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スリーピース  作者: 双色
5/『もう一度笑って』
24/36

23/her sister

 /



 25時の電話がバイブを鳴らす

 眠い目擦って確かめた着信の名前

 二時間も前にメールを止めた君


 眠れないからとおどける声

 冗談じゃないと笑い合って


 とめどないイマに

 だけど終わりのある夜が

 静かに流れて消えていく

 月明かりさえ眩しい暗い夜

 朝日みたいな笑顔を思い出した



 /1




 放課後になって保健室にやってくると、しかしそこには今朝方拝見した保健室の先生はいなかった。

 代わりと言ってはあれだが、そこにいたのは鈴童先生である。別に白衣を着たりカルテを弄っていたりはしていないので、保険室を脱兎してしまったわけではないのだと思うが。しかしどこにいても違和感のない人だ。音楽の先生とか、美術の先生とか、そういう芸術系の先生とか後は今みたいに保健室なんて場所も似合ってしまう。

 む。

 勘違いするなよ、別に変なことなんて考えてないんだから。

 余談はこれぐらいにして。

 鈴童先生は俺を見るなり表情も変えないで、だからいつもみたいににこりともしない、そんな顔で立ち上がった。正直なところその挙動だけで背筋が震える。鈴童先生といえば、これまでのことから妹を溺愛していることが明らかだ。こんな状況になってしまえば、張り手も覚悟しなければなるまい。なにせ鈴童を支えていた何かを決壊させたのは間違いなく俺なのだ。

 ゆっくりと立ち上がって、先生は。

 こちらに向って、深々と頭を下げた。

「ごめんなさい。わたし、なにも知らなくて。お姉ちゃんなのに」

「え……いや、先生」

「いいから、まずは謝らせて。わたし、君に全部丸投げにしてたみたいだから」

 予想外の行動にあたふたさせられる。

 こんな情景は想定外だからどうしていいのかまるでわからない。普通に「いやいや気にすることはないよはっはっはー」とでもいって、その豊満な茶髪を撫でてやればよいのか。アホか。アホだよな。というか早く頭を上げてください。保健室の先生が戻られたらどうするんですか、この状況を。

「それなら大丈夫。あなたが来ると思って、ちょっと外してもらったから」

「ああ、そうなんですか」

 見透かされてたというわけか。

 腰だけを折ったまま顔を上げた先生はてろりと舌を出して悪戯に笑う。この分だと俺が挙動不審になることも先読みされていたのだろうか。案外、けろりとしてるんだなこの人。俺なんて朝からあんなことがあったから、授業中も寝れなかったというのに。

「そうだよね、わたしの授業もちゃんと起きてたよね」

「珍しいことみたいに言わないで下さい。ていうか、心を読まないで下さい」

「口に出てるよ。ぶつぶつって」

「マジですか!?」

 ぶつぶつ、って。……出来物みたいだな。

 独白が口に出るのも動揺の証なのだろう。

 そう。真実俺は動揺しまくりだった。それはもう本当に。だってそうだろ、自分の所為で無遅刻無欠席(鈴童の性格から考えるに、多分)の優等生を一日保健室でサボタージュさせてしまったのだから。その姉と正面切って向かい合ってたら緊張で心臓が爆発しそうになるのも当然というものだ。

 とりあえず座ったら、と言ってくれる先生の言葉に甘えて、近くの丸椅子に腰を下ろす。

 先生も今の謝罪の為だけに立ち上がってくれたらしく、もう一度着席し直した。

「静歌、過労だったんだって」

 ぽつり、と直ぐにそれを教えてくれた。

 過労か。そりゃあそうだろう。鈴童が倒れたと聞けば、少しでも彼女のことを知っている人間はそれを思い浮かべる。俺だってそうなのだ。これがもしも突如流行り出した風邪とか言われる方が信用ならない。働き過ぎた。生徒会職務にも労働基準法は適用されるべきなのである。

 先生はカーテンの閉じたベッドの方へちらりと視線を投げた。

「わたしが気付いてればな、って思わなくもないけど。どうせ、わたしが何を言っても意味なんてないんだろうなって。あの子、最近は全然わたしに頼ってくれないんだ。中学生の時なんかはさ、『心配ないよ』とか『一人で大丈夫だから』っていうのが口癖みたいになってたもん」

 それは本人も似たようなことを言っていた。

 一人で何でも出来ると、言い聞かせていたのだと。

「後は『お姉ちゃんだぁい好き』とか」

「ダウト。……それは嘘ですね」

「むむむー。……しく」

 泣かんでも。

「信用ないんだね、わたし……」

 何の信用なのかは知らないが、この場合どちらを信用したのかと言えば鈴童の性格をである。

 そんなこと言うキャラじゃないだろ。そうであって欲しい。

「だから、静歌も何も言ってくれなかったのかな」

「えーと、先生?」

 少しだけ俯いて、苦笑するみたいに目を伏せた。

 あまりにも、さっきまでの雰囲気と違うそれにこの人はきっと女優になれる。とかなんとか適当なことを考えて今度は動揺が顔に出ないようにと努める。しかし先生にはとっくに俺をからかおうとかいう思惑はないらしく、こちらをちらりとも見ずに、むしろ見ないようにしているのか、そんな風にして話し出す。

 俺の爪先が彼女の独白染みた言葉を聞いた。

「呪い、みたいなものなんだと思うんだ。あの子は誰にも頼っちゃいけないって、強迫観念みたいなものを抱いてるみたいで。だから、わたしは勿論、他の誰も頼ろうとしなかった。自分は出来る子だから、誰かに頼ったら罰が当たる――って。自分ばっかり恵まれ過ぎてるくせに、誰かに縋ろうするのが間違いなんだって」

 膝の上の手が、ぐっ、と服の裾を掴んだように見えた。

 きっと。

 気のせいだろう。

「笑って、話したのよ、あの子」

 それがどんな心境かを察することが出来たから、俺もへらりとはしていられなかった。

 強くあろうとした少女の末路が、その果てに、倒れかけて支えてくれる誰かがいなくて地に伏した。なんて、馬鹿みたいじゃないか。そうか、と理解した。鈴童は何でも出来るんじゃない。誰かに頼る、という一つを永遠に排除する代償に、孤独な万能を手に入れたんだ――。

 まるで昔の。

 あの、式少女みたいに。

「季節の変わり目には風邪を引き易いって言うでしょ。今回のはそういうことなんだと思う。あの子は今まで傍に誰も寄せ付けなかったから、突然、一人じゃないって温かさに触れて調子を崩しちゃったんだと思う。情けないけどね、わたしにはそれがイイコトなのか、ワルイコトなのかわからないのよ」

「……それは」

 一人切りを支えてきた彼女の呪いを、踏み越えてしまったのは俺だ。

 だから彼女は今まで守ってきたものを、独りっきりの強さを保てなくなって、その、自分で囲った唯一の世界を、箱庭を失おうとしている。理紗が言っていた。一人で囲った世界はとても居心地がいい、と。だって自分以外に誰もいない。破ってはいけないルールも、乱してはいけない秩序もなく、自分の為だけにある世界だから居心地がいいと。

 だけどそれはとても悲しいことなんだとも彼女は言っていた。

 奇しくもあいつがそれに気付いたとき、傍にいたのは俺だったのだ。

 だから俺にもわかる。

 その殻を破って仰ぐ、みんなと同じ青空の下は――生き辛くても息苦しくてもそれでも――とても、幸福なのだと。それを心を閉ざしてしまった後の彼女がはじめて見せた笑顔が教えてくれたのだ。

 ならば俺の答えは決まっていた。

 そう言わないと、全部嘘になる。

 中途半端で止めてしまっては、今までの自分も、今までの理紗も、きっと、今までの鈴童も否定してしまうことになるから。胸を張って言うしかない。なんだ。選択肢なんてないじゃないか。アホらしい。どれを選んでも移行する場面は同じか。

「イイコトですよ、きっと。それを決めるのは鈴童ですけどね」

「……そう、なんだ」

「比較対照のない幸せは無価値だって、俺の幼馴染みが言ったんですよ。だから、鈴童にも選んでもらいますよ。一度外に出てきてから、どっちの世界にいたいのかって、あいつにとって、どっちが幸せなのかって」

「うん。それじゃあ――」

「――止めませんよ。こんなことになっても。俺は、鈴童と同じ世界にいたいんです。俺や理紗のいる、恐らくはみんなが幸福と妄信している、この世界に」

「わかった……お願いね。駄目なお姉ちゃんからの、お願いだから」

 かたり、と椅子が揺れて音がする。

 鈴童先生は丸椅子から立ち上がり、ゆっくりとカーテンの方へと向った。保健室のベッドは合計で三つ用意されている。それら一つ一つがカーテンで仕切られる仕様になっているのだが、今純白の布が覆っているのは一つだけだ。

 だから俺は当然のように、先生が向った先には鈴童が眠っているのだと思っていた。

 当たり前みたいに。

 なんの根拠もないのに決め付けていた。

 一度だけ、そうして一回だけ縋るような目付きで俺を見る先生に、疑問を抱くのが遅過ぎた。

 なにせ俺が妙に当たってしまう、例の嫌な予感を感じたのは、彼女の目が泣きそうに潤んでいるのを発見してからのことだったのだ。

「あのね、一つだけ……もう一つだけ謝らないといけないの」

 カーテンに手を掛けて。

 言いながらそれをスライドさせた。

 ほんの一瞬の迷いを付与させた手付きで。

「静歌、いなくなっちゃったんだぁ……!」

 先生の目は正真正銘に泣いていて、そして声までも涙声に変わっていた。

 おいおい冗談だろ。

 これってあれだよな。

 保健室の先生には席を外してもらったんじゃなくて。

 本当はこの事態の処理に奮闘してるってことだよな――!?

「ぅぁぁぁぁ――――っ。どうしよっ、どうしよっ!?」

「あんた、よくさっきまで普通に語れてたよな!」

「だってえー!」

 童女のように手をばたつかせる。悪戯がばれた後の子供みたいな、助けと許しを乞う目だ。

 お兄さん、そんなものには騙されないんですからねッ。

「これ、これが、置いてあったんだもん!」

 千切れたノートの切れ端か、ルーズリーフかの紙片を振りまして俺に見せてくる。

 それは病床に付いている割には随分と丁寧な字で、だからこの達筆とも思える字体から間違いなく本人が書いたものだと解る、そんな字で次のようなメッセージが残されていたのであった。

「『もう大丈夫だから、心配しないで』」

 無機質な癖に。

 文末には鈴童が書いたとは思えない、焦りの様子を表す顔文字なんかが汗を垂らしていた。

 こりゃどうしたことだよ。

 大丈夫だって。

 全然大丈夫じゃないだろ、あの生徒会長。似合わなさ過ぎるだろが。顔文字とか、挙句、脱走とか。それっておまえのすることじゃねえよ。面倒くさい。ああもう、付き合いきれない。しかし約束は約束だ。全うしよう。

 生憎俺は彼女の姉みたいに、大丈夫、ってそれだけで騙されるような人間ではない。

 自分で大丈夫なんて言う奴は大抵、大丈夫なんかじゃないと知っているからだ。


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