銀杏の葉の落ちるとき
「一緒に帰ろう」
美紀がそう言って近づいてくる。
美紀とは高校一年の秋から付き合っている人だ。
あれからもう一年が経つのか。
銀杏の葉が舞っている。
銀杏の葉を落ちる前に拾うと受験が成功するんだって。
いまや、この学校の伝統行事にまでなってしまった。
信じるものがあるっていいよな。
美紀は何を信じているのだろう。
去年の秋、俺は突然呼び出されて告白されたんだ。
とても恥ずかしそうだった。
「私、あなたのことが好きです」
俺の頭には?が三つ。
初めての体験についていけなかったのだ。
間違えて、報告だと勘違いしたものである。
でも悟られないように、冷静さを保とうとした。
まるで言われるのを知っていたかのように。
しかし言葉は違った。
「へぇ、そう。それで?」
それが俺の返答だった。
今思えば失敗だったと思う。
後悔をしている。
しかし、言ったもんは仕方がない。
俺は勢い任せにこう聞いてみた。
「俺のどこがいいんだ?」
彼女は笑った、照れくさそうに。
その後、秘密とだけ言うと、そっぽを向いてしまった。
僕は余計に知りたくなった。
答えによっては残念な結果になるとも知りながら、教えてって呼びかけた。
すると彼女は、なんとなく直感だよ、と申し訳なさそうに答えた。
あれから俺は考えている。
ほんとに俺が適しているのかと。
美紀が何を信じ、俺は何を信じたらいいのかなと。
銀杏の葉が肩に落ちた。
秋だ。
僕の苦手な季節――。
花粉症になる季節だ。
そして仕事が大量に入るのもこの季節だ。
高校生だからと言って遊んでいるわけではない。
俺にはちゃんとした仕事があるんだ。
でも、その内容は美紀には言ってない。
いや、言えない。
まちがいなく、今までと違う印象を持たれるからだ。
そんなことで美紀の信じるイメージを崩したくはない。
別れたくない――。
そして今日も仕事の日である。
美紀に誘われているが、申し訳ない。
「ごめん、今日は一緒には帰れない」
そう言って先に歩く。
しかし、ここで諦める美紀じゃない。
「何の用事? 今日も仕事なの? 私もついていく」
そういって、後を追いかけてくる。
ダメだと言っても聞いてはくれない。
去年なら、俺の方が圧倒的に足が速かったからよかったものの、今日はとてもしぶとい。
もしかしたらこの一年間、練習を積んでいたのかもしれない。
感心してしまうほど努力家なのだ。
仕方なく、美紀を駅のホームで撒く。
ごめんねと思いつつも、巻き込みたくないから仕方ないと、自分に言いきかせてみる。
ここからは俺の仕事場なのだ。
俺は特別な武器商人の片腕だ。
凄腕の鍛冶屋みたいなものだととってくれたらいい。
武器商人から注文を受けて、それを精密に作り上げる。
壮大な施設と技術は親から譲り受けた。
今日もこの独特なにおいに身を包んでいく。
久しぶりの感覚だ。
体が弾んでくる。
ここまで楽しい環境は他にないんじゃないかと疑ってしまうくらいだ。
幼い頃を除いて――。
幼い頃は地獄のようであった。
四歳の頃から毎日空き時間がないくらい、いや、寝る時間もないくらいにこの工場で技術を叩き込まれた。
言葉通り、叩かれながら、罵声を浴びながら、泣きまくって身に付けたのだ。
何度親を殺そうと思ったか――。
この親さえいなかったら、とずっと思っていた。
周りの子供は楽しそうに遊んでいる中、ひたすら叩き込まれるのだ。
知人から遊ぼう、と言われても断るしかない。
そのうちみんなは俺のことを避けていった。
近寄らないほうがいい存在として一人立っていた。
それも中学生になるまでだ。
俺に仲間ができたのだ。
コンピュータに詳しい裕司だ。
また、親が癌で死んでからは、ほんとに感謝してやまない。
高校生で一人暮らし。
普通なら全額援助してもらわなければ生活できない。
でも俺には立派な収入源がある。
多額が毎月口座に入ってくる。
俺を認めてくれる武器商人がいて、この環境で過ごせる日々は充実しきっている。
俺には仲間もいる。
さっき出てきた裕司はハッカーとして活躍している。
特別な仲間だ。
武器商人も特別だ。
依頼内容なんかも変わりすぎている。
熱センサーで相手を追いかける手裏剣だとか、見た目は蝶々で中身はスパイができるものとか――。
とにかく変わった仕事なのだ。
俺には天職としか思えないのだから、楽しすぎる。
でも、俺は今悩みを抱えている。
美紀のことだ。
このことがばれたらどうなるのだろうか?
あいつと関わっていると、俺はやばいことをしているという感覚に襲われる。
俺は立派な技術屋だ。
自分でも誇りに思っている。
でも、作っている物は武器である。
今までは何とも思わなかったけど、俺は人殺し道具を平気で作っているのだ。
いわば、間接殺人者である。
このことを知ったら――。
俺は恐怖に襲われる。
最近美紀は俺の仕事に興味を持ち出している。
この前も聞いてきたことがあった。
「仕事は順調? どんな感じ?」
俺は困った。
そして、企業秘密と答えるしかなかった。
一切情報を漏らしてはいけないとこになっているので、答えられないと。
「なんか隠してない? 最近顔色が悪いよ」
そう言われても、嘘をつくしかない。
そう決め込んで、ぎこちなくも笑って見せた。
このまま上手くいくはずはなかった。
本当は大好きだけど、俺の世界には来てほしくない。
関わったら不幸になるだけだから。
俺はどうしたらいいんだろう?
あいつに似合う人は他にもいるのではないだろうか?
別れたくないよ。
でも、迷惑もかけたくない。
そんな思いで今日の作業時間が終わっていった。
建物から出ると、そこには同じクラスの隼人がいた。
ここは誰にも知らせてはいなかったはずである。
後をつけてきたのかもしれない。
美紀ばかり気を付けて、他にも追手がいることに気付けなかったのだ。
これは大失敗である。
もし仕事がばれたら、俺はおしまいである。
注意しながらも声をかける。
「どうしたこんなところまで」
「それはこっちのセリフだ」
即座に返される。
ここらへんに住んでいると聞いたこともないから、追ってきたのだろう。
ということは仕事を調べに来たのかもしれない。
さらに気を引き締める。
しかし、俺は隼人を敵に回した覚えがない。
いったいどうしてなのだろう。
ぼーっとしている俺に隼人は突っかかってきた。
そしてゆっくりとつぶやいてきた。
「お前、このにおい……、オイル、火薬、……」
しまった!
こいつは意外な展開だ。
同業者とは思えないが、感にしても鋭すぎる。
こいつは早くも終わったかもしれない。
その思いが分かったかのように、隼人は強気で語りだした。
「俺は美紀から頼まれてここにいる。見失わないように、できるだけ一緒に追いかけようって言ったら、見事にお前は引っかかってくれたね」
そうか、それで今日はやけに頑張って走っていたのか。
でもこの男の指図に従ったと思うと、悔しさが残る。
にしても、頼まれたということはこのことを報告するのか?
「俺は情報屋。膨大な情報を操っている者。一人を自殺させることなんて造作もないことだよ。お前と美紀が今不安定なのは知っている。お前にチャンスをやろう。報告して、絶望感の中死にたくないなら、美紀と別れよ。その後、俺様が美紀をかわいがってやるよ」
はっ、としている俺に要求を出してくる。
「抵抗しても無駄だよ。お前の仲間は全て知っている。みんな自分のことでいっぱいになって、対応してはくれないさ。俺様を殺してもいいが、情報は怖いよ。俺様の仲間は知らないだろうからね」
先にくぎを刺される。
俺の仲間ってことは裕司も関わっているのか。
すぐに携帯を取り出し、連絡をとる。
繋がらないと思ったが、裕司は出てきた。
「すまない、俺に関わるな。お前を殺したくない」
待て、と叫んだ時にはもう電話は切られていた。
俺のせいで仲間が傷つく。
生まれて初めての仲間が。
膝をついている俺に向かって、隼人は見下して言う。
「どうだ。お前はもう詰んだんだ」
俺の理性は吹っ飛んだ。
近くにあった拳銃を拾い、指で回しながら構える。
でも、打つことは拒まれた。
目の前にあらかじめ用意されてたであろうスクリーンに、美紀の姿が映し出されたのだ。
おそらく、今買い物にでも行くのだろう。
この男の仲間に後をつけられてることも知らずに。
「どうやら悟ったようだな。俺を殺せばあいつも死ぬ。よく考えて行動することだな。はっはっは」
この男の笑い声が高く鳴っている。
今にでもこの男を殺したい。
八つ裂きにしてやりたい。
でも、でも、こんちくしょう!
行き場のない悔しさが俺を覆っていく。
それでも、美紀だけは守りたかった。
それだけは譲れなかった。
あいつをこの男に譲るなんて考えたくもない。
でも、俺とて同じゃないのか。
あいつはもっと羽ばたいて、もっと幸せになるべきだろ。
今の俺にできるのかよ。
とうとう俺の世界に関わってしまったんだ。
詰んだ。
俺は粉々に砕けていく。
それを見届けると、この男は楽しそうに遠ざかっていった。
もう、勝つことが決まったように。
こんなに一日が長いと感じたことは、今まで一度もなかった。
屋根の上にあがって空を見る。
空がよどんでるように見えた。
もうこの時期になると、風は冷たくて痛い。
何もかもが苦しくって、上手くいかなくって、この時代を見透かしているようだ。
今日の出来事を想う。
ひとすじの涙が、顔をつたっていく。
美紀になにも言わなかった俺の罰なんだろうな。
あいつも薄々気づいていたはずだ。
俺が隠し事をしていることに。
俺があいつを満足できそうにないことに。
なぁ俺、もう十分じゃあねぇのか?
自分の命が惜しいわけじゃないよ。
美紀のためなら捨ててやらぁ。
でも、今回は違う。
俺が死んでも、隼人に言いくるめられて、取られちまうに決まってる。
そんなの面白くないよ。
でも……、仕方ないのかもな。
後の祭りであいつが誰を好きになろうが関係ねぇ。
たぶん、隼人がかっぱらうんだろうけどな。
悔しいよ。
でも、道は一本しかない。
覚悟を決めるしかないんだ。
次の日、俺は美紀を連れ出して別れを言った。
「ごめん、やっぱ俺には重荷だよ。お前はもっと幸せになってほしいんだ」
ぐっと涙をこらえて、こぼれないように上を向いて言った。
空はどうだったかな?
涙でよくわかんないよ。
これでいいんだ。
もう俺は関わらない。
美紀を見守る役は、別の人に移ったんだ。
俺はその場を離れた。
後ろであいつが泣いていることも知らずに――。
あれから一年以上が経ち、俺は大学生になった。
新しい世界の始まりだ。
その後の美紀は知らない。
ただ、彼氏が新しくできたことだけはうわさで聞いた。
俺はこっちの世界で、過去を捨てて生きている。
明るく楽しく、ばかばかしくも人のために生きようとしている。
でも、ふと気に掛ける。
あいつは楽しんでいるのかな?
幸せになっているのかな?
もう、俺が関わっていい問題じゃない。
それでも、――。
俺はお前が大好きなんだ。
道路に葉が降ってくる。
また、あの秋がやってきた。
迷信なのかもしれない。
でも、俺は落ちる前に拾えなかった。
あの時、俺があいつをひろっていれば。
守っていれば――。