屋根より高いおねえさん 後編
寄付や援助の申し出も多い。
おねえさんは『超身長コミュニティ』宛てに送るように頼んで、すべて断っている。
映画や広告や取材などへも、めったに出ない。
コミュニティの中でも外でも、いろんな意見がぶつかりあっている。
おねえさんは高額の出演料より、気楽が好きだった。
「よっしゃ、今日の仕事は終わり!」
父さんがボクの背中と、おねえさんの太ももを同時にひっぱたく。
「父さん、まだ早くない?」
「母さんが急に来れるようになったってよ!」
父さんはやせた馬面でヒヒと笑い、ボクの背中をバンバンたたく。
おねえさんがとまどった顔で見ていた。
父さんが飛ばす車も呆然と見送る。
「ユキオくんのお母さんて、会社が倒産した時に実家に帰ったんだよね?」
「うん。週に三回は病院に通うから。ここの生活が落ち着いて、送り迎えの時間ができたら、また一緒に住めそうなんだけど……」
「病院……か」
その晩もおねえさんは家に呼ばれた。
最近は週の半分は庭で一緒に夕飯をとっている。
「あらずるい。お父さんばかり、こんな若い子と仲良くして。巨乳じゃない巨乳。今はなに? 超乳って言うの? 魔乳って言うの? それに美人と聞いていたけど、なによもう。超美人じゃない。超々美人!」
普段は静かな母さんが、父さんに負けない勢いで騒ぎまくり、おねえさんは妙におとなしい。
「母ちゃんだって、最近は男の看護師が増えて目の保養だとか言ってたじゃねえか。旦那様のツラ、忘れんじゃねえぞお!?」
「……おとうさんがた、あつあつだねえ。ね、今日はひさしぶりに、おねえさんのところに泊まらない?」
「ボクもう、中学生だってば!」
「いけいけユキオ、いっちまえ。ついでにいろいろ教えてもらえ!」
母さんまで手を振って苦笑するものだから、おねえさんは堂々とボクを持ち去る。
古い倉庫の一角に荷運びの木製パレットが八個ならび、運動マットが四枚ひかれ、そのさらに上へ張られた四人用のテントがおねえさんの寝室。
中の十数枚の毛布を適当に重ねて、寝袋のように潜りこむ。
ボクは当然のように、胸の谷間へ埋められた。
おねえさんから漂う、甘くいい匂いがテントに充満している。
ボクは小さいころのようには、はしゃげない。
静かに深い呼吸で堪能する。
「あれれ。においとかだいじょうぶかな? 消臭剤あるけど……」
「だ、だいじょうぶ! ぜんぜん、変なにおいじゃないから!」
おねえさんは照れたように首をかしげた。
「……まあ、それならいいか。ユキオくんもいろいろ目覚めるお年頃だしね」
「また、そういうこと言う」
ふてくされたボクの顔を、頭ごと包みこめる大きさの手がそっとさする。
「超身長差カップルね、まだ五組だけど結婚成立してるんだよ。男の人が超身長なのは一組だけだから、やっぱり女性のほうが選択肢は少しだけ広いみたいね。感謝しなくちゃ」
おねえさんの指がボクの首をなぞり、胸やら腹まで無遠慮に這い進むと、中学生男子としては耐え難い刺激に身悶える。
でもそこで止まった。
しばらく経つと、寝息が聞こえはじめる。
シャツに入りこんだ細い腕のような指を引き抜き、テントの中の照明を消そうとして、おねえさんの寝顔に目が止まる。
しゃがんで、静かに大きく揺れるまつ毛をじっとながめる。
おねえさんはボクを胸の谷間へ押し入れるくせに、顔を間近に見られることは嫌がった。
ボクの頭をかじれる大きさのくちびる。
小さいころは「おいしそー」と言われるたび、なぜかそのまま飲みこまれてみたいと思っていた。
それがとても幸せなことに思えた。
今も恋かどうかはわからない。
好きか嫌いかで言えば好きなんだけど、デートをしたいとかは思わない。
ただ、おねえさんの顔にすがりつきたくなる時がある。
形のいい鼻を口にふくんだり、まぶたへそっと頬ずりしてみたい。
……今、少しだけ試すのは卑怯なことだろうか?
おねえさんの頬へそっと手を置き、ゆっくりとなぜる。
大きなまつげから涙が流れ落ち、ボクは背中を汗だくにしてあせる。
目は開かない。無防備な寝息は続いている。
くちびるが少しだけ動いた。
小さく寝言がもれていた。
最後に父さんを名前で呼んで、また涙を流した。
ボクは明かりを消し、胸の谷間へもぐりこんでしがみつく。
おねえさんのにおいを胸いっぱいに吸いながら、声を殺して悔し涙をしぼった。
翌朝、母さんは実家へ帰る前に、ボクにだけ耳打ちする。
「おねえさんを守ってあげなさいね。お父さんは変なところでにぶいから」
倉庫は朝からトラックの出入りが多い。
おねえさんは休憩所によりかかったまま、手を振って見送る。
プレハブの平たい屋根は、ちょうど胸がのっかる位置にあった。
(『屋根より高いおねえさん』 おわり)