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スリーピース  作者: 双色
3/『窓の向こうの空の果て』
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15/鈴童の秘密

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「――で、コテンパンにされたって割には元気に練習してるじゃない」

 同日、事後報告を理紗にしてから「じゃあ早速練習してみましょ」とかいう何がじゃあなのか不明な発言により一曲を通しで演奏してみた。結果は自分でも驚くくらいだ。理紗の言うとおり、あれだけ圧倒的に実力差を見せ付けられておきながら腕は軽快に動かせる。引き摺っているものがない。少なからず凹んでいると思っていたのだが、そうでもなかったのか。

 しかし深く気にすることはないだろう。モチベーションが下がっていないことは悪いことではないし、変わらず練習が出来るならまだ今日のことも無駄ではないはずだ。

「だけど厄介なのはその約束よねえ。負けたら勧誘を諦めるってさ、なんでそんな大事な勝負にあたしを呼ばない訳?」

「面目ない。……つうか、おまえがいたらどうしてたんだ?」

「当然あたしが勝負してたわよ。そうすれば万事解決してたのに。万に一つでも勝ち目があるだなんて思ってたの? 思い上がりも甚だしいわね」

「な……」

 なにも、そこまで言うことないじゃねえかよ――!

 有利な条件はいくらでも揃っていたのだ。俺が勝てるだけの根拠がそこかしこに転がっていた。だから、万が一にでも勝てないとしたところで、あんな、圧倒的な敗北にはならなかったと思っていたのに。どうして、最後には鈴童の背中も見えなくなるほど遠く霞んだのだろう。

 まったく、と失望の眼差しで理紗が首を振る。

 ポケットから取り出した携帯音楽プレーヤーのイヤホンを俺の耳に押し込むと、前置きなしに再生ボタンに親指を掛ける。俺は何か言うよりも先に、その旋律に身を包まれた。今おそらくこの心が一番遠ざけておきたい曲で、一番、耳にしたくない誰かの声が流れ始める。

「これ――――って」

 魂を抜かれたようにそんなことしか言えない。理紗は何故か誇らしげだ。

「そう。鈴童静歌が知り合いのライヴハウスでやった、ライヴの録音よ」

 ギターもドラムも上手い。

 いや、上手く聴こえる。実際実力は高いのだろう。しかし俺が聴いているのはそんな現実よりもきっと遙かに高位なものだ。この感覚を俺自身が知っているからはっきりと解る。ベースの描くメロディの輪郭と確かなレールが夜空に散らばる星の輝きを一点に集めて自在に星座を動かしているような――そんな、意味のわからない例えでしか語れなかった。それが全てだから。

 たった一人で完全に創り上げている。

 否、完成させているというべきなのだろう。

 彼女は百パーセントのものを百五十パーセントに仕上げてくるデザイナーだ。それでいてさらに、ボーカルまでやってやがる。こんなもん、俺と張り合った時は本気じゃなかったとしか思えない。

「これ、どうやって?」

「ライヴハウスの場所を調べて、尋ねたの。そしたら簡単にくれたわよ。くれたって言うか、MDを借りてきてダビングしただけなんだけど。よくそういう客が来るらしいのよ。ずいぶん慣れた感じだったわ」

「これ、最近のなのか?」

「んっと、確か今年の七月だったって言ってたかな。メンバーが風邪引いてこれないから、代理を頼んだらしいのよ。そのグループ結構人気だったから、たまたまこれは録音されてたんだって」

 ベースの端々から、完璧な曲の編成が窺える。脱線しかけた音もこまめに拾って、棘を隠しているんだ。だから完璧に纏まって聴こえる。どこまでも滞りないメロディラインが描ける。およそベースとしては十全過ぎる役割を果たしていた。

 というよりも、そんなことよりも。

 俺が何よりも驚いたのは鈴童の歌声だった。

 上手いのは言うまでもない。本当に上手だ。綺麗な歌声は五線譜上を僅かの狂いもなく駆け抜けて行き、抑揚、ビブラートも自由自在に操っている。そして彼女は自らの歌声を最大限にバックアップ出来る演奏をも誘導していた。

 その姿が手に取るように想像できる。このレベルの演奏が、見えてもいないライヴの風景を視界に投影してくる。そこは薄暗い原色の灯りが線となって飛び回る空間で、弾ける舞台上の各メンバーと、その中心で歌声を張り上げるボーカルの少女が鮮明に思い浮かぶ。

 鈴童は。

 音の中心にいて楽しそうに笑っていた。

 声から解るんじゃない。これは録音だから気付けることなのだろう。ライヴを創り上げているのは、バンドメンバーとそして客席の全てだった。爆発するような歓声の波や飛び交うメロディの嵐が溶け合って一つの楽曲になっている。或いはそれさえも鈴童が。

 こんなのは俺の想像でしかないのかもしれない。

 けれど、本当に鈴童が笑っているなら。

“そっちは、応援してるから”

 悲しそうに呟いた言葉を思い出す。

 それは、そこに自分がいられないことを嘆いていたんじゃないだろうか。

 突然、俺は世界との繋がりを断絶させられた。といよりも現実に引き戻されたのだ。俺は一瞬の内に閑散とした旧音楽室に意識を回帰させられる。理紗が耳に嵌めたイヤホンを引き抜いたらしい。

「これが鈴童静歌よ。あなたじゃ敵うべくもないでしょ」

 悔しいが反論できない。

「おまえだったら、ついていけるのか?」

 恐る恐る訊いてみる。

 俺は知っている。理紗とは毎日練習しているんだ。こいつの実力が、鈴童に及びつかないことぐらいわかっているつもりだった。だけど訊かずにはいられない。答えは彼女の口から聞いてみたいと思ったからだ。

 そう。理性では客観的に理紗が劣っていると思っているのに。

 十年間をこいつと過ごした記憶が、別の答えを予想させる。

「当たり前じゃない」

 当然と胸を張って威風堂々に答えるのだ。それが俺の幼馴染みだった。

「言っとくけど、あんたに合わせて上げてるだけで、あたしだってこれぐらいの演奏は出来るのよ」

「ああ」

 そうだったな。それが嘘でも本当でも、実際、鈴童を目の前にすればこいつはどこまでも隣について走っていけるだろう。俺の知っている理紗はそういう奴だ。強気な発言も前向きな未来予想も叶えてしまう。なぜかって、決まっている。

 理紗の存在式が、そうなっているからだ。

 或いはこういうことなんだろうか。

 こいつはいつでも成功する未来までの式を持ち合わせているから、絶対の自信を持って大口を叩ける。理紗自身が言っていた。式とは何かを成立させれば確実に定められた結論に辿り着けるものだと。策ではない。俺が企てたのは、所詮まだ策の域を出ていないが、十年間、もしかしたらもっと昔から、その一つを信じ続けてきた少女は『式』という概念を果てまで昇華させたのだろう。

 なんて、流石に妄想が過ぎるか。これだと創作物だ。

 案外、ただの根性論なのかもしれないしな。

「? ……あ、信じてないな。あのね、あんたあたしが誰の血統か知ってるでしょ?」

「誰のって……」

 あ。

 そういえばこいつの父親、有名なヴァイオリニストだったな。今は現役を退いているが。

 ……まあ、ギターと関係があるのかは不明だが。音楽面の才覚は少なからず潜在しているのだろうか。才能云々の話でもないのだろうけれど。トップレベルの演奏を何度も聴いているなら、そしてそれが血の繋がった遺伝子が覚えているなら、少なくとも他と比べればアドバンテージを持っていると考えて間違いない。

 失念していた。

「さて、と。じゃあ可哀想なあんたにあたしから式を授けて上げるわ。目標変更よ。今まではそうでもなかったけど、これ聴いてあたしも『ベーシストとして』鈴童静歌が欲しくなったわ。だからあんたは今まで通りに自分の『策』を実行しておいて。なんとかして、あたしとの対決までこじつけてくれたらそれでいいわ」

「一応訊いとくけど……俺のリベンジマッチとか熱い展開はないのか?」

「ない」

 あっさりと。

「無駄に熱い展開なんて必要ないわよ。週刊少年誌でだけやってればいいのよ、そんなのは。クールでシュールに現実を見なさい。それとね、そういう理想や幻想が式を破綻させる要因なのよ。用意した式を書き換える定数を加えたら変数が目的値と異なるでしょ。だーかーら。あんたはそこまで持って行ってくれるだけでいい。忘れないでよね」

 冗談めかした表情はいつの間にか真剣な眼差しに彩られた表情に、

「音楽だと、万に一つもあんたに勝ち目はないんだから」

 決定的な現実を口にした。

「それじゃあ、もう一回。頭から行くわよ」

 そしてやっぱりマイペースに切り替えて、練習を再開してしまう。

 俺は呆れた首を振った。こんな状況だってのに理紗は全然前向きじゃないか。

 ふと思ってしまった。

 鈴童がメンバーに加われば、理紗と二人、ベースとギターというバンドの柱が完璧なものになる。そうなると俺はどうなるんだ。一人だけ、実力のなさが浮き彫りになるんじゃないのか。きっと付いていけない。あの勝負と同じ様に、いや、どころか今度は幻聴じゃない本物のギターに置き去りにされる。

 何もかもが遠くなってしまう気がしていた。

 この先にある未来で、俺は理紗の隣にいれるのだろうか。と、そんなことが漠然と心のどこかに引っ掛かったまま俺はスティックを振った。


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