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episode4『早とちりな過保護』

 京都の葵祭、果たして俺は来年拝めることが出来るのだろうか。これから偏差値10上げるとかどんな無理げーだよとか愚痴りたい……。

 白摩が近づいても少女は未だに呆然としたまま固まっていた。立ち上がっているため色々見えてはいけないところ見えてしまっている。  

 幸い? なことに手のひらサイズの膨らみは金糸のような長い金髪によって隠されているが、それでも佇む少女はいたく扇情的だった。処女雪のような柔らかそうな肌も、水の滴る鎖骨や太股も劣情を抱くには十分な要因だ。

 白摩も年頃の男だ。ある程度性欲を自制することは出来るが、それでも腹の奥から込み上げてくる欲望が無いわけでもない。

 

 つまりは非常に目の毒だった。

 このままでは色んな意味で危ういと判断し、白摩は少女に懇願めいた言葉で言った。 

「……とりあえず服着てくれない?」

「え……あ、きゃっ」


 ボッン、と音が出ても可笑しくないほど顔を紅潮させると少女は自分の躰を掻き抱くようにうずくまってしまった。

 小動物の如く耽美な肢体を縮め微かに震える姿は更に情欲をそそる。髪の隙間から覗くうなじに、つぅ、と水が流れ落ち思わず吸いつき貪りたくなる。


「……って、何考えてんだ、俺。どこの変態だよ」


 言い訳することを許されるのであれば、白摩がそう思ってしまうのも無理はない。

 元来白摩は硬派の部類に入る。異性に対する欲が無いわけでもなかったが、渇望するほどてはない。寧ろ理想が高すぎるのだろう。

 それは可愛い女がいいとか美人をモノにしたいとか言う方面とはベクトルが異なる。


 白摩が真に欲して止まないもの。

 永遠に手に入れることのかなわない失われた人間。

 馬鹿げていることは分かっている。それでも妥協できるはずも、はいそうですかと納得できる理由もない。

 白摩にとって“彼女”だけが特別な存在だった。生き甲斐、寄り所、存在意義。言葉は沢山あるけれど、きっとそれだけでは言い尽くせない。


 自己弁護とも取れる言い訳をこねくり回したところで、本気で変な気分になってきたので、紺のブレザーの上着を脱いで少女の白磁の背中に掛けた。


「え……?」 


 驚いたように少女は目を瞬く。碧の瞳に困惑が光。


「服を取りに行くまでそれ着といてくれ。男物だから多少ぶかいと思うが」


「え、あの、いいの?」


「ん?ああ、別にかまわないよ。それなくてもカッターシャツ着てるし」


「そうじゃなくてッ!!」 


 少女の叫びに驚いたのか木々の枝から小鳥たちが飛び上がった。

 正直、白摩もこの事態に驚きを隠せないでいた。これまでのやり取りから何か気に障ることでもしたかと探ってみるが、そもそも会話と言えるほど何もしてない。

 ともすればブレザーのことかもしれない。……まさか匂いか。自分では分からなかったが、確かに白摩は一日中歩き通し汗も掻いた。


「悪い。そんなに臭いがキツかったとは思わなかったんだ」

 頭を下げて謝意を表明した。すると、少女は驚いたように目を見開いた。


「え!?あ、ええと……臭くないよ?寧ろ暖かいっていうか……いい匂いがする」

 

 ブレザーに顔をうずめながら言った少女の頬は、見知らぬ男に裸体を見られたときのように赤く染まっている。

 それは段々広がって行き、うなじに赤みが差した。

 金糸を軽く凌駕する輝きを放つ金髪の中に見える耳も真っ赤だ。

 と、そこで白摩あることに気づいた。


「……長い」


 黄金の流れの中に見える耳は、人間では有り得ないほど長く尖っている。

 突然の事態。何だかこっちに来てからそればかりの気がしないでもないが、今度ばかりは非常に困った。

 恐らくだが、少女の態度はこれ故なのではないか。身体的特徴で他者を貶めようとする輩は世の中に蔓延ってる。

 さて、どうしようかと白摩が対応を模索していると、少女は何か気づいたように口を開き、やがて諦めたように薄く笑った。


「やっと気付いたんだね……」


 諦念混じりの吐息を漏らし、少女は耳にかかる金髪を掻き上げた。

 露わになった耳は縦に細長かったが、今はしょんぼりと垂れている。どうやら感情に比例しするらしい。


「私はエルフ。森の守り人の末裔」


 白摩は思わず息をのんだ。

 エルフ、ファンタジーでは馴染み深い存在だ。人より美しく、人より長命で、人より卓越した力を持つ。

 まさかJ.R.R. トールキンの物語に登場するエルフの姿そのままとは予想だにしなかったが。

 だが、少女の美貌なら納得もいく。これがこの世界の標準基準なら元の世界の女たちが不憫すぎだ。

 華奢な躰、潤んだ碧眼、煌めく金髪。どれをとっても一級品に相違ない。


 しかし、そこで白摩の脳裏にある疑問が生まれた。


「……それが何?」

「え?」

 

 吃驚したようぴくっ、と震えた。

 白摩には少女の言いたいことも、何故こんな態度を取るのかも理解できない。


「もしかして人間と話してはいけないとか……そんな決まりでもあるのか?」


「そ、そんなの無いけど……でも嫌でしょ?亜人の、それもエルフなんて」


「いや全く」


 しれっと答える白摩に少女は顔を上げた。少女の表情は、困惑しているような、図りかねているような、そんな気がした。


「……何で?怖くないの? あなたに危害を加えるかもしれないのに」


「やるなら最初からやってるだろ。それに、獣に襲われてたアンタにそんなことが出来ると思わない」


「でも、こんな醜い耳だし」


 あくまで少女は自分を卑下しているようだ。今のやり取りでこの世界の人間種と亜人種との確執が垣間見えた。 人間とは自分と異なる存在を認めようとしない。それが迫害となって顕れているのだろう。

 きっと少女が今口にした言葉は昔誰かに言われたことに違いない。

 どこの世界であっても人間の本質はまるで変わらないらしい。


「俺は綺麗だと思うぞ?」


 跪き少女と同じ目線に合わせる。そして白摩はごめん、と呟くとそっと少女の耳に触れた。


「形もいいし……いやエルフの基準は分からんが」


 慎重な手つきで少女の耳を撫でていく。垂れているからなのか今の少女の耳は非常に柔らかく揉み心地が良い。


「あ……んぁ」


 白摩が耳に触れる度に少女は熱っぽい吐息を零す。こころなしか少女の息が荒くなり、上着の隙間から覗く肢体が僅かに痙攣しているように見えるが構わず白摩は続ける。 普段の白摩らしくない行動。だが少女には自分がどれほど魅力的なのか知ってもらいたかった。  

 他者に排他され、傷付けられたら者の気持ちを白摩は痛いほど理解できる。

 これしきのことで心の傷が言えるとは思わないが、皮肉なことに人肌の暖かさは安らぎを与える効果がある。


 大切なものに愛撫していくように、優しく触れるか触れないか程度の力でなでる。


 一通り耳を撫で回し、少女の顔が沸騰しそうになったところで手を話した。


「この世界の人間がどうだか知らないが、俺はアンタを醜いだなんて思わないし差別する気もない」

 白摩には珍しく微笑んだ言った。そんな姿をまっすぐ見つめていた少女は弱々しい声で呟いた。


「何で……?何で初対面の私にそんなこと言ってくれるの?」


 少女の問いには微かな期待と、それより大きな不安が滲んでいる。

 何故他人にそこまで出来るのか。“白摩零”と言う人間は決して正義の味方などではない。基本的に他人などには興味がなく、自分の内いる人間しか仲間だとは思わない。

 人助けをしていたのだって“黒梛悠”という善人が隣に居たからだ。本人は否定するだろうが黒梛は間違いなく光の人間。影である白摩は黒梛の行動について行くだけだった。


 だから白摩が他人を助けるのは内に入っている者だけ。

 つまりこの場合、

「俺はアンタに親近感を感じてるんだ。理不尽な理由で他者に排斥されるアンタに。俺は共感することが出来る」


 辛く、悲しいとき白摩の側にはいつも“彼女”がいてくれた。それがどれだけ掛け替えのないものだったのか、失って初めて気づいた。


 過去の愚行を思い出し、自嘲していると少女のしなやかな腕が伸ばされ暖かい手が白摩の頬に触れた。


「君も一緒なんだね……辛い?」


 少女の慈愛が掌の温もりとなって白摩の頬に伝わる。

 慰めるつもりが逆に慰められてしまった。思わず苦笑が出るが、嫌な気分ではない。

 白摩がしたように頬を撫でる少女の手に、そっと自身の手を重ねる。


「多少は。でも俺には助けてくれる人が居たから。グレた俺を本気で殴って明るい陽向に連れ出してくれた奴がいたから。今、俺はこうして君の近くにいることが出来る。偉そうなことしか言えないが君は君のままでいればいい」


 それに、と前置きを入れて白摩は笑った。


「君は本当に綺麗だ。俺なら絶対放っておかないな」


 人を食ったような発言を平然と放った白摩。言葉の受け取り手である少女は最初ぽかん、としていたがやがて頬を赤くし嬉しそうに笑った。


「フフフ、そんなこと言われたの二度目だよ」


「あれ、一番じゃないんだ」


 残念と言わんばかりの白摩に少女は更に笑みを深める。


「そう言うところもあの人に似てるかも。その人もね、人間なんだ」



「もしかして恋人だったりするのか?」

「ううん。私のじゃなくてお姉ちゃんの恋人だよ。ちょっと早とちりなところがあるけど、優しくて頼りがいがあって、私にとってお兄さんみたいな人なの」


「へえ……今も近くに?」


「うん、水浴びしに私だけ抜けてきたから……ちょっと時間経ってるしもうそろそろみんな来るんじゃないかな」


 予想通り、と言ったところか。絶世の美人がこんな薄暗いもりの中に一人で居るはずがないから、仲間がいるのだろうと当たりを付けていたのだが、案の定と言うわけだ。


 未だ慣れない異世界。安易に繋がりを増やすのは気が進まないが、少女の仲間なら聡明な人物たちの集まりに違いない。 多くは望まないが出来れば人里に連れて行って欲しいところだ。

 

 さてどうやって渡りをつけようかと思っていると、少女がはっと息を呑んだ。

「私ったら……一番大事なことを忘れちゃってた……」


「大事なことって、何だ?」


「私あなたに助けられたのにお礼も言ってないし、名前も聞いてない……」


 しょんぼりと肩を落とす少女が可愛らしく、白摩は笑った。


「そんなことぐらい別に気にしなくてもいいのに」


「ダメだよ、こういうのはしっかりしないと……恩人を蔑ろにしたなんてばれたらお姉ちゃんになにされるか」


 不意にガタガタと震えだす少女が何故だか無償に可笑しい。


「まあ、それもそうだな。俺の名前は白摩零、16歳、白摩が姓で零が名前だ。よろしく」


 白摩は手を差し出し、少女も答えるように握り返した。


「ニーナ・ヴァム・エルルフィ、17歳です。ニーナって呼んでね。助けてくれてありがとう……それと慰めてくれたことも」


 微笑んだニーナは今まで見たことのある異性の中で二番に綺麗だった。

 女神が絵画の中から抜け出てきたような光景の中、白摩は他人から見たらどうでもいいことに愕然としていた。


「年上、だと?」


 至極どうでも良いことだろう。だが、白摩にとって看過出来ない問題だった。  エルフなのだから普通に考えて、見た目通りの年齢でないことのほうが自然なのだが、何故この時白摩はニーナのことを年下だと勘違いしていた。 年上の女性に上から目線の物言い。端的に言えば非常に滑稽だった。


 ニーナがそう思ったのかどうか分からないが、女神のように美しい少女は可笑しそうに苦笑した。

「年下さんだったのかぁ……てっきり年上だと思ってたよ」

「俺もだ、偉そうに弁舌垂れ流していたことが恥ずかしすぎるな」


「そんなことないよ。十分格好良かったし……」


「そういってもらえると有り難いよ」


 肩を竦める白摩をニーナは熱っぽい視線で見ている。

 

「ねぇ、気になってたんだけど……もしかしてリョウって出雲族のひと?」


「へぇ?出雲族って何」

 突然のニーナの言葉に白摩は間抜けな声を出した。 


「違うんだ……少し茶が混じってるけど黒髪だし、名前の感じや見たことのない服装してるからそうなんじゃないかって思ってたんだけど……あれ……よく見たらクラウドに見せてもらった装束と違うかも」


 何やらぶつぶつ呟くニーナ。そんな少女の姿を見ながら、白摩はふと思った疑問を口にした。


「なあ、俺みたいな人間って結構居るのか?」


「ううん。出雲族はカルディス大陸に唯一居る人族だから滅多にみることはないかな……それに戦闘民族って言われる程腕の立つ人ばかりだから傭兵とかが多いの。“カタナ”って武器で戦うんだよ」

「マジか……」

 思わずツッコミそうになるのを白摩は何とか飲み込んだ。カタナとは“刀”のことだろう。黒髪がこの世界で稀少なのも驚きだが、それより白摩のような人間がこちらの世界にいることの方が驚きだ。


 あの女――白摩がこの世界に迷い込む要因となった狂人。もしかしたら他にも白摩のように異世界から迷い込んだ人間がいるのかもしれない。


 右も左も分からないこの世界で初めて光明が見えた気がした。


「そのカルディス大陸って此処とは違うのか?」


 疑問をぶつけてみるとニーナは、えっ、といった表情になった。


「えーと、カルディス大陸は南方の大陸だから此処からだと3ヶ月くらいかかるかな……一応聞くけど此処がどこだか分かるよね?」


「いや、全く」


 しれっと答える白摩にニーナは目を見開いた。


「知らない……の?え、でもこんなの幼児でも知ってることだよ?」


 つまり俺は幼児以下か、と心のメモ帳に記載する白摩だったがニーナの方は信じられないといった様子で愕然としている。


「信じられない……じゃあ何で此処に? ううん。リョウ、あなたは一体……」


「その話は追々ということで。それより岸に上がらないか?今の格好だと寒いだろ」


 


 ニーナは艶美な肢体に白摩のブレザーを羽織っているだけだ。

 何とも可愛らしい姿ではあるが、幾ら暖かな陽気とは言えニーナの格好では風邪を引いてしまうかもしれない。


 白摩の言葉で今の自分の姿を思い出したのか、あっ、と声を出しニーナはブレザーの前の辺りをぎゅっと閉めた。

 またしてもニーナ頬が羞恥で紅く染まる。


「そ、そうだね。岸辺においてあるから取ってくるね」 


「分かった。ほら、手」


 手を差し出すと、ニーナは嬉しそうに笑った。本当にニーナは笑顔が似合う。迫害する奴らの気が白摩には理解不能だ。


「ありがとう、リョウ」

 ニーナが手を握ったことを確認し、引っ張り起こそうとしたとき森から数人の男女が出てきた。


「ったく、おいニーナ。遅いから迎えに来てやったぞ。水浴びくらいさっさと済ませろ……って」


 そこで一番先頭にいたくすんだ赤髪に悪趣味なバンダナを巻いた男の表情が凍りついた。

 

「あらあら」


 悪趣味バンダナ男の後ろに付いていたニーナによく似た女が悪戯っぽく笑った。

 どうやら彼らがニーナの言う仲間たちのようだ。

 更に後ろからぞろぞろ集まり、総勢5人程の集団になった。

 全員集まると非常にファンタスティックな一団だ。浅黒い肌の身体の凹凸がはっきりとした女に、身長三メートル以上はありそうな筋骨隆々の大男、そして背丈は小さいながら顔は深い皺が刻まれ見事な髭を蓄えた老人。

 ただの人間は悪趣味バンダナ男だけらしい。よく見ると腰に刀を佩いていて、防具は日本鎧らしきものをつけている。 

 ニーナ似の女はまず間違いなくニーナの姉だろう。金髪碧眼と縦に細長い耳とうった身体的特徴が一致する。

 違いがあるとすれば、たわわに実った膨らみと溢れ出る色気だろうか。

 新緑の着物をアレンジし所謂浴衣ドレスにしたような装束を纏っている。

 着物の面影は跡形もなく、大きく開いた胸元や柔らかそうなな太股が露出した短い裾、といった目のやり場に困る服装になっていた。


 そこで白摩はニーナとの会話を思い出した。あの話が事実ならニーナと負けず劣らずのこの美女は、悪趣味バンダナ男と付き合っていることになる。


 何故だろうか。非常に納得がいかない。


 センスで溢れている女に対し、男の方は顔は良いが身嗜みに気を使う性格ではないらしく、ボサボサの髪と無精ひげといった粗野な印象を受ける。

 端的に言うと釣り合いがとれていない。


 ニーナの仲間たちを一人一人観察していると、わなわなと震えたいた悪趣味バンダナ野郎が白摩を指差し言った。


「て、てめぇは……」 


「あー、お嬢さんとは仲良くやらしてもらって――」


「人攫いかッ!!」


「「「え」」」


 悪趣味バンダナ男以外の全員の目が点になった。

 人攫い扱いを受けた当の本人である白摩は失念していた。自分がどれほど神様とやらから嫌われていることに。


 今、白摩はしゃがみ込んでいる紺のブレザーの上着を羽織ってだけの少女の手を握り引っ張り上げようとしている。


 こじつけも甚だしいが、ニーナの重心が後ろに置かれている状態で白摩が引っ張ろうとしている姿は、嫌がる少女を無理やり連れて行こうとしているように見ええなくもない。


 そしてこの状況、恐らく悪趣味バンダナ男にはこう映っているのだろう。


 例えば、木の棒を持ち裸体の少女に襲いかかる変態。 例えば、嫌がり抵抗する少女を無理やり拉致しようとする人攫い。


 案の定、バンダナ男は怒りに男臭い顔を歪めると震える手で腰の刀の柄に手を伸ばした。


「よくもニーナに手を出してくれたな。絶対ぇ許さねえッ!!」


「ち、違うよクラウド!!リョウは私を助けて――」


 慌てて白摩を弁護しようとするが、ニーナの声はバンダナ男には届かない。


纏装アルタトゥーム!!」


 低い唸りがバンダナ男の口腔から叫ばれると、鍛えられていることが鎧ごしに分かるほど研ぎ澄まされた肉体を仄かに蒼い光が包んだ。

 同時に男から途轍もない威圧感が放たれる。直感が、この男がヤバいと警告してくる。

 いつの間にか男は震えがとまっており、今は張り詰めた冷徹な殺意だけがバンダナ男という存在を成り立たせている。

「俺の仲間に手ぇ出したんだ……覚悟は出来てんだろうなァ」


「覚悟か……アンタを熨す覚悟なら出来てるよ」


「ち、ちょっとなに言ってるの!?ああ見えてクラウドは“月奇”って呼ばれてて……」


 人を喰ったように宣う白摩にニーナは慌ててように言う。 

 だが、このとき内心では白摩も相当焦っていた。

 男の存在感が尋常じゃない。早とちり野郎とは思えないほど纏う空気は鋭く重い。勝てない、と本能が警鐘を鳴らしてくるが白摩はそれを精神力のみで押さえつける。


 恐怖は足を竦ませ、焦りは頭の回転を鈍らせる。

 やることはなにも変わらない。どうにかしてバンダナ男と交渉し、人里まで連れて行ってもらう。

 ただ手段が、会話から拳に変わっただけだ。

 本当ならニーナかその仲間たちに仲裁に入ってもらって、バンダナ男の勘違いを正してもらいたいところだが、ニーナは絶えずバンダナ男に呼びかけているも届かず、色黒美人と筋肉巨人と老獪小人たちは『またか』と呆れたような顔をしているだけだ。

 ニーナ姉に至っては頬を上気させ、うっとりした様子でバンダナ男を見つめている。納得がいかない。


「人攫い風情が言うじゃねぇか。その減らず口、二度と開けねぇようにしてやる」



 殺気を隠そうともしないバンダナ男に息が詰まりそうなる程のプレッシャーを感じながらも、白摩はそよ風のように受け流し人を喰ったように言った。


「なら俺はアンタの悪趣味なバンダナを貰おうか――靴磨き用として」


 白摩も何故自分がこんなガキっぽい挑発をしたのかは分からなかった。多分、ニーナ似の絶世の美女がバンダナ男に本気で惚れているのが妬ましかったのだ。

 ニーナ似の美女の視線は艶っぽく、そこには溢れんばかりの愛情が宿っている。男の一人として羨ましくもなろう。


 そんな僻みからの言葉は、どうやらバンダナ男の逆鱗に触れてしまったらしい。

 ニーナが隣で、あっと声を上げ、バンダナ男は抜刀する否かだった刀剣を容赦なく抜き放った。


「ニーナに手を出しエーナからの贈り物を侮辱するたぁ……よっぽ死にてぇよォだな!!」

 怒気を迸らせたバンダナ男は左下段に刀を構えると、大地を砕かんばかりに地を蹴った。

 

 このとき白摩は自分の浅慮さを呪った。バンダナ男は圧倒的に強い。だが、反撃せずに回避のみに重点を置いておけば勝機はあると考えていた。


 如何に猛者と言えど所詮は人の子。人間の身ではたどり着ける極地に限界がある。

 それは常識的に考えても、経験則からいっても正しいことだっただろう。

 あくまで此処が『地球』というある意味確立されている場所であるという前提の上だが。


 白摩がバンダナ男の異常性を認知したときには既に、鈍銀に光る刀身は目の前に達していた。


「――ッ!!」


 およそ、人間では有り得ない速度で水面を駆けたバンダナ男に驚愕し、死んだ、と思ったのも束の間。繋がれたままだった手が勢いよく引かれ体勢が傾いた。

 直後、前髪が何本が斬りつけられ宙に舞った。

 白摩にとって幸運だったのはニーナと手を繋いだままだったことと、バンダナ男が本気で白摩を殺すため首を狙ったことだ。

 どれか一つでも欠けていれば、今頃白摩は不本意の内に“彼女”とあの世で再会することになっただろう。 その場合、白摩が天国にいけることが第一条件となるのだが。今までの行いを鑑みてみるに、それは非常に難しいだろう。出来れば死ぬ前に幾らか徳を積んで、閻魔を騙くらかすだけの交渉材料にしたいものだったが。


「ちっ、避けんのかよッ!!」


 バンダナ男は舌打ちをするが、恐らく次はない。それならばやることは一つだ。


「クラウド!いい加減に――」


「ごめん」


 謝罪の言葉を口にして白摩はニーナを突き飛ばした。同時に十全に扱うことが出来ない木棒を放り捨てる。

 バンダナ男に抗議しようとしたニーナは、えっ、と呆然とした表情を浮かべた。


「てめぇ!!この期に及んで――」


 白摩がニーナを突き飛ばした理由は簡単。この美しい少女を巻き込まないようにするためだ。 まだバンダナ男が出現する前、湖岸で聞かされた話ならばニーナはバンダナ男を慕っているらしい。

 幾ら初対面とは云え、恩人と思っている人間が兄のように慕っている男に斬り殺される姿はニーナにどれほど悲痛を与えるか分からない。

 差別され、迫害を受けるニーナに同じ痛みを理解できる白摩はそれ以上の苦痛を追わせたくなかった。


 短期間ではあるが“白摩零”はニーナを自分の内の人間――仲間だと思っていた。


 仲間は絶対見捨てず、傷付けない。それはあの日、生まれて初めて『友達』を手に入れた瞬間誓ったことだった。


 そして、殺されるにしても最後の最後まで抗ってやる。それが白摩の意地であり誇りだ。


 誰にも屈しず、誰にも冒させない。

 それはもう一つの誓い。あの日、“彼女”の冷たくなった骸に口付けし、再会のその時まで守り通すと決めた誓約。


「はぁッ!!」


 凄まじい速度で右に薙いだ刃が白摩の左腕を掠った。鋭い痛みが走り、白いワイシャツが紅く滲む。


 直後にバンダナ男の足下を掬うように蹴りを放つが、飛び上がり回避される。 そのまま空中に滞空した状態でバンダナ男は唐竹割りを振り下ろす。

 

「うォっ!」


 無様に水の上を転がり何とか回避する。そんな白摩の姿をバンダナ男は嘲笑するように言い放った。


「てめぇ、舐めてんのか?纏装アルタートゥームも使わないでどうやって戦う気だ」


「生憎とこっちの世界じゃビギナーなんでな、そんなもんは知らん」


「はっ、詰まりてめぇは始祖術式も使えねぇずぶの素人ってわけか。そんなんでよくエルフを捕まえようなんで大それたことをしようとしたもんだ」


「いやいや、アンタも相当だぞ。一回その髭面整えた方がいいんじゃないか?」

「へっ、好いた女がこのままが良いって言ってんだ。何も問題はねぇよ」


「さいです――かッ!!」


 会話中の不意の一撃。卑怯と罵られようと、恋人の話を持ち出しバンダナ男がほんの少し気の弛んだこの一瞬を逃す手はない。

 僅かな勝機。この一撃に全てを込める。クイックドロウ並の速さで打ち出す拳は真っ直ぐバンダナ男の髭面に吸い込まれていく。


 バンダナ男が驚いたように目を見開く。

 鍛えた膂力に腰を捻ることで体重を加え威力を出来うる限り跳ね上げる。正真正銘、渾身の右ストレート。

 当たればよくて前歯全損、悪くては顔面陥没――のハズだった。


 グギャ!!、と鈍い音が炸裂した。


「ぐぁあああああッ!!」


「てめぇ、ホントになめてんだろ」


 激烈な苦痛に全身から汗が噴き出す。 距離を取ろうとバックステップしたところで脚がもつれ水面に倒れ込んだ。


「くそがァ!!何て硬さだッ!!」 


 激痛の発信地点である右手首を見ると不自然に曲がり白い骨が突き出していた。

血がぽたぽたと滴り落ち、水を紅く染めていく。


纏装アルタトゥームも纏わずぶん殴って来やがるとは……とんだ気骨者か……はたまた只の馬鹿やろうか」


 手首が粉砕する激痛に身体を折り曲げている白摩に、バンダナ男は悠々と近づいてきた。

 その姿は傷ついた獲物に最後のとどめを刺す狩人そのものだ。

 激しく乱れる息のまま、白摩は顔を上げていった。


「……アンタ本当に……人間か?」

「てめぇの手首やったのは纏装アルタトゥームの対物理障壁だ。俺のはそこらのボンクラ共のと違ってちぃとばかり硬度がかてぇのよ。まあ、これでもA級冒険者だからな。魔力フュシスを纏わねぇ拳じゃ俺の『鎧』は砕けねぇぞ」

「固有名詞ベラベラ言うなよ。結局、抵抗は無意味というわけか」


 深いため息を吐き出し、白摩は派手な水しぶきを上げて後ろに倒れた。

 激痛にはちきれそうになっていた全身が急速に冷やされていく。

 そのままぷかぷかと浮いているとバンダナ男は呆気に取られたように言った。

「何だ、もう死ぬ覚悟が出来たのか。随分潔いな」


「別に……ただ最期くらいはお天道様でも拝んでやろうと思ってな」


 こんなことなら最初から誤解を解くべく全力を尽くすべきだったと思うが、それは言っても詮無いことだろう。

 二つの誓約を同時に破ることになろうとは、地球に居た頃では考えられなかったが、此もまた運命なのかもしれない。 足掻いてもがいて失敗してを繰り返してきた人生だったが、それも一興。


 “彼女”と“黒梛悠”に会えただけでも幸運だったと割り切るべきだ。


 脅えるでも泣きわめくでもない白摩を、バンダナ男は無言で眺めていた。


「何でてめぇみてぇな奴が人攫いなんて外道な真似しやがったのか俺にはわかんねぇ。けど、俺は仲間だけは命懸けで守って決めてんだ。此処でてめぇを逃がしたらまたどんな災禍を齎してくるかわんねぇからよ。エルフと添い遂げることを誓った時に、この手を汚す覚悟は出来ている」


 だから、とバンダナ男は前置きし刀を上段に構えた。


「此処で死ね、人攫い。てめぇの骸は俺が背負っていく。恨むなら俺を恨め」


「アンタを恨むつもりはないよ。ここで死ぬのは俺が弱いからだ。気に病む必要はない」


「……そうかい。なら責めて苦痛を伴わないようにしてやる」


 そうしてくれ、と言って白摩は目を閉じた。もっとあらがえよと思うかもしれないが、“白摩零”死ぬついて他者より寛容であった。

 死とは身直にあるものだと白摩は知っている。無論、やり残したことは山のようにあるが、それでも『死』という安らぎを前にしてた意味を持たない。


「人攫い、最期におめぇの名前聞いといてやるよ」


「零だ」


「そうか、あばよリョウ」


 鈍銀に輝く故郷の刃が迫り来る。刀という終焉に全てを委ねるため白摩は目を瞑った――その時だった。


「だめぇえええ!!」

 鋭い切羽詰まった悲鳴。それが誰の者なのか気づいた時には手遅れだった。

 白摩を両手を広げ庇うように立ちはかだる金髪の少女。


 そして、少女の柔肌を切り裂かんばかりに襲う鋼の凶器。 白摩を苦しめずに殺そうとしたバンダナ男の配慮が仇となった。

 超高速で振り抜く刀を止めるこが本人には出来ないのだ。

 まただ。また白摩のせいで人が死ぬ。あれから己を痛めつけ、鍛えたはずなのに何も出来ない。


 運命の悪戯も此処までくると、悪意しか感じられない。

 最早、天国で胡座を掻いているだけの神に再び憎悪が蘇る。

 大切な人に守られ、庇われ、白摩はそれに何一つ報いることは出来ない。仲間なのに。助けられるばかりの無能者。


 粉々に粉砕された右手を突き出し、少女を掴もうとするが――。

 

 絶望が視界を歪ませる。全てがスローテンポになったかのように鈍いが、鋼の刃は確実に迫る。


 数瞬の内に、妖精の如く美しい少女は肉の塊に変わる。これまで積み上げて来たものを無くしてまで、白摩を庇うために死ぬのだ。


――畜生ォオオオオ!!


 声には為らない絶叫が白摩の魂から放たれた。


 そして、遂に鋼の刃がニーナを捉え――。


「――はい、そこまで」

 

 たん、とバンダナ男の額にニーナ姉の扇子が突き出られる。額だけではない。両腕を色黒美人と巨人男が確保し、両足を小人老人が抱え込んでいる。


 目の前で起こったことが分からず、数秒の間白摩に茫然としたままだった。

 

 やっとのこと正気を取り戻したとき、突如起こった出来事に白摩は驚愕するしかなかった。


 少女の命が刈り取られる瞬間、さっきまで傍観していた4人が想像を絶する速度で移動し、バンダナ男の動きを止めたのだ。その動きは人知を凌駕し、彼らがいかに手練れであるか即座にわかるほどだ。


 正直、それ程の力があるならもっと早く助けてほしかったと思わなくもないが、命があるだけ儲けものだと考えるべきだろう。


 黒狼が去った瞬間より一段と大きい疲労感が押し寄せる。

 力なくへたり込んでいると、突然柔らかいものに抱きしめられた。顔を抱え込まれ、優しい素肌の温もりと微かに甘い香りが脳髄を痺れさせる。


「……死ぬかと思っちゃった」


「本当だよ、心臓止まるかと思ったぞ。あんまり無茶しないでくれ」


「うふふ、そうだね。でも身体が勝ってに動いちゃったんだから仕方ないでしょ?」


 柔らかな胸に抱かれていてもわかった。きっと今ニーナは微笑んでいるだろう。

 ついさっきあったばかりの人間に命を張るなど無謀も良いところだ、と自分を棚に上げて白摩がぼんやりと考えていると、不意にニーナが頭を撫でてきた。


「ごめんなさい。私のせいでたくさん迷惑かけたね」


「いいよ、生きてるし。それにしても早とちりというか何て言うか……凄いなあの人」


「普段はそれほど酷くないんだけど……今日はすっごく勘違いしてたね」


 苦笑いするニーナに白摩も同じく苦笑。ちらっと横を見ると、バンダナ男が仲間たちから何やら説教を受けていた。


 暫くニーナの胸の中を堪能する。

 何時しか幼子のように抱きしめられたまま、白摩は微睡みの中をさまよっていた。


「寝てていいよ。傷は私が治してあげるから」


 どうやって、とは言わなかった。こくっと頷きただ白摩は人肌の温もりを感じつつ目を閉じた。

 慈しむように頭を撫でられる。その手付きは赤子を愛するような、恋人に愛を囁くような、そんな確かな感情が籠もったものだった。


「……守ってくれてありがとう…………姉さん」





――……今、俺は何て言った?

 

 自分が何を言ったのか咄嗟に理解することが出来ない。少しして、今さっき自分の口から吐き出された言葉の意味を理解したとき、白摩を取り巻いたのは訳の分からない不可解であった。 年上というだけでニーナに“彼女”の面影を重ねた訳じゃない。だがこのとき、白摩はそう呟くしかなかった。


 “彼女”と同じくニーナは命を懸けて白摩を守ろうとした。その姿は愛して止まない“彼女”にとても似ていた。


 掠れた声で呟いた言葉がニーナに届いたかどうかわからない。ただニーナはその後も黙々と白摩の頭を撫で続けた。


 そんな状態の中で、白摩の意識が微睡みに沈んで行くまでそう長い時間はかからなかった。

 ここまでお付き合い下さい、ありがとうございます。感想、ご指摘など御座いましたらじゃんじゃんお願い致します。

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