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スリーピース  作者: 双色
1/『Siren』
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5/式の完成に

 /5




 どうやら回復したらしい鈴童先生に呼び止められたのは丁度、俺が食堂へ向かっている途中のことである。四限が数学だったのでそのまま追いかけてきたのか。やや荒い息で駆け寄ってきた鈴童先生はすっかり、いつも通りの表情に戻っていた。

「片瀬くん、ちょっと!」

「はい?」

 立ち止まって、振り返る。

 瞬間。柔らかい衝撃に意識を蹂躙され、世界が反転した。弾力が……! 弾力が半端じゃねえ……!

 背中を襲った衝撃も遠い。それぐらいの威力を備えた体当たりだった。

「あ、ご、ごめん大丈夫っ?」

「いえいえ。まったく全然これっぽちも問題皆無です」

 ノープログレムだ。むしろ感謝の言葉を送りたい。

 などと戯言を思考に並べつつ腰を上げる。このままの視点だと、色々と問題があるのだ。だって先生は女教師の代名詞みたくタイトスカートを履いていたりするのだから。その癖ストッキングは履いてないし。外気に生脚を晒しているのである。

 壁に手を突いて立ち上がり、無事をアピールした。

「それで、どうしたんですか先生?」

「あ、うん。……えっと、今朝はごめんなさい。まず、それを謝りたくて」

 むしろ、俺よりも妹に謝るべきではないかと言う指摘を腹の中に収めた。

 先生は自分の掌を重ねてもじもじとしている。上気した頬に上目遣いの悩殺ポーズ。これは不味い。一定時間以上見ていると石化する。俺は早々に視線を逸らして回避した。

「そっちに関しても気にしないで下さい。もう忘れましたから」

「そう? ありがとう片瀬くんっ」

 手を取られる。……この人もしかして、わざとやってるんじゃないのか。

 これでは朝と変わりないじゃないかと思い始めたところで、しかしそこからは普段の鈴童先生だった。直ぐにこちらの手を開放すると、あはは、と悪戯っぽく笑ってみせる。緩んだ表情はけれどそこまで。次には咳払い一つで教師然とした雰囲気を取り戻す。

「ところで今度は質問なんだけど、今朝は生徒会室にどういう用があったの?」

「ああ、それはですね――」

 昨日から今朝に至るまでの経緯を細かい事情抜きのダイジェストで掻い摘んだ。

 傍迷惑な式女が突然に思い立ったことや、それを今朝方破綻させる事実が発覚した――そもそも生徒手帳を見れば当然のように記されていたのだが――ことなど。ついでに先生が心配していたので、理紗とは一限の後にコーヒー牛乳で和解したことも伝えた。

 最後まで聞き終えると、先生はふーんと唸るみたいに声を出して腕を組んだ。

 目を閉じて何度か頷いた後に、

「なるほど。それで静歌のところに行った訳ね」

「たまたま門のところで偶然鉢合わせて、生徒会室に招かれただけなんですけどね」

 部の設立云々は、そこで出た話だ。

「で、断られちゃったわけだ」

 何だかニュアンスが妙だがここは肯定しておく。

「まあ、人数も足りてないし、決まりですから仕方ないですよ」

「うーん……そういう問題じゃないと思うけど」

 苦笑いに小首を傾げる。

 あれ、なんかやっぱり微妙にずれてないか。

「先生、何の話してるんですか?」

「はい? 片瀬くん、静歌をバンドに勧誘しようとして、断られたんじゃないの?」

 何だそれ。

 そんな話がどこから沸いて出てくるんだ。俺の説明だとそのような誤解の余地は発生しないと思うのだが。思うだけで相当下手な説明をしていたという説も否定できない。お互いの間に曖昧な空気が流れる。まずは、ずれた会話の歯車を修正することからだな。

「いや、それは違いますよ。そもそも鈴童と話したのは今朝がはじめてのことですし」

 というよりも、だから……

「別に、鈴童を勧誘する理由がないんですけど……その、どうしてそんな勘違いを?」

「あ、そうだったの……へえ」

 誤解こそ解けたようではあるが。

 鈴童先生はそれでも、まだ腑に落ちないことがあるといった風な表情をしていた。

「そっか。でも確かに、だったら片瀬くんが知ってる訳ないわよね」

「何がですか?」

 なぜか先生は表情を曇らせ、俺と目を合わせないまま言った。

「静歌ってね、あの子ギター出来るのよ」



 *



 鈴童静歌が何故ギターというポピュラーでありながらも現代では保持者の多くないスキルを身につけているのかというと、彼女の姉は次のように解説した。単純に、彼女達の知り合いがやっているライブハウスに小さい頃から遊びに行っていたからである。

 なので鈴童は幼い頃からギターに触れていたという経歴を持っている。先生の話では十年くらい前から弦に触っていたらしい。現生徒会長が何から何まで平均以上にこなすユーティリティプレイヤーだということは、この学校の生徒で知らない者はいない。そこへ来て十年分の経験があるならば実力は折り紙付きである。即戦力間違いなしだ。

 けれど、と鈴童先生は最後に付け加える。――静歌を勧誘するのは無理だと思うよ、と。そりゃまた何でかと訊いてみるとしかし彼女はこれまでの饒舌ぶりから一変して閉口した。それは本人から直接聞いてくれ、という意思表示だろう。心底申し訳なさそうに手を合わせて舌を出す仕草を見せられてはこちらに罪の意識さえ沸いてくる。

 そういう訳で昼休みである。

 普段なら弁当を教室でつついている頃合いに俺は食堂で食券争奪戦を繰り広げた結果、カツカレーを獲得して席についたのだ。メールしておいた理紗はしっかりと席を確保してくれていた。頼りになるやらならないやらでよくわからない奴である。

 話の顛末を理紗に話すと、自分はちゃっかり持ってきていた弁当を紐解きながら、

「わかったわ」

 なにがわかったのか。後、俺の飯に目を着けるのは止めろ。

 鷹の目がカレーに向けられている現状に危機感を覚える俺がいた。

「鍵は鈴童静歌ね」

「鍵ってなんだよ」

「この式を解く鍵よ。公式ともいうわね」

 左様ですか。俺にはわからない世界なのでこれ以上は踏み込まない。

 語り始めたときの理紗はとことん語らせておくのが得策だということは、十年も前から心得ている。

「彼女を引き込めば部の成立は簡単よ。生徒会長なんだもん。規則はもはや敵じゃないわ」

「そんな上手く行くかよ」

 生徒会長だからこそ、校則には逆らえないんじゃないだろうか。

「で、一つ気になることがあるんだけど」

「どうして勧誘できないのか、ってことだろ」

「ご名答」

 正答賞としてカツが一つ盗まれる。逆だろ。

「それについては何も聞き出せなかったわけ?」

 人をスパイみたいに言いやがるが、こちとら偶然話を聞いただけだ。聞き出すも何もない。

「使えないわね……。いいや。そこはぶっつけで行きましょう」

 ひょひょい、とカツが盗難に遭う。なんと気付けば普通のカレーに様変わりしていた。なんという早業だろう。俺はまだ一口も手をつけていやしないというのに。

 具体的な案は何一つ口にしていないし、どうせ思いついてもいないだろう。ただ思い立ったら後は直進するだけ、それこそが理紗の行動理念。式の解法は何通りもあるが、どれもこれも直線だと理紗はいう。求めるべき答えは一つなのだ。ならば回り道など必要にならない。

 椅子を倒して立ち上がる。知らない間に自分の弁当まで平らげていたらしい。

 状況は簡単だ。


 会長獲得、バンド設立、イコール――彼氏ゲット。


 本来の目的を忘れていない自分が、なんだか嫌な気もするのだが……。

 理紗自身は覚えているのだろうか。どうだろう。どちらにしろ、ここまでくれば覚えていなくても同じだ。今の目的はその前段階で、最終目標はまだ少し遠い。肉食獣が獲物一頭を捕捉して決して逃がさないように、今この段階の問題に対して限りなく真っ直ぐなのが俺の幼馴染みなのだ。

 数学と同じ。

 最終的な答えに至るために、まずは一つずつ目の前の式を解いていく。

 目指す場所が決まっただけでも進展はあっただろう。

 さて、だらだらと続いた起承転結で言うところの起はここまでだ。

 そろそろ物語を次に進めなくてはならない。

 カレーを口に運ぶ俺のスプーンを引ったくり――ついでに一口カレーにパクついて――その先を俺の鼻先に突きつけた。理紗の瞳は爛々と煌いている。ああ、もう、勝手にしてくれよ。こうなった理紗はどこぞのラスボスの最終形態より手が付けられない。

 そして食堂全体に響き渡らんばかりの叫び声が木霊した。

「じゃ、実行は放課後にね! この式、さっさと解いちゃいましょう!」

 へいへい。

 好きにしてくれ、哲学少女。


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