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神理の欠片  作者: 蒼乃翼
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第二章 少年の日常 ―探偵―

関東地方K県中央部・神郷(かんざと)


度重なる都市合併に対応して造り出された、文字通りの『新都心』である。   

この街では他県との交通の要である神郷駅と、その上にそびえ立つ、セントラルタワーを中心にして、各種交通機関が縦横無尽に広がっている。

そして、それが街の構造にも多大な影響を与えているのだ。

東西南北に区分された街は、まるでそれぞれが独立した街のように役割と姿を変えている。

北地区は、ダムを有する朱鷺山(ときざん)の麓に各企業の工場や発電所・浄水場が点在していて、神郷市の生命線とも言える重要な工業地区になっている。

対して南地区は海に面していて、空港と港がある空と海の玄関口になっており、多くの人間が神郷市にやって来て、多くの人間が神郷市を離れていく場所だ。

東と西は半分が住宅街だが、東には小中高の学校施設や商店街があり、西には各企業の支社や本社が軒を連ねる、オフィス街になっている。

そして、神堂戒の『目的地』は……この西地区のオフィス街……その中央にある。




戒は、いつもながら妙な圧力を放つ一つのビルを見上げた。

………異様だ。

戒が数十回目に抱いた感想も、いつもと同じだった。

別に外観や建築様式が変……という訳ではない。

強いて言うなら、その『(たたず)まい』が周囲とは明らかに異質なのだ。

まるでそこだけが、別の世界であるかのような疎外感と違和感をこの建物は、放っている。

神郷市を訪れる人間の目的は、基本的に三種類しかいない。

まず、市自体の観光に来る者。……これが五割。

次に就業や居住の為に他県から訪れる者。……これが三割。

最後にこの建物を訪れる者。……そして、これが残りの二割。

御崎零華探偵社(みさきれいかたんていしゃ)、通称・MR社の本社ビル。



最初は、たった一人の人間が始めた場末の探偵事務所だった。

それが今では、全国規模の活動を展開する、日本有数の探偵社。

圧倒的(あっとうてき)な調査能力の為に多くの人々から畏怖(いふ)されながらも、それ以上の人々が各々の依頼の為に訪れる、このビルが『神堂戒』の『職場』なのだ。



戒がビルの中に入ると、受付の前の所に見知った人物の後姿を見付けた。

腰まで伸びた黒いロングヘアーと青いスーツがよく似合い、その姿はキャリアウーマンを思わせる。

後姿だけで美人と判る女性だ。……どうやら受付嬢と談笑(だんしょう)しているらしい。


「涼子さん?」


戒が後ろから声を掛けると……女性は振り返り、安堵の表情を見せた。

彼女の名前は『檜山涼子(ひやまりょうこ)』。このMR社で社長秘書を務める才媛だ。


「あぁ、神堂君。……零華のあんな電話で、よく判ったわね?」


どうやら涼子は、あの電話を聴いていたらしい。(なら注意の一つでもして欲しかったが)

多分……あんな電話で戒がMR社に来られるか、かなり心配だったのだろう。

ちなみに涼子の言う『零華』というのは、先刻の電話の主であり、戒の直接の『上司』という事になるMR社・社長『御崎零華(みさきれいか)』の事である。


「まあ、あんな電話をかけてくる人なんて零華さんぐらいしかいませんから……」


そう言いながら戒は苦笑した。

あんな電話をかけてくる人が複数いても、かなり困る。


「本当に御免なさいね? 零華って、未だに事務所時代の感覚が抜けなくて、いつまで経っても、社長としての自覚がないものだから……」


涼子は「いつも、困ってるのよ」と言うかのように深い溜め息を吐いた。

その口調は出来の悪い妹か、付き合いの長い女友達について話すような感じだ。

そもそも、普通の社長秘書は自分の雇い主を名前で呼び捨てにはしないだろう。

だが涼子は、MR社の『事務所時代』から七年近く『零華』と付き合っているのだ。

だから二人は既に、普通の雇用関係を軽く超越してしまっている。

涼子が『零華』を社長と呼ぶのは、現在では嫌味と小言と説教の時ぐらいだ。

一方、二年未満の付き合いの戒も『零華』のそういう所は重々、承知している。……不本意だが。


「ところで、依頼人の方はもう?」


「ええ、社長室で既に社長と、お話をされています」


戒が『仕事』の質問をしたので涼子も社長秘書として答える。

戒が、あの程度の電話で『仕事』である事を把握している事に涼子は驚く気配すらない。

MR社での『神堂戒』を知る人間にとっては、それは当たり前の事だった。

……社長に使わない敬語を客に使っているのは、どこか変な感じもするのだが。


「それじゃ、零華さんはともかく依頼人を待たせるといけないから、もう行きます」


「……はい、よろしくお願いします」


涼子は、あえて事務的に応じながらも、自分より一回りも幼い同僚を暖かい微笑みで見送った。



MR社は、地上五階と地下二階の計七階で構成されている。

地上一階は受付と警備員室、エレベーターホールがあり、その一番奥には社長室のある五階への直通エレベーターが存在している。

普段、ここを使用しているのはMR社でも五、六人程度。その中には無論、戒も含まれている。

ボタンを押すと、ドアが左右にスーと音をたてずに開いて、戒を迎え入れた。

戒が鋼鉄の箱に入ると、しばらくしてドアが閉まって、その空間を密室へと変えた。

一瞬の無重力感の後、エレベーターは自動的に最上階を目指して動き出す。

後ろに掛けられた鏡に背を預けながら、ぼんやりと階層を示す表示を眺める。

戒は、一階から最上階までの時間が気に入っている。

約三十秒……短くもないし、長くもない。

『普段』と『仕事』の時の自分……ONとOFFとでも言うのだろうか?

自分の中で何かのスイッチが『カチリ』と切り替わる……そんな時間が、どこか好きだった。



最上階にエレベーターが到達すると、一階で乗り込んだ時と同じように音をたてずにドアが開き、そこから清涼な空気が流れ込んできた。

絨毯張(じゅうたんば)りの廊下を歩いていくと、大豪邸の玄関にでも使われそうな重厚(じゅうこう)かつ荘厳(そうごん)な木製の扉がある。

扉の横には『社長室』と書かれたプレートが取り付けられている。

戒が扉の前まで行き、ノックしようと手を上げると、部屋の中から二人の女性の話し声が聴こえてきた。

戒は手を上げたそのままの状態で耳を傾けた。聴こえてくる片方の女性の声には聞き覚えがあった。

でも……やたら厚い扉の前からなので、話の内容までは聴き取れない。

だが深刻な話だというのは、その独特の雰囲気からでも判る。

とはいえ、このまま立ち聞きしているわけにはいかないので、戒は意を決して手の甲で扉を三度、叩いた。


「はーい?」


すると、中から聞き覚えのある方の女性の声が返ってきた。

少々……というか、かなり間が抜けていたのだが。


「……神堂です」


「お、来た来た。どうぞー」


まるで、出前でも待っていたような台詞に招かれて戒が部屋に入ると、二人の女性から視線が送られる。

社長用の椅子と机とのセットの前に置かれた接客用のソファ。そこに二人の女性が向かい合う形で座っていた。

片方の女性は、四十前後の婦人。

白のブラウスに長めの灰色のスカートというシックな服装とその風体から専業主婦であることが伺える。

彼女は、戒をどこか懐疑的な眼差しで見つめている。

しかしながら……よく見ると、婦人の頬は少し痩せこけて瞳の色は暗く沈んでいる。

戒は婦人に見覚えが無いので、当然ながら彼女が『依頼人』なのだろう。


それに対して……反対側に座っている女性。

婦人とは対照的に派手なパンツスーツに身を包み、『依頼人』を前にしているにも関わらずに足を組んで、ソファに踏ん反り返って……挙句の果てに戒にひらひらと手を振っている。

その姿は、大人の女性(三十路直前の)とは到底、思えない。

……威厳の欠片どころか礼儀の欠片すら感じられない彼女が日本が誇る探偵社のトップに君臨している。

戒は世の無情をひとしきり嘆くと、『御嶋零華探偵社』・社長であり、自身の保護者でもある零華を非難の(こも)った目で(にら)んだ。


「ちょっと、戒ちゃん? 来るのが遅いんじゃない?」


何故か非難されるのは、戒の方らしい。

それ以前に『依頼人』の前で『ちゃん』を付けて呼ぶのは……正直、勘弁して欲しい。


「……零華さん? そう思うんなら、もう少しキチンとした連絡をしてくださいね?」


「別にいいじゃん、ちゃんと来れたんだから」


戒は子供に言い聞かせるように言ったが、零華は反省する気なんて微塵(みじん)もないらしい。

……っていうか『じゃん』て何歳ですか、あなたは? 


「あの…………御嶋さん?」


と、そこでおずおずと婦人が声を発した。


「……はい?」


「こちらの方は?」


「ああ、彼が今話していた、調査を担当させる調査員の神堂君です」


零華はこともなげに告げた。

それを聴いた婦人は、少なからず動揺しているようだ。


「MR社・捜査課所属の神堂戒です。……よろしくお願いします」


戒は、零華が勝手に話を進めていた事には触れずに、婦人に名乗った。

……まあ、どうせそんな事だろうと思っていたことだし。


「こ、こちらこそ。……でも調査員にしては、少しお若いようですけど…………?」


婦人の指摘は当然だ。

若いどころか戒は、現役の高校生なのだから。

正直、気は乗らないが……ここは婦人に信頼してもらう為に軽い先制攻撃が必要なようだ。


「確かに、貴女が仰るように僕はこの通りの若輩者(じゃくはいもの)ですが……」


そこで戒は一旦、言葉を区切り、唇を湿らせてから再び口を開いた。


「そんな僕でも、貴女が……『お子さん』の死を警察が判断したように自殺だと思っていないことぐらいは分かります」


戒は、かなり優しく言ったつもりだが、それでも婦人は驚愕の表情を浮べて、固まってしまった。

それは……まるで悪魔にでも遭遇したような顔だ。


「あ、あの、どうして娘の事を……!?」


言ってから婦人は零華に「あなたですか?」と、問うような視線を送った。


「いえ、私は何も伝えていませんが?」


零華は首を振り、否定した。

確かに零華は何も伝えていない。……必要最低限すらも。


「じゃあ、もしかして娘の事を……?」


婦人は零華が否定したので、今度は娘と戒が知り合いなのではないかと思ったらしい。


「いえ、僕は娘さんの事は全く知りませんよ。

知らないからこそ『娘』と断定しないで、『お子さん』と言ったじゃないですか」


「でも、それではなんで、その、警察が娘の事を……自殺だと……?」


婦人は『警察』や『自殺』等の単語を口にする時、顔を曇らせた。


「山勘と当て推量みたいなものなんですが……一応、いくつかの根拠はあるんです……」


嘘だった。……確かに、それらしい推理は存在する。

だが、それを考慮に入れなくても事件の大筋は最初から予想していた。


「実は、最初に気になったのは貴女の眼なんです」


「……眼、ですか?」


婦人は、その眼を見開いて訊き返した……それは失意と絶望に彩られた眼。


「はい。……貴女の眼は明らかに親しい人間を喪った人間特有の沈んだ瞳をしています。

 それもごく最近に。だけど、取り乱されているような様子は見られません。

 つまり、心の整理がつく程度の時間が経過している事も判りますね。

 貴女の痩せ具合から考えても……ここ一、二週間ぐらい前の事なのでしょう?

 その娘さんが亡くなったのは」


そう聞きはしたが、戒は自分の仮説が当たっている事をほぼ確信していた。


「……はい、娘はちょうど一週間前に……」


……やはり婦人は「死んだ」という単語を口にしたくないようだ。

その単語を口にしてしまうと、もう二度と娘が帰って来なくなるように感じるのかもしれない。


「やはり、そうでしたか……。

 あと何故、警察が自殺と判断した事が判ったのかというと……。

 これも失礼なんですが、貴女の服装を見る限り……あまり遠出されて来たのではないと。

 多分、お住まいは市内の電車でいける程度の距離、ですよね?」


「は、はい。二つ隣の鬼灯(ほおずき)町に……」


婦人の懐疑的(かいぎてき)な眼差しは、だんだん畏敬(いけい)を含む表情へと変わってきている。


「僕も探偵を名乗る以上、普段からニュースや新聞での情報収集は欠かさないんですが……。

 ここ最近……この近辺で貴女の『お子さん』……娘さんに該当しそうな事件。あるいは、事故。

 ……そういうのは報道されてません。

 ということは、大々的に報道されない事件。

 つまりは、自殺……少なくとも、早い段階で警察が『自殺』と判断した事件だと……。

 そして、探偵社を訪ねている以上は、貴女は警察の捜査結果に疑問がある……と」


戒は「そうですね?」と言葉には出さずに小首を傾げ、微笑んで問いかけた。

……自殺だから報道されない、というのは間違ってはいない。でも、完全でもない。

例えば、自殺の原因が「いじめ」を苦にした自殺だったとすれば、(むし)ろ事件は大々的に報道される。

つまり、自殺の原因が非常にデリケートで報道するのも(はばか)られる……そんな事件。


「…………すごい、ですね」


婦人の表情は畏敬から信頼と尊敬の表情へと完全に変わった。

しかし当の戒は、先刻までの微笑みから一転して、浮かない顔をしている。

どんなに推理が的中しても戒は、少しも嬉しくなどないのだ。

探偵としての能力をアピールする為の推理。

どちらかと言えば悪趣味の部類に入る行為だが、時には必要な事だ。

今は婦人の信用を得る為に、あえて推理をひけらかすような事をした。

だが戒は本来、人の生き死に関わる事件の推理をひけらかすような真似は好きになれないのだ。

これだったら、浮気調査で密会現場を遺留品から推理する方が……幾分、マシだ。


「では、彼に任せて構いませんか?」


それまで沈黙していた零華が、戒の心情を察したのか、その話題を断ち切るように婦人に聞いた。

それも絶対の自信を持って……どこか誇らしげに。


「……はい。神堂さん、お願いします。……どうか娘の事件の再調査をしてください」


婦人は深々と頭を下げながら言った。眼には薄っすらと涙すら浮べている。


「はい。お引き受けします…………ですが、その…………」


最後の方は口篭もって聞き取れなく、零華は怪訝そうに、婦人は不安そうに言葉の続きを待った。


「……あの、何か問題が……?」


「いえ、そうじゃなくて……まだ、お名前を伺っていないもので……」


「……え?」


一瞬、婦人は戒の言葉の意味が分からずにキョトンとした表情を見せた。

一方、零華はクスクスと声を殺して笑っている。

戒が視線(死線)でそれを黙らせると、やがて婦人は戒の言葉を理解した。


「あ、そうですよね? 名前は言わないと判りませんよね?」


「……ええ、さすがに……名前は教えていただかないと……」


「でも、神堂さんは何でもお分かりだから……つい、うっかりしてしまいました。

 ……ごめんなさい。私の名前は藤原啓子(ふじわらけいこ)と言います」


婦人……藤原啓子は改まった態度で名乗り、深々と頭を下げた。

啓子の態度を見て、逆に名前ぐらい言い当てないと申し訳ないような気になってしまった。


「藤原さん……では改めて、よろしくお願いします」


「はい。……それで、あの……娘の事ですが……」


啓子は表情を軟化してきた表情を再び曇らせながら言った。

今まで、零華と話していた娘の『事件』の概要を戒にも話そうというのだろう。


「……ちょっと待ってください」


だが戒は、その啓子の言葉を遮るようにして言った。


「……?」


「事件の概要でしたら、話されなくても結構です。後で、この御嶋から聞きますから」


「え……でも、いいんですか?」


啓子は不安と安心が混ざったような口調で訊いた。


「はい。事件の概要は、既に話されたんでしょう?

 ……それに後でお訊きすることができたら、改めてその時にお伺いします。

 ですから今日、明日中は……とりあえずご自宅の方にいてもらえると助かるのですが……?」


それは、戒の人間としての優しさであり、探偵としての冷静さだった。

まず、何度も啓子に娘の死を語らせるような事は避けたかった。

そして娘の事である以上、主観が多く混ざり、客観的な事実が見えなくなる恐れもあった。

……探偵にしろ、警察にしろ、いわゆる初動捜査(しょどうそうさ)の段階で主観や予見を持つのは危険なのだ。

基本的に遺族や友人に話を聞くのは、事件の客観的なデータを一通り仕入れてからでいい。

それに家に行く必要も、いずれ出てくる筈である。


「……そうですか、分かりました。

 今日と明日は家にいることにします。……それでは神堂さん、どうぞ宜しくお願いします」


啓子は立ち上がって戒の手を強く握り締めると、深々と頭を下げた。


「……はい。最善を尽くします。」


戒は、その手を優しく握り返しながら、断言するように……宣言するように言った。

その様子を横から見ていた零華は、自分の『息子』であり『部下』でもある戒が依頼人から信頼を得たことに満足げな笑みを浮べた。

戒は調査の前に確認しておかなければいけない事を思い出して、社長室を出ようとする啓子を引き止め、訊いた。


「あの、最後に一つだけよろしいですか?」


「……なんでしょうか?」


啓子は振り返ると、また不安げな表情を見せた。


「……娘さんの死が自殺でないと、確信しておられますか?」


「はい。『強い娘』でしたから」


「……分かりました。では、後ほど」


自分に言い聞かせるように、何かに祈るように言い切った啓子を戒は、笑顔で見送った。


「……………………………」


「…………なんですか零華さん?」


部屋を出た啓子の気配がなくなると……戒は、ジッとこちらを見ている零華に訊いた。


「別にー? 依頼人には、いつも親切だなって思っただけ。

 ……少しくらい、(やと)(ぬし)保護者(ほごしゃ)にも優しくしてくれないのかねぇ? 戒ちゃんは」


「…………で、事件の概要ですけど」


「って、おい! スルーですか!? ねぇ? ちょっと?」


問いかけに戒は沈黙と視線で答える。この際、『ちゃん』に関してはノータッチだ。


「………うぅぅ……ノリが悪い男の子は嫌われるよ?」


零華の捨て台詞にも戒は沈黙を貫く。

やがて零華は、諦めたように溜め息を吐いた。

普段なら、戒も零華との……この手の『スキンシップ』に付き合うのは、やぶさかではないのだが。


「……被害者は藤原春奈(ふじわらはるな)、十八歳の青春真()(ただ)中ね。

 神郷市・鬼灯町(ほおずき)に在住。藤原家の長女で今年から高校三年生……もしかすると、どこかで戒ちゃんとも会ってるかもね」


「さぁ、どうですかね……家庭環境と家族構成は?」


戒は先刻まで啓子が座っていたソファに腰掛けながら訊いた。


「父親は、早くに亡くなったそうよ。今は母親の啓子と長男……弟の冬吾との三人で暮らしていたみたい。

 家、生活共に困っているような事は無し。どこにでもある家庭よ」


でも不幸は突然やってくる、とでも言うかのような口調で零華は続ける。


「だけど、先週の金曜日に買い物に行ったまま、行方が分からなくなったの。

 心配した啓子さんがその日の内に警察に捜索願いを出したんだけど、それは無駄になった。

 ……彼女は次の日の早朝、鬼灯町・郊外の廃ビルで遺体で発見された。

 典型的な最悪の展開って奴ね」


「…………死因、は?」


いよいよ想像が現実味を帯びてきたのを感じて、戒は表情を曇らせた。


「詳しい事は分からないけど、廃ビルから飛び降りた時の脳挫傷と全身打撲が大まかな、死因みたいね。

 ……それと性交渉の痕跡があったみたいね」


零華は顔色一つ変えずに言った。

戒は、その意味を瞬時に……そして正確に理解した。

それなら、警察が『自殺』の判断を下すのも納得できる。


「つまり……暴行を受けた、と?」


零華は辟易(へきえき)した表情でコクリと頷いた。


「どこにでも、ゴミみたいな男がいる、ってことでしょうね」


目の前に、そのゴミが居たら踏み潰したい……そんな顔だ。


「警察は……春奈さんがそれを苦に自殺した、と判断したんですか?」


「そのあたりがよく解らないのよ、これが」


「……よく解らない?」


「この事件を担当した奴が問題なの」


(担当した……刑事……? 現場の鬼灯町は神郷署の管轄だから……)


「……神郷署の浅野警部ですか?」


二秒ほど考えてから戒は思いつく人物の名前を挙げた。


「ご明察。……よく分かったわね?」


「ある程度は予想してましたから。

 でも担当が浅野さんだったとなると、捜査に不備や手抜かりがあったとも思えませんね」


戒も零華も『浅野警部』をよく知っていた……その優秀さも。

彼のフルネームは『浅野正義(あさのまさよし)』。

その名の通り、正義感に手足が生えたような人間で、神郷署・刑事課に勤める刑事課長なのだが……MR社にとっては、かなり重要な人物でもある。

(ちなみに刑事課所属の巡査部長を部長刑事と言い、それらを指揮する人間、主に警部補か警部を刑事課長と言う)

というのも、浅野警部は、かつて零華と同じ大学に在籍していて零華とは同じサークルの先輩後輩の関係である。

四、五人の小規模なサークルだったのだが、卒業後もその関係が消滅する事は無く、現在までその友情は続いているらしい。

あくまで、私的な付き合いだった零華と浅野だが、七年前に零華が探偵事務所を設立してからは、仕事でも付き合いが出来始めた。

警察がてこずるような事件を零華が、浅野(当時、警部補)からの相談を受けて、事件を解決(勝手に首を突っ込んで)していく内に……事務所の名が売れていった。

日本有数の探偵社になった現在では警察から正式な依頼がくるまでになった。

そして、浅野警部は警察組織とMR社との協力体制を維持するパイプ役でもある。


そんな理由から、戒も浅野警部と親交がある為……。

彼が捜査で見落としをするような刑事でないことは重々、了解済みなのだった。


「……そもそも、藤原さんにウチを紹介したのがアイツらしいのよね」


「やっぱり、そうだと思いましたよ……。

 零華さんが自分から関わるような事件、それも僕を休日に呼び出して捜査させる。

 ……それだけで大体は予想できます」


今では大企業になったMR社で社長である零華が直接、捜査・指揮を執るのは彼女が「面白い」と感じた事件か……もしくは。


「僕に捜査させる必要のある……特殊なケース。そういうことですね?」


「その読みの深さは誰の影響かしら……?

 まぁ、詳しいデータが無いから、一概には言えないんだけど『今』の警察じゃ、これ以上の捜査はできない……って事みたいね。

 ……面倒だから盥回(たらいまわ)しってこともあり得るけど」


そう言いながら零華は意味深な笑みを浮べる。


「……餅は餅屋、っていう事ですか?」


「さぁ? でも、警察に手抜かりが無くて、それでも自殺じゃないって事は……ね?」


「……分かりました。

 そうだとしたら急がないと。……また死人が出るかもしれませんから」


戒は深刻そうに呟く。

もし藤原春奈が『最初』の『犠牲者』とするなら、事態は切迫している。


「そうね。死体検案書と捜査資料は今、涼子が警察から引き出してるわ。

 ただ、その手の専門家が留守だから警察がグズって、少し時間かかるかもしれないけど」


零華は時計とカレンダーを眺めながら言った。


「え? 先輩いないんですか?」


戒の言う『先輩』というのは、MR社に所属している諜報課・課長の男を指す。


「そうなのよー。肝心な時に限っていないんだから。出張先は……どこだっけ?」


そうは言っても、本来なら社長の自分が行かなければならない出張や多くの雑務を彼に全て押し付けているのは、他ならぬ零華自身である。

彼の仕事は、まず基本的に先に言ったような『警察からの情報の引き出し』。

加えて『民間人や匿名からの情報・タレコミの取捨選択』。

そして最後に『本社・支社間での円滑な協力体制確保の為の視察・監査』だ。

……そして、これが出張の理由でもある。

その諜報部の肩書きも、仕事を押し付ける為に零華が捏造したのでは? と、社員の中では(もっぱ)らの噂だ。

一応、諜報課自体は存在しているのだが……その人数は、かなり少ない。

少ない人数で、多くの雑務をこなしている為に……彼が本社にいることは稀なのだ。


「部下の出張先ぐらい、キチンと記憶しといてください……先輩、泣きますよ?」


本当に泣くかどうかは不明だが、聞いたら()ねるのは確実だろう。


「いいのいいの。そんなことはどうでも。

 とりあえず、社内で涼子を待ってて。資料を受け取ったら早速、調査をお願いね?」


零華は片手をヒラヒラさせながら『先輩』が本気でヘコみそうな台詞を吐いた。


「はいはい。……確かに、個人的にも急いで解決しないと、いけないですから」


戒は言いながら、ゆっくりと立ち上がった。


「……個人的に? なんで急ぐの? 犠牲者云々じゃないよね?」


零華は心底、不思議そうな顔をした。


「って零華さん……分からないんですか?」


社長室の扉のドアノブに手を掛けていた戒は、振り返って訊いた。


「……全然」


本当に分からないらしい。戒は本気で呆れた。

仮にも、自分の保護者を名乗るのだから、このぐらいの事は覚えておいて欲しいのだが……。


「え、何? 気になるんだけど」


戒はドアを開けて、廊下に出た。


「明後日から学校なんですよ!」


言いながら戒は部屋を出る。閉まるドアの隙間から零華の「あぁ!」という声が聴こえた。

戒の通う、洸聖(こうせい)高校……その新年度の始業式は、二日後の月曜日だった。





少し間を置いての投稿です。

今回は、唐突に街の名前を変更するという暴挙に。

前話を含めて、洸聖市を神郷市に変更しました。

そして、戒の通う高校を洸聖高校にして、明確化。

今までの読者の方には、ホント迷惑かけます。


変更しきれていない部分があったら、教えてくださいね。

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