三十五話 勇者のくせになまいきだ:3D
エレメン教国第四代大司教ロテスは御歳五十三になる。髪には白髪が多く混ざり、長い人生で噛み締めてきた喜びや悲しみが深い皺となって顔に刻まれている。未だ背筋はシャンと伸び頭脳も衰えを見せず、その静謐な姿は森の古木を思わせた。
白い厚手のローブを身に纏い、フードを目深に被ったロテスは長く伸びて進軍中の隊列の殿を黙々と歩いている。
第二次魔王城攻城戦、十日目。今のところ作戦は順調に進んでいた。
万死の長城の囮が功を奏したのか、今のところアンデッドには遭遇していない。気付かれていないのか誘い込まれているのかは判然としない。どちらにしてもやる事に差は無いのだから、分からずとも問題は無いのだろうが。
討伐隊の内訳としては、大雑把に分ければ帝国が前衛戦士、教国が後衛精霊使い、連合国が荷物持ち、となっている。
帝国の戦士は特殊な訓練を積んでいて、ウィスプや魔法、精霊を察知できる。もっとも明確に見えているわけではなく、違和感に対する感覚を研ぎ澄ませているだけだ。それでも十分役に立つ。
戦士が敵を抑えている間に精霊使いが詠唱するのが基本戦法。詠唱しながら武器を振るう事も可能なのだが、喋りながら運動する、という行為は非常に体力の消耗が激しい。すぐに息切れするし、注意力も散漫になる。舌を噛んだりもつれさせたりして意図せず詠唱を中断してしまう可能性も高まる。従って精霊使いは自衛程度にしか近接戦闘は行わない。
連合国が荷物持ちというのは役割分担の結果だ。精霊使いと戦士は戦闘に集中。荷物運び、野営の準備と片付け、料理、本国と(風属性スペルで)連絡、などといった雑用は全て連合国が行う。今回の出兵の費用も全額連合国持ちだ。荷物持ちと言ってもそれなりに鍛えられ統制も取れており、自分の身は自分で護る事ができる。荷駄を奪われたり、焼き払われたりする心配はほぼない。
作戦会議当初、金だけ出して戦力を出さない連合国の態度に他二国は批判的だったが、兵站の重要性を懇切丁寧に説かれ、更に万死の長城の囮に多く兵を出す事を約束したため今は軋轢もない。
実の所、魔王討伐成功の暁には返す刀で教国と帝国を潰すための兵力温存なのだが、二国は知る由も無い。
勝っても二国の主兵力は確実にボロボロ、魔王を討てば戦争を起こしてももうアンデッドは生まれない。万死の長城攻めはあくまでも囮であるため積極的に攻めず、投入した戦力に対する損耗は(少なくとも本隊よりは段違いに)少ないと予測され、魔王討伐直後に万死の長城の乗っ取りに非常に好都合な位置取りでもある。
負けたら負けたでそ知らぬ顔で国力が低下した二国に恩や人材を高値で売りつける。どちらにせよ旨みは大きい。連合国に隙は無い。良心も無いが。
季節は夏だが緯度も標高も高いため気温は低く、黒い岩肌が剥き出しになったうら寂しい山肌の影には白い残雪が目立つ。討伐隊は日が沈む前に比較的平らな場所を見つけて休止し、テントを張り始めた。骨を組み立て、杭を打ち、布を被せている間も周囲の警戒を怠らず、気を緩めている者はいない。
ロテスは小岩に腰掛け、右手の人差し指に嵌めた指輪を撫でながらテントが立てられていくのを眺めていた。傍らには若い男の精霊使いが一人護衛として佇み、神経を尖らせている。
そんな二人に近付く者があった。三十がらみの、紫のショートカットの女だ。仕立ての良い茶色の毛皮のコートを無造作に肩にかけ、猛獣のようなギラギラした目をしている。細身ではあるがそれは筋肉が極限まで絞り込まれているからであり、高身長と相俟ってなにか近付くだけで押し潰されそうな威圧感がある。
彼女がナルガザン帝国八十一代皇帝、ゼノビアである。
ロテスは護衛に耳元で囁かれ顔を上げ、まっすぐ自分を見据えて近付いてくるゼノビアに気付く。立ち上がって会釈をした。
「これはゼノビア殿」
「ふん。山道の行軍で腰でもやられているかと思えば。歳の割には案外頑丈だな、爺」
ゼノビアはロテスの前で立ち止まって見下ろし、女性としては低い威厳に満ちた声で居丈高に言い放った。ロテスは苦笑する。
「戦いの前に力尽きては話にならない。これも精霊の加護でしょう」
「はん。なんでもかんでも精霊の仕業にしおってからに。もっと己が肉体を誇れ……と、そんな話をしにきた訳ではない」
ゼノビアは小岩に行儀悪くどっかりと腰を下ろし、隣を叩いた。ロテスがそこに腰を下ろすとおもむろに尋ねた。
「どう思う?」
「どう、とは?」
「どうってアレだ、アレ。アンデッドの湧きが悪いだろう?」
「アンデッドの対応がどうであれやる事は変わらないと仰ったのは貴女では?」
「そういう事を言っているんじゃあない。察しが悪いな。えー、アンデッドは怨念とか憎悪とかそういうボンヤリしたもので動いてるわけだろう」
「ボンヤリ……まあそうですが」
「ゾンビが負の念を吸って力を増すとリッチになる」
「そういわれています」
「うむ。やはりアンデッドは負の念で強くなるのだな。するとアンデッドが出てこないのは、魔王がアンデッドを集めて、こう、負の念を煮詰めたりぎゅーっとしたりして、あー、押し固めてだな。何といったか、そう、塵も積もれば山となる。雑魚を集めて強いアンデッドを造っているのかも知れん。こちらが少数精鋭なのを見てだな、連中も強いのをぶつけてくるのではないかとな、思ったわけだ。またぞろ『鎧』でも出るんじゃあないか?」
「む……」
ロテスは顎に手を当てて唸った。
『鎧』というのは第一次魔王城攻城戦において猛威を振るったアンデッドだ。フルプレートメイルに身を包んだ二刀流の剣士で、当時の皇帝すら軽くあしらうほどの力量を持っていたという。アンデッドを研究する者達の間では魔王の側近ではないかと云われている。真偽はどうあれ特別強力なアンデッドの存在は確定している。それが複数存在するとなれば流石に無策ではいられない。
「『鎧』は飛び抜けて強い。私は歴代皇帝の中でも強い方であるつもりだが、一対一で勝てるかは分からん」
「弱気ですな。珍しく」
「慎重と言え。弱気だろうとなんだろうと最終的に勝てば良かろうなのだ」
侮蔑とも取れる発言をゼノビアは特にさらりと流した。勝つためには慎重になる事も必要である。強気の押せ押せで万事解決するほど世の中が単純ではない事をゼノビアは知っていた。至極当たり前の事なのだが、皇帝にしては比較的賢いと言える。
七十六代皇帝シモン以降、ナルガザン帝国における帝位は血筋で継承されるようになった。具体的に言えば、皇帝とある程度近しい血の繋がりがある者(子、孫、甥、姪)が命懸けで総当たり戦をし、最も強い者が次期皇帝となる。
やはり身体能力が勝る分男の皇帝が多くなるが、女帝もそれなりに出てくる。皇帝に娘と姪しかいなかったため自動的に女帝が生まれたり、男の皇帝候補がいても幼すぎて戦えなかったり、あるいは実力で帝位を勝ち取る女傑であったり。ゼノビアの場合は三番目の理由だ。故に自らの力に対するプライドは高い。しかしプライドはあっても過信はしていない。
「要するに何を言いたいかというとだな。爺、先頭に来い」
「背後が手薄になりますが?」
「最強の戦士と最強の精霊使いが一箇所にいればよもや不意打ちからの全滅はあるまいよ。前か後ろどちらかを集中攻撃されて各個撃破が一番恐ろしい」
「それはそうですが、戦力を集めれば必然的に隊列の中で弱くなる部分も出るでしょう。そういった弱所をじわじわと抉られていけば最終的な死傷者もかなりのものになるかと。数の利というものも馬鹿にならないものです。ここは討伐隊全体としての消耗を避」
「ええい、ゴチャゴチャゴチャゴチャやかましーわ! 仮にも三国選りすぐりの兵共だ。自分の面倒ぐらい自分で見るだろうさ。いいか、この討伐隊の総司令官は私だ。皇帝も私だ。一番強くて一番偉い。勅命である、黙って従え」
「……は。了解しました」
「うむ。詳細は追って知らせる。そこで突っ立ってる精霊使いは風属性か?」
黙って控えていた護衛は皇帝の言い様にいささか不機嫌そうにしながらも頷いた。
「ではそいつを通して連絡しよう。ではさらばだ。夜襲には充分警戒しておけ」
皇帝は肩で風を切り颯爽と去っていった。護衛は厳しい目でそれを見送ってから言う。
「本当に良いのですか、あのような粗暴な者に指揮を任せて?」
「これこれ、そのような事を言ってはいかん。的外れな命令をしている訳でなし、従っておいて問題はない。それに帝国の者は勘が働く。任せておいて問題はなかろう」
「腕が立つのは認めますが……それと指揮能力は別でしょう」
「そうかも知れん。そうでないかも知れん。どちらにせよ総司令官の命令を無視する訳にもいくまいよ。軍規において命令無視は最も忌むべきものだ」
護衛は渋々とだが頷いた。ロテスは溜息を吐く。謙虚であれ、敬虔であれ、というのが精霊教の教えだ。自然を敬い、動物を敬い、互いに尊重しあう。富める者は貧しい者に分け与え、悪人にも良い所を探す。長年精霊教の教えを守っていれば自然と憎しみや蔑みといった感情は抜けていくものだが、若いこの護衛はまだまだ心に不純物が多い。
三国の国民性を示す小話にこんなものがある。
二人の人間がいて、果物が一つあった。
エレメン人は果物を三つに割り、一つを精霊に、一つを自分に、もう一つをもう一人に分けた。
ナルガザン人は殴りあいをはじめ、勝者が果物を独り占めした。
ノーヴァー人は一人がもう一人に金貨を渡し、果物を自分のものにした。
誰が言い出したかは定かではないが、よく国民の気質を現している。ちなみにエルフはどこからともなく果物をもう一つだして仲良く一つずつ食べると言われている。
エルフは精霊に愛されている、長い耳が特徴の種族だ。Lv4スペルを自在に操ると噂されているが、神出鬼没で狙って会うのは難しく、アンデッドとは不戦協定を結んでいるらしい。失われた古代魔法すら行使するというのだから、一人でも討伐隊に加わってくれれば千人力だったのだが。
無いモノねだりをしても仕方がない。あるものでなんとかするしかないのだ。ロテスは精霊に祈りを捧げてから立ち上がり、護衛を伴って立ち上がったテントの群れに向けて歩き出した。
二次魔王城攻城戦、十三日目。翌日には魔王城前に到着すると予想されていた。このまま一体もアンデッドと遭遇しないまま到着するのかと訝しむ者、安堵する者、不満に思う者。討伐隊の反応は様々だった。
しかし誰一人として気を抜き警戒を怠る者はおらず、岩陰から這い出してきた鎧の群れの奇襲は失敗に終わった。
「アンデッド! 新種! 警戒戦闘!」
ゼノビアから大声で指示が飛び、同時に敵襲を告げる角笛が鳴り響いた。
現れたのは灰色の鎧だ。石のような金属のような不思議な材質で、身長は一般的な成人男性と同じ程度。体格は鎧というよりもむしろ金属で人間を象ったかのような細身で、中に人が入っているとはとても思えない。それを示すように、バイザーの下で紫や赤、緑の単眼が不気味に揺らめいているのが見て取れた。
討伐隊にとって未知のアンデッドだったが、それは予測されていた事であり、討伐隊は指示通り警戒して慎重に戦闘を開始した。第一次魔王城攻城戦でも新種のアンデッド、デュラハンが現れている。このような事態も折込済みだ。
≪悪い子はいねがー!≫
≪命くれなきゃ悪戯しちゃうぞー! トリックオアデッド!≫
≪ゆっくり死んで逝ってね!≫
口々に何か不気味な呪詛のようなものを吐きながら、隊列の横腹に十数体の鎧が突っ込んでくる。
「包囲しろ!」
ゼノビアは叫びながら真っ先に鎧に向かって駆け出した。砂利や岩が転がる悪路をものともせず矢のように駆け、素手で二人の戦士を相手取っている鎧の背後に踊りかかった。メイスを抜いて振りかぶり、走る勢いを乗せて袈裟懸けに鎧の腹に振り下ろす。
通常、金属製の鎧に対しては刃物よりも鈍器の方が有効だ。金属に斬り付けても刃こぼれしてしまうだけだ。その点鈍器は金属を凹ませる事ができる。間接部を壊して動きを鈍らせたり、変形した鎧で内臓を圧迫させたり。衝撃も通り易い。
従って強度が高そうな鎧に対してメイスを使ったゼノビアの選択は正しいのだが、メイスが命中する寸前に鎧が後ろに目がついているかのように反応し、超加速して回避した。
「なんだと!?」
≪残像だ……そおい!≫
「ちっ!」
カウンターの後ろ回し蹴りで戦士が二人、ヒトが出してはいけない破砕音を出しながら薙ぎ倒される。ゼノビアは紙一重でメイスを盾にする事ができたが、腕がへし折れたかと思うほど重い一撃だった。
「小癪なぁ……!」
ゼノビアは犬歯をむき出しにして唸った。痺れが残る腕に喝をいれ怯まず再び殴りかかるが、時折動きに挟まれる不自然な加速に翻弄される。しかし腐っても皇帝、やられてばかりではない。何度も鎧をメイスで殴打し、反撃する。メイスの攻撃を牽制に使い、精霊使いが放つ石礫や氷槍の射線上に誘導したりもした。
ところがどんな攻撃を受けても鎧は堪える様子が無い。それどころか傷一つついていない。スケルトンと違いダメージを負って再生しているのではない。効いている様子すらないのだ。一向に倒れない鎧に討伐隊の間に動揺が広がり始める。ゼノビアはどこかに弱点が無いかと確かめるようにメイスを打ち付ける。頭、足、腹、背中、鳩尾、関節各部。鎧はどこを打たれても涼しい顔? をしている。
≪無駄無駄無駄! 攻撃効かなくてごめんね! ごめんねー!≫
≪世界に! 平和は! おとずれなぁい!≫
≪このまま蹂躙だー!≫
≪いや蹂躙しちゃだめでしょ。ロバートは四分の一ぐらい削れって言ってたから≫
≪四分の一かー。もうけっこう倒したし、あと二百人ぐらい?≫
≪把握。ちょっと突っ込んでくる≫
鎧の内の一体が唐突にしゃがみ込んだ。前傾姿勢で両手を地面に付き、片足を後ろに伸ばす。戦闘中にそんな無防備な態勢を取った鎧にここぞとばかりに戦士達が追撃を加えようと飛び掛った。
それを見たゼノビアに悪寒が走る。
鎧が時折見せる超加速。呆れるほど頑丈な装甲。隙だらけではあるがどこか獲物にとびかかる猛獣を彷彿とさせる姿勢。
本能的に体が動いた。何百何千という戦闘経験が、敵の構え、挙動から無意識下で次の行動を割り出す。ゼノビアは自分でもなぜそんな事をするのか分からないまま、半歩分体を横に傾け、前方の何も無い空間に向けて下段蹴りを放った。
次の瞬間何かが足を巻き込んで体の横を貫いていった。速過ぎて何が通り過ぎたのか分からない。ただ、蹴りを繰り出した右足の破裂したかと思うほどの爆発的な痛みがその何かに蹴りが命中した事を教えてくれた。
直後に、聞いた事も無い、何か重い物同士が衝突した凄まじい音が空気を振るわせた。曲がってはいけない方向に曲がっている右足を庇いながら地面に這いつくばって音がした方向を見ると、ちょうど崖の一部がガラガラと崩れていくところだった。岩と共に舞った砂煙は風属性精霊使いが吹き散らす。そこには崩れ落ちた岩の小山があるのみだ。
後ろを振り返ると鎧の姿が無い。
鎧がいた位置と崩れた崖を結んだ直線状に空白ができていて、その直線をなぞる様にうめき声を上げる怪我人と岩に押し潰されたように歪に歪んだ死体が転がっている。
「体当たり、か? 無茶苦茶だ……」
猛烈な速度の体当たりで撥ねられたらしい。痛みと畏怖でない交ぜになって脂汗がだらだらと流れる。たった一回の体当たりで軽く五十人は戦闘不能になってしまった。ゼノビアが足払いをかけて崖に突っ込ませていなければ体当たりの往復で蹂躙されていただろう。直撃すれば即死、掠っても大怪我、避けるのは至難。恐ろしい。
≪ゲェー!? 一体やられたァァァ!≫
≪キャー皇帝サーン!≫
≪テwンwショwンw下wがっwてwきwたwwww≫
他の鎧が騒いでいる。魔法やアンデッドが絡んだ戦いでは何が起こるか分からない。たった一回の体当たりで死屍累々の状態になっても討伐隊に動揺や混乱は無く、冷静に戦闘を続行している。ゼノビアはメイスを口に咥え、折れ曲がった足を引き摺り、匍匐前進で戦闘が激しい場所から離れた。いつの間にかゾンビやスケルトンも湧き出したようで、誰も重傷の皇帝に肩を貸す余裕はないようだった。
手近な小岩を見つけて背中を預け、咥えていたメイスを膝に落として息を整えようとしたが、無理だった。絶え間ない激痛のせいでどうしても息は短く浅くなる。
かすみ始めた視界で周囲を見渡せば、残りの鎧は体当たりこそしていなかったが、手から衝撃波を出して戦士を吹き飛ばしたり、杭のようなものを打ち出して精霊使いを盾ごと貫いて肉片どころか血煙に変えたりと暴れまわっている。気のせいか空を飛んでいる鎧もいるように見えるが流石に目の錯覚だろう。
乱戦のせいか総大将がほぼ戦闘不能になっている事にほとんどの兵は気付いておらず、士気の低下はほとんど起きていない。ここで最も忌むべきは死ぬ事ではなく、アンデッドになる事だ。首を刎ねて自決すればアンデッドになる事はない。死ぬか、重傷を負い、魔王の邪法に囚われ、亡者と化してかつての味方に牙を剥くのが最悪のパターン。特に討伐隊の総大将が敵側に寝返りでもしたら討伐隊の瓦解は必至だろう。討ち死にの方が敵討ちを掲げられる分まだ救いがある。
ゼノビアは唇を噛み締めた。病人や怪我人など、生命力が下がっている者はアンデッドに魅入られ易いという。モタモタしていると負傷をアンデッドに気付かれ、抵抗もできないまま亡者に変えられてしまう。
アンデッドにされる前に自決か、味方の救援に望みをかけるか。
苦渋の決断を迫られたゼノビアの前に老人が一人走り寄ってきた。白のローブを鮮血で染めた精霊使い。ロテスだ。
「遅くなりました」
額の汗を拭って言ったロテスの膝をゼノビアは涙目になってメイスで小突いた。
「本当に遅いわこの老いぼれ爺! 一体何をチンタラしていた!? 何のために固まっていたと思っている! 死ぬかと思ったわ!」
「いえ、Lv3精霊使いの部下が『鎧』に下半身を吹き飛ばされたのでその治療を」
「治療? ああ、ヒーリングか。そうだ、それがあったな。私にも寄越せ。正直痛みで喋るのも辛いのだ」
「足が……その怪我でよく喋れたものですね。では。『清ラカナル水ヨ。癒シノ精霊ウンディーネヨ。体ヲ巡リ、不浄ヲ清メヨ。生命ハ再ビ雄々シク脈動スル。タチマチノ内ニ失ワレタ血ハ満チ、骨ハ甦リ、肉ハ癒サレル。慈シミハイツシカ慈シミトナラン。彼ノ者ニ今一度立チ上ガリ立チ向カウ力ヲ与エン、ヒーリング』」
ロテスが足に手をかざして呪文を唱えると、その手に嵌った精霊の指輪がぼんやりと暖かな光を発した。光は数度瞬き、患部に吸い込まれていく。すると足は瞬きする間に真っ直ぐに治っていた。痛みも消えている。
「むう。なかなか大したものだな。精霊使いの認識を改めるべきかも知れん」
ゼノビアはすっくと立ち上がり、ぱしぱしと手で右足を叩いて感嘆の声を漏らした。
「是非御一考を。それよりも今は『鎧』です。第一次魔王城攻城戦に現れた『鎧』とはまた別種のようですが」
「うむ。しかし手に負えんところは同じだな。まあ一体は片付けた訳だが」
「なんと! 流石はゼノビア殿です。Lv3攻撃スペルで傷一つつかない『鎧』をねじ伏せるとは!」
「違うわ馬鹿者。あんなものまともに相手にできるか。対処法はスケルトンと同じだ」
「? ……ははあ、なるほど。では土属性使いに指示を出しましょう」
「うむ。乱暴に埋葬して差し上げろ。行くぞ、付いて来い! 背中は任せる!」
「承知」
ゼノビアはメイスを二度振るって気合を入れ、駆け出した。ロテスがその後に続く。
戦場は『鎧』に引っ掻き回されたせいで混沌としていた。乱戦になってはいるが精霊使いと戦士が必ずセットになって戦うなど最低限の統制は取れていて、ゼノビアとロテスが戦場を駆け回りながら指示を出すと、アンデッド達は≪あふん≫≪ぐわーやられたー≫≪良かった、退場のタイミング探してたんだよね≫などと悲痛な悲鳴を上げながら地の底に飲み込まれていった。
十四日目の早朝、討伐隊は魔王城の前に到着した。山の向こうから朝日が差し込み、雪に覆われた銀世界を照らし出す。ゼノビアは整然と並んだ討伐隊の戦闘で、魔王城前にたむろするアンデッドの群を睥睨した。乳白色の骨がカクカクと歩き回り、首無しの戦士がぼろぼろの墓石の陰にひっそりと立っている。ゾンビは寄り集まってヒソヒソと言葉を交わしているようだ。精霊曰くリビングアーマーというらしい『鎧』もチラホラ混ざっていた。総勢、三千ほど。城内に詰めているアンデッドもいるのだろう。相手にとって不足なし。
ゼノビアは朝日にメイスを掲げた。使い込まれ、使い古され、しかしよく手入れされた、無骨で頑丈なメイスだ。
「我が力の源は武具にある!」
ゼノビアは朗々と叫ぶ。
「技にある! 血脈にある! 我々は国は違えど志を同じくする同志である! 同胞よ、奮起せよ! 我等の命運この一戦にあり!」
メイスが空へ突き上げられると同時に、討伐隊もそれにならって武器を突き上げ一斉に鬨の声を上げた。朝の冷たい空気がビリビリと震え、高まった気運が熱いうねりとなって討伐隊を包み込む。先日の負傷者はヒーリングによって回復しており、皆体調は万全だ。悲しみはなく、敵討ちに燃えている。
「全軍! 突げ」
「陛下!」
万感の思いを胸に号令をかけようとしたゼノビアを遮って一人の兵が駆け寄ってきた。出鼻を挫かれ不機嫌になるが、兵の顔は真っ青で余程急いで来たのか汗を流しており、その尋常ならざる様子に嫌な予感を抱く。
「なんだ、どうした? 私の号令を遮ったぐらいなのだ、重大なものなのだろうな?」
威圧的に睨みながら尋ねると、兵は喋れる程度に息を整えてから言った。
「報告します! 帝国城にアンデッドの軍勢が侵攻中!」
「ハ?」
ゼノビアは口を半開きにして固まった。兵は続けてその隣のロテスに言う。
「大司教にも報告が! サラマンデレア、シルフェリア、ノーメレア、ウンディネアがアンデッドの軍勢に攻撃を受けています!」
「はぁ?」
ロテスは間抜けな声を出して兵をガン見した。兵は更に続けてその隣の連合国軍将軍に言う。
「将軍にも報告が! 本国南西の海からアンデッドが上陸して町を襲っているとの事です!」
「はぁぁぁぁぁ!?」
将軍は絶叫した。
通りで魔王城付近にアンデッドが少ないはずである。本拠地から離れ多方面作戦に出ていたらしい。
連絡兵が大声で報告をしたので、討伐隊にも動揺の波が広がっている。勇猛果敢一騎当千の戦士達も人の子、国に残してきた家族の心配ぐらいはする。ざわめく討伐隊の面々をゼノビアは声を張り上げて鎮めた。ロテスが神妙な面持ちで話しかける。
「引き返しますか」
「馬鹿か貴様は。ここで魔王を討伐すればアンデッドも消える。わざわざ時間かけて引き返すよりも、目の前の城に攻め込んだ方が……あー……なんかイイ感じだろうが」
目前まで来て引き返せばそれこそ魔王の思う壺だろう。ここで戻ればアンデッドに振り回されただけで終わってしまう。
ゼノビアが再度突撃の指示を出そうとすると、また兵が声をかけてきた。
「陛下!」
「今度はなんだ!」
「消えました」
「えっ」
「魔王城が消えました」
「…………」
何を世迷言を、と胡乱な目を向けると、魔王城があった場所が綺麗さっぱり更地になっていた。そんな馬鹿なとあたりを見回すと、西方遠くの峰の端に魔王城のものらしき尖塔の先端が顔を出しているのが見える。信じ難い光景がゆっくりと脳に染み込んで行く。
「糞があああああああああああああああああ! やられた! 古代魔法だ! 城ごと転移で逃げおったわ!」
ゼノビアの絶叫と同時に討伐隊の背後の地面が盛り上がり、うじゃうじゃとアンデッドが這い出してきた。魔王城跡で手持ち無沙汰そうにうろうろしていたアンデッド達もいつのまにか隊列を組んで討伐隊に向かって行進してきている。
ゼノビアは悟った。作戦はバレていた。嵌められたのだ。主力部隊を自陣奥深くに誘い込み、その隙に本国を叩く。まんまとしてやられた。
遥か遠く峰の向こうに転移してしまった魔王城を攻め落とすのは至難だ。目指す方向は分かっても行軍できるほどの道らしい道はなく、あったとしたらそれは罠だろう。まず間違いなくアンデッドが待ち構えている。なんとか魔王城に辿り着いたとしてももう一度転移で逃げられる可能性が十分にある。いくらなんでも城ごと逃亡されるとは想定外だった。
「円陣! ボサッとするな!」
ゼノビアの声に叩かれ、討伐隊は急いで精霊使いを内側に入れて円陣を作った。隊列を組みかえるとほぼ同時にアンデッドの群れが全方位から押し寄せる。防戦一方で如何ともしがたく、進む戻る以前に動けなくなってしまった。
激しい剣戟と怒号、飛び交う氷槍に火球、巻き上がる竜巻。倒しても倒しても倒しても一向に数が減ったようには思えないほどアンデッドの軍勢は圧倒的だった。最初は包囲されながらも僅かに押していたように見えた戦局は時間経過と共に拮抗し、押されはじめ、じわじわと円陣が小さくなっていく。兵力差と体力の減少が響いてきたのだ。
「破ァ!」
ゼノビアは獅子奮迅の活躍をしていた。スケルトンを粉砕し、ゾンビの頭をカチ割り、デュラハンの足を力任せにへし折る。酷使に耐え切れずメイスが折れ、予備のメイスを抜いて戦うが、それも軋み始めている。
アンデッドの混成軍にはリビングアーマーが混ざっており、その装甲に斬り付けた剣は曲がり、折れ、良くて刃こぼれ。鈍器で叩きつければ柄が曲がり、芯がダメになる。それを逆手に取り、鎖でぐるぐる巻きにして足を掴み、ハンマー代わりに振り回してアンデッドをなぎ倒していた剛の者もいたが、不可視の衝撃波を撃たれて即死していた。
ゾンビが繰り出す鋭い剣撃をいなし、一瞬の隙を突いて手首を叩く。剣を取り落としたゾンビの腹に蹴りを突き入れると、数歩よろめいて土精霊使いが開けた深い穴に落ちていった。
ゼノビアの息は荒い。全身切り傷だらけで、手足にいくつも青痣ができている。一端後方に下がり、戦闘開始からひたすらヒーリングを唱え続け回復役に徹しているロテスの治療を受けようとも考えた。しかしゼノビアが抜ければ戦線に穴が開く。既に交代要員など居ない。ジリ貧の状況だが、どうしようもない。
「がぁあああああああああ!」
腹の底から獣のような雄たけびを上げ、鉛のように重い腕を気合で動かしゾンビを二体続けて打ち据える。そこでメイスは根本からぽっきりと折れてしまった。もう予備のメイスもない。
ゼノビアは腕を折られながらも虚ろな表情で反撃してきたゾンビの剣閃を仰け反って回避し、視界の端に捕らえた倒れた戦士の亡骸に飛びつき、手に持っていた剣をもぎ取る。振り返りざまに一閃、飛び掛ってきたスケルトンを真っ二つにする。崩れ落ちた骨を踏み砕きながら次の敵の相手をする。
「こんな所で……」
体中の傷から流れた血が革鎧に染み込み、ずっしりと重い。
「こんな所で」
リッチが放った火球を避け損ね、左腕に大火傷を負った。
「こんな所で!」
何度も打たれ吹き飛ばされ、全身の感覚がおぼろげだ。視界も霞む。
それでもゼノビアは倒れない。国の命運を自分に託した偉大な父の顔が、よく稽古をつけてくれた厳しくも優しい母の顔が、城に残してきた最愛の娘の顔が脳裏に浮かぶ。
「こんな所で負けられるかあぁ!」
血の涙を流し、魂の咆哮を上げたゼノビアの右手が唐突に眩い光に包まれた。太陽の如き白い光が戦場を染め上げる。血塗られた戦場に立ち上る神々しく神秘的な光の柱に誰もが動きを止めた。
「なんだ!?」
眩しさにくらむ視界。眼がつぶれるかという強烈な光の中に、ゼノビアはほんの一瞬伝え聞く四体の精霊達の姿を見た気がした。
光は数秒で収まった。チカチカと明滅する目を何度も瞬きして慣らす。ぼんやりと暖かな重みを感じて右手を見れば、そこには抜き身の剣が収まっていた。緋色の不思議な材質の両刃に、細やかな装飾が施された鍔。持ち手はまるでゼノビアのために作られたかのようにしっくりときた。
呆然と刀身の厚さと長さに反して軽い、しかしこの上無く頑強そうな剣を掲げて見る。そこでゼノビアは異変に気付いた。
「これは……」
体が軽い。あんなにボロボロだったのが嘘のように、全身に活力が満ちていた。元通りになったどころか普段よりも調子が良い。数度剣を振るえばまるで空間を切り裂いたような鋭い音が鳴った。
そこで戦場に音が戻った。魔法という超常現象が飛び交う戦場ですら異様な光景に固まっていた兵士達が我に帰り、戦い始める。
何が起きたのかは分からなかったが、体調が戻り、武器もある。ゼノビアは裂帛の気合を以ってデュラハンに斬りかかった。
ゼノビアの一撃はデュラハンを防御に構えた盾ごと容易く真っ二つにした。剣の軌跡に沿って仄かな燐光が舞い踊る。崩れ落ちるデュラハンの死体は白い炎を出して燃え上がり、瞬く間に灰になって崩れ落ちた。どうやら魔法的な効果がある剣らしい。都合が良い。
次の餌食を探して目を向けると、死を恐れぬはずのアンデッド達は怯えたように後ずさった。試しに剣を向けながら一歩踏み出すと、アンデッド達は顔がある者は顔に恐怖を貼り付けて一歩後退する。
「ほぉう?」
ゼノビアは口の端を吊り上げてニヤァと笑った。どう攻撃しようがどう痛めつけようが怯みもしなかったアンデッド達が、剣を向けただけで恐怖に怯える。愉快痛快、ゼノビアの心をいたくくすぐる。
メイスが最も得意な武器ではあるが、剣の扱いも充分並以上。ゼノビアは剣を構えアンデッドの群れに突っ込んでいった。石を投げ込まれた生簀の魚のように逃げ惑うアンデッドの背中に追いすがり、斬りつける。斬られたアンデッドは一様に白い炎を出して灰になった。スケルトンでさえ再生する事もなく燃え尽きる。
嬉々としてアンデッドを追い回していたゼノビアだが、頭上から矢と火球が降り注ぎはじめ、退かざるを得なくなる。距離を取ったアンデッド達がゼノビアに集中攻撃をはじめていた。
「ちっ、そんなに甘くはない、か!」
次々と飛来する矢を打ち払いながらゼノビアは後退し、円陣の内側まで戻った。円陣の中で息を整える。見れば円陣も随分小さくなっており、既に二百人もいなかった。
「おい、そこの」
近くで負傷した戦士の脚に包帯を巻いていた兵に声をかける。
「なんでしょう?」
「爺――大司教はどうした?」
「戦死なされました。流れ矢が防御を突き破り、背中を撃たれ……」
「そうか……」
唇を噛み締める。老いてはいたが、教国の人間にしておくにはもったいないほど胆力のある、良い男だった。どれほど強くとも死ぬ時は死ぬ。それが戦場というものだ。
頭を振って余計な感傷を振り払う。
ゼノビアによって勢いは盛り返しているが、劣勢には変わりなかった。大司教が死亡し治療のペースががくんと落ち、戦士の数はますます減っている。士気の高さだけでどうにかなるラインを割っていた。以前、アンデッドは視界を埋め尽くすほど多い。光の剣があっても勝つのは不可能だ、とゼノビアは判断した。
「……撤退戦だ!」
ゼノビアは大声で指示を出し、自らも戦列に加わった。
ここで討ち果てれば剣もこの地に囚われる。なんとしてでも持ち帰る必要がある。この偉大な剣を複製できればアンデッドなど羽虫のように蹴散らせるだろう。複製できずともアンデッドに渡してやる手はない。
祖霊達の無念を晴らせず逃げ帰る屈辱。しかし感情よりも実利を優先させなければならない。
討伐隊はいつの日か全ての元凶、魔王を討ち滅ぼす事を心に誓いながら、亡者の海を掻き分けて撤退していった。
結局討伐隊は皇帝を含めた四人しか戻らなかった。その四人も無理な撤退戦が祟って戦後間もなく息を引き取る。しかし皇帝が持ち帰った剣、聖剣エクスカリバーは精霊の力が凝縮された宝剣として長きに渡るアンデッドとの戦いで多大な力を発揮していく事になる……
Q.この話、結局何がしたかったの?
A.聖剣出したかっただけ(´・ω・)
聖剣は魔質製。詳しい構造や構成魔質は省略しますが、演出機能も含めてなんか凄い剣です。ロバートの魔核(灰魔核)入り。
魔王城攻めさせて撤退よりもむしろ魔王軍を人間側に侵攻させた方が話が自然だったと八割ぐらい書き終わってから気付いた
>>帝国城にアンデッドの軍勢が進行中!
帝国城の背後にある廃坑を潰して埋めながら侵攻。ついでに鉱毒対策もしておいた。
>>本国で海からアンデッドが上陸して町を襲っているとの報告が!
疫病が発生していた町の住民を皆殺しにして焼き払った。そうとは知らぬ人間には「なんと悪逆な!」と恨まれた。やったね!
>>サラマンデレア、シルフェリア、ノーメレア、ウンディネアがアンデッドの軍勢に攻撃を受けています!
精霊使いが大活躍し、奇跡的(笑)に死者0。ますます精霊信仰が高まる。




