2、幻聴
膝を落とし力無く横になってから、どの位の時間が経ったのだろう。
喉の渇きからなのか、気持ちがまいっているせいなのか何だか呼吸がしづらい。
普段意識した事が無かったが、この状況不味いのではないだろか。この密閉された空間……酸欠で死ぬ可能性もあるのでは……。
かといって何をして良いのかも思い付かない。この部屋、何も無いにも程がある。
せめて鍵の掛かった扉や壁が思ったより薄い等の希望があれば、何かしらの行動を起こさねばと身体も動くのだが。
今のところ希望が見つからない……。
……お〜い……お〜い。
嫌だ、幻聴まで聴こえてきた。いよいよ、死期が近づいているらしい……。
思えば、二三年間色んな事があった。色んな事があった……?
「いつっッ……!」
また、あの頭痛。何処が痛いと特定しづらい場所が痛む。
その色んな事が思い出せない! 二三年間の思い出が何一つ思い出せない!
記憶喪失……ふとそんな言葉が頭を過った。
はっきりと思い出せるのは、私が小さい頃に両親が飛行機事故で死んだ事。叔母の家に引き取られた事の二つである。
この痛みからして余程酷く頭をぶつけたのか、脳内出血でもしているのかもしれない。
……お〜い……誰か助けてくれ〜。
何言ってんのよ。助けて欲しいのはこっちの方よ!
……誰か〜……助けて〜。
ん? 幻聴じゃない? アシェリーは深呼吸を一つして耳をすませた。
……助けて下さ〜い……ヘルプ・ミー。
今度は、はっきりと聞き取れた!誰か居る!
「何処ですか〜、聞こえますか〜」
アシェリーは今出せるありったけの声を返した。
助けてくれと言っている時点で、こちらを助ける余裕はなさそうだが。近くに人が居るだけでも心強い。
……誰か居ませんか〜。
どうやらこちらの声は届いていないようだ。
アシェリーは立ち上がると、耳をすませる。
……誰か〜。
どうやら男性の様だ。こっちの方から聴こえる。
……助けて〜。
「ここだ!」
先程の鏡の中から僅かだが、声が大きく聴こえてくる。
「あの〜〜大丈夫ですか〜〜」
アシェリーは鏡に向かって声を張り上げた。
……ヘルプ・ミー。
ダメだ、これでも届かないらしい。
鏡を割るか……軽く鏡をノックしてみる。結構、丈夫そうな音が返ってくる。
アシェリーはパイプへ飛び付き排水口の蓋を取って鏡の前に立った。
破片で怪我をしないよう、反対の壁際まで下がり……思いっきり蓋を投げ付けた!
鏡は派手な音を立てて崩れ落ちた。
「よしっ、狙い通り! 何よこれ……丁寧に何か詰めてある」
割れた鏡の奥には、鏡と変わらない大きさの四角い穴が口を開けたのだが。ご丁寧に何かを丸めて詰め込んであるようだ。
丸められた何かを掴んで引っ張り出す。思ったより長い。
「よいっしょっ……と、て布団!?」
引っ張り出してみると、渦巻き状に丸められた白い敷き布団であった。
「あっ……涼しい」
布団を置こうと屈んだ時だった、鏡の穴から顔に涼やかな空気が顔を撫でる。
「酸素……」
美味しい……空気がこんなにも、ありがたい物だと初めて知った。
穴を覗き込む。真っ暗で何も見えないが、バシャバシャと水の落ちる音が喉を刺激する。
誰か〜……ゴホッゴホッ……。
「大丈夫ですか〜〜聞こえますか〜〜」
えっ、あ、何処ですか〜……助けてくれ〜。
「こっち、こっちです!分かりますか〜〜」
バシャバシャと水を踏み締める音が近付いてくる。
「あっ、助かった…人が居てくれて、助けて下さい! 水が溢れて溺れそうなんだ!」
どうやらさっき捻ったのは、隣の部屋に水を出す為の物だったようだ。
なんだってこんな仕組みにする必要があるのだろうか? ……私に殺人でもさせる気だったのだろうか。
「あっ、直ぐに止めますから待ってて下さい!」
アシェリーは排水口の蓋を拾い上げて、パイプに上ろうとして動きを止めた。
「すいませんけど、何か水を貯めれるような入れ物はありませんか? 状況は後で説明しますけど、私喉がカラカラなんです」
水を止める前に、自分の飲み水を確保しておくべきだと気付いたのだ。
「…悪いけど。真っ暗で何も見えないんだ」
確かに言われてみればその通りだ。
「…そうですよね。じゃあ、一度水を止めます」
アシェリー仕方なくパイプに上り摘まみを捻った。
水の音が少しずつ弱くなっていく。
「止まりました! 助かった…… こっちに来れますか? 少しだけど手で水を貯めておいたんですけど」
手で水を…その手があったか! 頭が正常に回ってなかったようだ。
「い、今、行きます! そのままでお願い!」
アシェリーの体の大きさなら、何とか入る事が出来そうだ。
アシェリーは頭から鏡の穴へと身体を滑り込ませていく。
穴の長さはおよそニメートル程で、慌て過ぎて頭から床に落ちた。
そこには三十センチ程水が貯まっていた。
「プハッ! 気持ちいい……」
アシェリーは無意識のうちに頭を洗い流していた。
「こっちです! 分かりますか」
男が声で自分の位置を知らせてくれる。
暗闇の中、膝立ちで男の声を頼りに手探りで進んで行く。
いきなり男にぶつかって、折角の水を無駄にしたく無かったのだ。まあ最悪、床に貯まった水でも構わないのだが。
「あっ……」
アシェリーの手が何かに触れた。男の足の様だ。
「そのままゆっくり上に……」
優しそうな声…結構若い感じがする。
アシェリーは男の指示通り、男の足を手で確認しながらゆっくり辿っていく。
「おっ……そこは」
少し柔らかい感触……もしかして大事な部分を触ってしまったの!?
「ご、ごめんなさい!」
電気がついてなくて良かった。顔が熱くなるのを感じる。おそらく顔は真っ赤だろう。
「いや、こちらとしては大歓迎なんだけど。今ので少し水を溢してしまったよ」
男は静かに笑った。
アシェリーは男の腕を辿って、手に溜められた水を一息で飲み干した。
「はぁ……生き返った気分。ありがとう助かったわ」
正直物足りなかったが、貼り付いた喉が潤いを取り戻した。
「こちらこそ助かった! 俺は……俺は誰だ? 名前が思い出せない……どうしちまったんだ!」
どうやらこの男も一部を除いて記憶が無いようだ。
「落ち着いて! 実は私も名前が分からないの。胸にネームプレートがあって、そこにはアシェリー・テイラーと書いてあったの。とりあえず私の事はアシェリーって呼んで」
「あぁ、アシェリー助かったありがとう。君も記憶が?」
「えぇ……何故こんな所に居るのかも分からないの」
「そう言われれば、ここは何処なんだ? 僕らは何故こんな所に? 他には誰か居ないのか?」
いきなりの質問責めである。
「落ち着いて! 一つ分かってるのは、私の居た隣の部屋に出入口は無いって事よ」
「取り乱してすまない……じゃあ、この部屋に出入口がある可能性は高いな」
「そうね……でも、こう真っ暗じゃ何も出来ないわね」
この部屋にも明かり位有りそうな物だ。とりあえず電灯のスイッチでも探してみるのが正解かしら。
「まずは明かりを探しましょ。向こうの部屋に明かりが有るなら、この部屋にも有ってもおかしくないわ」
「そうだな、じゃあスイッチの様な物を探せばいいかな」
「そうね、そうしましょ」
二人は互いの腕を取り前方を探りながら一方向へと進んで行く。壁に手が当たった。
「こっちの壁から始めましょ! 私は右へ回って行くわ」
「じゃあ、俺は左を探って行くよ」
二人は壁づたいに反対へ向かって行く。これなら一周すればぶつかる筈だ。