第二話 紅い死神。
レイファルス王国。王宮内、指令室。
「城壁のすぐ目の前まで、敵の軍勢が迫っています。
防衛線を敷き、なんとか凌いではいますが……長くは保ちません」
軍事の最高責任者、カーカスは覇気のない声で言った。
雪は机に置かれた地図と駒をじっと見つめた。
「あの……敵将はどこにいるのですか?」
「て、敵将ですか?
ええと……恐らくこの位置に陣を敷いていると思われますが……」
戸惑いながらも、カーカスは地図の一点を指差した。
(近い。これなら大丈夫……かな)
「あの……私が指示を出してもいいんでしたよね?」
「はい。国王から全軍の指揮権は幸村様に委ねろとのご命令を受けています。
指示をしていただければ、我々はその通りに動きます」
「……わかりました。では、今すぐ全軍下がらせてください」
「了解しました。全軍下がらせ……ええ!? 全軍を下がらせる!?」
「そうです。そして、早く手当をしてあげてください。
怪我人、たくさんいるでしょうから」
驚くそれに構わず、雪はのんびりとした調子で答えた。
当然、カーカスが頭を振って反論する。
「お、御言葉ですが、幸村様!
兵を下げたら一時間もしないうちに城壁を突破されてしまいます!
我が国は終わりです!」
「大丈夫ですよ」
言って、雪は申し訳なさそうに笑った。
「四半刻(現在の三十分)も経てば、この戦は終わりますから」
*
レイファルス王国。王宮付近。
マレリア皇国軍、駐屯司令部。
「どうだ、戦況は?」
「我らマレリア軍に圧倒的有利でございます。
余程のイレギュラーでも起きない限りは、この戦は勝ち戦となりましょう」
「ふっ、そうか……」
(こんな簡単な任務の指揮を取るだけで功績が増えるのだ……。
私は実についている)
現場の最高責任者であるオレイラは、参謀と共に笑みを零した。
首都陥落はもう目前だ――と、彼を含めたマレリア軍は皆そう思っていた。
彼らは知る由もなかった。
この時既に、余程のイレギュラーは起こっていたのである――
「オレイラ将軍! 前線から通信が入りました!」
通信担当の兵が声をあげる。
オレイラは椅子に腰かけたまま兵へと顔を向けた。
「なんだ、奴らに何か動きでもあったか?」
「敵軍が撤退を始めたそうです」
「なに?」
兵のその言葉に、オレイラは眉を潜めた。
(このタイミングで撤退? 陽動か?
いや、それとも単にじり貧だと悟ったか……。どちらにせよ、動きにくいな)
「深追いはしなくていい。様子を見つつ、ゆっくりと戦線をあげろ」
オレイラは椅子に深く腰かけ直し、壁に張った地図を眺めた。
(我が軍とレイファルスの軍では兵力に雲泥の差がある。
籠城策をとるとは思えない……。
しかし、負けを認めるなら撤退前に降伏宣言があるはずだ。
何か仕掛けてくる気か……? 念には念を入れておくか)
「それから、各小隊と密に連絡を取れ。何か起きたら全て報告させろ」
「了解しました」
頷き、通信兵はマイクをオンにした。
「各小隊に告げる。敵軍の様子を見つつ、ゆっくりと戦線をあげろ。
なお、何か起きた場合は全て報告するように。繰り返す――」
「随分慎重ですね、将軍」
「なあに、何事も十重二十重さ。
手を打っておくに越したことはないのだよ」
「ほっほ。どうやら将軍には、参謀は必要なさそうですな」
オレイラは得意げに笑みを浮かべ、グラスにワインを注いだ。
そのグラスを口に運ぼうとした瞬間、通信兵が突然声を荒げた。
「おい、どうした! 返事をしろ!」
「なんだ騒々しい」
「し、失礼しました。ですが……」
「どうした。報告すべきものがあるならきちんと言わんか」
「その……ぜ、前線の小隊……三十二部隊との通信が……途絶しました」
「は……?」
「通信障害の類ではありません。恐らく……全滅したものと――」
語尾を濁す通信兵。
オレイラは目を丸くさせた。
顔を真っ赤に染め、激昂する。
「なにを馬鹿なことを言っている! 千近い兵が一瞬で消えたというのか!?」
(そもそも、敵軍は後退したのではなかったのか!
くそっ! 一体何がどうなっている!?)
憤るオレイラ。
この後、そんな彼をあざ笑うかのような出来事尾が起こる。
「将軍、通信です! 七番隊の残存兵から通信が入りました!」
「代われっ!」
オレイラは通信機を奪い取り、マイクに向かって叫んだ。
「おい、状況を説明しろ! 何があった!」
『と、突然襲われて……みんな……死にました……』
(ちっ、やはり撤退は罠か!)
「敵の数は? 奴らはどれだけの大部隊を隠していたんだ!」
「し、信じても……もらえないでしょうが……」
「なんだ! はっきりと言え!」
オレイラは耳を疑った。
「ひ、一人……でした」
紅い死神が、すぐ近くまで迫っていた――