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スリーピース  作者: 双色
1/『Siren』
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4/得難い条件

 /4




 そのような流れで生徒会室にお邪魔することになった謎の早朝登校二人組は、徐々に暖房の利いてきた部屋で椅子に腰掛けているといった状況だった。なんだこの待遇は。不相応過ぎる。俺の隣でルーズリーフを広げながら何やらをしている式マニア少女は、そんなことなどまったく気にしていないようだが。

 無敵の生徒会長、鈴童静歌は一人黙々と書類の山を処理していた。年末の頃、今学期の予算についてまとめを行っているらしい。しかしそういうのは会計委員とかそんなのがやることじゃないのか。そう言うと鈴童は、

「生徒会執行部、ってさ、一応部活みたいなものなのよ。定員数が集まらないことも、まあしばしばって感じなのよね」

 肩凝りをほぐすみたいに首を捻りながらあっけらかんと興味無さそうに答えた。

 生徒会役員は半年に一度の選挙で選出される。主に立候補によるものであるため、定員割れが起きることもなくはない。その場合立候補期間を延ばしたりするのだが、今年は確か二週間ほどもの延長を経て遂に最後まで定員が集まらなかった。

 ……無理もないかもしれない。前期の役員たちは半数ほど二年だったので、つまりはこの会長様の敏腕さを直に、毎日目にしていたわけだ。思ってしまったのだろう。自分たちのいる意味って、みたいなことを。わからないことはないのだ、そういうのも。

 空白の役職には便宜上の幽霊部員が存在しているらしい。続投を拒否した前任の名前をそのまま使っているとか。教師がそんな現状を黙認しているのも、この会長あってのことなのだろう。

 結局今期の生徒会は定員数を割ったまま幕を開けたのだ。

 現在は日々日頃より常時役員募集中らしい。必要ないのだろうけど。

 なにせ会長のキャパシティが異常だ。

 シャーペンを机に置く音がする。ひたすら業務に打ち込んでいた鈴童が顔を上げた。やり遂げた感もなければ、やってやった感もない。して当然当たり前、みたいな顔だ。本気でそう思っているんだろうな、こいつは。

「お待たせ。思ったより時間掛かっちゃったわね、ごめんなさい。で、確か部活の話よね。えーと」

 置いたシャーペンを指で弾き、そのまま回転させる。

「まず始めにだけど、部を設立するには最低定員五名が必要よ。それから顧問の教師。この二つには何か当てがあるの?」

 五名。ギターとベースとドラムとそれからなんだ? キーボードとかだろうか。ギターをもう一人加えるとして、ボーカルを別にすると丁度五人だ。いやいやそんな問題ではない。部員は俺と理紗の二人しかいないのだから、残り三人、それに顧問の教師だって当てが皆無だ。

 ……もしかしてあるのだろうか。何か、その当てみたいなのが。

 この場の対応は理紗に任せることにした。

「ないわよ」

 往年のコント番組並みにすっころびそうになった。

「昨日考えたことなんだから、どうしようもないじゃないのよ。今のところ二人だけよ」

 胸を張って言いやがる。

 普段から論理だのなんだのと言っているが、突発的な無計画性は言動と著しく矛盾を起こしているのだ。それだって本人に言わせれば当て嵌まる式が存在しているそうなのだが、どこまで本当なのかなんて考えたくもない。

 かしゃん。回転したシャーペンが音を立てる。

「わかりました」

 鈴童が短く言う。なにがわかったんだろう。

「それじゃあ後三人、それから顧問の先生を連れて、もう一度来てください。そうしたら総会を開いてから審議に掛けて、予算案を組み直して、それから部室とかの準備を――」

「ちょっと待った」

 声を出したのは俺だ。

 話を遮ると、途端に鈴童の目付きが変わる。驚いた。いや、ぞっ、とした。さっきまで温和で柔らかな目をしていたのに、今の一瞬見せたそれは氷柱のような切っ先と絶対零度を持ち合わせていて――

「なにかしら?」

 彼女の眼差しが眼球に突き刺さる刹那の手前、先の比喩ではないが、今までの鋭さが融解した。今までと変わらない温厚な優等生の瞳がやんわりとこちらを見据えている。

「いや……その、なんだ。聞いてる限りだと部の設立までに結構な時間が掛かるみたいじゃないか?」

「ええ、まあね。こちらの事情で悪いけど、今年度の部活会はもう終わってるのよ。今から新しい部を立ち上げるとすると、また初めから全部やり直しになるから、早くても設立は来年になるわね。……申し訳ないけど、少し待ってもらうことになるわ」

「あ、や、構わない。俺は……全然」

 気丈な癖にこんな時は心底申し訳なさそうにするのだ。上目遣いで謝られたりしたら、この学校の男子生徒の九割は許してしまうだろう。が、しかし、全男子生徒は許しても俺の隣の女は許さない。思い立ったが吉日を体現したみたいな性格をしているからな。

 案の定理紗は机に張り手をお見舞いすると語調を荒げた。

 挑むように威嚇する眼光を光らせる。

「それじゃあ困るわよ! あたしは今、すぐに、バンドを始めたいんだから」

「……そう言ってもねえ。協力はしたいけど、決まりは決まりだし」

「あんた会長なんだから、なんとかしてよ」

「他の部との兼ね合いもあるのよ」

「そんなの、あたしの情熱でどうにかするわよ!」

 どうにもならん。

「やめろ。駄々を捏ねてもしょうがないだろ」

 黒髪の分け目に手刀を振り下ろす。

 対面に乗り出していた小柄な体を引っ張り戻して椅子に座らせようとするが、これがやたらと暴れやがる。ことを遂行するのに顔面へ三発もの拳を貰っちまった。子供かこいつは。

「なによあんた、どっちの味方なのよ!」

「正義の味方だ」

「最低ね。あんな作り物の笑顔に騙されて。これだから男は」

 ばれてんのかよ。そうじゃなくて。

「鈴童が正しい。まずこっちは顧問とか部員とかを揃えるところからだ。話はそれからだろ」

「でも……だってぇ」

 噛み殺した声を出す。表情は感情を押し殺すのに必死だ。こいつだって本物の子供じゃない。話せばわかるし、なにが正しいのかもわかっている。……はずだろう。とにかく、引くべきところは知っている。だからこんな顔をするのだ。

 やり切れない。負けず嫌いで反抗したいのに、それは自分の言う式に反するから出来ない。せめて強がって見せる。昔から何一つ変わっていないそんなところだけは、本当に、子供のままだ。

 机にしがみ付く理紗を引き剥がして、取り合えずは生徒会を出る。これ以上居座るのも迷惑になるだろうからな。

「悪かったな鈴童。取り合えず部員を集めてくるよ。あー……色々と世話になったな」

「そんな。わたしは何もしてないわよ。力になれなくて」

 眉を顰めて、肩も竦めて、なのにどうしてだろう少女の瞳の色は寒々しくて、

「本当に、ごめんね」




 *




 生徒会室の扉がスライドしたのは渋々退室を決めた理紗を引き摺っている時だった。

「おっはよう! 遅れてごめんね静歌ー!」

 朝っぱらの冬空を、灰色から青色に溶かしてしまいそうな声が飛び込んでくる。核融合全開とばかり、縮小版太陽みたいな笑顔がまるで新しい玩具を手にした子供のように溌剌としていた。

 誰あろう、鈴童六花教諭である。現職生徒会長の姉であり我が校の数学担当教師な彼女は、本当に鈴童の姉なのかと疑うくらいに無邪気な笑顔を浮かべていた。

 実際彼女が高校の制服を着ていたなら間違いなく双子だと思ってしまうだろう。それどころか妹かとさえ考えるかもしれない。童顔なのは実はよく見ると二人ともなのだが纏う空気が違い過ぎる。どちらが大人でどちらが子供かなんてことは正しく一目瞭然だ。

 そこにきてしかし、俺は扉を勢いよく開いた際に弾んでいたコートを押し上げる膨らみも見逃していなかった。厚着の上からでもわかるくらいのサイズを誇る双丘が容姿に不釣り合いなどころか背徳的ですらある。

 もしかして鈴童もそうなのか。

 こっそり視線をスライドさせると、額を押さえて俯く生徒会長の姿が目に飛び込んできた。

「……おはようございます、鈴童先生」

「やだなぁ、もう。自分だって鈴童じゃーん。静歌ちゃんもしかして怒ってるの?」

「怒っていません。……もう、場を弁えてよお姉ちゃん」

 鈴童は溜息でこちらを示す。

 ぽっかーん、と開いた口が間抜けに見えないのは幼い容姿が浮かべた笑顔のせいだろうか。鈴童先生は唖然とする俺と理紗に気付くと咳払いを挟んで態度を改めた。

「おはようございます。二人とも、朝が早いんですね」

 胸ポケットから眼鏡まで取り出したのだ。

「関心ですねー、ところで、今日はどういった用件でここに? おほほほほ」

「先生、キャラが崩壊してます」

 見たことのない鈴童先生がそこにいた。

 本性を目撃されてパニックになるのはわかるが、そこで普段の振る舞いを見せるのでなく新たなキャラクターで重ね塗りしてくるとは。さすがの俺ももう溜息だった。俺ですらこんな心境なんだから、実妹の鈴童はどんな心中なのか計り知れない。

 指摘すると先生の肩が跳ね上がった。ついでにアホ毛が一本ひょろりと出現する。

 あー、もう、と零してがりがり頭を掻いた。

「なんなのよ、朝から。そうですよ。どうせあたしはどうしようもない酒乱のシスコンですよーだ」

 拗ねるなよ社会人。

「昨日だって飲み過ぎて朝寝坊するし」

 だから拗ねるなって成人女性。

「お陰で静歌には怒られるし。朝からブルーなんだもん。ぐすん」

 どうやら彼女の中にはまだアルコールが残っているらしかった。しかし本気で鼻の頭に朱が仄めいているのは酒の影響か、寒さが原因か、本当に泣きそうになっているのか俺にはわからない。専門家に任せるとしよう。

 俺はお手上げであることを訴えるように、両手を天秤上にする仕草で生徒会長に助けを求めた。

「はあ……わかったから。おはようお姉ちゃん。別に怒ってないよ。気にしてない」

「ほんとに?」

「本当だから。どうせまだ職員室にも行ってないんでしょ? 早く荷物置いてきなよ」

「仕事の愚痴とか、お酒飲みながら聞いてくれる?」

「わたしは飲まないけどね」

「また一緒にお風呂入ってくれる?」

「えーと……それは気が向いたら。もういいでしょ、ほら」

「はーい。えへへ」

 どっちが姉なんだよ。

 忘我する俺のブレザーをちょいちょい、と理紗が引っ張ってくる。指先で摘まんだ袖を離さないまま、本気で引き顔をしている理紗がぼそりと呟いた。

「なんなの、あれ」

「気にするな。世の中には色んな人がいるんだよ」

 しかしあれはどうだろう。よく教員免許取れたな。

 無邪気な笑顔を振り撒いて一人だけ晴れやかに、鈴童先生は去っていった。

 対照的に残された三人は各々複雑な表情を浮かべているといった現状だ。鏡がないから確認できないが、俺もおそらく二人と同じ様に特殊な顔をしているんだろう。中でも鈴童は最悪だった。実の姉が晒した醜態に生きる気力を失くしたみたいな目をしている。

 不意に理紗の手に力が籠もった。それがわかったのは、こいつがまだブレザーを摘まんでいたからだ。顔を向けるとそこには悪戯を思いついた悪餓鬼の表情をした小娘を発見する。悪巧みだ。今、理紗の頭の中にあるのはきっと悪巧みで間違いない。

 鈴童には聞こえないくらいの小声で、理紗は俺を横目で見上げながら話しかけてくる。

「ねえ今の、利用できないかしら」

「生徒会を強請る気か」

「人聞きが悪いわね。守秘契約よ。あたしたちは今見たものに対する表現の自由を制限されるの。対価となる報酬は当然頂かないと」

「悪いな、それなら俺は降りる」

 家庭の事情で脅してまで、おまえの突発的な思い付きに付き合う義理はない。

 俺にだって良心というものはあるのだ。だからそんな汚い真似はしたくない……とか言うほど格好のいい信念があったわけではないのだが。どうも気乗りがしないのだ。そういうのは。特に鈴童が相手だと。あの本気で落ち込んだ顔をしている様子を見ると余計に。

「なんでよ!」

「俺は正義の味方だからな」

「こんの……脚ね! あの脚に騙されたのね!」

 確かに、鈴童の脚は綺麗だった。雪のように白くて細い。締まった太腿は程好く肉付きしていて――じゃなくてだな、この寒いのにそんな短いスカートで――でもなかった。

「どっちか、つーと……脚より髪かな」

 風に乗る長くて艶のある髪が、灰色の世界に靡いていた。遠い目でそれを見ながら冗談交じりに言うと、けれど理紗は眉を吊り上げ目を怒らせ、どうやら本気にしている。怒号一声、鉄拳一発とそれから回し蹴りを一打。患部は脛と鳩尾だ。堪らず足元から崩れ落ちた。……冗談じゃねえ、マジ痛い。

「バカ! もう知るか、このヘンタイ!」

 理紗は、鈴童先生に遅れること数分の後に生徒会室を後にした。

 結果、残ったのは脛を押さえて転げ回る俺と鈴童静歌の二人だけとなる。

 何とも言い難い沈黙が室内に漂い始めた。激痛を堪えながら俺は立ち上がり、何か言おうとして口を開きかける。しかし俺が言葉を紡ぐ前に鈴童が先手を打った。それは見事なタイミングといっていい。相手にも俺が口を噤んだのはわかったはずだが、鈴童は気に留めない。

「ごめんね、みっともないところ見られちゃった」

 表情が窺えないのは鈴童が窓の外を見ていたから。

 俺に背を向ける形で、冷え切っているだろう硝子窓に手を当てながらぼそりと呟いた。

「あぁ……恥ずかしいなぁ、もう」

「とりあえず何も見なかったことにしておくからさ、そんな落ち込むなよ」

 完全無欠の生徒会長が持つ、それはきっと数少ない、あるいは唯一の欠点なのだろう。

 そう言った途端に鈴童の纏う空気が一変する。黒髪を翻して振り返り、その目は無邪気に、例えるならばまるで彼女の姉が見せたように輝いていた。駆け寄ってきて、手を握られる。両手で包み込むように二つの掌が重なった。冷たい窓に触れていたとは思えない、そんな温もりが伝わる。

「ありがとう! 約束だからね、絶対黙っててねっ!」

「あ、ああ、うん。約束するよ」

 うおぉ……。

 こいつ、こんな顔で笑うのか。これはちょっと反則だろ。

 にっこりと、それもたっぷり十秒以上に亘って触れ合った体温が離れる。

 踊るように刻まれた足取りで遠ざかる鈴童から最後に一度、よく聞き取れない言葉が漏れた。

「――ほんと、単純」

 彼女が何と言ったのかは、この時俺が知る由もなかったのである。

 だからこれもまた後に知ることとなる事実なのだ。

 そう。この時はまだ、俺は、ともすれば世界中は。

 鈴童静歌についての正しい認識を持ち合わせてなどいなかった。


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