだ」

 ナツハゼは慌てて彼をベッドに押し戻した。ナツハゼを見上げて、ヒイロは苦々しい顔でこう言った。

「だめだ、これ。ベッドで寝ると逆に落ち着かない」

 ベッドのせいにした。

 もちろんそれも要因の一つだろうが、当然ながらナツハゼは呆れた顔をする。彼は、馬鹿なこと言ってないで大人しくベッドを使いなさい、とヒイロをたしなめて、もう一度空になったコップに水を注いでやった。

「ぐっすり眠るなんて、危険しか感じないんだよ」

「質の良い睡眠は大切だよ。特に若いうちは。君は、今まであんな所にいたからまともに眠れなかっただろうけど……」

「別に、研究所に入る前からまともに眠れたことなんかない。親に捨てられてからはスラムでずっとその日暮らしだったし、奴隷にされて研究所に入ってからも、ぐっすり寝てたら死んでた」

 ヒイロは覗き込むようにナツハゼの目を見詰める。

「……それは、壮絶な人生だったね」

 にこりと微笑み、平静な声でナツハゼは言った。何でもない調子で彼は話を続ける。

「ところで、起きたばかりで悪いんだけど、君の能力の説明をさせて貰っても良いかな。もし辛ければ、後にするけれど」

「……どうぞ」

 ふい、と視線を逸らして、話の続きを促した。

 ナツハゼの話をまとめると、まず、ヒイロの体は元に戻らないらしい。超能力の核を成している、何とかというチップを身体の中から取り出すと、命も一緒に落としかねない。だから対策としては、もう二度と能力を行使しないこと。これしかないのだという。

「脅しているわけじゃないんだ。実際、少し火を出したところでその瞬間に死ぬわけじゃない。ただし、使うたびに寿命が縮んでいるのは自覚しておいて欲しい」

「……わかった」

「それと、君の体は長い研究所暮らしで弱っている。時間をかけて回復しても、体力が付きづらいことに変わりはない」

 これには、ヒイロも少し渋い顔をした。何とはなしに心臓の上に拳を当てる。今は大人しいその鼓動を確かめて、了承した旨を示すために一つ頷いた。

 どうしようもない。それほど、あそこでの生活は身体に負担をかけていた。当人であるヒイロもよくわかっている。

 そういう体質ならば、うまく付き合っていくしかない。

 もう自分の体の状態はある程度把握した。ヒイロは顔を上げ、今度は自分から質問をする。

「それで、あんたたちって、何をしようとしてるんだ?」

 彼が一番知りたいところはそれだった。レジスタンスは何を目的として動いているのか。ナツハゼが答えようと口を開きかけたとき、薄いピンク色をした球体が部屋の中に滑り込んできた。ぎょっとするヒイロをよそに、球体はナツハゼの足元まで来て止まる。

「アヤメ。どうかしたかい」

 ナツハゼは神妙な顔をしてアヤメとやらを抱え上げた。

『ナツハゼ。アカツキから伝言です。至急、部屋まで来いと』

「うわ、喋るのかよ、それ」

 ヒイロが声を上げると、今まで薄いピンク色をしていたアヤメが淡い黒に染まった。ずいぶんとガタガタな合成音声だ。研究所でなめらかな合成音声を聞き、その声を聞いて寝起きしていたヒイロにしてみれば、アヤメの声は違和感があった。そんな彼の思いを悟ったのか、くるりと球体はヒイロの方を向いた。

『声紋認証完了。該当人物、メモリーにありません』

「新しく来た子だよ。名前はヒイロ」

『ヒイロ。情報統合完了。失礼なヒト』

 最後の一言にヒイロは面食らった顔をして、それから面白くなさそうに顔をしかめた。アヤメを指差して、何だよこれ、とナツハゼを睨む。不機嫌のとばっちりを食らったナツハゼは、苦笑しながらも答えてくれた。

「人工知能が搭載されている情報伝達機器だよ。都市が販売している携帯だと電波が拾われて拠点がバレるからね。こんな風に、とても役に立ってくれている」

「人工知能搭載する必要、あんのかよ」

「ないね。これに関しては完全にウチの技術者の趣味。アヤメの感情面がやけに充実しているのもね」

 どうやらヒイロはアヤメに嫌われたらしい。つんとそっぽを向かれて、なぜか猛烈に苛立つ。機械に嫌われるなんて妙な気分だった。

 アヤメとヒイロの間のぎすぎすした空気に呆れた顔をしながら、ナツハゼはアヤメを再び床に降ろす。

「ということで、呼び出し食らっちゃったみたいだ。しかも、結構長くかかりそうだな。僕が戻ってくるまで寝ていていいよ」

 ヒイロは生返事をしてひらひらとナツハゼに手を振った。彼は心配そうに何度かヒイロを振り返ってみたが、やがて背を向けて部屋を出て行った。彼の後をするするとついていくアヤメは、元の通りの桜色に戻っていた。

 一気に部屋が静かになる。

 改めて部屋を見回してみると、まるで病院の一室のようだった。それなりに広さがある。ベッドも五台ほど用意されていて、全てカーテンレール付き。自分のいるベッドを触って、ヒイロは目を細めた。

 固くもない。ちゃんとマットレスを使っているし、シーツも枕カバーも清潔なものだ。ナツハゼの机の横にある棚には、消毒液を始めとした薬や包帯が結構な数揃っていた。

「意外と物資調達はできてんだな……」

 レジスタンスなんて言うから、もっと粗悪な環境に住んでいるのだと思っていた。政府に歯向かうなんて正気の沙汰じゃない。政府のバックアップがあることを鼻にかけて好き勝手やっている研究者たちの顔を思い出し、ヒイロは苦い顔をした。

 全貌が見えないくらい強大な敵。

「引っ繰り返すなんて、無理だろ」

 呟きは、静まり返った医務室の床にぽとりと落ちて、誰にも聞かれることなく消え失せた。

 すっかり覚めてしまった頭ではもう一度眠りにつくこともできなさそうだったので、ヒイロはベッドから出て、床に足をつけてみた。裸の足裏に、床がひんやりと冷たい。ゆっくり立ち上がってみると、腹の傷は痛みはしたものの歩けないほどではなかった。

 服の上から触れてみると、腹の傷には包帯が巻かれている感触がある。ナツハゼが手当てしてくれたのだろう。彼は研究所でも医者のようなことをしていたから、予想をつけるのは容易だった。

 水でも飲もうと思って空のコップを持ち上げ、机の向こうにある水道のところまで行こうと歩を進める。近くの棚に手を付き、それが途切れれば机に手をかける。そのとき、うっかり机の上にあったものを払いのけてしまった。あ、と思ったときにはもう遅い。それは机の端から転げ落ち、ぱん、と鋭い音を立てて床に当たった。砕けたガラスが散らばる。

「……しまった」

 ヒイロが落としたのは写真立てだった。しゃがみ込み、ほんの少しの違和感を覚えながらヒイロは壊れたそれを手に取る。

 この写真立ては、なぜか机に伏せてあった。

「ナツハゼが帰ってきたら、謝んねぇと、な……」

 写真立てを裏返して、ヒイロは言葉を止めた。

 どく、と心臓が大きく跳ねる。

 瞬時に頭の中をフラッシュバックが埋め尽くした。実験台に押さえつけられ、拘束具で動きを封じられてがんじがらめにされた記憶。麻酔なしで肩甲骨のあたりを抉られた記憶。声が枯れるまで叫んでも誰も助けてくれなかった記憶。

 滲む視界の向こうに、冷徹な目をした男が立っていた。まるで虫か何かを見るような目でこちらを見ていた。

 八代博士、と呼ばれていたその男は、それぞれの研究者に指示を出していた。たまに実験中にも顔を出し、相変わらずの冷めた目でヒイロを見下ろしていた。

 あの狂ったプロジェクトの責任者。

 その男とナツハゼとが、写真の中で仲よさげに肩を組んでいた。ナツハゼが一方的に構っているらしく、八代の方は面倒臭そうな顔をしている。それでもこんなことをふざけてするくらいには、仲が良かったということだ。面識があったということだ。写真にはナツハゼと八代以外の人物も映っていたが、ヒイロにはまるで目に入らなかった。

 どれほどそこでしゃがみ込んでいただろう。

 医務室の扉が開く音で、ヒイロはぴくりと肩を震わせた。

「ヒイロ?」

 ナツハゼの声が聞こえる。

「どうし……」

 どうしたの、と聞きかけて肩に触れようとしたナツハゼの手を、ヒイロは思い切り振り払った。ばしん、と鈍い音が部屋の中にこだまする。ナツハゼは少年の手の中にあるものを見て息を呑む。

 床に座り込んで俯いていたヒイロが、顔を上げてナツハゼを睨んだ。ともすれば人一人殺せそうな目に怯み、ナツハゼは一歩後ずさる。

「あんた、上層都市の人間だろ」

 ヒイロの声には、憎悪と嫌悪感が詰まっていた。

「……それは」

「わかるんだよ、そういうの」

これまでのヒイロの経歴を知ったとき、ナツハゼは確かに平静な顔をしていた。ただし表面上だけは。内心ではどう応えたらいいものか戸惑っているのがありありと伝わってきた。一度でも底辺まで堕ちたことがある人間なら、あんな反応は返さない。

「しかも何だ、これ。敵の写真大事そうに飾ってるなんて、どうかしてる」

「すまない、それは、しまい忘れて」

「どうせお前にとっては他人事なんだろ。上層の連中はいっつもそうだ。高いところから見物して自分たちは安全なところで笑ってる。お前らから見た俺たちは、さぞ無様で小汚くて、そこらにいる虫以下の存在なんだろうな!」

 一気にまくし立てて、ヒイロはナツハゼから目を逸らした。しばらくは誰も言葉を発さず、ヒイロの荒げた息の音だけが聞こえていた。

「助けて貰った相手に、それはないんじゃないのか」

 氷のように冷ややかな、明らかな敵意のある声がヒイロに刺さった。

 顔を上げると、ナツハゼの後ろに人がいた。今まで気がつかなかったが、たぶんナツハゼと一緒に部屋に入って来たのだろう。年の頃はヒイロと同じほどだった。アッシュグレイの髪と青い目を持つ彼は、その海の底を映したような色の瞳に冷たさを宿してヒイロを見下ろしている。

「……誰だよ、お前」

 ヒイロも負けずに言い返したが、返ってきたのは問いとは関係のないことだった。

「手当ての礼は言ったのか」

「誰だって聞いてるだろうが」

「言ったのか」

 黙らされたのはヒイロの方だった。人を圧する雰囲気を放つ少年から目を逸らし、ヒイロはちっ、と舌打ちする。

「言うわけねぇだろ、こんな奴」

 少年の眉が、ぴくりと寄る。

 次の瞬間、ヒイロは胸ぐらを掴み上げられていた。ナツハゼが制止する声が入るが少年は聞かず、更にヒイロの首を締め上げる。息苦しさに喘ぐ彼に顔を近づけ、突然現れた少年はおもむろに口を開いた。

「お前はずいぶん偉いんだな」

 その青い瞳は真正直に、ヒイロを軽蔑していた。

「助けて貰って礼もなしか。高みの見物を決め込んで偉ぶってる連中が嫌いらしいが、お前とそいつらとで何が違う」

 ヒイロを責める少年の声はあくまで落ち着いている。落ち着いていないのはヒイロの方だった。好き勝手に言われた怒りと言い返せない悔しさがないまぜになって、頭と顔に血がのぼる。ヒイロは力任せに少年の手を振り払って、よろめきながらも立ち上がった。

「ヒイロ!待って、君まだ怪我が」

「うるさい!来んな!」

 追いかけて来るナツハゼの声を振り切り、ヒイロは頼りない足取りで医務室から出て行った。

 その痩せ細った背中に伸ばされたナツハゼの手は、行き場を失って宙空で彷徨う。途方に暮れている彼とは対照的に、少年は落ち着き払っていた。

「良いと思う、放っておけば」

「……カイ」

 嗜めるように名前を呼ぶナツハゼに、少年はちょっとばつの悪そうな顔をする。

「ごめん。俺、あいつのこと生理的に無理。ああいう、自分が一番不幸なんだって顔してる奴」

 かたん、とひび割れた写真立てを机の上に立て直し、彼はそっと目を伏せた。

「反吐が出る」




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