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蒼の果てのアルカディア  作者: 深見 鳴
一幕 緋色
2/22

Ep.02 エスケープ(2)

 



 そして二日後。壁をぶち破る派手な音と一緒に、その少女はヒイロの前に現れた。彼の抱えた葛藤なんかお構いなしに。

「っつつ……あー、やっちゃったなぁ。失敗失敗」

 能天気な声で言いながら瓦礫の山から立ち上がる彼女を、独房の隅に蹲っていた彼は、唖然として見上げる。やがて彼女はくるりと振り返り、きれいに笑って彼に手を差し伸べた。

「初めまして、ヒイロ。ナツハゼに言われた通り、君をここから連れ出しに来たよ」

 久しぶりに屈託のない笑顔を向けられて、ヒイロはわずかにたじろぐ。

「……あんたがハルト、なのか?」

 疑問半分に彼は聞く。ナツハゼは少年と言っていたはずだ。目の前にいる子は、冗談でも少年には見えない。

「ああ、それはね。ちょっとした行き違いがあったの。あたしはアオイ。レジスタンスの一員だよ」

 ヒイロは注意深く彼女の表情を伺った。その笑顔からは何も読み取れず、しばらくして諦める。

 研究所の壁をぶち破って登場するからには、ここの人間というわけではないんだろう。ナツハゼとは別の勢力とも考えられる。圧倒的に情報が少なくて、彼女が何者であるかも判断できず、ヒイロは戸惑った。

「さあヒイロ、行こう」

 いつまでも差し伸べられた手を取らないヒイロに焦れたように、彼女は言う。だけど、ヒイロの答えはもう決まっていた。相手がレジスタンスであろうと、見知らぬ誰かであろうと。

「行かない」

 アオイの目をはっきりと見て、彼は言った。それは揺るがない決心だった。

「俺はここにいる。あんたたちと一緒には行かない」

「……どうして?ここにいたって、君は死んじゃうのに」

「それがどうした。死んだって構うもんか」

 強がりが入ってないとは言えない。死ぬのは怖い。だけど、もう一度生きるのはもっと怖い。

「君って思ったよりも甘ったれなんだね」

 俯いていたヒイロは、目を見開いた。ゆっくりと顔を上げて、彼女を睨む。

「……今、なんつった」

「甘ったれって言った。死んでもいいなんて、考えることをやめた人間の言うことだよ」

 ヒイロが彼女に掴みかかるよりも早く、彼の額に銃口が突きつけられた。それだけで立ち上がれなくなって、彼は息を呑む。

 速い。一瞬で、躊躇いなく。彼女は懐から銃を抜いた。

「君が着いてきてくれないのなら、私は君を殺さなくちゃいけない」

「はっ……何だよ、それ。最初から、俺に選ばせる気なんてないじゃねえか」

 知らず、自嘲するように息がもれる。

 いつだってこういう風に押し付けられる。まるで、弱いものに選ぶ権利はないと言わんばかりに。

「そんなことないよ。条件が一個増えただけ。選ぶのは君」

 彼女はあっけらかんとしてそう言った。ヒイロは、こんな状況だというのに思わずぽかんと口を開ける。

 言われてみれば、その通りだった。

 今までヒイロは自分で選んできた。他人に押し付けられた選択に一度も抗わなかっただけだ。

 今だって命を捨てる代わりに抗うことはできる。

 それに気づいた瞬間、どくん、と心臓が強く脈打つ。自分が何を恐れているのか、ヒイロは正確に理解していた。

 自分で選んだら最後、結果がどうあれ、誰かのせいすることはできない。

「……ねえヒイロ、私が引き金を引いたら君の命はその瞬間に終わる。君の命は私の指先に乗っかってる」

 彼女は穏やかに微笑み、そして言った。

「選んで、ヒイロ」

 その声が、石の壁に反響してがらんどうの部屋に響く。

 じわりと額に汗が滲んだ。耳が痛くなるほどの静寂が続く。

 がんっ、という音がその静寂を無残に切り裂いた。

 ヒイロは息を呑んでその場に固まる。

 顔のすぐ横の壁に弾丸が食い込んでいた。彼女はすぐに銃口を元の位置、すなわち彼の額の上に戻す。

「本気だってわかってくれた?早く決めて欲しいな」

 ぞっとした。こんなことをしておいて変わらず笑顔を絶やさないアオイに。この女は引き金を引ける。人を殺したことがある人間だ。そう直感し、ヒイロはからからに乾いた口を開いた。

「……俺は」

「ご」

 アオイが突然そう言った。どういう意味だかわからなくて、ヒイロの目は点になる。彼女はにこにこ笑いながら続けた。

「よぉーん、さぁーん、にーぃ」

 カウントダウンだ。

 鈍い頭でやっと気づいたときには、もう残り時間はほぼなかった。

「いーち」

「わかった、行く!行くからやめ……っ」

「ゼロ」

 清々しい笑顔で、明るい声で、彼女はきっぱりと言い放った。その細い指が躊躇いなく引き金を引く。かちんっ、と予想していたのとは違う音が聞こえた。

「……え?」

 ヒイロは思わず声をもらした。

 痛みがない。

「あぁ、残念。弾切れだ。命拾いしたね、君」

 白々しい声で言ってから、彼女はしてやったりという顔で笑った。

「でもほら、死んでもいいなんて嘘だった」

「一発殴らせてくれ」

「ところで君、行くっていったよね。この耳でしかと聞きました」

「やっぱ二発」

「さ、のんびりしてらんない。早く乗って!」

 こちらの要求は華麗に無視された。むっすりと顔をしかめたまま、ヒイロはアオイが指差すものを見やる。さっき壁をぶち破って転がってきたのはこれか、と彼は一人で納得した。

 妙に丸っこい、おかしな形をした鈍い銀色の機械だった。小型の飛空艇のように見える。

「見たことないかな。ビークルって言うの。この機体はかなりの旧式だけど」

「初めて見る」

「もうだいぶ廃れちゃったからね」

 アオイはさっさとそれに乗り込み、操縦席に座る。ヒイロは彼女の後ろに乗った。座席は固く、スペースも狭くて、決して乗り心地が良いとは言えない。

「あ、忘れてた。はい」

 アオイが後部座席に何か物を放る。銀色に鈍く輝くそれを咄嗟にキャッチして、ヒイロは何度か瞬きをした。

 鍵だ。なんの鍵だかは言われなくても分かった。四苦八苦しながら自分で手錠を外し、床に捨てる。重々しい金属の音がした。外してみれば意外なほどに手は軽いものだということに気づく。

 ヒイロはちらりと独房を振り返った。壊れた壁から伺える向こうの牢には、当然のように誰もいない。

 エンジンがかかり、機体が振動して浮き上がる。すっかり馴染んでしまった独房は視界の端に過ぎ去り、やがて消えていった。

 壁に空けられた大穴から廊下に出ると、白い床を常夜灯がほのかに照らしていた。ヒイロは何度か瞬きして、ああ、と納得した。あの部屋には時計がない上、窓すらないから、体感時計が狂って仕方ない。どうやら今は夜のようだ。研究所の明かりは落とされている。

 考えてみれば、わざわざ真っ昼間に動く反逆者なんていないだろう。基本的に行動は静かに、速やかに、隠密に、が鉄則。

 そこまで考えて、ヒイロは顔をしかめた。

 おい、待て。

 さっきこの女、ものすごい音を立てて壁をぶち破って来なかったか。

 それを思い出した矢先、甲高いブザー音が鳴り響く。咄嗟に耳を塞ぐほどに大きな音だった。

「ん?もう回復しちゃったか」

「回復?」

「うちの技術者がねぇ、この施設の警備システムにウイルス仕込んで作動しないよう細工したんだけど、さすが政府の研究機関だね。もう自動修復しちゃったみたい」

 何だかよくわからないが、けたたましく鳴り響く機械音の叫びがこの状況はまずいということを伝えてくる。ほどなくして館内アナウンスが流れ、侵入者アリ、との旨を放送し始めた。それなのに、アオイはちっとも慌てた様子を見せず、冷静に操縦桿を操っている。

「何でもっと静かに行動しなかったんだよ!壁破る必要あったか!?」

「派手な登場ってカッコよくない?」

「アホか!頭に虫沸いてんじゃねえの!?」

「ええー、ひどいなぁ」

「おい、前!」

 警備ロボが床を滑るようにして曲がり角の向こうから現れ出る。極限まで無駄を省いた流線型のフォルムに、常夜灯の緑色の光が反射して鈍く光っている。

 全速力でこちらに突進してくるそれに、怯む素振りも見せず、アオイは殆ど減速せずに敵中に突っ込んでゆく。減速どころか、むしろ加速したかもしれない。

 ロボットが変形し、内蔵されていた二丁のライフルの銃口をこちらに向ける。息を呑み、ヒイロは目を瞑った。

 彼女はぎりぎりまでロボットを引きつけ、発砲される寸前で操縦桿をめいっぱい引いた。

「頭下げて!」

 咄嗟にアオイの言うことに従えたのは、後で考えても御の字だった。

 ぐん、と機体が上を向き、見事にロボットの頭上を飛び越える。天井スレスレまで上がったものだから、頭を出したままだったら首の骨が逝っていた。背後でライフルが連射される物騒な音が響いた。

 ひとまずやり過ごしたが一つ超したと思ってもまた次がやってくる。アオイはそのたび巧みな操縦で銃弾をかわし、細道を駆使して逃げ回り、時にはロボット同士を相討ちさせる真似までした。

 ちょろいちょろい、なんて言いながら愉快げに笑うアオイの背中をじっと見つめ、ヒイロは渋々今までの認識を改めた。

 ふざけた女だと思っていたが、操縦の腕だけは良い。操縦の腕だけは。

「おや、寝坊助さんたちのお目覚めだ」

 彼女がおどけた口調で言う。

 前方には十数人の警備兵が廊下にひしめき、銃を構えていた。警報を聞いて慌てて飛び起きて来たのだろう。防弾シールドも持たないほど装備が貧相なのは、急な事態にまともな対応ができていない証拠だ。アオイは小さく舌打ちした。

「あそこを塞がれるの、邪魔だなぁ。あの人数じゃ上に逃げても下から穴開けられるね。銃撃戦なんてごめんだけど、何とかどいて貰わなくちゃ」

 アオイは操縦桿を握りなおし、前方を見据える。遠くには銃を構えた警備兵。まだ射程距離には入っていない。

「ヒイロ。脳みそぶちまけたくなけりゃ頭下げてることをお勧めするよ」

「は!?まさか、強行突破するつもりじゃ」

「うん。やるしかない」

 彼女の背中を見つめ、ヒイロは拳を握った。手のひらの内側に汗がにじむ。

「……俺が、あいつら全員、燃やせば……」

「だめだよ」

 やけにきっぱりとした声が、ヒイロの言葉を遮った。

「その力は使うたび、命を縮める。君はそんなニセモノの魔法、もう使わなくっていいんだよ。使っちゃだめだ」

 ヒイロは純粋に驚く。

 どうせレジスタンスの連中も、この能力が目的なのだろうと彼は思っていた。結局は使い潰されて死ぬのだと。

 だけど彼女のこの言動で、どうやら少し思い違いをしていたことに気づく。レジスタンスは。アオイたちは。

 いったい何をしようとしているのだろう。

 場違いにも思考の海に沈もうとしていた意識は、けれどもすぐに引き戻された。不可解なことが起こり始めたから。

 敵の射程距離に入るか入らないかという頃になって、なぜか警備兵たちが次々とすっ転び始めた。かと思えば、何かに突き飛ばされたようによろめいたり、ある者は壁に顔面を打ち付けて悶えたりもしていた。

「……何だ?気でも触れて……」

 ヒイロが混乱している間に、アオイは躊躇うことなく敵めがけて突っ込んでいく。もつれた人波をジグザグにかい潜り、彼女は見事に肉の壁を突破してみせた。

 ふぅ、と息をつく音が聞こえたということは、彼女も安堵していたのだろう。

 油断していたのだろう。

 影になっていた脇道から、突如として警備ロボットが滑り出た。

「しま……っ」

 彼女が短く声を上げ、今日はじめて動揺した様子を見せる。突破するためにかなり速度を上げたから、避けきることができない。油断していたせいで操縦桿の捌き方も甘くなった。

 衝撃が、二人を襲った。




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