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僕らのサンシャイン  作者: さつき
2/2

憧憬サンセット

 

「海ってどんなところなんだろう」

 緑の深い森の中。木々のささやきと小鳥のさえずりを聞きながら、スタンプはぽつりとつぶやいた。

「海?」

「そう、海」

 スタンプの隣に座っていた双子の妹のチャープは、少し考えて答えた。

「水がいっぱい張ってるところって、聞いたことあるよ」

「へぇ」

 スタンプは目を閉じて、光景を思い描いてみる。しかし、どんなに想像力を働かせてみても、せいぜい湖くらいしか浮かぶことはなかった。

「きっと、もっとスケールが違うんだろうな……」

「でもどうして急に海なんて言い出したの?」

 いぶかしげにチャープが訪ねると、スタンプは腰掛けていた切り株から立ち上がって、空を見上げた。

「手紙が届いたんだよ」

 

 赤い風船と共にこの森に訪れた一通の手紙。その手紙を見つけたスタンプは、中身を読んで驚いた。

 差出人はリプルという名前の、遠い異国の女の子だった。公用語は同じ英語のようだが、国の名前は聞いたこともない。なんせ、内陸国でしかも深い森の中にあるこの村と、海に囲まれていて島国であるという彼女の国では、その距離は途方もないに違いない。

 内容を読み進めてみると、ぜひとも自国に遊びに来て欲しいということだった。

「『日が昇るのを待望するように、あなたのことを待ってます』かぁ」

「一緒にサンセットを見ようって」

 スタンプはズボンのポケットから、例の手紙を取り出した。

 名前も聞いたことがないような異国に行くことは、到底不可能だということは分かっている。しかしこの手紙を読んでから、スタンプの心の奥底にはどこか胸が焦がれるような、抑えることのできない不思議な感情が沸々と湧き上がってくるのだ。

「ぷふっ」

「な、なんで笑うんだよ!」

「スタンプも意外とロマンチストなんだーと思って」

「べ、別にそんなんじゃ……」

 顔を赤くしてモゴモゴと言いよどむスタンプをよそに、チャープは足元に咲いている花を摘み始めた。

「こんなのただの遊びだろうし……第一、場所も分からない国に行けるわけない」

 自分自身に言い聞かせるように、スタンプは小さな声でつぶやいた。

「でもきっと素敵だよ、海に囲まれた国のサンセットって」

 摘み取ったクローバーの花を編みながら、チャープは言う。木々の隙間からこぼれる光が、草花に優しく降り注いでいる。

「ねぇ、スタンプ。行ってみたら?」

「えっ?」

 予想外のチャープの言葉に、スタンプは目を丸くした。

「だってすごい運命じゃない? この森に遠い国からの手紙が届くなんて!」

 そう言ってにっこりと微笑むチャープ。

「きっとこれは神様がくれたチャンスなんだよ」

 編み終わった花冠をスタンプの頭にかぶせ、チャープは彼の手を強く握った。

「この機会を逃したら、もう手紙の子と会えることは絶対ないと思うよ」

 スタンプのためらっている心を汲み取った彼女の眼差しは、真剣であって優しかった。

「会いに行ってもいいのかな」

「うん。今しかないよ、スタンプ」

 スタンプはこくりと一つ頷いた。しかし、彼の表情はどこか不安げだ。

「俺どうすればいい?」

 何の当てもなく行動するのは、あまりにも無謀だとスタンプは言った。

「大丈夫! 私に考えがあるわ」

「考え?」

「こういう時はあの人に頼るしかないわ!」

 そう言うとチャープは、スタンプの手を取ってある場所へと向かった。

 

  ***


 

 今日のおやつのベルギー産チョコレートは、高価そうな小皿に礼儀正しく盛られている。潮風のとおるテラスで水平線を眺めながら、リプルはチョコを二つ頬張った。

「今日のおやつはいかがですか?」

 召使いのマーレが、彼女に声をかける。

「とっても美味しいよ」

 言葉とは裏腹に、リプルの表情はどこか浮かない。ここ数日間はずっとこの調子である。

 マーレはそっと近寄ると、リプルの肩に優しく手を置いた。

「お嬢様のご様子を、王様が心配してらっしゃいますよ」

「うん……」

 リプルは小さくため息をつくと、少し唇を尖らせて言った。

「やっぱり手紙届かなかったのかな」

 風船を飛ばした日から、一週間が経とうとしていた。こんな大海原に囲まれた島だ。陸地に辿り着く前に海に沈んでしまった可能性は大きい。それでもリプルは毎日のように港を眺めては、誰かが訪ねて来るのを待ち続けていた。

「お嬢様……」

 この国には「女性は成人するまで国外に出てはいけない」という決まりがある。それに加えてリプルは、王族の一人っ子であり箱入り娘なだけに、幼い頃から窮屈な生活を強いられて来た。そんなリプルを、何とかしてあげたいとマーレはいつも思っていた。

 だからこそ、マーレもこのチャンスに希望を託さずにはいられなかった。

「信じていれば、必ず誰かのもとへ届きますよ」

 マーレの言葉に、リプルは青い瞳をハッと輝かせた。

 ただ寄せては返すを繰り返す波のような生活に、きっと変化をもたらしてくれる。

「待ちましょう」

「うん!」

 希望の舟はやってくるに違いない。二人はそう信じ、また青くきらめく水平線を見つめた。

 

  ***


 

 スタンプとチャープは、村の外れにある小さな小屋を訪ねていた。

「なるほどね」

 スタンプは納得したように頷く。

「オスカー先生に話を聞くってことか」

「先生は何でも知ってるからね! きっと、あの国のことも知ってるはずだよ」

 チャープが小屋のドアをノックすると、軽い鈴の音と共に扉が開いた。

「おや、グリーン兄妹じゃないか」

 中から出て来たのは、薬瓶を持った丸眼鏡の男。彼はこの村唯一の医者で、薬草による治療を専門としている。薬草収集のためしょっちゅう外へ旅に出るので、村一番の情報屋でもある。村の人は分からないことや、知りたいことがあると、みんな先生を訪ねる。

「今日はどうかしたのかい?」

 先生は二人を中に招き入れながら尋ねた。小屋の中は大部分がたくさんの書物や薬草で埋め尽くされていて、独特な香りが漂っていた。

「ちょっと知りたいことがあって」

 そうチャープが言うと、スタンプはポケットに仕舞っていた手紙を取り出し、先生に差し出した。

「この国について教えて欲しいんです」

「なるほど」

 先生は受け取った手紙を開き、静かに文章を読み進めた。壁に掛けてある振り子時計の、コツコツと時間を刻む音が部屋に響く。スタンプとチャープは少し緊張した様子で、先生の言葉を待っていた。

「なかなかロマンチックな要求をするお嬢さんだね」

 手紙を読み終わった先生は、ニッコリ笑って言った。

「この国には行ったことがあるよ」

「えっ!」

 思わず立ち上がるスタンプ。

「海に囲まれた素敵な国だったよ。気候も温暖で、食べ物も美味しくて。国民性も温和な感じだった」

 先生の言葉にスタンプとチャープは表情を輝かせた。

「ただ……」

 先生は少し困ったような顔をする。

「君たちも何となく想像ついただろうけど、ここからはとても離れた場所にあるんだ」

 きまり悪そうに言った先生は、にわかにお茶を淹れ始めた。

「やっぱり、俺が一人で行くのは無理ですか?」

 一抹の希望にすがるようなスタンプの声に、先生はうーんと唸った。

「方法が無い訳でもないんだけど……」

 言いよどむ先生に、スタンプは真剣な表情で言った。

「多少の無茶をしてでも行きたいんです」

「……分かった」

 深く息を吐くと先生は、二人にハーブティーを差し出した。スーッと香りが鼻を通っていく。

「君がそこまで言うなら、あれを試してみよう」

 そう言うと先生は、書物の中から一冊の古めかしい本を取って来た。

「これは薬草の調合の本なんだけど、瞬間移動できる薬っていうのが作れると書いてあったんだ」

「瞬間移動!」

 チャープは目を丸くして驚いた。

「ただ、僕もまだ試したことがないんだ。なんせ、材料の薬草が希少でなかなか獲れなくてね。だからちゃんと成功するのか分からない」

 先生は眼鏡の奥の目をきゅっと細めて、スタンプを見つめた。

「それなりのリスクを負う覚悟はあるのかい?」

 スタンプは精鋭な眼差しで先生を見返すと、はっきりと頷いた。

「よし」と先生は言うと、大きな戸棚の中から青い液体の入った薬瓶を取り出した。

「これがその薬だよ。これくらいの量だったら、あの国までは充分に行けるだろう」

「ありがとうございます!」

「ただし挑戦できるのはこれきり。タイムリミットもある。日没を過ぎると薬の効果がきれて、戻ってきてしまうからね」

「分かりました」

 先生から薬瓶を受け取ったスタンプは、目を閉じて深呼吸をした。

「気をつけてね、スタンプ」

 心配そうにチャープが言うと、スタンプはグッと親指を立てた。

「大丈夫。無事に帰って来るよ」

 例の手紙を再びポケットに仕舞い、心を決める。

「行ってきます」

 スタンプは薬瓶のふたを開け、薬を喉に通した。

「――――――……」

 

  ***


 

 気がつくとスタンプは、柔らかい砂の上に転がっていた。

「ん……」

 慣れない感覚に、一瞬頭がボーっとする。

「あ、成功したのか!」

 そう言って立ち上がったスタンプ。地面の柔らかさに、少しふらつく。さらさらしている砂を珍しそうに眺めつつ顔を上げると、スタンプはハッと息をのんだ。

 見えた景色は一面の青。空の色を映したかのように青く輝くそれが「海」だと気付くのに、しばらく時間がかかった。ざわざわと聞こえるその音は、いつも森の中で聞く木々のざわめきとは全く違う。心地よいリズムが奏でる命の音だった。

「……誰?」

 不意に声がした。振り返るとそこには、淡い水色のワンピースを身にまとった少女がいた。自分と同じくらいの年の、少し小さな女の子。スタンプは一瞬で、彼女がリプルであるというのを悟った。

 おもむろに近づいて行くと、不思議そうな表情を浮かべたままの彼女に、あの手紙を差し出した。

「これ……じゃあ、あなたは!」

 リプルが目を輝かせると、スタンプは微笑んで頷いた。

「はじめまして。スタンプって言うんだ」

「……スタンプ!」

 リプルは嬉しそうに反復すると、ぎゅっとスタンプの手を握った。

「うわぁ、本当に来てくれるなんて! 夢みたい!」

 それから二人は色々話をして意気投合すると、リプルの案内で国の中を歩いて回った。決して大きな国ではないが、先生の言った通り、とても素敵なところだった。何より、どこにいても海が見えて、波の音が聞こえることに、スタンプは深く感動した。

「俺の国は森の中にあって、海は見たことなかったんだ」

「そうなんだね。私は逆に海ばっかりで、森には行ったことがないわ」

 境遇の全く違うお互いの話に、二人は興味津々で話し続けた。

「スタンプはどうやってここまで来たの?」

「瞬間移動して来たんだ」

「えっ!?」

「そういう薬があるんだ。失敗するかもしれなかったけど、無事に来れて良かった」

「命がけで来てくれたのね」

 驚きを隠せないリプルに、スタンプは少し照れながら言った。

「それくらいしてでも、来てみたかったんだ」

 日は少しずつ傾き、空はだんだんと淡い橙に染まり始める。並んで歩く二人の頬も、すこしずつ橙になっていた。

「いつか俺の国にもおいでよ」

「是非行ってみたい! でも……」

 リプルは僅かに表情を曇らせた。

「私は王族の娘だから、国からは出られないの」

「……そうなんだ」

「もう慣れっこなんだけどね」

 寂しそうに笑うリプル。スタンプは言葉に迷った。

「……じゃあ、また俺が会いに来るよ」

「本当に?」

「うん! 薬のこと勉強して、また瞬間移動して来る」

 約束する、そう言ってスタンプはリプルの手を握った。

「……ありがとう、スタンプ」

「うん」

 緩やかな潮風が二人を包み込んだ時、リプルは足を止めた。

「もうすぐ日が沈むわ」

「もうそんな時間?」

 見上げると、空はほとんど紅に染まっていた。二人は手を繋いだまま、最初に会った海岸へ走った。

 

「わぁ……!」

 息を切らして辿り着くと、広がる水平線に太陽が半分ほど沈んで、昼間はあんなに青かった海が美しい茜色に変わっていた。太陽が水面に反射して、二人の元へ真っ直ぐな光の道を敷いている。

「綺麗……」

 憧れていた景色は彼が想像したよりもずっと美しく、儚くて、切なかった。胸の鼓動が全身に響き渡り、心が震えているのを感じた。

「スタンプと一緒に見られて本当に良かった」

 繋いだ手に少しだけ力がこもる。二人は静かに暮れゆく太陽を見つめていた。

「私」

 ぽつりとリプルがつぶやいた。

「いつかスタンプに会いに行く」

 その瞳はかすかに潤んでいて、スタンプはまた強く彼女の手を握り、優しく頷いた。

「待ってるよ。日が昇るのを待望するように」

 焦らすようにゆっくりと、それでいてあっと言う間に、太陽は海に落ちていった。空に名残を滲ませつつ、黄昏は闇に覆われ始める。

 二人は繋いでいた手をそっと離すと、互いに向かい合った。見つめ合う瞳の奥には、まだ日の光を残していた。

「じゃあ、またいつか」

「うん。きっとね」

 短い言葉を交わすと、二人は一歩ずつ離れて行った。

 波の音と風の匂いが少しずつ遠ざかる。

「スタンプ」

 闇に落ちていく視界の中、リプルの声がスタンプの耳に響いた。

「待っていてね」

 

 ***


 

 とある小さな森の中の小さな村。その青年は切り株に腰掛けていた。

「まだかな」

「もうすぐ来る時間のはずだよ」

 まだ少し暗い、明け方の空の下。隣に座る妹は、そわそわしている兄を見て笑いながら言った。

「あっ、ほら」

 柔らかい朝の光が木々の隙間からこぼれると同時に、彼女はそこに現れた。

「お待たせ、スタンプ」

 

 

 まるで、薄明るく白みだす地平線から、太陽が昇るかのように。

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