18/ある放課後の話
/
真っ青な羽を広げて歌声を上げる
ここにいるよと叫んでいた
届けと歌って声を枯らす
それはまるで誰かの慟哭のようで
イヤだってこのままじゃ
ずっと二人でいるだけじゃ
不安だから だからもうどこにもいかないでって
ここにいるから いるからね
失くした後でわかる 君の大きさを
綺麗な色した青い羽 赤い色の空に飛び立った
君がいない日々を映した 誰かの涙 溜めたあの空
いつかずっと傍にあって
近くにあったから気付かなかった
大切なものは、もうずっとずっとここにあったから
君は鳴いてた
/1
「鈴童!」
夕陽がもう沈み出し、辺りが薄暗く青い闇に包まれ始める。体育館に駆けて行くと、鈴童はオーディション申請の書類とか評価を付けたのであろうノートやその他諸々を両手で抱えていた。誰が知ろう。そして誰がこの姿から察するだろうか、これが我が校の生徒会長である。
漫画などなら。
両サイドに屈強な男や麗人系の美少女を従えているのがお約束だが、この生徒会長様は常に一人だ。一人で全部の仕事をこなしてしまうのだ。現実なんてそんなものだろう。能力のある人間は人に頼らない。人を使役するだけだ。
それを鈴童は一切しようとしない。使役する人物が周囲にいないからだ。
「……なにをしに来たんですか。残念だけど、もう今日のオーディションは終わりましたよ」
「でもどうせ、まだ仕事は残ってんだろ」
俺は鈴童の抱える荷物を見て言う。
今更隠したって仕方ないのに、くるりと背を向けた鈴童はそれを俺に見えない位置に持っていった。首を捻ってこっちを見る。またあの目だ。威嚇するように鋭い、近寄らないでくれと懇願する目を見返す。そうはいかない。今度の俺はこれぐらいでは引き下がってられないのだ。
「貴方には関係ない」
「そうはいかないだろ。俺だって生徒会だ」
「わたしはそんなの、認めていません。いいから帰ってよ。どうせ、何も出来ないくせに」
「コーヒーくらいは淹れてやる」
「自分でするからいい」
話していても埒が明かない、という風に鈴童は大股で歩き始めた。
流石に重そうな荷物に見兼ねて、鈴童の腕から半分ちょっとを強奪する。抵抗してはくるが、鈴童は両手が塞がっているのでなんの脅威にもならない。俺は簡単に書類の山を削り取った。
「これぐらいなら俺だって手伝えるだろ」
「……ばか」
噛み殺した声が聞こえた。
鈴童は抱えたそれらをぶちまけてしまいそうなくらい大幅に脚を踏み出し、その脚も地面を凹ませるんじゃないか思うくらい強く打ち付けられる。目に見えて怒っている。物凄く怒っている。ここまで露骨に感情を表す鈴童というのは、どうだろう、流石に初めてな気がする。チラシ貼りのときと比較にならない。
こっちを見ないまま先の言葉を連呼する。呪詛の言葉を吐き出し続ける鈴童の声がだんだんと熱を帯びてきた。呪われているみたいで怖いのだが。俺は半歩後ろについて会長の背中を追いかけながらそんなことを冗談めいた思考に霞ませていた。
「ばかばかばかばかばかばかばかばか、この、大馬鹿者。諦めろって、言ったのに」
「知らねえよ。俺はそんなことの為にこうしてるんじゃない」
「だったら何で!」
怒ってるよ。鈴童が凄く怒っていたまる。
……と、冗談めかして描写してみれば可愛いものなのだが、これが本気で怒った女の顔に怯んでいる心境を誤魔化しているということは秘密にしておく。蛇に睨まれた蛙はこんな風に死を覚悟するのか、ってぐらいにおっかない。
俺は答えずに脚を動かした。自分でも何と答えてよいものかよくわからなかったからだろう。
鈴童に固執する理由は、正直言って今の時点ならそこまではないのかもしれない。
何せ理紗の式は半分以上完成している。ベーシストの獲得という点以外でならば――既に問題は何一つ残っていないのだ。本来はそのことを鈴童に悟らせないこともこの行動の理由なのだが、どうやらその目論見は上手く行っているらしい。
まさか鈴童ほどの相手にこんな小賢しい策が通じるなんて、俺は思っていなかったのだが。
気が回らなかったというより、気を回さなかったのだろう。問題は何もないと、そう判断されたのだ。だが実際は、俺と理紗が生徒会のメンバーになった時点でほとんど鈴童の後手である。彼女はそのことに気付いていない。
「なあ鈴童、一個だけ聞いてくれ」
「……なに?」
「俺は確かにおまえに付いていけない。でも理紗は違う。あいつなら、おまえと張り合える」
直ぐに反論されると思った、けれど。
「……知ってる。そうでしょうね、彼女なら」
は、と目を向ける。鈴童もこちらを見ていた。
口にしてしまってから気付いたのだろう。これだとまるで、自分が俺達を気に掛けているみたいに聞こえると。鈴童の発言は、一度ではなく何度も、その実力を測れるくらいに演奏を聴いていたということを暗示していた。
「ち、違うから! わたしは……貴方みたいなへたくそに合わせられる実力から、そう思っただけでッ」
フォローになってなかった。冷静な鈴童が取り乱している。
これはこれで面白そうなのだが、あんまりイメージを壊したくないのでこの辺にしておく。
叩けば幾らでも埃が出てきそうだな、今のこいつは。
「だから、わたしは貴方が足を引っ張ってるっていいたいのよ」
「それもわかってる。でもおまえならカバー出来るだろ?」
「……自分の無能を、勧誘の文句に使わないで下さい」
ぐさり。ああ、胸が痛い。嘘だけど。理紗の受け売りだし。
「だったら、俺におまえについていけるくらいの実力があったら――」
「――論外。そんなもしもの話なんて、なんの意味もない」
言葉を途中で切って、最後まで言わせてくれない。
それもそうだろうな。
いくら仮定を並べ立てても現実には成り代わらないのだ。
それに、とこれは出来れば聞こえていないで欲しい、という風な音量で鈴童は付け加えた。
「音楽だけじゃない。わたしに、ついてきてくれる人なんていなんだから」
悲しそうに、呟いて。
盛大にずっこけた。
俺ではない。鈴童の方がだ。
渡り廊下の小さな段差に躓いて引っ繰り返った。俺は倒れる体を引き止めることも出来ず、信じられないものを見た心境でコンマ何秒か意識を乖離させてしまう。だってさ、あの鈴童静歌だぜ。創作物のどじっ子のようにほとんど平坦な道ですっ転ぶなんて展開を予想できるはずがないだろ。直視してそれでもまだ信じられないくらいである。
派手に書類が飛び散る。放射状に散らかったそれの上に倒れ込んだ鈴童は、自分でも信じられないという顔で起き上がった。ぺたん、と目をぱちくりさせて座り込む。腰が抜けたみたいな格好だ。当人さえも現実が飲み込めていないのだろうか。
ややあって。
ぐるんぐるん、首を振って周囲を見回した鈴童がこちらを睨む。
「い、今のはちょっと、疲れてただけで……!」
心配しなくてもいい。オレハナニモミナカッタ。
やれやれと散らかった書類を集める。鈴童はそんな俺の姿を忌々しそうに睨みつけているが止めようとはしなかった。そしてそれらを一つに纏め上げてからもまだ立ち上がろうとしない。膨れたまま目を逸らしてくるばかりだ。
相当恥ずかしかったのだろう。
そりゃそうか。
完全無欠でいることって、難しいんだな。……当たり前か。
「これ、俺が運んどくから」
「……勝手にして」
壁に凭れるように立ち上がる。その姿は本当に存在感が希薄で、今にももう一度倒れてしまいそうな子鹿を思わせた。これは重症だ。しかしわからないこともない。こればっかりは逆の立場になって想像できる。
銀色の鉄片に緑色のプレートがぶらさがった何かが、放物線を描いて宙を舞った。鈴童が生徒会室の鍵を投げ渡してきたのだ。俺はそれを書類の山の上でそれを受け止める。
「わたし……今日は帰ります。生徒会室、閉めておいて。その鍵は、お姉ちゃんにでも渡しておいてくれればいいから」
それだけを言い残して、鉄の生徒会長は去っていった。
どこか定まらないそんな足取りで。