3、探索
アシェリーは壁づたいにゆっくり右へと移動して行く。おそらく部屋の造りは隣と似ているはず。
ん? 何かしら……。右手が何かに触れた。両手で輪郭をたどり頭の中で形を作り上げてゆく。
どうやら縦に伸びるパイプの様だ。更にパイプを辿って下へ手を下ろすと、何か大きな物がある。
少しひんやりしていて四角い物。その下には楕円形で中心に穴が……。
「嫌だ! トイレじゃない!」
アシェリーは思い切り手を中に入れて触ってしまった。
「どうした? トイレがあったのか?」
男が心配して声を掛けてくれた。この暗闇でもたいして恐怖感が無いのは彼のお陰だ。
「あ、えぇ、トイレがあったわ! そっちはどう?」
アシェリーは前屈するように床に貯まった水で、手を丁寧に洗いながら聞いた。
「いや、こっちは全然だ! ……!? まて何かあるぞ!」
男が興奮した声を上げた。
「何、何があるの?」
「まてよ……ベッドだ! これはベッドに間違いない!」
男が歓喜の声を上げるが、今現在なんの役にも立ちはしない。
「……そう、引き続きお願いね」
それにしたって私の居た部屋とは違って、随分サービスがいいじゃない? 今見つけただけでも、トイレにベッド。布団もこちら側にあったし、水はバルブこそ隣にあったけど結局この部屋だし。
「あぁ、分かってる」
ギシギシとベッドが軋む音が聞こえる。どうやらベッドに乗って壁を調べるつもりらしい。
その数秒後、男の悲鳴が響き渡った。
「うおぉぁぁ~……」
「な、なな、何よ! 脅かさないで!」
男からの返事が無い。ギシッギシッ…とベッドをゆっくり移動する音だけが響いてくる。
「ちょっと! 急に黙るの止めてよ、怖いじゃない!」
「……死体だ。髪の長い、多分女性だ」
男が静かな声で言った。
「死体!? なんだってそんな物が……」
「……分からない、俺もさっき目が覚めたばかりだからな」
男の声は先程、悲鳴を上げたとは思えない程落ち着いて聞こえた。
「本当に死体なの? 最近のアレは良く出来てるって言うじゃない」
「最近のアレってなんだ?」
「だからアレよ……男の人が一人でする時に使う……」
恥ずかしい、何を説明してんのかしら。
「あぁ、ダッチワ……の事か。アハハッ、感触が全然違うよ。これは間違いなく本物の死体だ!」
この状況で笑えるなんてどうゆう神経してんのかしら……。アシェリーは少し蒸し暑い部屋の中でうっすら鳥肌が立った。この男少し警戒した方が良さそうだ。
「そ、そう、とりあえず明かりを探しましょ」
「そうだな! 明かりがあればこれが本物の死体だと証明出来る」
男は妙な張り切り方をみせた。
そっか……明かりが点けば、嫌でも死体を見なくてはならないのだ。かと言ってこのままでは脱出どころではない。
アシェリーは更に右へ移動すると、小さな棚の様な物に手が触れた。
棚は三十センチ程で二段に別れ、壁に直接付けられているようだ。
棚の中を手探りであさっていくと、ビニール製の小さな袋を掴んだ。
これは……あれに間違いない! アシェリーはゆっくり胸ポケットに袋をしまった。
更にもう1つ見つけ……無意識でズボンの左ポケットへ入れたのだった。
男の方からは未だに、ギシギシとベッドを這い回る音が聞こえてくる。死体があるベッドにいつまでも居られる神経が理解出来ない。あくまで男が死体だと言い張っているだけなのだが。
「……死体の胸ポケットにマッチがあったぞ! あとは蝋燭かランプでもあればいいんだが」
「あっ、でも待って……仮に蝋燭があったとしても、使わない方がいいかも」
「なんで? 暗いのが好きなのか?」
「違うわよ! 酸素、酸素よ! これだけ密閉された空間じゃ酸欠の恐れが高いわ」
とりあえず酸素を供給出来るような、隙間やダクトを見つけるまでは無駄には出来ない。
「言ってる事は分かるが、少し火を着けてみて部屋全体を見た方が早いだろ?」
確かに男の言ってる事も最もだ。この暗闇の中、手探りで探索するよりよっぽど確実な気がする。
「それもそうね。何か燃やせそうな物はある?」
「……ちょっと待ってな」
再びベッドを這い回る音と布が擦れるような音。男のハァハァと言う息遣いが聞こえてくる。
「チョット何してんのよ? ハァハァ言って大丈夫なの?」
暫しの沈黙があってから男が口を開いた。
「火を着けるぞ」
カシャカシャと男がマッチを取り出す音がする。カシュッ……カシュッ、マッチを擦る音がするが一向に火が着く気配が無い。それどころか火花すら見えない。
「クソッ! 湿気ってやがる! クソックソッ!」
ベチッベチッ……と生々しい音が聞こえてきた。男が苛立ついて自分の腕か腿でも叩いているらしい。
どうやらこの男かなり短気な性格のようだ。
「落ち着いて! せっかく見つけたマッチが無駄になるわ。私に貸してちょうだい」
アシェリーは音のした方向へとゆっくり歩いて行く。
アシェリーの声など届いていないかのように、尚も男がマッチを擦る音が聞こえる。
音が近い。男のチッと言う舌打ちの音も聞こえてきた。
暗闇を探る手が何かに触れた。男に違いない。
「ねぇ、聞いてるの? 冷静になって! 隣の部屋で見てくるからマッチを貸してちょうだい?」
アシェリーは男の肩辺りを掴んで冷静になるよう促す。
突如アシェリーの手が払い退けられた。
「イタッ……何するのよ!」
「うるさい! 俺に命令するな! 俺が隣の部屋に行って見てくる」
男はアシェリーを押し退けるように立ち上がり、隣の部屋へと続く明滅する明かりに向かい歩いて行く。
「落ち着いて! 冷静なって! 私でもギリギリ通れる程の穴なのよ? あなたには無理よ。途中で引っ掛かったら私の力じゃ助けられないわ」
「……すまない。助け合わなきゃな。あんたに任せるよ」
男の声のトーンが少し下がり、落ち着きを取り戻したようにも感じるが。
コロコロと変わる男の態度は恐怖でしかない。
はっきり言ってこんな特殊な状況でなければ、同じ空間に居るのも拒否したい。
しかし今は、こんな男でも一人よりはましであり。利用してでも脱出の糸口を掴むべきである。
アシェリーは男からマッチを受け取ると、隣の部屋へと続く穴に頭から這い進んで行った。
砕け散った鏡の破片に気をつけながら自分の部屋? に戻ってきた。
アシェリーは隣の部屋から覗く男の視線を避けるように、部屋の隅に行くと大きく深呼吸を一つしたのだった。
「はぁ……」
さっきまでは薄汚れて不安だらけの部屋だったのだが、今は妙に落ち着く。
「おい! まだか? マッチが使えそうかなんて直ぐに分かるだろ」
男が苛立ちを隠し切れぬように声を発した。
「あぁ、そうね。直ぐにチェックするわ」
アシェリーは脱出の糸口が掴めるまで、なるべく男を刺激しないようにする事にした。
……ダメだ。マッチは全部で六本あったが微妙に湿気っている。
「ダメ! 六本あるけど全部湿気ってるわ」
「クソッ! なんだってんだ、ぬか喜びさせやがって!」
「そんな事、私に言われても困るわ」
まるでマッチが湿ってるのは私のせいみたいな言い方だ。
「あっ、いや、アンタに言った分けじゃない。こんな下らない事をした奴らに言ったんだ」
……!? 奴ら? 何故複数系なのかしら。まぁ、これだけの事を一人で出来るとは思えないけど。ひょっとして彼の記憶が無いと言うのは、嘘なのかもしれないと思い始めた……。