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スリーピース  作者: 双色
2/『Last season』
9/36

8/夜の帳に

 /3




 夜になった。

 ……放課後じゃなくて夜だ。放課後だけどさ。

 近年の日本は労働基準法とかなんとかで勤務時間にはやたらと厳しい。最終下校時刻を過ぎて一時間もすれば学内は空っぽになる。そして我らが占拠するのは旧校舎の音楽室である。無人警備システムなんて近代技術の産物は設備されていない。その死角を突いて放課後人気が失せるまで休館に潜んで、その後に練習を開始する――というのが今回理紗の立てた新たな式だった。リスクでか過ぎるだろ。

 現在ここには理紗が自宅から持ち込んだギターとドラムセット一式が置かれていた。早朝にこっそりと器材を持ち込むのには苦労したものである。身体的にも精神的にも。

 無論、時間を考えて最大の配慮は行っている。アンプに繋いだギターは最低音量だし、ドラム各種シンバル込みにはゴム製のヘッドで振動を抑える加工まで施してあるのだ。だから毎晩地味な練習風景にしかならないのだが。おまけに照明も点けていない。理科室からくすねたアルコールランプだけが頼りの明かりだ。スコアを覚えておけというのはそういうことである。

 理紗は慣れた手付きでオリジナルソングを独奏していた。それが譜面通りなのかは不明だが、昨日までには聴いたことのない曲だから件のそれなのだろう。鮮烈な高音の疾走が掻き鳴らされた後にその余韻を引いて、跳ね上がった曲調の興奮をそのままにしながら最大限に抑えた重厚感のあるメロディがラインを刻む。噴火寸前の火山みたいにテンションを溜め込んで、そして鼓動のような音節がリズムを刻み組み込まれる。後は一気に膨れ上がった熱を爆散させてサビへと突入し――

「ねえちょっと、あんたやる気ないの?」

 ピックを弾く指が急停止していた。暗がりに光る金色の目――とは大袈裟だが琥珀の混じった瞳が苛立ちを交えてぎらりと輝きを見せる。どうやらいっこうに練習を開始しない俺に発憤しているようだ。しかし勘弁してくれ、出来ないものは出来ないんだよ。

「あんたドラム歴十年でしょ。それぐらい出来なくてどうすんの」

 十年とか言っても九割がブランクだ。単に十年ほど前ちょこっとかじっていた程度に過ぎない。そういえばあの時も理紗の気紛れだった覚えがある。確かあの時は兄貴が始めたバンドに興味を持ってのことだった。夜の学校にこれだけ好き勝手持ち出されているんだから、おそらくもうその趣味には飽きがきてしまったのだろう。妹同様に飽き性な人だからな。

「ほら早く。灯りも貸して上げてるんだから」

「無茶言うな」

 まずこれが読めん。

 理紗は盛大に溜息を吐き、見せしめるように首を振って見せた。無能な部下を嘆くみたいな素振りだが俺が悪いのか。

「ほんっとどうしようもないわね。頭まで悪かったら、あんた何が残るわけ?」

 その台詞はここまでに俺が頭脳面以外での無能さをアピールしていたならば使用可能だが、残念ながらそのような伏線は存在しない。つうか頭の良い悪いじゃないだろう。ドラムスコアの読み方なんて素人が知ってるはずない。

「あーもうわかった」

 ギターを置いて立ち上がる。そしてつかつか歩み寄ってきて、すとん、と腰を降ろした。

 俺の膝の上に。

「な……お、おまえなにしてんだよ!?」

 膝とは描写しても当然ドラムをやる訳だから脚を閉じてなんていない。理紗はその状況下で俺に重なってきたのだ。いくらなんでも慌てる。

「うるさい。バカに優しく、体に教え込ませるのよ」

「か、体にって……!」

 がつり、と突き上げた肘が顎に命中して危うく舌を噛み掛ける。

「変なこと考えるな。ほら、手貸しなさいよ。違う。ドラムの基本でしょ、ほら腕交互にして」

 いやそうするとなんか体勢がほら抱きついてるみたいでさ。

「くだらない」

 なにが。

「中学生じゃないんだから。今更あんたに何されても気にしないわよ。ほら早くして」

 さらっととんでもないこと言ったぞこいつ今。

 などと考えている隙に手首を引っ捕らえられる。強引に交差せられた腕が作り出す三角形の空間に理紗の体は思いの外すっぽりと収まっていた。しかしその意外な小ささに驚く暇もない。外部からの力で強引に稼働させられた腕が、まずは肩慣らしとばかりにツービートを刻み始める。

 ぼんやりしているとまたも肘打ち。今度は胸に入った。何かと抗議してみればサボるなとのことだ。言われてみて理解に至る。確かに俺は全身の力を完全に抜き切っていた。これでは練習になどなるはずがない。……いや、力を入れていたとしたら練習になるのだろうか。

 ウォーミングアップはエイトビートに至る寸前の速度で加速を停止した。こんな体勢ではこれが限界である。続いて休む間もなく――理紗は深呼吸に近い吐息を挟んでいた――新たな鼓動が刻まれ始める。タタタン、と軽快なリズムから入った初節はしかし、闇の中にわだかまる静寂を打ち破るような、雷鳴染みたシンバルの音で豹変した。

 怒濤の勢いで流れ込む強烈なビートと時折挟まれるシンバルの音。耳を澄ませば、それだけ音が溢れる中にも理紗の呼吸と心音は確かな振幅を生み出していた。それらは徐々に加速を始めながら疾走しそして。

「おっけー、とりあえずここまでね」

 熱が一気に覚めていく。室内に満ちるまだ形のないメロディはその一言で霧散した。

「サビの手前までだけど、本当はもっとテンポ速いから。この状態だと今のが限界だったのよ。まあ、初めはこれくらいでも練習にはなるでしょ」

 とか言って、あっさりと腕の拘束から逃れる。飛び跳ねて着地するときに足元がふらついていた。

「おまえ、ドラムのパートまで覚えてんのかよ」

「あたしが書いたんだし、当然じゃない」

「つうか、ドラム出来たんだな」

「お兄ちゃん、最初の頃はギターだったけど次のバンドではドラムだったのよ。叩いてるの見てたし、基本とか教えて貰ったからね」

 多趣味の兄がこのユーティリティプレイヤーを作り出していたのかと今更に実感する。ちなみに理紗は音楽以外にも妙なスキルを持ち合わせていやがるが、それらも兄の影響であると見て間違いない。

「でも、ベースだけは無理。なんか地味だし、やったことない」

 お手上げのポーズを見せて、ルーズリーフをひらひらとさせる。

 そういえばあの譜面にはベース(と思われる)のパートは記されていなかった。扱えない、イコール楽譜も組み立てられないということか。ならば尚更のこと、

「惜しいな、鈴童は」

 と呟いてみる。

「……」

 直ぐに激昂が飛んでくるかと身構えたがそれはなく、やや間を置いてから思い出したように張り上げた声が闇に響いた。

「知らないっ。やる気ない奴は要らないから。だいたいあの態度は何よ。やっぱり猫被ってたんじゃないあの生徒会長。優等生ぶるのは勝手だけど……なんていうか、ムカつく」

 思い出して苛立ちを再来させているようだ。

 どうやら俺は余計なことを言ってしまったらしい。

「あんなのはあたしの式には要らないわ。変数に当て嵌めたら式が破綻するってもんよ。いいわよ。代わりを見付ければいいんだから」

「そういうもんか……」

「そうよ。音楽性が合わないし、論理性も合わない」

 論理性ってなんだ。

 時々意味不明なんだよな、この式っ娘は。

「なに? あんたそんなにあの女を引き入れたいわけ? 悲しいわね男って。存在の基盤に刻まれてるのよそういう風に。発生の前段階で遺伝子とか形生体とか染色体とか以前のあれよ、始まりの位置からどうしようもない生き物なのが男よね。輪廻のわっかから根本的にずれてんのよ」

「もう意味わかんねえよ」

「あんたを構成する存在式は、イコール淫乱ってことよ」

 簡潔に纏められたがそれは心外だ!

 と、反駁の声を上げる寸前でその小さな音が転がった。見れば、扉が僅かに開いている。誰かが中を覗いていた形跡にも見える。戸締まりなら再三確認したはずだ。無人とはいえ、それが効果の薄い防音だとしても、用心に越したことはないからだ。だったら、そこに誰かがいたのは確実なことになる。しかも今の物音の後に何者かが立ち去った気配はない。

 その誰かはまだ、扉の外にいる。

 理紗は音に気付いていなかったらしい。怪訝な面持ちでこちらを見上げていた。

 どうしたのかと問う声をジェスチャーで塞ぎそちらに近付く。向こうもこちらの接近には気付いているだろうから足音に配慮はない。逃がすまいとむしろ早足なくらいだ。そして扉に手を掛けて後は一息に、それをスライドさせた。

「あ……」

 咄嗟に漏れたのであろう呟きの声は誰のものかわからない。

 四つん這いになっている長い髪に赤いコートが目に入る。

 鈴童静歌がそこにいた。

「ねえ、どうしたのよ」

 理紗が言っている。こちらに来てはいないらしい。

 答えず、俺は鈴童を見下ろして硬直していた。

 琥珀が不安気に滲んでいる知られてはいけない秘密を知られてしまったみたいな表情だ。逆だろ、それは。わずかな間、沈黙を見送って俺は。

「なんもない。思い過ごしだった」

 扉を閉めて理紗に言った。

「練習、再開しようぜ」


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