/Epilogue
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ライヴ後の話を少しだけしよう。
結局体育館イベントの前座として用意されていた生徒会の前舞台は、その後のどの有志よりも喝采と注目を浴びる結果となった。会場のボルテージをネコソギ刈り取って行った上に、その時点で最高潮に達した盛り上がりはオーバーヒートとなり……ライヴ後の体育館がどのような状態だったかは慎んで割愛しようと思う。
生徒会役員三名によるバンドは翌日から生徒間の今もっとも旬な話題として語られることになった。音源のダビング依頼が殺到するなど、もはや時の人だ。噂では密かにファンクラブも発足しているらしい。稀に俺の下駄箱に悪戯されていたりするのだが、それも連中の仕業なのだろうか。ならばあくまでもスリーピースのファンという訳ではなく、あの二人のファンということだ。当然と言えば当然だ。
生徒会としての仕事も継続中である。これに関しては仕方のないことだろう。鈴童は用が済んだら除名するものと思っていたらしいが、そういう訳にもいかない。そもそもそういう約束だ。それを破る気にはなれなかった。
今日も今日とて、微弱ながら生徒会の雑務を担当している。鈴童の力になれているとはどうもまだ思えない。新種のお茶酌みマシーンみたいなものだ。
バンドは解散宣言もされていなければ、今後の活動継続も明言されていない。未発表の曲は残っているが、それもこのまま歴史の闇に消えるだろうと思う。こうしてまた理紗の式が幾つか未解答のまま消えて行ったのだ。
冬休みの直前に生徒会室でこんな会話が展開された。
「手首は大丈夫なの?」
まあ、とりあえず、授業がほとんど自習状態だってのが救いだ。
「それって駄目じゃない」
ライヴ直後は本当に一生使い物にならないんじゃないかと思ったくらいの手首は、しかし今では日常生活に何の支障もない。完治するまでの期間が本来よりも長引いたと言うだけだ。風邪をこじらせたとでも思っておけばいい。
「ふうん」
鈴童は悪戯な笑みと邪悪な微笑がブレンドされた笑顔を浮かべて、目を細めるように俺を見た。悪女の顔だ。なんか凄く悪い顔に見える。何を考えてやがるんだこいつは。
どん、と机の上に山盛りの書類が置かれる。
えっと、これはなんですか鈴童さん?
「ノルマ。簡単な書類だから適当に片付けておいて。まさかこのまま雑用だけして、生徒会所属の内申だけ貰おうっていうつもりなのかしら?」
「いや、待てよ。別にそういう考えは……」
おろおろとする俺の姿が余程滑稽だったのだろう、鈴童は様々な不純物が混ざった笑顔から雲が晴れた後の空みたいだ。
ふざけんなよ、人をからかいやがって。
とはいえ、確かに成績だけで大学が安定している訳ではない俺にしてみれば、その生徒会所属の経歴は非常にありがたいものでもある。ここは素直に鈴童の言葉を受け入れておこう。たとえ片腕になどなれなくても、それでも。
頭を掻いて書類の山を崩して行く。
今はこんなことでも、人間、本気になれば何だって出来るはずだ。いつか、鈴童の半身になれるくらいの仕事量をカバーしてやろう。当面の目的はそれだった。
「本当に、辞めないんだね」
「なにがだよ」
「もうライヴは終わったんだし、目的は達成したでしょ? なのに生徒会に残る意味が、貴方にはないと思うんだけど」
「それとこれとは話が別だろ」
何があっても傍にいると、白球に乗せた思いと誓いは、今をして永遠なのだ。
誰も信じられないと言った、箱庭の中の少女が、この世界でも笑っていられるように。
俺に出来るのは、それぐらいなのだから。
「へえ、そっか」
少しだけおどけるように、幼い目元が綻ぶ。
「彼女はどこまで知ってたのかな。貴方のこと」
「さあな」
俺だって知りたい。
一つだけ確かなことがあるとすれば、真実をあいつ自身に尋ねれば何と解答するかだけだ。
「羨ましいな。そんな風にお互いを信頼できる相手がいて」
羨望の眼差しが儚い。窓の向こうにある、その青い空の果てを望遠していた。
鈴童のそんな横顔があまりにも綺麗に見えたから、不意に、悪戯をしてみたくなる。
「心配いらねえよ」
俺は言った。
「おまえを含めてのスリーピースだろ」
*
夕暮れの帰り道で理紗は今回の採点を行っていた。
「0点」
「……はい?」
式を組むなら、当然それを解くことになる。最初の式から最後の式まで、その一連をテストに見立てて最終的に採点を行うのだ。これまでの最低点は確か、それでも二桁だった気がするのだが。少なくとも欠点ではない。これは流石に過去最低点だ。
「して、その心は?」
フィードバックは大切だ。
中学の数学担当教師が言っていた、採点や点数ではなくその訂正が大事なのだと。ちなみに俺はそいつが大嫌いだったので、数学だけはテストのやり直しをしなかったりする。余談だけど。その結果もあってか、模試だと俺の数学の成績は平均偏差値を大きく下げる役割を果たしている。
驚くほど自己採点の低い式少女に確かめてみると、理紗は盛大なため息を朱色に落とした。
「あのねえ、あんたバカなの? 式ってのは答えを出す為の道程なの。あんたさ、そもそもこの式が何の為の式か覚えてないわけ?」
「何の為のって、そりゃあ……」
「彼氏、出来てないじゃない」
「あ」
ああ、なるほど。
そういえばそういう目的でバンドをしよう、なんてことになったんだったな。
ファンクラブも発足したし、それに鈴童には言い寄ってくる男が急激に増えたらしい。理紗は明言していないが、俺が客観的に見たところ声を掛ける男は確かに増えているように思える。そういう意味では全然成功したんじゃないのか。それとも品揃えに不満があるとでもいうのか。俺には、なかなかの男前が集まっていたように思えるが。
きっ、と横目に睨まれる。
背筋がマイナス百度で凍りついた。冬だからさみい。
「はあ。説明しなきゃならないほど、あんたがバカだとはねえ」
「面目ない」
「ほんとに思ってるの?」
思ってない。
殴られた。鳩尾にエルボーがヒットする。
クリティカルヒット、付属効果で麻痺状態になった。呼吸困難だ。
「あのね、あたしは誰でも彼でも男ならいい、ってわけじゃないの。そんじょそこらのイケメンなんて、その気になれば掃いて捨てるほど集められるじゃない」
世の中の恋する女の子に土下座して回れ自過剰女。
脛を踵で刈られる。
弁慶が泣いた。
「違うでしょ。あたしは、あたしの式が導き出すたった一人が欲しかったのよ。その為に曲も歌詞も書いて歌って踊ったんじゃないの。なのに何? これだとその一人が見付からないでしょ。もう、バンドは目立ち過ぎだって、最初に気付くべきだったわ」
脊椎に手刀を落とされた。
ちょっと待て、今のは八つ当たりだろ。
「まあ実際、誰があたしの式の答えだったのかわからなかったのは、残念ね」
そのたった一人の為に、ここまでしてきたのに。と理紗は言う。
一人の為に。
作詞作曲、ダンスは……なかった。一連のあれこれをやってきたのだ。
同じ場所にいるよって、言ってくれた君が――
結論をしてそれは式だったのか、彼女の想いだったのか、俺にはわからない。あの日、あの場所は既に異常だったのだ。どんな現実だって意味を持たない。ならば気にする必要もないだろう。結局のところそんな風に曲目を変更したのも、理紗の気紛れだったのかもしれないし。全部俺や鈴童が考えすぎていただけだってこともある。そう考えると、むしろそうとしか思えなかった。
ちょ、待てよ。だったら今日までの奮闘は――
「うん。無駄ね。骨折り損よ」
だよな。
そんなことを言うときの理紗は本当に楽しそうだ。
赤い空。流れて行く雲はどこまで行くのだろう。いつか空の果てに辿り着くことがあって、消えて行くのだろうかと考えていた子供の頃。そんな、遠い過去を思い出す。すると無邪気な理紗の笑顔が羨ましかった。
夢と引き換えに知識を手に入れて、現実を受け入れることで褪めて行く。世界はいつか色を失くして悲しくなるのだろうけれど、こいつだけはきっと、そうならないだろう。だから、こいつといるのは楽しいのだと思う。失うこともあるけれど、今はそれで構わないと思えるから。
「何よその顔。変なことでも思い出した?」
不意に、思ってしまった。
けれど口に出したりはしない。
もしかしたらおまえの描いた式の答えは直ぐ近くにあるのかもしれない、と冗談でも言えそうになかった。幸せの青い鳥は近くにいる。果たして、幼馴染みは青い鳥になれるのだろうか。だったとして、その鳥は幸せを運んできてくれるのだろうか。
なに。
わからないなら今はそれでいい。
いつかこいつが、それさえ解き明かす式を組んでくれるような日が来ると、そう思う。俺はどうせそれまでこの腐れ縁を切れずにいるだろう。どれだけ無意味に思えても、捨てる気にはなれない、これはそんな縁なのだ。
ふと、沈んで行く夕陽を見ながら問い掛ける。
「なあ理紗、おまえさ、本当は全部わかってたんじゃないのか?」
それが何を指して全部なのかは、あえて曖昧にしてみる。
この式がどのような結果に至るのか。鈴童が抱えていた箱庭。俺が手首を怪我していたこと。俺が、こんな謎哲学大好きの式少女を――なんだっていい。どう捉えるかは理紗次第だ。解釈は任せようと思う。俺が欲しいのは結局、こいつの答えだけなのだ。生徒会室で予想したその返答が正しいのかどうかと、少し気になっただけの話だ。
風が止まる夕凪の時刻。世界は朱色でもうじき青い夜空に白い月が昇る。
硝子で出来た世界を錯覚させる透明な夜――雲はない、きっと明日は晴れるだろう。
果たして、その中で、
「当然でしょ。こんな式、とっくに解いちゃってたんだからっ」
期待を裏切らず、笑った哲学少女がいた。
/there be threepiece
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