1、最悪の目覚め
「…………」
……ここは何処。
薄暗い部屋。天井にはチカチカと明滅を繰り返す蛍光灯が一本あるだけ。
「いつッ!」
ゆっくりと起き上がろとすると、頭に激しい痛みが走った。
「つぅッ……」
眼球を動かすのも辛いが、部屋の中を見回した。
六畳程の薄汚れたコンクリートの壁に囲まれ、天井には細いパイプと太いパイプが二本。
窓は無く、扉も無い……。
「何処から入って来たのかしら……」
そもそも自分でこんな所に入った記憶は無い……。
「記憶……記憶が無い!」
思い出そうとすると再び激しい頭痛に襲われた。
「私は誰……!?」
名前すら思い出せないなんて。
ここで初めて自分の服が、ピンクの繋ぎ姿をしている事に気付いた。
一応、繋ぎの中を確かめたら、下着は着けている。性的暴行を受けた可能性は低そうだ。
「何よ、この格好……」
繋ぎの左胸に何か付いている。
「アシェリー……テイラー」
ネームプレート……これが、私の名前?
今は名前などどうでもよい。密閉された空間だからか喉が異常に渇く。
「誘拐でもされて監禁されたのかしら……」
何処かにカメラでもあって見張られてる?出入り口が見当たらない分だけ、誰かが飛び込んで来る様な心配は無さそうだ。今、安心出来るのはその位だ。
しかし出入り口が無ければ、逃げる事も助けを求める事も出来ない。
「すいませーん!誰かいませんかー……」
虚しく狭い部屋に木霊する。
「まあ、無駄だとは思ってたけどね。うんしょっ……いつッ」
痛む頭を押さえながら立ち上がった。
髪に触れると、汗でベトつきバリバリする。
アシェリーは正面の壁をノックする様に叩き始めた。
コツコツ……コツコツ。
「私がここに居る以上、出入り口は必ずある筈」
コツコツ……コツコツ。
十分程掛けて部屋を一周したが、音の変化は感じられなかった。隠し扉の様な物を期待したのだが、あっさり否定された。
その代わりにはならないが、丁度腰の位置辺りの高さに三十×四十センチ程の鏡が取り付けられていた。
明滅する明かりの中で自分の姿を見ると、顔は薄汚れ髪は汗と脂で滑らかさを失い鈍く明かりを反射する。
「んっ? あれって……」
自分の後ろに映る壁……只の汚れかと思っていたが、薄く大きく書かれているうえに反転していた為に気付かなかったが文字の様だ。
アシェリーは反対の壁を眺めながら、文字を反転しながら読んでいく。
「it's up to you……あなた次第……? 何がよ、ふざけないで! どっかから見てるんでしょ! 出しなさいよ!」
虚しく響くだけで返答は無い。
「喉渇いた……何か飲めそうな物は」
床を力無く眺めていると、排水口らしき物に目が止まった。先程から目には入っていたのだが、重要視していなかったのだ。
喉が貼り付いた今なら多少汚れた水でも、ブラを重ねて濾過すれば飲む覚悟はある。
少なからず期待を込めて、格子状の排水口の蓋を外して中を覗き込んだ。
期待したような水分は無かった……。
「あれは……」
暗くて見にくいが、奥に何かが引っ掛かっている様に見える。
変な虫がいそうで気持ち悪いが、思いきって手を突っ込んだ。
中はヌルッとしていたが、構わず手を進める。
ギリギリ指が何かに触れた。
「もう、ちょっと……もう、少し……よし!」
何とか指先で何かを掴んで引っ張り出した。
「気持ち悪……」
取り出した何かには髪の毛が巻き付き、あの滑りがこびり付いている。
取り出した物と手を繋ぎで拭いてみると、手の甲から血が滲んでいた。
自然と手が口元へ動いていく。
「危ない……」
いつもの癖で傷口を舐める所だった。
取り出した何かに目をやると、何かはピン止めであった。
「こんなの何の役に立つのよ!」
投げ捨てようとしたが、何も無い今こんな物でも何かの役に立つかもと思い留まった。
誰の物とも分からぬ汚れたピン止め……。
多少躊躇はあったが、薄汚れた前髪を留めた。これだけベトついた髪なら、このピン止めといい勝負だと開き直った。
前髪が目に入ってうっとおしいかったのだ。
ドカッと胡座をかいて、一度落ち着いて頭を整理する事にした。
誘拐だとしたら目的は何? お金? ……でも私の両親は……。
「うっ……いつつッ……」
再び頭痛が襲ってきた。
両親は……幼い頃に亡くなってるし、引き取られた叔母の家もごく普通の中流家庭だ。
これだけ手が込んでいるのだ、誘拐するにも下調べくらいするだろう。誘拐の選は消していいかもしれない。
いや、奴隷の様に飼いたいだけとか、ここで私があがいて死んでいくのが見たいと言う変質者の選もある……。
その場合生きて帰れる可能性はゼロに近い。
他に何か無いかしら。友達の悪戯にしては酷すぎるし。
更正施設? 刑務所? 造りがテレビで見たそれに似ているが、扉は勿論ベッドやトイレ位はあった筈だ……。
「嫌だ……トイレが無いじゃない! どうしろって言うのよ!」
今、気付いたがこの部屋にはトイレが無いのだ。
今はまだ催してないから良いが、いざその時どうするか……。
自然と先程の排水口に目がいった……。
「だ、ダメよ。カメラで見られてるかも知れないのに出来ないわ!」
それだけは避けたい。映像でも残されたら恥どころの騒ぎじゃない。
「排水口……!?」
排水口があるって事は、何処かから水(液体)が出ると言う事だ! 何故こんな簡単な事に気付かなかったのだろう。
この際、向こうの意思で私を溺死させる様なシステムで無い事を祈るしかない。
アシェリーは立ち上がると天井を眺めた。気になるのはやはり大小のパイプである。
細いパイプは蛍光灯の位置で止まっている、つまり電線と考えて良いだろう。
問題は太いパイプ。左の壁からきて右の壁に消えていく。
よく見ると、太いパイプには小さな突起が一つ付いていた。
その突起には見覚えがある。学校によくある蛇口の取っ手を外した形に似ている。
パイプまでは手を伸ばせば三十センチ程である。
アシェリーはジャンプして、太いパイプに捕まり足を掛けてしがみついた。
何の躊躇も無く突起を摘まんで捻った。
このままじゃどうせ死ぬか、恥を残す事になるのだ。
「うっ……くっッ……か、固い」
覚悟を決めた物の摘まみはビクとも動かなかった。
一度床に飛び降りた。
「はぁはぁ、ダメだ。頭は痛いし指も痛い……」
アシェリーは、汚い床も構わず仰向けになった。
息が整ってくると、もし水が大量に出て止まらなくなったら? 毒ガスだったら等と悪い方にしか考えがいかなくなってきた……。
「あぁぁ~~っ、もう何なのよ!」
手足を放り出して大の字になった。
カラン……カラン。
右手に何かが当たり、金属音が耳に入った。
身体を起こして音のした方を見ると、排水口の蓋だった。
「はぁ……何だ少し期待しちゃったわ」
自分でも何に期待したのかは分からない。
たて肘をついて顎を乗せ、ボ~ッ……と格子状の蓋を眺める。
「……ん? これって似てるわね」
格子状の蓋の真ん中に穴がある事に気付いた。
身体を起こして、パイプの突起と蓋を交互に見つめる。
「似てるわよね……試す価値はあるわね」
アシェリーは蓋をポケットに入れ、再びパイプへしがみついた。
ポケットから蓋を取り出して突起へと重ねる……。ある一点でピタリとはまった!
「……ビンゴ!」
アシェリーは力任せに蓋を回した。
僅かだがパイプの中で液体の流れる音が聞こえる。
「やった!!」
アシェリーは喜びの声を上げながら飛び降りた。
辺りを見回すが水が出ている気配は無い。
良く考えれば分かる事だが、水が出てくる穴や蛇口など無いのだから当然と言えば当然なのだ。
アシェリーは、ガックリと膝をついた。
水の流れる音を聞いて期待した分だけ、異常に喉が水を欲したのである……。