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蒼の果てのアルカディア  作者: 深見 鳴
一幕 緋色
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Ep.01 エスケープ(1)

 



 楽園の名を冠する国アルカディア。この国は、名前ともども嘘で塗り固められている。枯れゆく末に残ったわずかばかりの緑は排気ガスに曇り、平和の裏には常に抗争を抱えている。

そんな国の、とある研究所の片隅。壁をぶち破る派手な音と一緒に、その少女は彼の前に現れた。

痛いだの失敗したなぁだの、緊張感のない言葉を吐きながら危なっかしい動作で瓦礫の山から立ち上がる彼女を、独房の隅に蹲っていた彼は唖然として見上げる。やがて彼女はくるりと振り返り、きれいに笑って彼に手を差し伸べた。

「初めまして、ヒイロ。ナツハゼに言われた通り、君をここから連れ出しに来たよ」

瓦礫の山から崩れ落ちた壁の破片が、こつんと間抜けな音を立てて床に転がった。






 ◇







『聞こえるか、1014番』

 スピーカーの奥から聞こえる不遜な声に、少年はゆっくりと目を開けた。視界にはいつも通りの光景がいつも通りにそこにある。彼は白い横長の部屋に一人立っていた。部屋の右側上方の壁には強化ガラスがはめられていて、そこの向こうでは白衣を着た男たちが彼を見下ろしている。

『返事をしろ』

 いつまでも応えない少年にイラついた声が、スピーカーから発せられる。少年はちらりと視線をガラスの向こうにやり、それからまた元に戻した。

「……聞こえてます」

 気怠げな声で答えた彼に、研究者たちは眉をひそめる。だが特に何を言うこともなく、いつも通りの指示を出した。

『前方の的を燃やせ。三十秒以内だ』

 がこん、と音がして、床下から木の的が現れる。少年はじっとそれを見やり、徐に手のひらを握った。ぱち、とその手の中で小さな音が立つ。

 金の炎が咲いた。

 木の的は燃え上がり、一瞬で木っ端微塵に砕ける。

 かと思えば砕けた的は即座に引っ込んだ。

『フェーズ1クリア。フェーズ2に移行』

 無感動な声が実験の経過を実況する。

 その後も簡単な指示が続き、少年はそのたび炎を操って目標を達成した。

 最後に現われ出たのはガラスの半球で、直径は彼の背丈を優に越している。その透明な耐熱ガラスを盾に、火炎測定器が鎮座している。あれで威力を計算するらしい。

『最大火力で炎を放射しろ。活動限界に達するまで行動は継続するように』

 では、開始。

 強化ガラスの向こうにいるのであろう研究者が、何でもない調子で言う。少年は向こうに聞こえない程度の声で、クソッタレ、と吐き捨てた。あいつは、それだけのことがどれだけしんどいのか、知るわけもない。

 目を閉じて、集中する。彼の周りに火の粉が散り始めた。

 奥歯を噛み締め、腹に力を込めて、言われた通りに的に炎を叩きつける。ガラスは融けることもなく炎を弾き続けるだけだ。額にじわりと汗が滲むのは、何も炎の熱さのせいだけじゃない。

 三十秒もすると、彼は肩で息をするようになってきた。汗の量は尋常でなく、膝も震えている。彼は唐突に激しく咳き込み始め、とうとう石の床に膝をついた。

 高いブザー音が響き、的が壁の奥に引っ込む。すぐに換気口が開き、部屋の冷却と換気が行われた。

 整然と動く実験室の中で、少年だけが壁に手をついて苦しそうに喘いでいる。

『本日の実験はこれで終了とする。1014番、独房に戻れ』

 研究者の声に、少年はまともに答えることができなかった。

 心臓がむちゃくちゃに暴れている。体を突き破りそうなほど。得体のしれない吐き気と頭痛に嬲られて、息をすることもままならない。世界がぐるぐると回っている気がした。

 必死で気持ち悪さに耐えていた少年は、強い力で腕を引っ張り上げられた。がちゃ、と音がして、手枷が嵌められたのを知る。

「とっとと出ろ。次がつかえている」

 腕を引っ張ったのは、研究所に雇われている警備兵だった。ごつい体をした彼の向こうに、首輪をつけられた青年がいる。

 じゃら、と音がして、少年は自分の首にも首輪がつけられているのを思い出した。彼はほとんど引きずられるようにして実験室を出る。入れ違いに部屋に入っていった青年は、ひどく虚ろな目をして、ブツブツと何かを呟き続けていた。

 白い廊下をいつもと同じ道順で辿り、着いたのは独房だった。意図的に隔離されているのか、彼の牢の周りには人が入っていない。

 牢屋の中に突き飛ばされて、少年は床に転がった。打ち付けた肩がじん、と痛む。震える腕を床につき何とか起き上がったが、そのときに牢番と視線が合った。

「なに睨んでるんだよ、化け物風情が」

 睨んでない。少なくとも彼は睨んでいるつもりなんてなかった。そんなことを言っても無駄だろうから、何も言わずに視線を逸らすだけに留める。だけど無駄だった。

 鈍い音と共に、腹の奥に重たい衝撃が響く。不摂生と無理な実験のせいで痩せ細った体はあっけなく吹っ飛んで牢屋の壁にぶち当たった。

 背中をしたたかに打ち付けて咳き込んだところをまた蹴りが襲う。

 体の良い鬱憤ばらしだ。

 そう分かっていても腹が立つ。手錠のせいでまともに反撃もできないし、ただでさえ疲れ切っている体ではガードすらできなかった。

「残念だったな。手錠付きだと超能力とやらは使えないんだろ?」

 男はヒイロを嘲笑い、ゴムまりか何かのように彼を蹴り上げる。

「奴隷のガキの代わりなんざ、掃いて捨てるほどいるんだ。なんなら、前の実験体と同じようにしてやっても……」

「その辺にしておいた方が良いと思うよ」

 遠くなりかけた意識の向こうに、少年は落ち着いた男の声を聞いた。いま自分を痛めつけている奴とは別の。

「大事な被験体を粗雑に扱ったって知ったら、ヤツカさんも怒るんじゃないかな。奴隷の調達だって綱渡りなんだ。そう簡単でないことは、君もわかっているはずだけど」

 霞む視界で捉えた声の主は、被験体の体調管理を担当している研究者の一人だった。

 男はあからさまに舌打ちをしたが、大人しく言うことを聞いて牢から出て行った。がちゃり、と鉄格子の鍵がかかる音が聞こえた。

 止めに入った研究者は、ぼろぼろのまま力なく横たわる少年を一瞥して、何か言いたそうにしている。だが、結局何も言わずに口をつぐんで、牢屋のある部屋から出て行った。

 それを視界の端に映していた少年は、むくりと起き上がる。痛みが全身に噛み付いて小さく呻いた。硬い石の壁に寄りかかってため息をつく。

 疲れた。

 体が重い。ついでに頭も。

 彼は自分の手を顔の前にかざした。じゃら、と鎖で両手を繋いだ重い手枷が音を立てる。

 彼はここでは1014番と、味気ない被検体番号で呼ばれていた。この研究所で、過酷な実験に付き合わされ続けて半年。最近になってやっと、この現状を自分のものとして受け入れられるようになってきた。

 超能力、というんだろうか。とにかく彼は半年前、体の中に変なチップを埋め込まれて、炎を操る化け物へと体を作り変えられた。

 こういった超能力を持つ人間を、俗にウィザードと呼ぶらしい。

 この呼び方は何度聞いても失笑がもれる。御伽噺の魔法使いのように力を使えたら苦労はない。

 この能力は、人によって適合する度合いがかなり違う。合わない奴は数日で発狂する。合う奴でも、力を使い続ければ半年ほどで駄目になる。彼の前の被検体は、二ヶ月前に力の使い過ぎで死んだ。

 いずれ俺も、ああなる。

 冷静に現状を分析できたところで、現実は一ミリも変わらなかった。

 口べらしに親に捨てられて、人攫いに捕まって、奴隷にされて。挙げ句の果てには人体実験で体をおかしくして死ぬ。

 他人に翻弄されっぱなしの人生だった。いつだって淘汰される側の人間だった。

 自分の力で道を選び取ったことなんて、一度もない。

「……腹、減った……」

 呻きながらも、とりあえず独房の隅っこに丸まって薄い毛布をひっ被る。実験に付き合わされた体は疲弊しきっていて、そのまま泥のように眠った。




 ◇




 夢の狭間で、懐かしい記憶を見た。

「坊主、名前は?」

 隣の牢屋の壁に凭れて、男は聞いてきた。何がおかしいのか、その顔はいつもにやにやと笑っていた。普通、隣り合う牢屋で顔など見えるはずもないのだが、この場合だけは別だった。この二つの牢屋を隔てる壁は、粉々に砕けて大きな穴が開いていたから。

「ない」

 それに対する少年の答えは、こうだった。それから少し考えて、言い直す。

「1014番」

 すると、男の顔からふっと笑みが消えた。後にも先にも、この男が笑顔以外の表情を見せたのはこのときだけだった。

「……おいおい、そりゃあねぇや。それは番号だ。名前じゃない。たいした意味も持たない記号だ」

 一言一言区切って、男は少年に言い聞かせるように話をした。そして、にっかりと笑ってこう続ける。

「名前がないなら、つけてやるよ」

 そうして与えられたのは、三文字。

 お前の目の色と同じ名前だと、彼は得意げに笑って言っていた。

「俺はスオウ。よろしくな、ヒイロ」

 閉ざされた檻の中で、スオウと名乗る壮年の男は笑顔を絶やさなかった。

 今はもう、呼ぶ人はいない。

 その名前をつけて、唯一呼んでくれていた人が、いなくなってしまったから。

「ヒイロ」

 それなのに、呼ぶ人がいなくなったはずの名前が聞こえたものだから、彼の意識は一気に引きずり上げられた。飛び起きたヒイロの眼前に、やや面食らった顔をした青年がいた。

「ヒイロ、良かった。起きてくれたか」

 鉄格子の向こうでほっとしたように名前を呼んだのは、見覚えのない男だった。

 いや違う。見覚えならあった。

 昼間、俺が好き勝手にボコされていたとき、止めに入った優男だ。

 そこまでを寝起きの頭で考えてから、ヒイロは顔をしかめる。

「時間がない。こっちへ」

「はぁ……?」

「今、研究所全体のブレーカーが落ちてる。君と直接話すのは、監視カメラが動いていない今しかないんだ」

「……どういうこと」

 他にも、なんでその名前知ってるんだとか、聞きたいことは色々あった。だけどそんな場合でもないらしい。

「僕はナツハゼ。レジスタンスに所属している研究者だ」

「レジスタンス?」

「僕たちには君が必要なんだ。一緒に来て欲しい」

 焦っているせいか、彼の話は信用性に欠けた。ヒイロはちょっと眉をひそめて、考える。

「……火薬庫ぐらいの使い道しかないガキがレジスタンスに必要?笑わせんなよ、あんたらはこっちに俺がいたら不都合なだけだろ」

 カマをかけただけだったのだが、図星だったらしい。青年は潔く頷いた。感心している様子すらある。

 素直すぎる。こいつ、スパイには向かないんじゃないのか。

ヒイロは白い目で彼を見やった。

「君の言う通りだ。だが、ここにいるメリットは君にとってもないはずだ。食事も寝床も満足に与えられないで、能力を酷使させられる。このままじゃ君は」

「だからってあんたらに着いて行くメリットもない」

「少なくともここよりは快適な生活を保障できる」

「そういうの、口では何とでも言えるんだよ」

 芳しい反応を返してくれないヒイロに、青年は表情を曇らせた。だけどヒイロにしてみれば、向こうの事情など関係ない。

 甘いだけの誘い掛けは基本的に信用できないものだ。青年は間違いを犯した。どうしてもヒイロを動かしたいのなら、取り引きという形を取るべきだった。だがそんなこと彼にわかるはずもなく、諦めて嘆息するほかなかった。

「……とにかく、考えておいてくれ。二日後、ハルトという少年が迎えにくる」

 青年は早口に言って、それから思い出したように白衣のポケットに手を突っ込むと、鉄格子の隙間から何かを牢の中に入れる。

「お腹減ってるだろう。栄養ブロックなんかで申し訳ないが、サプリメントよりはましだと思ってくれ」

 与えられたのは、小包装された食い物だった。ヒイロがまじまじとそれを見ている間に、青年は踵を返して部屋を出て行ってしまう。

 ヒイロは部屋の右隅にじっと構えている監視カメラと栄養ブロックとを見比べて、おもむろにそれを懐に隠した。

 しばらくすると、停電があったこと、予備電源から主電源へと無事に切り替えられたことがアナウンスされた。

 施設を統制するシステムの合成音声を聞きながら、彼は必死で眠ろうとした。

 だけど頭はなかなか寝付いてくれない。

 レジスタンスなんてものに関わるのはごめんだ。だがうまく利用すればこの狂った施設から抜け出せる。自由になって、そして。

 その先を考えようとして、ヒイロはふと、息を止めた。

 化け物。

 寝る前に聞いた罵倒が頭の中に反響する。

 そうだ。俺はもう人間じゃない。化け物と成り果てたこの体を引っさげて、それからどうする。また盗みをして、誰かを踏みにじって生きるか。明日死ぬかもわからない不安を抱えて生きていく生活に戻るのか。

 考えれば考えるほど、未来は黒く塗り潰されていった。



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