/Prologue
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例えばこの世界が式で溢れ返っているとして、そんな式を溺愛する少女がいるとしよう。
その少女はあたかも世界の真理を読み取り、神のお告げを聞いてシャルル七世を救った聖処女ジャンヌのごとく悟りを開いているつもりなのかもしれない。兎にも角にも、そいつが信じているのは自分だけであり、その自分さえも式の中の記号の一つと認識しているのだ。
ようは、存在を成立させている構造、論理みたいなものが式なのだ。
案外自分を解体してみるとそこには内臓や骨なんかではなく、xやyなんてものが蠢いているのかもしれない。本気で言っている訳じゃないのだが。しかしそれをほとんど本気で信仰しているのがそいつなのである。馬鹿も休み休み言えと言いたくなるが、残念ながら昔から式式言ってる癖に学期末には数学だけじゃなく全教科で最高評定を記録しやがるから驚きだったりする。
世はなべて事もなし。
そこにあるのは式だけだ。
創造心理とか、存在意義とか、発現理念とか、まあ、先人達が組み上げてきた全ての理論を片付ける魔法の言葉が『式』なのである。いやはや、どうなのだろう。ちょっとそう考えると世界は単純過ぎやしないか。
…
こんな結果になるとは思っていなかった。
そんな風に思って、それが後悔だと気付いたときに急に未練が湧いてきたりすることはないだろうか。俺は人生で一度だけ、それを体感したことがある。人生において不安定な時期と語られる、かの悪名高き中学生時代(恥ずかしい言い方をすれば思春期とか云々かんぬん)の出来事だった。
今から思えば俺も少し荒れていたのかもしれない。
別に喫煙や飲酒をやらかしたり、法やモラルに触れることをしでかしていたわけではないのだ。ただ少しだけ、心の中が引っ繰り返ってはっちゃけていただけ。後にある式少女がその多感な時期についての自論を俺に語る機会が訪れ、奴は、高説高々次のように述べた。
「子供って散らかすだけで片付けることを知らないでしょ? だからね、生まれてから十二、三年までに心の中のものを散らかし続けるのよ、人間って。生きてきた証は記憶と経験だから、それをしっかりと保管するでも保存するでもなく、徹底的に散らかし続ける。当然部屋は滅茶苦茶になるわよね。そんな部屋を整理する為に、散らかってるアレコレに名前を付けて、然るべき場所に収める為の期間がちょうどそのころな訳。多感とか、不安定とか、つまりそういうこと。自分で自分がわかってないんだから、荒れて当然よね。……え? あたし? なにバカなこと言ってるのよ。あたしにそんな時期、あるはずないじゃない」
ちなみに以上はダイジェストなので、もしもこの一場面が映像化し音声が付くとしたらここは俺の脳内再生として、本人の声ではなく俺の声で流されるだろう。いやいや。昨今の技術なら上手く回想も付けてくれるのか。どうでもいい。
こんなことを言っている式っ娘だが、最後の発言には断固とした虚実が含まれている。
不安定な、多感な時期がなかっただと。
馬鹿言うな。本当にそうだったなら俺はわざわざこんなことを語らなくても済んだのだ。
中学時代、色々あって世界中から孤立している少女がいた。彼女風に例えるなら、散らかしたあれこれを鎖で繋いでわっかを作って、高い高い壁で自分を囲ったのだ。そうして出来た箱庭の中で神様を気取っていた。自分本位の自分主義。だから寄ってくる者は拒絶して、触れようとするものは跳ね除けた。
壮絶な暗黒時代――この時期は人間によって栄光と暗闇のどちらかに区分される両極端だ――を経て、しかしそれでも今ここにあるのは日常と言える。それは様々な紆余曲折と周旋奔走の末に得た奇跡と言って……は、さすがに大袈裟かもしれない。
我が人生十七年間を振り返って本気でなかったこと、やり直したいこと、後悔の権化にして象徴たる事件はまあ何とか大団円に限りなく近い結末を見たのだが。あえてもう一度言う。それは本当に忘れ去りたい日々の思い出だ。
まあ、その事件についてはいずれまた機会があるとしたら語ることにしよう。
特に語られるべき逸話ではないのだ。国語辞典を朗読する方が有益だ。
だから少し別の話をしよう。
それは、式少女が式少女として世界に帰還した後の物語。
俺と――俺の幼馴染みが巻き起こした人騒がせな話の顛末である。
しかし色々と語ってきたが、これらが全て無駄に終わることはない。
これまでのあらましとして、せめて頭の隅っこに断片的にでも残しておいてもらえれば幸いである。
だってそれこそが、前書きとかプロローグとか呼ばれる序章が、ただのページ数稼ぎにならない為の存在意義――存在式なのだから。