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スリーピース  作者: 双色
4/『青い鳥』
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20/腐れ縁

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 驚くことに書類の処理が終わってしまった。最終下校を五分ほどオーバーした頃の話である。この結果における理紗の貢献度を数値化すれば、それはそれはとてもな数字になるだろう。終わってみての感想は、鈴童はいつもこんなもんを一人で片付けているのか、というものだった。助力としては微々たる物かもしれないが、理紗には俺が協力していた。それもなしに、まったくの独力で処理してしまう鈴童は本当にとんでもない。

 一息ついて天井を仰ぐ。初めて生徒会的な仕事をした気分だ。

 理紗は書類を纏めてクリップを付けるまでの余裕を見せている。こいつの脳はまだまだスペックを余しているらしく、むしろ、この程度のものかと拍子抜けしているようにさえ見えた。ほとほとこいつの特異性を思い知らされる。

 せめて自分に出来ることは何かと考えて、手近なコーヒーメーカーの電源をオンにした。

 豆を濾している間に理紗が話しかけてくる。

「これってさ、生徒会傘下の委員会全部分の仕事よね。本来ならそれぞれに分担されるはずの仕事量が、一気にここに集まってる。正直な話、こんなものをずっと一人で処理していくなんてあたしには無理ね。いつか自分の容量をオーバーするのが目に見えるわよ」

 とか言いつつも、初見でこんだけのことをやったんだ。弱気なようでそれを否定できる事実を見せ付けられていては、易々同意する気にもなれない。俺? 俺に関して別の話だ。こんなもん、委員会一つ分だってやってられるか。

「あのね、言ったでしょ。ここにあるのは全部、ほとんどあの生徒会長が一人で済ませてるのよ。あたし達はね、証明までの過程を全部用意してもらった上で、導き出した式を解いて結論を出したに過ぎないわけ。道標と道筋が用意されていて、到達点だけ横取りしたようなもの。そんなの、何の意味もないわよ」

 悔しそうに唇を噛んでいる。

 こんな顔をするのは心底理紗が他者と自己との差を実感した時だけだ。生徒会業務というアウェーではあれ、その差は腹の立つほどのものだったらしい。

「いつかパンクするわよ。並みの精神じゃやってられない。そりゃあ、慣れとか能力でいくらかカバーは出来るのかもしれないけど、こんなのって、心の方が追いついていかないじゃない。どこかで破綻するし、壊れるに決まってる。もしかしたら彼女、もう極限状態なのかもしれない」

「それは……」いや、結構余裕でこなしてるんじゃないか、あいつ。「どうだろうな」

 花壇の修理とか、もはや用務員の仕事みたいなことまでやってたし。

 俺からはなんともコメントし難い。

 しかし理紗にここまで言わせるんだ。事実は何よりの武器となる。確固たる現実を自分の身で体感してしまった以上、理紗はそれを否定する術を持たない。こいつは式娘だ。事実よりも信用できるものは他にない。たとえそれがどんな信じ難いものでも、自分で実感したことを否定することはないのだ。

「よかった、あたしが生徒会長じゃなくて」

「なんだよそれ」

「まあ、あたしの場合は臆面なく手伝ってもらうわよ。ていうか筋立ててこの仕事全部、本来の場所に返すわよ。なんで生徒会が風紀委員の校内警備状態なんてプランしなきゃ行けないのよ。バカじゃないの」

 散々な言い様だった。確かにその通りなのだが。

「そこがおまえと鈴童との違いだよ」

「他はいっしょみたいな言い方は止めてよね」

 拗ねた口調だ。それは自分でもわかっているということだろう。この二人が少なからず似ているということを。高いところにいる奴にはわからないものなのだ。自分が高い位置にいるなら、下に降りてくれば済む話だと。下から上へは行けなくても、上から下へは行けるのだから。

 理紗と鈴童の一番大きな違いは、その事実を知っているか知らないかにあるのだと俺は思う。

「存在式が根底で大きく異なるわよ。説明して欲しいの? お望みならあたしは一晩中証明を聞かせてあげることも辞さないわよ。どうなの?」

「遠慮しとくよ」

 明日も早朝に登校せにゃならんのでな。

「そう。だったら軽はずみな発言は謹んでよね」

 気を付けるよ。

 コーヒーの出来上がるアラームが響く。甲高い音だ。香ばしい豆の匂いが室内に漂う。

 カップを二つ――ここを利用する人間は二人だけなのに、しかも最近まで一人だったのにやたらと数がある――取り出して、褐色の液体を注いだ。理紗のカップの横にはミルクとスティックシュガーを四つずつ添えてやる。やたらと甘党なのだ、こいつは。

 頭を使うと糖分が不足する。

 常に物事を式として捉えて思考する自分にはこれぐらいが丁度いいのだと、理紗は言っていた。

 褐色がかなり白よりの変色を遂げたカップを理紗の前に置いて、

「静歌ぁ、またこんな時間まで残ってるの?」

 何の予兆もなく扉が開かれた。

 鈴童先生の突然の来訪である。

 そういえば最終下校を過ぎていることをすっかり忘れていた。コーヒーとか淹れてる場合ではない。本来なら叩き出されてしかるべきだ。そもそも顧問同伴ですらなかったし。ここまで何も言われなかったのが幸運か。

 先生は俺達二人を見るや、夢で出逢った誰かを偶然見かけたみたいにきょとんとし、ここが生徒会室であるかを疑うように周囲を見回す。どうやら彼女的空間認識の結果は、正常にこの場所がどこであるかを判別したらしい。状況の特質さに直ぐ気が付く。

「あ、あれ、あなた達こんな時間まで何してるの? 静歌は?」

「鈴童なら帰りましたよ。疲れてるそうです」

「そうなの? へえ……そう」

「どうかしましたか?」

 自分がどっきりに掛けられていることを疑ってでもいるのか。まだいるはずもない妹を部屋の中に探している。きょろきょろと動く目が止まる気配を見せない。俺はそんなに妙なことを言っただろうか。

 鈴童先生は、すると部屋の中に入ってきて近くの書類を一枚手に取る。丁度理紗が仕上げた奴だ。

 その間に理紗は先刻拝借した書類をこそっと鞄の中に隠したりしていたのだが、

「これ……あなた達で済ませてくれたの?」

「はい。これ全部あたしがやりましたよ、先生」

 全部じゃない。……確かに全部みたいなものだけど。

 何でそこまで堂々と自分の功績に胸を張れるのだろう。文字通り盗人猛々しい。

「どうかしたんですか、先生」

 どうにも腑に落ちない表情を変えようとしない先生に俺が問う。

「ううん。なんていうか、意外なのよ。あの子がこんなに仕事を残して帰るなんて、いつもならないことだから。あ、時間とか仕事量の問題は別ね。その日の課題を次の日に持ち越すことが、あの子どうしても嫌いだから。そんなに疲れてたのかな」

 右斜め上に視線を向けて、右手の人差し指の先を唇に当てている。無意識でそんなポージングを取っているのかこの人は。御伽の国の住人かって。それはともかく。その発言には俺も同意させて貰う。鈴童が中途半端に仕事を残して帰宅したことは、この二週間なかった気がする。

 少なくとも学校に置いていくことはなかったはずだ。

 これだけの量なのだから、まあ、無理もないことなのかもしれないが。

 そこで違和感を覚える。しかしそれが何であるのか、正体までははっきりと掴めない。答えを発見したのは、同じことを疑問に思ったのか理紗だった。積み上げた書類の真ん中辺りから一枚を抜き取って内容を吟味している。

「今日のっていうか、これに関しては日付が四日も前のよ。別に、今の段階で片付いてれば問題は何もないけど、その話だとちょっと矛盾してるわね。……あ、これとかもう先週のよ。結構溜め込んでたのね。それでこの量なんだ」

 色々なことに納得が行った。

 本来なら執行部の管轄外である業務が集まってきているとはいえ、この量は確かに多過ぎる。今日一日だけじゃなかったんだ。先週からの分が募り募ってこの山を築き上げている。それならこの量にこそ納得は行くが、それだと無視できない問題が発生するのだ。

 鈴童が一週間もこれらをほったらかしていた。それが異常な気がした。

 ……まあ、先入観とかもあるしな。

 俺や先生がそう思っているだけで実際、鈴童のペースがこれくらいだということかもしれない。なんにしろ書類は全て期日以内なのだから。これが期日を過ぎた書類なら、いよいよ驚天動地なのだろうけれど。これだけだと流石にまだ異常と呼ぶには早いか。

「あ、それよりもあなた達、もう下校時間過ぎてるよ。また静歌が残業してるのかと思ってたから放っておいたけど、ほら早く帰りなさい」

 言われなくても、という具合に理紗は鞄を肩に掛ける。湯気の立ち上るカップの中身を一瞬で飲み干した。こいつの喉は何だ。どうなってやがるんだろう。疑問に思いつつ俺は自分の分に口をつけて、一口だけ喉に流す。

「それじゃあ、あたし達はこれで。さよなら、先生」

「あ、はい、さよなら」

 初見の印象が随分悪かったのか、礼儀正しい理紗に戸惑っているようだ。まあ、あの時と今ではモードも変わる。理紗にとって人格の切り替えはお手の物だ。

 軽く頭を下げてから理紗は早々と部屋を出て行く。その際にアイコンタクトで俺にも退室を促してきた。言われなくてもだ。これ以上はここに残る意味がない。腹も減ったし疲れたし帰って寝よう。

 理紗に倣って俺も先生に挨拶し、そこで思い出した。この部屋の鍵は確か鈴童先生に渡しとくんだっけか。ポケットの中から冷えた鉄片を取り出した。先生に手渡す。その際、既に室内に残されたのが二人だけになったこのタイミングで、

「変わってるわね。あなた」

「俺がですか?」

 理紗じゃなくて、俺が? 悪い冗談だろ。

 俺は至って通常だ。

「だって、ここまで静歌に関わろうとする子なんていないから。それに、あの子が信頼してる子も」

「信頼なんてされてないですよ」

 間違っても俺は、そういうのではない。

 信頼なんて有り得ないだろう。鈴童に取って俺はいつもどおり跳ね除ける対象でしかなく、今は普通よりもしつこいそれでしかないのだ。だから的外れもいいところだ。信頼なんて微塵もありはしない。

「そう。なんか難しいな。でも、あの子が少なからず気を許してる部分があるのは確かよ。だって、そうじゃないとここの鍵を預けたりしないもの。こそこそあなた達の練習してるところを見に行ったりもしない。それって、やっぱり少しは気になってるってことじゃないのかしら」

「そうだと、いいんですけどね」

 俺は何とかして邪魔者を排除する尻尾を掴もうとしているのだと思っていたのだが。

「でもね」

 少し悲しそうに、鈴童静歌の姉は付け加える。

 ぽつりと落ちる言葉は夜更け前に落ちていた雪みたいに、すぐに溶けてなくなった。

「それはあなたと、彼女との信頼とは違う。本当に、ただ近くにあるだけの関係でしかない」

「えっと……」俺と、理紗とのことを言っているのか。「そりゃあ、そうですよ」

 だって理紗と俺は何十年も幼馴染みをやってる腐れ縁なのだ。

 二三週間ほどの関わりしか持っていない鈴童との関係とは異なって当然だろう。過ごした時間の密度が違えば築かれる関係も違うのは当然だ。それは別に俺と理紗の関係を誇示している訳ではない。客観的に仕方のない事実なのだ。

 でも、だから。と先生は言った。

「羨ましいんでしょうね。切っても切れない絆っていうの、そういうの。それがあの子には眩しいんだよ。それだけは、何でも持ってるあの子が持っていないものだから」

 馬鹿みたいに時の経過を経て腐ってしまっただけの縁でしかない。そんな、誇れるものでもないのだが。だって保とうとして保ったわけでもない。たまたま長続きした縁がいつの間にか切り離せない、今の一部になってというだけのことだ。

 俺はふと思った。

 しきりに鈴童が口にしていた言葉。貴方では、何一つ私に勝てやしない。それは、そういうことなのか。先生の言うことが本当なら、それを認めたくないからあんなことを何度も負け惜しみみたいに繰り返していたのか。そんなものは欲しくない。自分には必要のないものだから悔しくないと、自分が負けている部分なんかではないと――いつもみたいに強がって言っていたのだろうか。

 まさかな。

 考え過ぎだ。鈴童の頭の中は俺が想像できるほど単純ではない。

「なにしてんのよ早く来なさい! 置いて帰るわよー!」

 話し過ぎたか、それとも俺がついて来ているとでも思って歩いてたら誰もいなかった、とかそんななのか。理紗は既に廊下の曲がり角まで到達して手を振っている。黄色のマフラーが薄暗い廊下に光る。俺は片手を挙げて直ぐに行くことを示した。

 ああ。

 これか、こういうことか。

 鈴童先生が言ってる俺達の関係ってのはこれなんだ。この無意味に過ごした無駄な、でも無価値ではない長い時間が生み出した繋がりのことを言っているんだ。所詮時間の産物でしかないから、やっぱり自慢できるものじゃないな。

「じゃあ俺達は帰ります。……えーと、下校時間、過ぎちゃってすいません」

「いいよ。お咎めなし。でもね、もう夜になってから校舎に忍び込むのは止めなさい」

 さすがに庇って上げられないから、と苦笑する。

 ……この人、知ってたのか。

 自分がどれだけ危ないことを仕出かしていたのかと自覚して身震いする。もう早く帰ろう。

「ねえ。何か企んでるんでしょ、あなた達」

「……」

 俺は答えないでマフラーを巻き直す。

 痺れを切らしかねない理紗の靴底が刻むタップのリズムが反響していた。だから俺はその言葉を最後にそれ以上何も言わず、ただ無言で、意思だけを視線に込めて先生に答える。それがこの日この場所で交わした最後の意思疎通だった。

「だったら、静歌のことも巻き込んじゃって。お姉ちゃんから、お願い」

 自嘲にも思える苦笑を浮かべた彼女に。

 俺が返す答えなんて一つしかなかった。

 言われなくたって、そんなのは初めからそのつもりだ。

 むしろ、止めろと言われても止めてやるつもりはない。


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