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神無月の姫  作者: ガルド
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第五章


 第五章






 ※ ※ ※




 再び目隠しをされる事1時間。慌てて終電に乗り込む事さらに2時間。騒々しい一日を終えて帰ってきた神崎駅から歩く事の20分。神崎亮と神無月時雨は、夜の11時を回った辺りで神崎邸へ舞い戻ってきた。



 12時。

 亮は時雨と共に自室に居た。

 煌々と灯る明かりの下、2人はベッドの脇へ腰掛けてコーヒーをすする。

 ちなみに時雨は激甘のミルク。亮はブラックだ。

「ふう」

 コーヒーを一口含んで時雨はため息を漏らした。

 コーヒーカップを自分の眼前まで掲げ、

「基本、神崎はなんでもできるわよね」

 そんなこと、会う前から知ってたんだけどさ、と愚痴っぽくこぼす時雨。

「別に何でも出来るわけじゃねえよ。だいたい、これインスタントだぞ?」

 亮は呆れたように言った。

「いやいや、謙遜しないでよ。私なんて料理どころか台所仕事はからっきしなのよ?」

 なぜか目を線にして妙な口調で時雨は言う。

 亮の頭には台所に立つ時雨が、力加減を誤ってコップを握りつぶしてしまうシーンが思い浮かんで、……急いで取り消した。なんだか背筋に鳥肌が立ったのだ。

 それを悟られないように慌てて言う。

「これ、お湯を沸かしてコップに注ぐだけだ」

 時雨はそれでもなお喰い付く。

「だいたい、これはインスタントでも貴方料理上手いじゃない」

 …………。

 何故か拗ねていた。

「ばっ……、あれくらい普通だって」

 慌ててフォローを入れる。

 が、

「下手な謙遜て嫌味よね。それってつまり私が並み以下ってことじゃない」

 ……地雷を踏んだ。

 なんなんだ。こいつ。

 絡み酒か? コーヒーだけど。

「あーあ、私も何かひとつでいいから女の子らしい特技が欲しいなぁ」

 亮はあえて無言でコーヒーをすする。

 ……しかし、女の子らしい、か。時雨でもそんなことを考えるんだな。

 と、本人に言えば殴られそうな事を思う。そして、自分には真似できない、と。

 女の子らしい、とか、男の子らしい、とか、自分らしい、とか。そんなこと考えたことも無かった。いや、考えようともしなかった。だってそんなことは恥ずかしい。格好良いとか、可愛いとか、美しいとか、そういうのは自然と身の内からにじみ出てくるものだ。それをわざわざ意識して他人へ積極的に見せようなんていうのは邪道だ。だから気にしないようにしてきた。必要なのは自分自身で、自分を造ることに他人は関係無い。それは他力本願だ。格好つけるなんて恥ずかしい。そんなのは格好良くない。そんなのは自分ではない。

 そう、思う。

 そう、思ってきた。

「料理、裁縫、掃除、洗濯……」

 指折り数える時雨。

「コレ全部、神崎は出来るのよね。神崎が出来て私も出来ると言えば剣術くらいか。そうやって生きてきたんだから仕方なしとはいえ、う〜、なんか理不尽」

 勝手に憤っていた。

 いつの間にか沸騰していて暴走寸前。

 それこそ理不尽だった。

「時雨にはその長い髪があるだろ。特技じゃないけど」

 顔が可愛い、とは言えない。

 流石に。

「この髪ねぇ」

 時雨は自分のうなじに手を伸ばし、一房にまとめられた髪を肩越しから体の前へ持ってくる。

 漆黒の長髪。

 美しい、と。なにを取り繕うまでもなく純粋に思う。

 腰までの長さとしっとりとした艶。それこそ女なら誰もが羨むような完璧なパーツと、あれだけの剣術を揃えておきながら贅沢な奴だ。

「でもこれ、魔術の道具だから」

 時雨は投げやりな感じに言った。

「もちろん地毛よ? でも魔術の道具なの。長いと髪形の種類が増えるでしょ? 長くしてるのも、小さい頃からの親の言いつけで、別に自分の意思じゃない」

「髪型が増えるのが魔術?」

「あ、そっか。神崎にはまだ説明してなかったわね」

 時雨は自分の髪を撫で付けながらそう言って、

「『意思』と『概念』と『認識』の話は理解したわよね。で、それを相手へ伝える『媒体』だけど、魔術は主に言葉が用いられる。でも、決してそれだけじゃない。例えば変装。今は髪も適当だけど、これをもっときっちりセットして、目付き雰囲気を変えて、そうね、後は服をお嬢様っぽいものでも着れば、神崎は果たして私を見つけられるかしら?」

「それは……」

 出来る、と言いかけて口をつぐんだ。

「神崎、貴方がどう思っているかは解らないけど、恐らく無理よ。魔術っていうのはそういうことなの」

 睦月源がやっていることがこのことの究極型ね、と呟いて。

 時雨はさっと再び背後へ髪を流した。

 さらり、と音さえしそうな見事な軌跡を描いて髪は流れていった。

「なにも言葉だけじゃない。明確な『意思』を持って、【別人】という『概念』を、変装する事で『認識』させる。これも立派な魔術よ」

「なるほどね」

 今の会話で解った事がある。

 それは魔術について、ではない。

 それは、

「別に、いいんじゃないの」

「え!?」

 すぐ横に座る時雨の頭を、髪をすくように撫でた。

 それだけで胸がドキドキした。

「神崎っ、な、ななななにを!!」

「そう難しく考えるなよ。似合ってんぞ、その髪」

「…………」

 時雨は真っ赤になって俯いてしまった。

 亮の方ももう限界だった。

 撫でた時の自然さはどこえやら、パッと急いで手を引っ込めた。時雨が「あっ」と声を漏らす。

「時雨は嫌いか? 今の髪」

「……………………別に、嫌いじゃない」

「ならいいじゃんか」

 目線を逸らす。

 そうして、すっかり冷えてしまったコーヒーをまた一口、口へ含んだ。

「…………」

「…………」

 やがて気恥ずかしい沈黙。

 亮は今更になって、何であんな事をしてしまったのかをぐるぐると考えていた。

 時雨の部屋とは違う、必要最低限しかない無骨な部屋。

 靴を履いたままの洋室で、トントンと時雨の靴がリズムを刻む音と心臓の音だけが響く。

 だが、気恥ずかしさとは別に亮にはもうひとつ、懐かしい満足感があった。

 異性、ではなく同年代の人間と自室で二人っきりでお喋り。

 そのことが、亮に不思議な感覚をもたらした。

 唐突にその感覚に襲われた。

 それを呟く。

 ここにはそれを聞いてくれる人がいる。

「不思議だな。俺さ、実は小さい頃人を家に呼ぶのが夢だったんだ」

 この自分に、家へ呼ぶほど親しい友人がいたかどうかはもはや定かではないが。

 ただ、呼んでみたかったことだけは憶えている。いや、思い出した。

 それは、今だから認められる感情で、当時明確にそう思っていたかもやはり解らないのだが。

「当時はさ、といってもホント最近までの話だけど、ここは神崎グループの中枢だった。確かに俺はここで暮らしていたけど、ここは俺の家である前に神崎グループの会議室だった。だから、友達を呼ぶなんてのは論外だった」

 時雨は黙って聞いている。

 静かに、自然に。聞いてくれている。

「だから俺は親父が嫌いだったし神崎グループが嫌いだった。俺は俺の人生を、そいつらのせいで思い通りにさせてもらえなかった。全部、昔の話だけどな」

 今では親父の事は尊敬しているし、神崎グループの御曹司であった今の自分の身分には感謝もしている。全部、昔の話だ。

 少し、笑える。

「はは、親父が生きている頃はしたくても出来なかった事が、そんな考え自体が生まれてこなくなった今頃に叶っちまうんだから、皮肉なもんだだよな」

 何を言って欲しかったわけでもない。

 ただ、なんとなく思ってしまっただけだ。

 それを、ただの気分で口にしただけのこと。

 むしろ何も言って欲しくなかった。

 だから、

「……そう」

 時雨の感情も読み取れないような、優しい相槌はただただ有難かった。

 そうして夜は更けていく。2人は眠ることなく決戦の日を待つ。

 泡沫の浮き沈みする夢。起きたまま見る現実越しの死のカタチ。鏡に映った自分の影。

 それらを、

「明日、全ての決着をつけましょう」

 まどろみの中で聞いた。






 ※ ※ ※




 それは、

 起きたまま見る夢。泡沫の過去。現実越しの虚実。

 体は時雨と共に夜を明かし決戦を待つ。意識は体と共に明日を待つ。精神は器から零れ落ち過去で待つ。

 そこで見るのは二重の視界。決して重なり合うことなく神崎亮は明確に二つの視界を共有する。

 ここにいてここにはいない。どこかにいてもどこにもいない。

 そう、これは泡と消える定めにある夢の輪郭。

 でもそれは、決して無に還る訳ではない。

 ………………。

 …………。

 ……。



「り、こん?」

 幼い自分が拙い言葉使いで喋っている。

 幼稚園児と女性が、どこかの公園で話している。

 目の前にいるのは美しい女性。懐かしい香りのする、もはや名前も顔も思い出せない誰か。

 その顔を見ようと、一生懸命に顔を持ち上げるが逆光が祟って確認することが出来ない。

「そう、離婚」

 女の人は悲しそうに言った。

「お父さんとね、別々に暮らす事になったの」

 やさしい、やさしい話し方だった。忘れていた、忘れてきた、懐かしい話し方。

「亮は、これからお父さんと2人で暮らす事になるの。わかる?」

「……ううん。わからない」

 幼いながら、自分はこの時本能で理解していたのだと思う。泣きそうな声だった。愚図った、俺の一番嫌いなガキの我侭な泣き声だった。

「わかんないもん」

 顔をぐしゃぐしゃにして。

 恥も外聞もプライドもなく、泣いていた。

「わかんないもん」

 泣いていた。

 そんな俺を、

 ふわり、と。

 女性の胸が包んだ。

 抱きしめられていた。

 安心できる、強がりの必要ない自分にとって唯一無二の居場所だった。

 女性は膝を地面について、俺と同じ視点に立って、俺を強く抱きしめてくれていた。

 涙が、いっそう強く流れた。

 これが一生分の涙なのだと、本気で思った。

 これがお別れなのだと思うと、涙が止められなかった。会うことは出来る、とは思わなかった。理屈ではなく、そう思っていた。そしてそれは正しかった。

 わんわんと泣いた。

「もう、この子は泣き虫ね。赤ちゃんの時からそう。何かあるたびわんわん泣いて、それでそのたびあの人は険しい顔をして、私がそれをなだめて。ずっと、そうやって生きていけると思っていた」

 女の人も泣いていた。

 互いが互いの肩に顔を乗せているような状態なので、顔までは見えない。

 でも、泣いていた。静かに、涙を流していた。

 頭を、そっと撫でられる。

「泣いちゃだめよ、男の子でしょ?」

 震える声で、囁く。

「強くなりなさい、亮」

 頷く。

 強く、強く、頷いた。

「貴方が将来、貴方の思うことを貫ける強さを」

 撫でながら、

「持ちなさい」


 そして、


 唐突に胸の温かさは消える。

 支えを失って、俺は軽くよろめく。

 よろめいて一歩踏み出した先、

 視界は暗転し、公園はなくなり、暗闇に放り出される。

 視界を埋めるのは、おびただしい数の、

 鏡。

 眼前に、天上に、地面に、斜め前に、その後ろに、またその奥に、おびただしい数の鏡があった。暗闇の中に神崎亮と数多の鏡が浮かんでいた。

 女性の言葉が思い出される。

 心臓がのたうつ。


 強く。


 群れを否定した俺の姿が数多の鏡に映し出される。


 強く。


 刀を振るう、振るわれる、振るい返す俺の姿が数多の鏡に映し出される。


 強く。


 あらゆる娯楽を拒絶し、ありとあらゆることに手を出し、あるとあらゆるままに己へ還元する俺の姿が数多の鏡に映し出される。


 強く、強く、強く。

 出来る事をしてきた。女性の言葉を忘れた後も、そうやってもがき続けた。自分の意志を貫ける、強さを求め続けてきた。そうして、走り続けてここまできた。息を切らす事など、息をすることなど忘れてここまで来た。そうやって自分と戦い続けてきた。

 鏡、俺が二人。

 向かい合う。

「強くなったさ」

 鏡の奥の俺が言う。

 俺の意思で、俺の言葉で、俺の口で。

「ああ、そうやって生きていた」

 鏡の前の俺が言う。

 俺の意思で、俺の言葉で、俺の口で。

「出来る限り、ありとあらゆることを、誠心誠意、無我夢中でこなしてきた」

「強くなるために。俺が俺であるために」

「そうなる必要があった」

「その理由などとうに忘れた」

「そう在ることが俺だった」

「疑っている暇はなかった」

「迷っていては弱みを見せる」

「そんなのは俺じゃない」

「俺は俺だけで完結させられる」

「そう在ることを目指した」

 やがて、どちらが虚像でどちらが実像か、俺自身にも区別できなくなる。

 やがて、どちらが影でどちらが本物か、俺自身にも区別できなくなる。

「だから、」

 だってそんな区別などない。

 どちらも所詮、神崎亮なのだから。

「俺には、"おまえ"など必要ないッ!!」

 夢の終わり。そのまどろみの中。

 自分が最後に泣いたのは、あんなにも幼い頃だったのか、と。

 斬り合う瞬間、

 思った。


 こうして、"俺"は俺を殺害した。


 そうして、俺は架空死を現実死として認識し始める。






 ※ ※ ※





 幕間


 あれから、様々なことがあった。一般人には取るに足らないような普通のこと――普通の幸せが在った。そして、その先に、身を引き裂くような悲劇が。

 だから『それ』は言った。当主に、父に、魔術師を辞めたいと。

 父は全く取り合わなかった。あまつさえ、お前は先の事で疲れておるのだ、少し前線の仕事から離れるといい、と。今度は暗殺ではなく監視の任を『それ』に与えた。

 勝手だ、と『それ』は思った。今までは思ってもみなかったことを、『それ』は思ってしまった。そうしたことで、『それ』は『それ』では在り得なくなってしまった。『それ』だったからこそ、抱え続けることの出来た矛盾は、『私』という器には決して納まり切る量ではなかった。抱え続けていた矛盾が、器もろとも決壊した。

 与えられた任務は暗殺対象ではなく他家へ牽制となる者とその御曹司の監視。さらに、その御曹司をより近くから監視するため、御曹司の在学中の学校へ潜入することとなった。

 父は『私』が『私』になったことに、最後まで気がつかなかった。『私』はその時、個人的に、そして秘密裏に、情報屋【全一の根源オリジン】と取引をしていた。

 器を失った『私』の矛盾は、答えを求めてただ地を駆ける。




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