episode5『新しき絆』
感謝もしてる、愛情も抱いている。でもどうしても鬱陶しさがあり邪険にしてしまうのはまだ反抗期から脱しきれてない未熟者だからだろうか。そんなこんなで勉強頑張るぜ、プロミス。
辺りに夜の帳が落ちた頃。ぱちぱち、と火の粉が舞い上がる焚き火を中央に据え、数名の男女が談笑していた。ただその中に約一名、不満たらたらな表情をしているモノが居た。
「いやぁ~、まさかニーナの恩人だっとは!!わりぃことしちまったな」
ゲラゲラ笑いながら白摩の肩を叩く髭面の男。笑いながら謝罪する姿に反省の色は丸でない。寧ろ楽しんで居るように見える。
遠慮ない威力でバシバシ肩を叩くないし叩きつけているバンダナ男――クラウドに、白摩は憮然とした表情で言った。
「いや、痛かったんですけど。手首粉砕したんですけど。腕切り裂かれたんですけど。死にかけたんですけど」「こまけぇことは気に済んじゃねぇよ。今、お前さんは生きてる。それで十分じゃねぇか?」
ざけんじゃねぇぞこらっ!!、という罵倒を何とか喉の奥で殺し、白摩はこめかみの辺りをピクピクと痙攣させながら言った。
「……ああそうだな。だがやられた分はしっかり償ってもらうぞ」
「お前さんを街まで連れて行くって話か?おいおい、欲がなさすぎるぞ。その程度でいいのかよ」
確かに殺されかけた代償として、街までの案内というのは些か不足分が多すぎるだろう。
だがしかし、白摩は一刻も早く『まともな人間』のいる場所に生きたかった。
確かにニーナと別れるのは残念で仕方がない。胸の中に抱き締められた感覚は今も残っているし、今も白摩の傍らに寄り添うように座っているニーナが、目線が会う度に笑いかけてくれる姿は途轍もなく可愛い。可愛い過ぎる。
出来ればガラスのケースに飾って永久に眺めていたいくらいに。そんな猟奇的といえる思考回路が誕生するほど、白摩はニーナに惹かれていた。それが恋愛感情なのか、はたまたただの醜い独占欲なのかわからないが。
「なら、この世界のことをある程度教えてくれ。俺はこの世界じゃ赤子以下の知識しかないんでな」
「それもわかんねぇんだよな。お前本当に異世界来たのか?」
「……そうだよ。気づいたら森の中にいて、当てもなく彷徨ってたら幸運にもニーナに会ったんだ。その直後に勘違いした誰かさんに殺されかけたがな」
「だからわりぃって言ってんだろ。お前って顔に似合わず構根に持つタイプなのな」
根に持つも何も白摩は実際、棺桶に片足を突っ込んでいたのだ。それも常識に照らし合わして考えれば有り得ない勘違いによって。
手首が砕ける痛みは鮮明に思い出すことができるし、クラウドに対する怒りは僅かだがまだくすぶっている。
此を踏まえて言えば少しばかり拗ねても罰は当たるまい。
「根に持つ持たないはさておき、俺がさっきいった話は事実だ。信じてもらえるかどうかは分からんがな」
「……まあ、ニーナを救ってくれたらしいし、お前の言うことを信じてやりてぇのは山々なんだがな……話がデカすぎてどうも俺には納得できねぇんだ」
腕を組み渋面を作る男に白摩はそうだろうなと頷いた。
ニーナの胸の中で寝てしまった白摩は気付くと焚き火の側で毛布に包まれ寝かされていた。
驚いたことに重傷だった手首の骨折と左腕の裂傷は癒えており、身体の疲労感も綺麗さっぱり消えていた。
現代医学では有り得ない超回復。これは本格的に『あれ』が存在する世界なのかもしれないと戦々兢々としていると、ニーナ姉――エーナに首根っこを掴まれ不自然に怯えているクラウドが謝罪してきた。
本来ならば白摩も一つや二つ文句を付けたいところだったが、寒気がするほど笑みを浮かべるエーナのプッレシャーを受けガクガク震えるクラウドの姿が哀れみを誘い、そのまま謝罪を受けるに至った。
結局、そのあと直ぐに調子を取り戻したクラウドを見て少しばかり後悔したものだが。
因み、エーナが冷ややかに激怒していた理由は白摩を殺しかけたからではなく、単純に恋人であるクラウドが妹に危害を加えそうになったから、だそうだ。非常に納得がいかない
そうして自己紹介を終え、ある程度蟠りを解消した上で白摩は異世界の来訪者であること、この世界に何のつながりもないことなど自分の身の上を彼らに言った。
変人扱いをリスクを犯してまで何故白摩が事実を言ったのかというと、それは至って簡単な理由からだ。
まず、自分の正体をこの世界で証明することが不可能なこと。変な服で森の中に居たなんて普通に考えれば実に怪しいだろう。
自分の身を証明出来るものがない以上、下手の小細工はそのまま不信感へと繋がり、勘違い野郎ことクラウドからの襲撃の可能性が高まってしまう。 単純な話、運良く死なずに済んだが、次戦闘になったとき生き残れるかは非常に怪しいところだった。
加えて言えば、クラウド達の保護なしで魑魅魍魎が跋扈するこの森を抜けるのは至難の業だろう。
二つ目、これは潔癖とも言える性格に由来するのだが、必要でない限り虚偽の言葉を使うことを白摩は好まない。
何故かというと幼少期に“彼女”から受けた教育が白摩の精神的根幹に多大な影響を与えているからだ。
“彼女”の言葉は『法』であり『掟』、唯一無二の絶対的なもの。
故に白摩が“彼女”に逆らうことは決してありはしない。
クラウドが暫く考え込むように口を閉じ、沈黙の中を火の粉が舞い上がり焚き火がパチパチと跳る音だけが響く。
そのとき、耐えきれなくなったようにニーナは手を挙げていった。
「はい!はい!私は白摩を信じる!白摩が嘘付くはずないもん」
「そりゃお前少しばかり贔屓目で見てるからだろ? いや、俺も疑いたい訳じゃねぇけどよ。異世界からの人間なんて聞いたことないしな……」
再び唸るように渋い顔を作るクラウド。
白摩が異世界について話したとき、彼らの反応はまちまちだ。
色黒美人ことニンフ種のバルメは冗談だと思ったのか大きな胸を揺らし爆笑し、小人種の老獪ロギスはこれまた不気味な掠れた笑い声を上げ、筋肉だるまな巨人種であるゴーザンは黙って聞くにとどまった。
結局、まともに白摩の話を聞いてくれたのは残る三人だけで、完全に信じてくれたのはニーナだけだ。
一番重要であった、このグループの一応リーダー格であるクラウドは頭領としての責任からなのか反応は芳しくない。
本当のことを話したのは失策だったか、と考えていると意外なところから助け舟が出された。
「あるわよ異世界から来た旅人の話」
今までじっとことの成り行きを静観していたエーナが口を開いた。
「……本当か? それって童話程度の話じゃないだろうな」
片目を閉じ、探るように自身を見やるクラウドにエーナはいいえ、と首を横に振った。
「第一次史料クラスの話よ。それもカルディス大陸北西部にあるマナデ遺跡の壁画に描かれているね」
「マナデっていやぁお前……」
「そうよ……古代文明の軌跡の一つ――魔法使い達の墓場と言われる場所ね」
『魔法使い』という単語が出た瞬間、エーナを除いた全員の表情が固まった。
――やはりあるのか
白摩は感嘆混じりにそう心の中で呟いた。
現代では奇跡の代名詞と言われるそれは、地球にいた頃であれば只の迷信、噂程度にしか思わないだろう。
しかし、度重なる超常現象を目の当たりにし白摩はその存在の可能性を考えていた。
そして『魔法』があると仮定すれば色々なことにつじつまが合う。
重傷だった手首と左腕が完全に治癒していたこともそうだ。『魔法』を行使したというのならこの驚愕な現象にも納得がいく。
「で、マナデの壁画には何が描いてあったんだ?」
幾らか厳しくなった眼差しでクラウドはエーナを見つめる。対するエーナは無表情で淡々と説明していった。
「壁画に描かれていたのは古代文明の誕生から繁栄、そして終末戦争までのことだった。大部分は風化して読み取ることは出来なかったけど」
そこまで言うとエーナは手に持っていた金属製のカップに口を付けた。
「そして異世界からの来訪者について記述が会ったのは最後の方、終末戦争の場面よ。そこには百人以上の魔法使いによって異世界から人間を呼び出したとあったわ」
「ちょっと待て、何で古代文明の魔法使いがわざわざ異世界から人間を呼び出す必要があるんだ」
「あなたも知っているでしょ?終末戦争末期には度重なる戦いにより魔法使いたちの数は激減したの。その穴埋めとして白羽の矢が立ったのが『異世界召還』という技術だった。理由は分からないけど、どうやら異世界の人間はこちらの人間の数倍の魔力容量を秘めていたらしいわ。古代文明の魔法使いたちは異世界の人間を兵器として利用するつもりだったのよ」
「マジかよ……」
クラウドが唖然としたように口をぽかんと開けた。
他も大体同じようなものだが、ニーナにだけは何故か泣きそうな顔をしている。
「じゃあ何か?リョウは魔法使いを超える存在だっていうのか?」
「そう、そこが問題。さっきから彼の魔法神経から魔法容量を計ろうとしてるんだけど……妙なのよ」
妙ぉ?、と首を傾げるクラウドにエーナは頷いた。
「ええ……何だか魔法神経が詰まりを起こしているような違和感があってね。その影響だと思うんだけど、魔法神経から極僅かしか魔力を供給出来てないわ。多分彼が使える魔力はやっとのこと纏装が使える程度だと思う」
「魔法は使えねぇってことか……だったら魔術の方はどうなんだ?」
「いったでしょ、彼が使えるのは《アルタトゥー》程度だって。それも大気中の自然魔力からの恩恵を受けてようやく使えるのよ?初級術式くらいなら大丈夫でしょど、中級以上は無理ね。直ぐ枯渇してしまうわ」
「そうか……」
クラウドは再び腕を組み、深い思考の海に沈んでいった。 それきり誰も喋らず、火花の音だけが絶えず続いている。
……正直、白摩には何のこっちゃ状態だ。いきなりベラベラと固有名詞を羅列されても意味が分からない。『異世界召還』の話が有ることと、何か重大な欠陥が自分に発生したことは辛うじて知ることが出来たが、それ以外はさっぱりだ。
それに多大な疑問が残った。
「聞きたいことがあるんだが……いいか?」
難しい顔をしていた全員の顔が上がり、白摩に視線が集中する。
その中で白摩を探ろうするような目をしたクラウドに向かって言った。
「最後の方に出てきた魔法と魔術のことだ。俺には違いが分からんのだが……その二つは別々のものなのか?」
「はぁ?何言ってんだ当たり前――ああくそっ、そうだった。お前は異世界から来たんだったな」
やや乱暴にとボサボサの頭を掻いた後、バシッと両太股を叩いたクラウドは白摩を真っ直ぐ見つめた。
「いいか、よく聞け。魔法と魔術は根本的に違うもんだ。魔法が魔力単体で事象を改変するのに対し、魔術は精霊因子を媒介に術式を編まねぇと事象を改変することは出来ん」
「……それって同じことじゃないのか?結局どちらも事象を改変してるんだろ?」
「全然ちげぇよ。簡単に言うと魔術はめんどくせぇ決まりに縛られるが魔法にはそれがない。術式も長ったらしい詠唱も必要もなく都市をまるごと消し飛ばすようなことを一瞬でやれちまうんだぜ?今でも魔法使いがわんさかいやがったら、この世界はきっと古代文明と同じ末路を辿っているだろうよ」
「……もう魔法使いはいないのか?」
「噂では世界中で生きている魔法使いは10人以下って言われてる。そのなかの四人は偉大なる始祖神の愛娘、巫女たちだから魔法使いの数は古代文明の頃と比べると限りなく少ないわな」
今の説明の中で白摩にとって忘れることが出来ない単語が混じっていた。『巫女』、それ紅い女からある意味では白摩を救った声の主が装呼ばれていたはずだ。
この世界で『巫女』というのがどういう存在なのか不明だったが、今の話からすると重要なポジションにいるのだろう。
何故、何のために白摩を助けたのか分からない。ただこの世界からの脱出を図るために『巫女』と対峙するのはきっと避けられない道だ。
そこまで思考を巡らせていると、ワイシャツの袖を引っ張られた。見るとニーナが上目遣いで白摩を見上げていた。
「……ちょっと気になることがあるんだけど。リョウは私たちと別れた後、どうするつもりなの」
白摩が言葉に詰まったのは潤んだ瞳で見つめられたからではない。図星を突かれたからだ。
「……正直にいってまだ何も考えてないっていうのが実際のところだ。取り敢えず職を見つけないと、とは思っているが」
「お前ェ、何か出来るのか?手に職がねぇと雇ってくれる場所なんかねぇぞ」
「……一応、それなりに自分の頭には自信があるんでな。数日あればこっちの読み書きぐらいなら学習できるはずだ」
「そりゃすげぇな。でもよ、読み書きっつってもこの世界には始祖神サマのお陰で言葉は一つしかねぇが文語はくそみてぇにあるぞ?確かに文字が書ける奴は重宝されるがお前ェはどこでそれを習う気だ?」
「それは……」
二の句が継げないとはまさにこのことだろう。計画性の無さが露呈し、まるで自分のミスを大っぴらにされたような居心地の悪さが白摩を襲う。
結局、クラウドの言ったことは正論でこのままでは白摩の行く末は野垂れ死に確定だった。
回避するのはこの世界の事情に精通した信頼の置ける人間に教えを乞うしかない。そして、その条件を満たすことは異世界人である白摩には不可能だ。
「何とか……するさ。いざとなったら乞食でもすればいい。色んな問題は時間が解決するだろう。だから――」
「――だめ」
だから俺に構わなくていい、と言おうとしたところでニーナの両掌が白摩の右手を包み込んだ。
宝玉のような碧眼が白摩を真っ直ぐ捉える。
「そんなのダメ。乞食になった人の末路を知ってるの? 食べるものがなくてその辺の道の端で死んじゃって、亡骸は街のはずれに只投げ捨てられる……私は……私はリョウにそうなって欲しくない」
両掌にさらに力が加わり、痛いほど右手を握りしめられる。
「読み書きなら私が教えてあげる魔術に関して治癒術しか勉強してないし詳しくないから無理だけど……そこは姉ちゃんとロギスに聞けば大丈夫だと思う。戦いの方法だって体術ならバルメが、剣術ならクラウドの教えられるよ。ゴーザンは……そう、薪拾いとか上手だよ」
ゴーザン……あの巨体で薪拾いが一番の得意分野なのか。 まさか木を折ってくるんじゃないだろうな、と白摩が思っているとニーナは眉を寄せ考え込んでいるクラウドに視線を向けた。
「……いいでしょクラウド。リョウは亜人に対する偏見がないわ。それに命の恩人だもの……私はそれを返したい」
「しかしだな……」
今だどうするかクラウドは白摩の存在を図りかねているのだ。そこまで慎重にならなければならない理由は、恐らく白摩が想像もつかないようなことがあったからなのだろう。きっとそれは自分のことではなく、愛する人とその妹に関わることに違いない。
白摩も彼らにリスクを負わせてまで厄介になるつもりはなかった。この森から連れ出してくれるだけで十分だ。
「ニーナ、俺は……」
「――わしゃあ構わんよ」
もういいとニーナに告げようとしたときさっきまで黙っていたロギスがいきなり手を挙げた。
「未来ある若者をあっさり見捨てるのは簡単じゃ。じゃが人生の先達の立場から言わせてもらえば人を信じるのもまた試練。ここはリョウを仲間にいれるべきじゃと思うがのぉ。それに魔法神経の件もある。そんな症例聞いたことがないわい。なんとしても実験……治療してやらねばなるまい?」
最後の方は聞かないことにした。世の中には聞かないほうがいいこともあるのだと、このとき白摩は思い出していた。 何にしても賛同者が増えるのはいい傾向だ。グループ一の年長者の意見を受け取り、クラウドはさらに唸る。
そこでさらに追い風がふいた。今まで楽しげな笑みを浮かべいたバルメが待ってましたとばかりに手を挙げた。
「あたしもいいと思うぞ~? 何か面白そうだし。ぶっちゃけいまのリョウちんなら脅威ってほどじゃないし。むさい男たちの中に可愛い子が混じるのは寧ろ大歓迎」
「うぬぬぬ……」
クラウドに眉間に汗がにじみ、唸り声が大きくなる。
そして流し目で白摩を見つめてくるバルメに、ニーナが警戒するように白摩の腕を引き寄せたところでまたしてもクラウドに追い討ちが掛かった。
「私も賛成よ。バルメの意見はどうでも良いけど、リョウが悪意を持っていないことは此処までのやりとりで十分確認することが出来たわ。彼なら私たちを裏切るまではしないでしょう。それに可愛い妹の願いですもの……かなえて上げるのがお姉ちゃんの役目でしょ?」
微笑みを浮かべるエーナに感極まったようにニーナが飛び付いた。
「お姉ちゃん!!ありがとうっ!!」
愛妹を胸に抱き留めエーナはその頭を優しく撫でる。そしてニーナの耳元でそっと呟いた。
「いいのよニーナ。貴女は貴女のやりたいようにすればいいの。今まで沢山我慢してきたのだから……好きなんでしょ、彼のことが」
「えええ!?べ、別に私そんなつもりじゃ……」
「私には隠さないで可愛いニーナ。エルフの女なら一度狙った男は必ず掴まえなさい。幸いなことに私たちの容姿は御先祖様譲りで綺麗だから、ちょっと誘惑すれば男なんてイチコロよ」
「い、いちころって……」
この時の会話が白摩の耳に入らなかったのはある意味僥倖だっただろう。もし聞こえていたのなら今頃白摩の精神状態は非常に荒波だっていたはずだ。
姉妹の微笑ましい――白摩の目にはそう映っている――光景を眺めていると揺らぎかかっているクラウドに最後の一押しが掛かった。
隆々と盛り上がった筋肉を纏った巨大な腕がぬっと挙げられた。
「俺も彼を受け入れることに賛成だ。クラウド……貴様も本当は気付いているのだろう。目を見れば分かる、彼は誠実な人間だ。我々に仇なすことはない」
見た目に反して何とも落ち着いた大人の声だった。何だか急にゴーザンがこのグループの中で一番まともに見えくる。
ただ一つ、白摩が気になった点はゴーザンが白摩のことを『誠実』と評した部分だ。
白摩は知っている。自分がどれほど卑怯な人間なのかを、どれほど臆病な男なのかを。
人の本質は変わらない。いくら外側の殻が成長しても、恐らく白摩の中核を成しているものは何一つ変わっていないはずだ。
そんな自分が他人からの信頼に足る人間なのか自信がなかった。
「詰まるところ全員賛成ってわけか……参ったねこりゃ。とんだ拾いものをしたもんだ。たった独りから始めて、エルフの奴隷姉妹に巨人の剣闘士、そしてニンフの格闘娘と小人の変態魔術師ときて今度は異世界人かよ。選り取り見取りってぇのはこの事だな」
くくく、と喉の奥で心底愉快そうにクラウドは笑った。
「人生は選択の連続で成り立っておる。わしはお主の選択に従おう。元々この集団はお主の心意気に惹かれて集まった者達ばかりじゃわい。最後は皆がお主の選択に追従するだろう……ただ一名は違うようじゃがのう」
エーナの胸の中に抱かれたままだったニーナの顔が真っ赤に沸騰した。それを見て幾重にも刻まれた皺を更に寄せ、ロギスはホッホッホと笑う。
「それ俺に押しつけてるだけじゃねぇか……ああ、もうっ!!」
ガシガシと乱暴に頭を掻いてクラウドは勢い良く立ち上がった。
「リョウの扱いについては俺が決める。異議は認めねぇ……それで構わねぇな?」
最後に確認するようにクラウドは仲間を見渡していく。ニーナを除いた全員が頷いた。
「よし、それじゃあよう――」
刹那、白摩の首筋に鈍く光る冷たい刃が押し当てられた。
「――ッ!?」
一気に身体の芯が凍りつく。
抜刀のモーションから抜き放たれた刃がいつ首筋に押し当てられたのか全く分からなかった。
人間の知覚限界を易々と超えた一撃。強いと思っていたがまさか此処までとは。湖の一件においてこのレベルの攻撃を行われていたのならば、きっと白摩は今頃黄泉の世界の住人になっていただろう。
背中を泡立つような戦慄が走る。
クラウドの行動は皆の予想を越えたものであったらしく、全員が目を丸くしている。
その中でいち早く我に帰ったニーナが非難の声を挙げた
「ク、クラウド!?いったい何を――」
「黙れ。これはリョウと俺の問題だ。お前は何にも言わねぇでそこに座ってろ」
底冷えするような声とギラリと光る眼孔に射竦められたニーナが金縛りにあったように動かなくなる。
それは白摩も同じだった。薄皮一枚隔てたところにある刃が身体の制御を奪う。
ここまで全く抵抗できないという状況はある意味初めてのことだった。
硬直したように固まる白摩を鋭い眼差しで捉え、クラウドは重々しく口を開いた。
「ほんとはこんな事したかねぇんだがな……俺にも背負ってるもんがあんだ」
「……構わないさ。で、これからどうする気だ?」
まさかこのまま首チョンパなんて羽目にならないだろうな、と内心ビクついていた白摩にクラウドは淡々と告げた。
「何、簡単なことだ。これから一つだけ質問する。お前はそれに答えろ。その返答次第で全部決める」
「……了解。どうぞ」
回答の如何によってどうなるかは定かでないが、恐らく殺されはしないだろう。クラウドは敵対する者以外には剣は向けない……ハズだ。 このまま白摩をほっぽりだしてもクラウドには何の問題もない。ならばクラウドがここで白摩を殺すのは余り得策ではないだろう。
ただこれは白摩の希望的観測に過ぎなかったが。
「話が早くて助かるぜ…………質問だ、お前は殺したいほど憎い奴がいたらどうする?」
途端、白摩の脳裏にはあの日のことがフラッシュバックしていた。
ありきたりな黒布切れの奥で不気味に笑う痩躯の男。その手には今さっき付着したばかりの血液が滴り落ちている。 白摩はその光景を“彼女”だったモノを抱いたまま見ていた。ほんの少し前まで鼓動を刻み、温もりを生み出していたものは、今はとても冷たい。
『その女も馬鹿だよな。こんなガキ庇ってくたばんなんてよ!』
大事な人を奪った男は高らかに哄笑を上げた。
突如として全身の血液が沸騰すると錯覚するほど、身体中が熱くなった。心臓の鼓動が早鐘のようになり、息が荒くなる。
今まで感じていた恐怖が別のどす黒い感情で上書きされてゆく。
その時、白摩は自分を完全に支配した。
――そうだ。俺の意志はあの時から何も変わらない
“白摩零”はあの瞬間に生まれたと言っていい。自分の中に初めて芽生えた黒い激情に身を任したときから。
それこそが白摩の本質だ。善性など欠片も持ち合わせていない。ただ自分の欲望に忠実な人間。
そんな事は今更確認するまでもない。どれほど陽向の場所で暮らそうと、怒りや憎悪は常に白摩の周りに付きまとってくる。
自分を忘れたことなど、只の一度も有りはしない。
だからだろう。本当に今更なことを考えさせられて、白摩はそれでも穏やかに笑った。傍目からみればその表情はとても慈愛深く見えたに違いない。
「――世界の果てまで追い掛けて必ずぶち殺す。どんな手段を使ってもだ」
白摩の口から飛び出した言葉を始めは誰も理解出来なかった筈だ。それほどまでに表情と言動が一致していなかった。
そして数瞬の間を置いて、焚き火を囲む全員の顔が強張った――只一人、クラウドを除いて。
鷲色の瞳が白摩の奥の奥を見透かそうとしてくる。
「……それがお前の答えか……リョウ」
「そうだ。正真正銘嘘偽りのない本心だ」
「神に誓ってそう言えるか?」
「悪いが神を信じていないんでな……ただそうだな。俺の最も大切な人に誓おう……クラウド、これが俺の本音だよ」
殺されるかもしれないと白摩は思っていた。常人ならば白摩と同じ立場に立たされたとき、きっと他人から好印象を受けるようなことを言うはずだ。
それが欺瞞に満ちていようと自分が生き残るために。
だが白摩は生きることより『自分』を選んだ。『自分』こそが根元であり“白摩零”という男の核をなしていると白摩は知っている。
『自分』を否定することは即ち己の人生を否定することだ。そうなれば今まで歩んで来た道程全てが無駄になってしまう。
それは白摩が死より恐れていたことだった。
だから白摩は『生』ではなく『自分』を選ぶ。例え死ぬことになったとしても。
じっと白摩を見つめていたクラウドは握りしめた柄にさらなる力を加えた。
「覚悟は出来てるんだろうな」
「――勿論」
白摩は笑った。多分それは無垢で無邪気なそれだった。
「そうかい。なら――」
首に押し当てられた刃を引き戻し、クラウドは上段に構えた。ニーナが悲鳴を上げ白摩とクラウドの間に割り込もうとするが、エーナが後ろから抱き締られ動きを封じられる。
他の三人は事態をただ静観しているたけだ。まるで結果は既に分かっていると言わんばかりの態度だ。
動けない、逃げたい、楽になりたい、終わりたい。様々な感情が嵐のように吹き荒れ、竜巻のように混ぜられていく。
それでも白摩はクラウドの鷲色の瞳から目を離さなかった。自分の『オワリ』を鼓膜に焼き付けるために。
嘗て、“彼女”の『オワリ』が白摩であったときのように。白摩はクラウドを見つめた。
クラウドもまた白摩を見つめ、そして――。
「――合格だ」
刀を地面に勢い良く突き差すと口端を釣り上げニヤリと笑った。
「……首刎られると思ったんだけどな」
「お前何か勘違いしてねぇか?俺は別にお前の答えが何であれ別に構わねぇんだよ。ただお前が嘘つかねぇでホントのこと言うか試しただけだ」
「いや、だったらもっと他に結構色んな種類の問いが有ると思うんだが?」
「俺はなリョウ。人間の本性がさらけ出されんのって負の感情が全面的に押し出されたときだと思ってんだよ。それが強い分だけそいつの心の中が明るみに出る。それであの問いだ……まあ、こう見えて人を見る目は有るつもりなんでな。お前にはああ言うのが一番いいと感じたんだ」
直感という訳ではないだろうが、随分と的を射た質問もあったものだと白摩は半分呆れていた。
どうやら鷲色の瞳はしっかりと白摩の本質を見抜いていたらしい。
「俺が言うのもなんだが……いいのか? 問に対する答えがあれで」
「だから構わねぇっつったろ? お前が何か抱えてんのは分かるがそれは後々一緒に考えればいい」
「一緒に……か」
白摩は自分の右掌を眺める。不意に血で塗れて見えた。
べっとりと手にこびりつくそれは恐らく一生消えない。
咎の証たるそれは白摩の魂に奥に絡みつき、精神を縛り付ける。
右手に指が食い込むほど握りしめた所で、クラウドが手を差し伸べてきた。
奇しくもその姿は黒梛に重なって見えた。
「リョウ、今日から俺たちは家族だ。家族は喜びも悲しみも一緒に分かち合う……一緒にいくぞ。お前に冒険の面白さをたっぷり教えてやる」
「髭面でいっても格好よくないぞ」
差し出された手掴むと白摩は思いっきり引いて立ち上がった。
「お前も何れ俺がどれほどかっけぇか気付くときが来る。その時が惚れるじゃねぇぞ?」「……そんなことに成ったら死んでやる」
憮然とした表情で白摩が睨むと、クラウドはニヤニヤと笑う。
暫くそうしていると白摩もつられて笑いはじめた。その内それは周りに伝播し、バルメは嬌声にも似た声を上げ、ロギスはヒッヒッヒと不気味に笑いエーナも上品に口に手を当て少しだけ声を出して笑った。ゴーザンでさえ、男前に微笑んだ。
実にくだらない。でも久方振りに白摩は腹の底から笑った。思えば笑うこと自体あの日から少なくなっていたと思う。
紆余曲折はあったが、どうやら白摩は無事彼らに受け入れられたらしい。
まだまだ先は暗く何があるか分からない。けれどもこの世界に来て新しい絆が生まれた。
人を傷つけるのが人間ならば、癒すことが出来るのもまた人間なのだ。
夜は深まっていき、火の粉が舞い上がり満天の夜空を彩る。焚き火に照らし出された男女の顔は皆明るいものだった。
只一人、ニーナを除いて。
姉に抱き締められていたニーナはゆらぁっと立ち上がると、幽鬼の如くクラウドに近寄った。
その華奢な身体は仄かに蒼い光を纏っていた。
「っておい。どうしたニーナ?そんな暗い顔して。リョウが仲間に入ってうれしくないのかよ」
このときクラウドがニーナの異変に気付けなかったのも無理はない。
ニーナの纏装はクラウドと比べると、纏う光は弱くどこか不安定であった。
だが異様なまでにニーナから立ち上る殺気が白摩の笑いを完全に止める。
何故だか分からないが急に心胆が冷えてくる。それは正しく原始的な危機本能から来る警告だ。
「……ねぇ、クラウド」
「ん?もっと大きな声じゃねぇと聞こえねぇぞ」
「リョウは恩人だって……私言ったよね。それを数時間に二度も殺しかけるってどういうこと?」
「え、えーと。ニーナ……さん? ちょっと待ってくれよ。一回目はともかく二回目は殺る気は毛頭なかったんだけど。それにあれ試験的なものだったし俺は頭領としての役目を果たしただけ――」
言い訳がましく焦ったように口上をまくしたてるクラウドを、ニーナが鋭い目つきで射竦める。
可愛らしいニーナがこのときだけ白摩には鬼に見えた。
「いっつもいっつも先走って勝手に決めちゃって……もう我慢の限界」
「いやいやいやそれで結果的に上手く行くんだから別によくね? ……おい、何拳握りしめてんだ……ってかお前その光は……」
「反省の色もなし、厚生する意志もなし………………お仕置きだよ」
ニーナは握り締めた拳を振りかぶる。クラウドの顔から汗が滝のように降り出した。
「はははは……冗談、だよな? いくら俺でも何もなしで纏装使って殴られたら挽き肉になるっていうか細切れっていうか……あ、俺も纏装使えばいいのか――」
何だ楽勝じゃねぇか、と余裕の笑みを取り戻したクラウド。しかしニーナはそれを一瞬で瓦解させる。
「――お姉ちゃんと別れたいなら別にいいけど」
「さぁ来いやぁああああああ!!」
きっとクラウドは泣いていただろう。只それを見てやるのは男ではない。
これからこの家族一員になるのだ。家長の情け無い姿を見たくなかった。
白摩はじりじりニーナに迫られ、足がガクガク震えるクラウドからそっと目を離した。
直後、深夜の森の静寂を切り裂くように裂帛の気合いと悲痛な絶叫が響いた。
「クラウドのバカァァアアアアアアア!!」
「ドゥハァアアアアアアア!?」
こんな毎日ならきっと飽きない。まだ何も分からず不安だらけであるが、きっとこれからは楽しいものになるだろうと白摩はこのとき笑って思った。
――絶望の舞台が幕を上げようしているのを知らないまま。
ここまでお付き合い下さい、ありがとうございます。感想、ご指摘など御座いましたらドシドシお願い致します。