28/不運な不穏
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体育館にやってくる。
と、半ば準備は終わってしまったらしい。
三十分くらいの差で遅れた俺たちを向かえた鈴童に当たり前のごとくそれを伝えられる。
ていうかこの手際は……。どうやら鉄の生徒会長は衰えていないようだ。すっかり変な二人組みとつるむようになって鈍ったかと思っていたのだが。ところで、その変な二人組みとは俺たちのことだろうか。そうだよな。自分で言ってて悲しくなる。
相変わらずの手腕を僭越ながら称賛してやると、どう見ても謙遜とは思えない態度で鈴童はそれを否定する。本気でこれが当たり前だと思っているのだから、そこにこそ鈴童静歌を化物たらしめているものがあるのだろう。
さすがは天下無双の天才生徒会長様だ。
「そんなんじゃないわよ。別にわたしは」
これが当たり前だっただけ、と答える。
「どこにでもいる、有象無双よ」
「それって、物凄い存在感だよな」
間違ったのか。そんなわけないよな、鈴童だぜ。
四字熟語程度を間違えるようでは、例のこともあって本気で体調を心配してしまう。冗談なら止めてくれよ。自分のキャラを理解して欲しいものである。軽口程度にその旨を伝えてみると、しかし鈴童はぷくぅと頬を膨らませて目を濁らせた。
「なによ、わたしだって冗談くらい言うのに」
「……」
真の美は共有してしまうと風化する。なのでこれは俺の記憶の中にだけ留めておくことにする。一つだけ言えることがあるとするならば、鈴童静歌を以ってその表情は反則技だった、ということだけだ。
そういえば成り行き上俺は鈴童に告白してしまったような過去を持つが、そのことについて鈴童自身はどう思っているのだろう。本気にしては、いないよな。あの後色々あったし、いちいち気にしてられる程の余裕もなかった。出来れば鈴童には過労熱と一緒にそれに関する記憶も排出していて欲しい。
こんなわたしのこと、嘘でも好きだなんて言ってくれて、ありがとう。
本気にしてたら、そんなことは言わないか。
「どうかした? ぼーっとして」
「なんでも。で、仕事は全部片付いたんだよな」
切り替えよう、と自分に言い聞かせる。
済んだことを気にするよりも今は先のことだけを案じるべきだ。
「大方の仕事は。後は片づけがちょっと残ってるくらいね」
冬なのにシャツを捲くった腕が眩しい。腰に手を当てる姿は一仕事終えた後の匠みたいだ。
こいつも仕事に達成感とかを感じるようになったなら、それは進歩なのかなとも思う。
残っている仕事は、なるほど鈴童の言った通りらしい。舞台道具とは関係のなさそうなダンボールの数々や脚立に何に使ったのやら立て掛けの梯子まで散乱している。これらを所定の位置、つまるところの用務倉庫とかそんなところに返してくればいいわけだ。これに関しては万能の鈴童でも一人では手間と時間が掛かる。肉体面では普通の女子なのだから、力仕事に向かないのは当然だ。
どうやらここら辺は俺の出番と見て間違いない。理紗は準備の完了を聞いて、なにやらステージ上でイメトレでもしているのか寝ているのか瞑想しているのか知らないが仁王立ちしていらっしゃるし。遅れてきた手前、実行委員にこれ以上任せきるのも悪い気がする。
……しかしさすがにこの量は、一人ではきつい。男子とはいえ俺は別に体を鍛えているわけでもないのだ。肉体自慢なんてする気はないぜ。
「? 私も手伝うに決まってるじゃない。一人でこれ、片付けるつもりだったの?」
「手伝うって……いいのかよ。もう十分働いただろおまえは」
「これくらいのことで十分なんて思ってないけど。実行委員にも協力して貰ったし、私が来たのだってついさっきよ」
それはまあそうかもしれないが。ここはやはり、
「よ……っと。ねえほら、そっち持ってよ」
聞いちゃいないよな。
折り畳んだ脚立の端を持ち上げて反対側を支えるようにと促してくる。どうやら見栄さえも張らせて貰えないようだ。ありがたいのだが少しはかっこつけさせてくれてもいいだろ。それと、おまえも手伝え式女。壇上で楽器の設置場所を確認しているのか、一人床に指を指したりエアパフォーマンスしている理紗に心の中で悪態を吐いた。
「……あのさ、前から気になってたんだけど」
荷物を抱えての往来が三往復目に達した時に鈴童が呟く。今は二人で別々にダンボールを運んでいる最中だった。ちなみにこれらの搬入先は体育館から百メートルばかり離れたプレハブであり、昔は特別教室として使っていたらしいが今はただの物置として機能していた。このダンボールなんかはその物置の中でも元から倉庫代わりにされていた個室に運び入れる。
体育館から渡り廊下へ出、段差を踏み越えた時に鈴童は先の呟きを漏らした。
「あなたと彼女、どういう関係なの?」
えっと。
彼女っていうと現在ステージで勝手にギターを鳴らして注意されてるあの謎の人類のことか。他にいないよな。
改めて訊かれて気が付いたが、確かに鈴童は俺と理紗との間にある諸設定を知らない。特別仲のいい奴や中学が同じだった連中は知ってるだろうが、他の周囲から見れば俺たちの関係は不明だろう。理紗に気のあるらしき男子から、そういえば何度も同じ質問をされていたことを思い出した。そして俺はその度に同じ返答を行うのだ。
「別に、ただの幼馴染みだよ」
又の名を腐れ縁という。家が近くてガキの頃からしょっちゅう遊んでたら、それはつまりそういうあれなんだろう。指事語の多い説明だ。国語のテストだったら傍線引かれまくりだな。
「幼馴染みってそんなに仲のいいものなの?」
「仲のいい、ねえ」
これでも四年くらい前は殺し殺される程の険悪な関係だったのだ。といっても誰も信じまい。俺も忘れたい。あれは黒歴史過ぎる。殺し合う仲まではいかなくても、悪くすればあれはそんなものよりずっと酷い。生殺し合う、みたいなもんだ。
「嘘だ、絶対嘘」
「ほんとだっての。当時のあいつにだけは死神のノートは渡したくないね」
などなど会話を挟みつつ、開けっ放しのプレハブに靴を脱いで上がる。物でごった返す室内はお世辞にも綺麗とは言えない。しかも荷物を抱えてでは二人で並び歩くことも困難なくらいだ。足の踏み場もかろうじてしか存在しない、そんな場所を縦に並んで進む。鈴童に先を行かせたのは間違いだった。これだと倉庫には鈴童が入ることになる。
「あ、大丈夫よ。全然平気だから」
本人がそういうなら、というところもあるけれど。気が乗らないのも本心だ。次は俺が先行しようそうしよう。
最初に運んだ脚立に鈴童が登る。外があれだけ散らかってるのにここだけは妙に整頓されている。ダンボールの位置まで指定されているから筋金入りだ。適当に置いて帰ればいいものを、そこは鈴童である。ばっちり指示通りの位置に重たい箱を収めていた。
「ねえ、そっちの箱貸して」
「はいよ」
と、持ち上げて、これが棚の最上段を所定の位置とすることに気付く。
「……無理すんなよ。その辺に置いておけば後で俺がするから」
「無理じゃないわよ、これくらい」
「いや、そういう意味じゃなくてさ。脚立の上で背伸びとかしたら危ないだろ」
「ん……それもそうか。じゃあ支えておいて」
どうも見当違いに捉えていらっしゃるようだ。こいつは自分の召している物がどのような形態であるかを正しく理解していないらしい。とはいえ、「ほら早くして」とか急かされるものだから俺は黙ってそれに従った。下を見ながら羊でも数えているとしよう。誰も不幸にならないように。
「まだ、怒ってるかな」
「え、いや、百一匹」
「なにそれ、ダルメシアン?」
「……っ! いや、別に俺は黒斑とか見てねえよ!」
「はい……?」
「……不可抗力だ」
「……あのさ。よく考えなかった私も悪いからお咎めはなしだけど、ちょっと真剣に話聞いてよ」
「……悪い」
世の中はラブコメみたいにはいかないらしい。
何の話だったっけ。
「……別に。けろっとしてやがったよ。ときたまテンションのおかしい時ってのがあるんだよ、あいつ。だから気にしない方がいいぞ」
「そう……なんだ。だったら、よかった」
しばし沈黙を挟む。
「つうか、何かありがとな。気使ってくれてたみたいでさ」
「別に、そういうんじゃないけど」
ダンボールを棚の角に付けて、押し上げるその途中の動作で一度停止した。
「また、前みたいなことを繰り返すのが嫌だったから」
ぽつり、とそんなことを言って時間を止めてしまう。烏の声さえ聞こえない冬の夕刻は、今までの労働で作り出した熱を一気に冷ましていった。残ったのは吐く息も虚しいだけの静か過ぎる停滞した空気と、硝子細工みたいに傷付き易い繊細な沈黙だけ。こういうのは勘弁して欲しい。鈴童は鈴童で重く捉えていたんだ、さっきのことを。
俺程度で下手に励ましたりフォローを入れたりしても無駄だろう。実際に明日練習に顔を出せば、今日のことがどれだけ些細かを自分で悟るはずだ。だから俺に出きるのはもっと別のことだと思う。例えば。
「よく見たら牛柄なんだな、おまえの――」
視界が暗転して顔面の中心、特に鼻孔に強烈な痛みを覚える。意識が残っているのが奇跡のようだ。何が起こったのかは想像するよりも先に直感で悟った。実に単純明快である。鈴童の蹴りがクリーンヒットしたのだ。
「黒の水玉!」
しかも余計な説明を付与させて。
俺は衝撃に対して素直に尻餅をつく。足場は人一人分しかない。俺は部屋の方へ、倉庫の外へと投げ出される形になる。それはつまり、どういうことか。痛みさえ引いていく寒気で理解した。
「――え?」
口は災いの元とはよく言ったものだ。毎回毎回、鈴童への言動は本当に気を付けなければならないらしい。なんでこうも俺が奇をてらった発言をした後には不運が連結するのだろう。冷めていて冴えていた思考でそんなことを自虐的に考えていた。
物理の問題だ。ベクトルとかそんな感じの、力の作用の問題。仮定より俺を蹴り飛ばしたのは誰だ。鈴童静歌だ。では鈴童が俺に運動を加えた際、彼女自身にはどのような運動が加えられたか。そして彼女は今現在どのような足場の上にいるのか。片足を上げて蹴りを入れたのだ。不安定な脚立の上で、そして片足立ちで――道化でもなければまともに衝撃を圧し殺せるはずがない。
鈴童の体は俺とは逆の方向に、壁側、窓ガラスの張った壁側に傾斜していきそして――
そこからのことはあまり覚えていない。気が付くと鈴童を抱えていて、落下してしまったダンボールの中身が散乱していた。硝子片は見られない。鈴童の外見にも何ら傷は見当たらない。背中が痛む。……どうやらぎりぎりで間に合ったらしい。上手く最悪の事態を回避することができたようだ。
「ご、ごめんなさい、わたし……っ」
「いや、大丈夫だって」
俺ももう少し考えて発言するべきだったのだ。
床についた手を上げて鈴童を押し返そうとする。密着されてると色々と問題だ。ちょっと離れてくれ。相当大きな音を立てただろうから誰も来ないとは限らないのだ。こんな場面を誰かに見られたらと考えると――
どたばたやかましく足音を鳴らして。
理紗が飛び込んできた。
「静歌いるッ! ちょっと会長権力であの実行委員黙らせてくれない――……って、なにしてんの、あんたたち?」
うわ。
最悪じゃねえか。世の中はラブコメみたいにいかないと、先の言葉は撤回せざるを得まい。とんだ喜劇だ。なんて場面に登場しやがる。誰の書いた戯曲だよ、誰が立てた式だよふざけやがって。
「いや、待った理紗、これは並々ならぬ事情があってだな――――」
鈴童を押し退けるようにその肩に手を置いて力を入れた時、違和感を感じる。いつもと違う。右の手首の感覚がおかしい。麻痺してるみたいだ。痺れて、なにがなんだか、
「……ッ――!」
わかったときには遅かった。歯の隙間から漏れ出た苦悶を聞いたのは鈴童だけだろう。その表情が一瞬、青ざめたように見えた。そしてそれを確認した途端に――手首の違和感は軋みを上げる崩壊のイメージを脳に叩き付け、痺れは激痛に変わった。