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スリーピース  作者: 双色
5/『もう一度笑って』
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27/キミにわからないキミの気持ち

 /5




 三人揃ってスリーピースいざ始動、という少年漫画みたいな勢いで突っ走る理紗であるが実質、我々は大義名分上生徒会執行部なのである。なのであくまでバンド活動の優先順位は生徒会業務よりも下位に扱われる。それも創設祭の余興みたいなものだ。練習に割ける時間は本番が近づくにつれて少なくなっていった。

 もちろん約一名ほどそれに文句を垂れる人物がいたが、こればかりはどうしようもない。本人も渋々ながら納得していた。その姿が少しだけ意外にも思えたのだが、高校二年生ともなればさすがに中学生みたいなことはいわないわけだ。安心した。

 そんなこんなで上手い具合にバンドと生徒会の両立を、これがまた妙に綺麗に回っていたある日のことだ。音もなく前触れもなく、それはやってきた。いや、音は聴こえていたのだ。この場合はむしろそれが問題だったわけで。

 原因は理紗のこんな一言である。

「ちょっと、さっきからドラム遅れてない?」

 放課後の練習中の話だった。

 生徒会の業務もあるが放課後を練習に使えることになった短縮授業後の時間に理紗が呟く。それはいつもと同じような駄目出しで、普段どおりの何気ない光景だったのだが。口調はどこか重苦しさを感じさせるものであり、それだけがこの場に異質な空気を発生させた。

 長い放課後だ。久し振りに長時間の練習が出来るとあって張り切りまくった式娘は、これでもかとばかりに飛ばし放題の演奏を二時間近くぶっ通しやがったりしていた。そりゃあ、俺も自分で遅れていたことには気付いている。しかしそれを他人の口から指摘されるのと、自分で感じるというのは大きな違いがあるらしく。

「そうか? 悪い、次から気をつける」

 なんとなく気付いていないふりなんかをしてみたりした。

「気をつけて改善できるならいいけど。ん、もう時間もある訳じゃないんだから。早くこのペースに慣れてよね。本番はもっと上げてくわよ」

「それも、まあ、善処する」

「善処って何よ。努力する、の間違いじゃないの」

「……おまえな」

「なによ」

「なんもねえよ」

「あっそ」

 なんでこいつ、こんな機嫌悪いんだ。

 明らかにいつもより荒れてる。口調もどこか刺々しいし、目付きも辛辣さが混じっていた。しかしそれはまあ、個人の事情というものがあるのかもしれない。理紗のこういう態度にいちいち腹を立てたりしていてはきりがないので、俺が大人しく引いておかないといけないのだ。

 それが十年以上もいっしょにいた幼馴染みとの付き合い方だと理解していた。

 なのにどうして、今日に限って反論したくなったりしたのだろう。

 演奏が遅れていたのは事実だし、もっと付いていけるようにならないといけないともわかっているのに。なぜか普段なら適当に流せていたはずの発言に喰いついてしまった。なによりも自分自身で驚きだ。そのせいもあって、一度中断された練習は不穏な空気を漂わせて凍結状態に入ってしまった。

 咳払いの音がする。

 現職生徒会長、鈴童静歌である。

「ちょっと休も。なんだかんだでぶっ続けだし」

 この雰囲気を見兼ねての発言だとは簡単に見破れた。

 しかもこいつ、一瞬こっちに目配せなんかもくれている。俺の体力が落ちてきてることもお見通しというわけだ。理紗がわかるのだから、鈴童にわからないはずがない。こいつは場の空気を洗浄するという意味でも、真実俺を休ませる為の意味でも先の発言をしたということだろう。

 そのような意図は果たして理紗に伝わっていたのか。

 式少女は悪辣な視線を今度は横目にして鈴童へと向けた。

「そんなんで間に合うと思ってるの? 生徒会の仕事だって増える一方なのに」

「でもこの状態じゃ練習したって意味がないでしょ」

「ふうん。まあ、あんたみたいなのは別にそうやって、やりたい時に練習してればいいけどね」

 槍みたいな視線の切っ先がこちらを向く。

「みんながそうしてられるわけじゃないの。時間がいくらあっても足りない奴だっているんだから」

 俺のことを言っているのだろうか。

 当たっているのだがそれは少し癪に障る言われ様だ。

 なんだってこんな八つ当たりみたいな抗議の的にされにゃならん。

「だいたい、あんただって何よ。さっきからペース落としてるでしょ。ばれないとでも思ったの?」

 再び鈴童へと批難の眼差しが向けられる。

 理紗のその発言には俺の方が驚いた。鈴童のペースが落ちていたなんてことは、俺には全く感じられなかったからだ。そもそもこの程度の演奏についていけない鈴童ではないはずだろう。疲労にしたって、ヴォーカルもやりながらライヴまでやったこいつならこのくらいは――

 理紗の言い様が鈴童が故意にペースを乱そうとしていると言いた気だということに、不意に思い至る。そして鈴童もまた、その指摘に対して反論しない。唇を軽く噛むようにして押し黙っていた。

「あのね、余裕ぶってて間に合う状態じゃないのよ。時間もないし実力もない。だったら限られた時間を枠一杯に使わないといけないのは当然でしょ。なにが休憩よ」

「……あのさ、なんでそんなに焦ってるのか知らないけど、言い過ぎじゃないの?」

「言い過ぎって何が? 全部事実じゃない。誇張なんてしてないわよ」

「だから、それにしたって全体のモチベーションとか――統率役を気取ってるなら弁えなさい、って言ってんのよ」

「なにそれ、ご大層な言い分じゃないのよ生徒会長」

 あ。

 これはマズイ。

 交わす視線が火花を散らしている描写がまさに似つかわしい。同じ様な光景を俺は以前にも見ている。そして肌で感じるこの空気もまたそうだ。どろりと纏わり付いてきて、吸い込むと喉に絡む泥みたいな空気が気持ち悪い。

 二人を透明な膜が覆っていて、下手に触れてしまうと絶妙な均衡を保って中に停滞しているものが爆発しかねない。これはそういう状況だ。悪いことに今回は俺が仲介に入ることも出来ない。なぜならこの最悪の状況を作ってしまったのは俺なのだから。

「だったら好きにすればいいじゃない。結局あんた、また一人で全部済ませるつもりなんだ」

「ッ! ……それは貴女でしょ。式だか何だか知らないけど、それで何もかも上手く回るなんて思わないでよ。思い上がってるんじゃないの。現実は数学とは違うのよ。貴女が記号にしか見てないモノは全部、ちゃんと意思も主義も主張も持ってる人間なのよ!」

「お互い様でしょ。むしろ、あたしはあんたみたいな他人を見下した性格のが気に喰わない――」

 先を遮るようにして、シンバルを両手で思いっきり鳴らしてやった。

 びりびりと震撼する冷え切った大気を感じる。窓がかたかた揺れていた。場違いなほどに馬鹿でかい音は決して演奏になど使わない。もう、ただただ醜いだけの雑音で、しかし沸騰しかけた二人の注意をこちらに向けさせることにはそれで十分だった。

 理紗の静電気を帯びた液体窒素みたいな睥睨と、鈴童の棘の生えた氷柱みたいな視線を浴びる。

 しまった、口論を止めたのはいいがこの後のことを何一つ考えていない。

 行き当たりばったりのその場凌ぎで、なんだか余計に現状を悪化させてしまいそうなのですが。

「どうしたのよ急に。言いたいことあるんだったら、はっきり言いなさい」

 喧嘩を売るような口調である。

 理紗のこんな言葉を自分に向けられたのは、思えば随分と久し振りな気がする。

 これまでに何度も耳にしてきた口調と見てきた表情はけれど、どれも横顔でいつだって別の誰かに向いていたのだ。だから、というわけではないがこれは僅かに自分が怯んでしまった言い訳だ。背筋が震えたかと思った。隙間風に撫でられたように肩まで弾んでしまいそうな寒気を抑える。

 しかもどうだ、理紗だけじゃない。

 鈴童もまた同じ様に氷点下の眼光を俺へと放っているではないか。

 おいおい、おまえの反感まで買ったつもりはないぞ。

「そうね。貴方の意見を聞かせてみてよ。どっちが正しいと思うの?」

 いつかの、対立モードの鈴童に問われる。

 どっちが正しいって、なんだよ。なんの選挙だよこれ。

 三人いる。それはつまり、二つの意思が拮抗することがないということを意味する。文殊の知恵も全員が同じ方向を向かなければ、同じ物を張り通さなければ成立しない。この場合、つまり余った俺がどちらかに加担して一方を正当化しないといけないわけだ。

 て、かなりプレッシャーだぞこれ。

 なんて言ってられるほど易しい状況でもない。

 多数決とか、どっちの味方だとかそんな問題じゃないだろこれは。どっちを選んだって確実に亀裂を生み出しちまう。最悪の役回りじゃないかよ今の俺さ。

「ッ」

 舌打ちが聞こえる。

 それは痺れを切らした理紗の出した音で、それが含む意味合い的には、先程のシンバルなんかよりも数倍巨大な波紋を作って室内に響いていた。身も凍る、そんな戦慄を纏った旋律だ。洒落にならねえ。

「あんたがそうやってはっきりしないから――」

 往年のハードロックのように、下げたギターを壊しかねない勢いだった。

 中国拳法を思わせる迫力で足を踏み出して、そこで言葉も怒声も停止する。

「……なんだか、もうわかんない。なんであたし、苛立ってるんだろ」

 ぽかんと口を開けたまま俺もまた動きを止めてしまった。

 なんでっておまえ、それは俺が訊きたいくらいである。公言して苛立ってるとか言える神経も謎ならば、そもそもなんでそこまでささくれ立つ必要があるのかも同様に不明なのだ。この場にいる三人が全く同じ疑問を浮かべていただろう。

 ちらりと確認したところ、鈴童も先刻までの敵意を忘れて唖然としている。

 ぐしゃぐしゃと髪を掻きながら喉を鳴らす。理紗自身がもっとも混乱しているご様子だが、この雰囲気をどうしてくれるんだろう。ある意味で悪化したとも取れる現状だ。

 助けを求めていたのか無意識に鈴童を見てしまう。

 しかし万能の代名詞たる生徒会長はお手上げと言った風に首を傾げるばかりだ。もはやかの天才にも理解不能な状況らしい。俺にどうにかしろと。買い被って貰っちゃあ困るのだが。

「十分休めたよ。……とりあえず、練習再開しようぜ」

 俺に出来るのはこんな風にして。

 普段の理紗の言葉を借りることくらいしか出来ないというのに。

 蛇足として落ちを付けるならこの後の練習風景だろう。暴走気味に突っ走る理紗を抑える者はおらず、鈴童はむしろそれを追い抜こうとする勢いだ。結局、俺は指摘される以前にもまして二人についていけなくなったのである。やれやれ。



 *



 ではその後理紗との仲が険悪になったかといえば実はそうでもない。

 けろりとしている訳ではないが、それは先の疑問からのようで気不味さだとかその類の感情は一切ないように見える。なにやら首を捻りながら煮え切らない表情をして時折唸りつつ、理紗は俺の隣を歩いていた。これはこれで、なんか小刻みに震動する仏像が真横をスライドしているみたいで不気味だ。それから擦れ違う生徒達の反応も痛い。

 ちなみに今は体育館への移動途中で、生徒会長である鈴童は一足先に準備へ出張っていた。全員でいっしょに行けばよかったのだろうが、鈴童の方が練習中の空気に耐え切れなかったようだ。逃げるように去っていく後姿を思い出す。そうだよな。素人にはきついよな、あのモードの理紗は。

 創設祭当日までの残りを五日とした今日のこと。更に三日後にはリハーサルの予定も組まれている。今日はその準備というわけだ。準備といっても音響機器や照明機器の不備をチェックするなり、雛壇だとか劇に使う大道具の出し入れ試験設置だとか、その程度のことである。本格的な舞台作り、体育館の改造染みた装飾は前日に行われる予定だとか。

 相変わらず喉を鳴らし続けている理紗がふと気になった。

「おい理紗、おまえもうちょっと黙ってられないのかよ」

 さっきから周囲の反応が寒々しくなってきてることに気付いていないらしい。

 俺は理紗の後頭部を見ていた。

 理由は簡単で、こいつが窓の外を眺めながら歩いていたからだ。窓を時々曇らせて、大きな瞳はガラスに映った俺の目へと向いた。鏡越しに会話してるみたいで気持ち悪い。

「黙ってるわよ。あたし、独り言でも言ってた?」

「自覚ねえのかよ」

 それはいいとして。

「そろそろ落ち着いたか?」

「落ち着いたって、なにが?」

 なにと問われても、それはさっきのこととしか言い様がないのだが。

 直接的な表現も憚られるのでどのようにして伝えようかと僅かに思案などしてみる。

 結局上手い言い様が見付からなかったので、ここはお茶を濁しておくことにした。

「いや、別に」

 見たところこの様子だともう大丈夫だろう。鈴童と顔を合わせてもこいつは何でもない風に言葉を交わすと思う。鈴童の側がそうもいかないだろうとは予想できるが。本人に自覚がないのならそれこそ俺が気にすることではない。わだかまりは残るかもしれないが、それでも変に拗らせるよりはいいはずだ。

 何せ理紗の心情である。

 一晩寝れば元通りだろうよ。

「あのさ」

 だというのにこいつは、俺が終わらせたつもりでいる話題を更に引き伸ばすつもりらしい。

「なんであたし、さっきあんないらついてたのかしら」

「知らん。俺に訊くなよ」

 それは同じやり取りをしただろう。

 おまえにわからないおまえの心境が、俺にわかるはずがない。以上。それだけだ。

「なんていうかさ、あんたと静歌が仲良くしてたら腹立ってきたっていうかさ」

「それこそ意味がわからん」

 別に仲良くしてたつもりはない。

 鈴童は気を遣ってくれてたらしきところがあるが。

 その気使いが癇に障ったのなら、こいつが自分で言ってたことが正しいのだろう。実際のところ誰がこのバンド活動に最も熱意を注いでいるかといえば間違いなく理紗だ。だから残り時間が短くなってきた今、こいつがぴりぴりするのもわかる。ちょっとした甘えが気に喰わなかったとか、そんなところじゃないのか。

「そうなのかな。……ふうん。違う気もするけど」

 ちらり、とこちらを見た理紗は無理矢理作ったみたいに笑って舌を出し、

「あんたがそう言うんだったら、そうなんでしょうね」

 自分に言い聞かせるみたいに言った。

 おいおい。

 何を買い被ってやがるのかは知らないが、俺の言うことなんて当てにしないで貰いたい。

 俺が知ってる理紗のことなんて、本当に、ほんの僅かな一部分でしかないのだ。俺にはおまえの言う式とかそんなのは理解できない。とはいえそれでも、まあ、信じて貰える内はそれに肖っていよう。いつかこいつも遠くなるのだろうから。

 ……。

 あれ。なんだ。

 なんで俺、こんな感傷に浸ったみたいなモノローグなんてしてるんだ。

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