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ノーライフ・ライフ  作者: 黒留ハガネ
三章 魔力の深奥
83/125

三十三話 不思議な店

 最近ノーヴァー連合国のあちらこちらで密かに「不思議な店」の噂が囁かれている。

 見たこともなければ味わった事もない、しかし非常に美味な料理を出す店。風変わりだがしっかりとした拵えの上質な武具を扱う店。棚一杯に斬新で心躍る冒険譚や甘酸っぱい恋物語が収められている書店。

 どの店にも共通するのは訪れた客が必ず満足して帰っていくという事と、固定客がつきはじめた途端に忽然と消え去るという事だ。

 連合国の香辛料の売買を取り仕切る大商人の三男、トレドはその噂の真偽を確かめるために街中の入り組んだ小道を歩いていた。

 家の跡継ぎは長男であり、長男にもしもの事があったとしても次男がいるため、三男のトレドはかなり好き勝手する事を許されていた。トレドは決して馬鹿ではない。算術が得意で、交渉にも長け、商人としての資質を持ってはいたが、なんの事はない、トレドの兄はトレド以上だったという話だ。

 しかし特に家族仲は悪くなく、トレドは時折ふらりとあてどのない旅に出てはついでに商売の種を見つけてきて、ささやかながら家のために役立てていた。トレドは今年二十三になる。そろそろ腰を落ち着ける頃合だ。このヤマを調べ終わったら実家に戻って小さな店の店員として働かせてもらおう、と思っていた。

 幼い頃から権謀術数渦巻く商人の世界を見、旅先でそれなりに場数を踏んできたトレドの勘は今回の獲物は大魚だ、と囁いている。故に丸一ヶ月間歩き回り、手がかりの欠片も見つけられずとも、諦めようという気は全く起きなかった。

「ふむ?」

 煉瓦造りの倉庫に挟まれた薄暗い道を抜け、波止場に出たトレドは眉根を寄せて小さく呟き、懐から情報を纏めた紙を出してもう一度確認をする。

 不思議な店は一度消えるとその周辺には長い間現れない。少年だった頃に「不思議な店」で剣を買い、妻帯者になった後でもう一度「不思議な店」を見つけ、子供に剣を買い与えた男の話もある。他の噂も総合すると十五~三十年程度は間を置かなければ同じ場所には現れないらしい。

 不思議な店は大抵は目に付きにくい裏通りに面した空き地に一夜にして建っていたり、住む者の居なくなった空き家に小さな看板がかけられ、いつの間にか中が店舗として改装されていたりする。必ず不法建築もしくは不法占拠であるため、噂が立つと消え去るのは法の追求を逃れるためなのではないかとトレドは睨んでいた。どうやって現れ、消えているのかはまた別問題である。

 今までの出現箇所を調べ、似た条件下の場所をリストアップし、近年出現した場所を除外し、候補として残ったのは現在調査中の街に二十七箇所ある。警戒されないよう一日九箇所ずつ三日に分けて巡回しているのだが、出現の気配も噂もチラリとも匂いはしなかった。噂が出る頃には消えているというのがまた厄介で、噂を頼りに探すという通常の手段が使えない。情報屋を頼る事もしてみたが、芳しい成果は上がっていない。

 執拗に表に出る事を嫌っている店だ。よほど後ろ暗いモノを抱えているのだろう、とトレドは推測する。様々な種類の店が同一条件で出現と消失を繰り返している事から、同じ一派の店だろうという事も分かる。

 脛に傷があろうと扱っている商品は超一流のものばかり。実家から各方面に圧力をかければ大抵の事は揉み消せる。上手く店を捕まえ、交渉を成立させて実家の商会に組み込めれば相当の利益が見込める。

 しかし肝心の店が見つからない……

「……駄目だなこれは」

 トレドは何度と無く見直してボロボロになった紙をもう一度じっくりと読み直し、正攻法は諦める事にした。一ヶ月かかっても尻尾すら掴めないのでは一年二年と調査を続けた所で同じだろう。噂を敏感に察知して消える事から、店の情報力は相当のものだという事も分かる。調べられている事に感づけばますます姿を隠してしまうだろう。大規模な調査はできない。

「ままならねーなあ、人生」

 深いため息を吐き、紙を懐に突っ込んで宿に向かって歩き出す。トレドの顔は快晴の空と裏腹にどんよりと陰鬱に曇っていた。

 正攻法で駄目なら邪法を使うまで。しかしその邪法は邪法なだけあって当然リスクが付きまとう手段なのだ。はっきり言って一歩間違えば死にかねない。死より惨い目に遭う可能性すらあった。それだけのリターンもある手段なのだが、だからといって明るい気分にはならない。

 景気付けに屋台でちょっと高い酒を引っ掛けたトレドは、少し気分が上向いて明るくなり、宿に帰還した。自室に入り、万一泥棒に入られても見つからないようベッドの下に隠しておいた巾着を取り出す。巾着の口を緩めて逆さまにすると、手の中に数枚の硬貨が落ちて軽い音を立てた。シアン硬貨、と呼ばれる貴重な貨幣だ。

 シアン硬貨は出所不明の謎の貨幣で、金貨、銀貨、銅貨の三種類がある。金や銀の純度が高く、浮き彫りに彫られた植物の絵が見事だ。何よりも暗がりで揺らめく炎のような仄かな光を発する不思議な材質で、好事家垂涎の一品だ。もったいなくもシアン硬貨を数枚鋳潰して調べたトレドの兄によれば、材質不明の金属? のようなものが混ぜ込まれているらしい。銅貨ですら一枚650マニー(※)で取引されていて、金貨ともなれば800,000マニーはくだらない。一部の商人の間では重要な取引で使われる事もあるという。

 かくいうトレドは各地を流離っている間に数枚手に入れ、貯めていた。銅貨六枚、銀貨二枚、金貨一枚。相当な額になる。これがこれから蒸発する予定なのだからやるせなくもなろうというものだ。

 だらだらとした足取りで宿を出たトレドは街外れの酒場に向かった。大通りから離れ、営業しているか怪しいほど寂れた店だ。本来夜になれば店先にかかった看板を照らす役割を担っているはずの小さなランプは割れて錆付いていて、それがまた物悲しい。

 時刻はまだ昼過ぎ。太陽は高い位置にある。トレドは日の光から逃げ込むようにして立て付けの悪いドアを押し開け、酒場に入った。

 採光窓から差し込む光が埃っぽい店内を照らしている。年季だけが取り柄の古ぼけたカウンターに四十過ぎの女が行儀悪く腰掛け、トランプのカードを並べていた。濃紺の髪に白髪が混ざっている。彼女がこの店の店主だ。

「ちはー」

「んー? おー、いらっしゃい」

 トレドが軽く挨拶すると、店主も手をひらひらと振ってそれに応えた。二人の付き合いは六年になる。仲はそれなりに良かった。店主は少し呆れた顔でトレドを見ると、トランプをケースにしまっていく。

「お前さんも大概命知らずだねえ。また私達を使おうと思うなんてね」

「今日は普通に酒飲みに来たのかも知れんぜ?」

「昼間から?」

「いいだろ、昼間から飲んでも」

「まあそうね」

 言いながら店主はカウンターの裏に手を伸ばしてゴソゴソと探り、ワインボトルとグラスを出した。グラスを椅子に座ったトレドの手に押し付け、酌をする。

「ま、駆けつけ一杯」

「飲みに来たんじゃあないんだけどな」

 そう言いながらもグラスに口をつける。

「この後死ぬかも知れないだろ? 今の内、今の内」

 顔を顰める。さらりとした店主の台詞でただでさえ生ぬるいワインの味が更に悪くなった。

 トレドが最期になるかも知れないワインをちびりちびりと飲んでいる間に、店主は店の入り口に鍵をかけ、キョロキョロと店内を見回した。万が一にでも精霊が居ないか探しているのだ。

 この酒場は死霊教徒の集会所だ。店主は実は死霊教の司祭であり、精霊やウィスプを見る事ができる。

 百年以上前、魔王が現れた時から存在する邪教、死霊教。人間を陥れ、唆し、滅ぼそうとしている魔王を崇拝し、アンデッドに協力する狂気の宗教だ。彼等は決して表には出ず、社会の裏側で蠢いている。普通に生きていれば死霊教の存在を知る事すらないだろう。

 だが裏社会での存在感は凄まじいものがある。裏社会のある程度深いラインを超えるとそこはもう死霊教一色だ。表の正義が精霊教なら、裏の正義は死霊教なのである。老いない体、強力な邪法の力。妖しい魅力に取り憑かれ入信する者は後を絶たない。

 トレドが死霊教の存在を知り、店主と関わりを持つようになったのは全くの偶然だったが、ノーヴァー連合国の有力な商人達は大抵死霊教と関わり、持ちつ持たれつの関係にある。連合国は三国(教国、帝国、連合国)の中では最も精霊教に対する信仰心が薄い。一応国教は精霊教だが、祈る暇があれば商売をするのが連合国の国民性。儲け話があれば善悪は重視しない。商人は死霊教徒、もしくはゾンビに物資を横流ししたり、精霊教の目から匿ったりし、代わりに死霊教は商人の依頼で邪魔者を消したり、商売敵の弱みを探ってきたりする。

 死霊教を支援した結果人間が滅びたらどうするんだ? という問題はあるものの、いざとなれば精霊様がなんとかしてくれるさ、というのが密かな共通認識だった。商いをしていれば清いだけではいられない。

 トレドの場合、金銭の支払いを対価にある程度の情報を受け取っている。

 正式に何か死霊教と取引契約を結んだ訳ではないし、トレド本人が権力を持っている訳でもない。仲が良いとは言え、店主は人の道から転がり落ち深淵から腐った手で善良な人々の足を引く者で、トレドは死霊教に入信していないただの人間に過ぎない。故に取引ではいつも神経を削る。何かを間違えて「まずい」情報を引き出してしまったが最期、翌日には変死体になっている事だろう。そうでなくとも知らぬ間にトレドの何かが死霊教にとって超えてはいけない線を越え、危険と看做され、殺される可能性もある。死霊教から情報を得る時は聞きすぎてはいけない。聞かなさ過ぎても意味が無い。アウトラインを見分けるのが難しい。

 勿論、それほどの危険を冒す価値はある。普通の情報屋では決して手に入らないような情報がゴロゴロ転がり出てくるからだ。

「さて、何を聞きたい?」

 索敵を終えた店主は椅子を引き寄せてトレドの隣に座り、カウンターに気だるげに片肘をついた。トレドは黙って空になったグラスを置き、その中にシアン金貨を一枚指で弾いて入れた。店主は眉をちょっと上げてそれを見たが、特に何も言わなかった。

「不思議な店の噂を知ってるか?」

「……ははーん。さてはお前さん、なんとかあの店を自分トコの商会に組み込めないかって考えてるね?」

 死霊教の中でも地位が高い役職である司祭を務めるだけあり、店主は有能だ。出だしだけでトレドの目論見を看破した。まあトレドの立場や、これまでやってきた事を考えれば推測はそこまで難しくもない。単刀直入に聞く事にする。

「可能か?」

「無理だね」

 一刀両断された。思わず口が半開きになる。

(虎の子の金貨が水の泡……いやまてふざけんな。いきなり突っぱねられたぐらいで諦められるか)

「話せる範囲で理由を頼む」

「馬鹿言うんじゃないよ。そんな事したらどこまで話したかで何を話したらまずいか分かっちまうだろう? もっと具体的に聞きな」

 ぐっと詰まった。もっともだ。しばし躊躇い、一歩目でギリギリの所まで踏み込む事にする。

「死霊教の店なのか?」

「いいや、違う」

 ホッと息を吐く。最悪の事態は避けられそうだ。

「精霊関係の店なのか? 繁盛されると死霊教にとって不都合?」

「それも違うね」

 あっさり言われて困惑した。死霊教がらみでも、精霊がらみでもない。しかし忽然と現れたり消えたりする現象は明らかに光陰どちらかの魔法勢力が関係している事を示しているはずなのだが……

 そこでふと気付いた。魔法は精霊魔法、死霊魔法とは別にもう一つある。

「古代魔法関係か?」

「店が消えたり現れたりするのは古代魔法、かねえ」

 古代魔法というのは、精霊を創った古代人達が行使したという強力な魔法だ。古代文明の滅亡と共に失われ、ビルテファ王国が一度は復活させ、帝国に受け継がれたが、アンデッドによって再び闇に葬られてしまった。最も著名な使い手は大魔法使いエマーリオ。彼はたった一人で五千人の兵を討ち破ったという。それだけ途轍もない魔法なのだ。

「古代魔法は失われたんじゃなかったのか?」

「正確には違うね。使い手はまだいる」

「…………」

 魔王はかつて己を封印した古代人達が用いた古代魔法の存在を警戒したからこそ、帝国の古代魔法を抹消した。少なくとも有識者の間ではそういう見方がされている。まだ使い手が残っているならそれも消そうとするはず。そうしないという事は現存する古代魔法の使い手、不思議な店の関係者は魔王側、とも考えられる。しかし不思議な店は死霊教の店ではない……この矛盾に説明をつけるとすれば。

「第三勢力」

 トレドの呟きを聞いて店主は愉快そうに笑った。

「頭が回るのは結構だけどね、口には気をつけなよ。こっちはこっちでお前さんがどこまで実態を掴んでるか探ってるんだからさ。あんまり賢い所見せ過ぎると明日の朝日拝めないかもよ?」

「うげ、やっぱそうなのか。やめてくれよホント」

「アハハハハ」

 トレドは身震いした。店主は気楽そうに笑う。

 よく顔は笑っていても目が笑っていない、という表現があるが、店主の場合真実心の底からの笑みを浮かべていた。いくら仲が良かろうと、店主にとってトレドの生死は冗句の延長線上にある程度のものなのだ。

「あの店も問題はちょっと繊細でね。ここで聞くよりあの店の店主に直接聞いた方が良いね」

「それは良いのか。でも店の場所がわからん」

 店主は指先でカウンターを叩いた。舌打ちし、シアン銀貨を一枚グラスに弾きいれる。すると店主は突然立ち上がって虚空に一礼し、丁寧な口調で言った。

「話はお聞きになられていたかと思いますが。情報の開示は可能でしょうか? ……はい。……はい、分かります。……はい。了解致しました」

 店主は胸の前に右手の握り拳を当て、もう一度深々と一礼してからストンと椅子に腰を下ろす。それからカウンターに置いてあったメモ帳から一枚紙を破り取り、サラサラと地図を描きはじめた。トレドの全身から血の気が引く。

「い、今のは?」

「名状し難き者。良かったねえ、まだ生かして下さるってさ」

「いるのか? そこに」

「いらっしゃるさ。腐臭漂う深い水底、染みがついた部屋の暗がり、夜の星々の光の陰から、あの方々はいつでも私達を見ている」

 店主のどこか恍惚とした声を聞きながら、トレドは気が気ではなかった。店主が虚空に語りかけたあたりから何か得体の知れない圧迫感を感じる。知らぬ間に息は荒くなり、全身にまとわり付く不吉な何かから身を守ろうと無意識に体を縮めた。店主は地図を描きながらトレドを―――あるいはトレドにねっとりと絡みつく不可視の何かを―――チラチラ見て、唇を吊り上げニンマリと冒涜的な笑みを浮かべている。鳥肌が立った。吐き気がする。

 今すぐ椅子を蹴飛ばして立ち上がり、出口に向けて逃げ出したい衝動に駆られたが、店主はまだ地図を描く手を止めない。わざとゆっくりと描いている気すらしてきた。

 五分か五十分か、拷問の様な時間を経て、ようやく店主はペンを置いた。それと同時にふっと圧迫感が消える。急に消えていた体の感覚戻ってきたような気がして全身から力が抜けた。震える手で地図を受け取る。

「魅入られたのか? 俺は」

「さあ? 入信すれば分かるんじゃない」

「勧誘やめろ。真面目な話、憑かれてないんだよな? 大丈夫だよな?」

「今夜無事に過ごせれば、ね」

「おい馬鹿やめろ。やめて下さい」

「アハハハハ。なーに、身を委ねれば楽になる」

 店主ははぐらかすばかりではっきり答えない。トレドは追求を諦め、地図に目を落とした。今トレドがいる街の南西区画の地図と、×印、三日後の日付が描いてある。

「この日にここに行けば良いのか」

「そうそう」

 これは不思議な店と死霊教に関わりがあるから分かった事なのか、別の方法で探った結果分かった事なのか。どちらにせよ不思議な店の裏には当初思っていたよりも更に大きなモノが蠢いているようだ。

 知りたがりは早死にすると言うが、目と耳を塞いでいれば良いわけでもない。リスクは元より承知。トレドは地図を懐にしまって立ち上がった。

「助かった」

「いえいえどーも。飲んでくかい?」

「いや、帰る。これ以上居座ってたら命幾つ合っても足りない予感がするんでね」

「賢明だね」

 トレドは出口のドアの鍵を開け、陽光の下に出た。眩しさに目を細める。入店した時よりも世界が色鮮やかに見えた。今心臓が脈打っているのが途方も無く有難くかけがえの無いものであるように感じる。

 挙動不審気味に時折後ろを振り返りつつ、トレドは三徹明けのようにずっしりと疲れきった体を引き摺りながら宿へ戻った。












 三日後の朝までトレドは宿屋の自室に引きこもり、終始アンデッドの影が無いか気を張っていた。まどろみかけてはハッと覚醒し、ベッドの下の暗がり、窓の外を歩く人の気配、屋根や天井が軋む小さな音に怯えていた。食事は携帯食で済ませ、部屋から一歩も出ていない。警戒したお陰か、始めから警戒の必要などなかったのか、とにかく憔悴しきってはいたものの、トレドは五体満足で生きていた。

 三日ぶりにトレドが部屋から出て宿屋の受付に顔を見せると、女将が驚いた。

「あれまあ、ちょっと見ない内にやつれちゃって! 一体どうし……」

 女将はそこで言葉を切り、疑わしげな顔をした。

「……手、出してごらん」

「いや、俺は生きてる。生きてるんだ」

 ぶつぶつと自分に言い聞かせるように呟くトレドの手を強引に引っ張り、女将は脈をとった。数秒間を置き、バツが悪そうに悪かったね、と言って手を離す。

 女将はトレドがアンデッドになっていないか確認したのだ。精霊に判別してもらわずとも、こうして直接確かめれば判別はできる。もちろん、相手が唾棄すべき亡者である事を疑い、確かめる行為であるから、確かめる事自体が凄まじい無礼、侮辱に当たる。簡単にやっていいものではない。

 しかし三日も姿を見せず、生気の無い目をして現れたのだから、確かめたくなるのも道理だ。トレドもそれが分かっていたので、不快には思ったが怒りはしなかった。

「腹減った。朝食まだありますかね」

「あるよ。暖めなおさないといけないからちょっと時間かかるけど、どうする?」

「お願いします。顔洗ってくるんで」

「はいよ」

 トレドはフラフラと裏口から出て、井戸から釣瓶で水を汲み、顔を洗った。

「あ゛ー……」

 呻きながら何度か頭に冷たい水をかけ、洗う。井戸の縁にかけてあったボロ布で顔を拭うと、大分頭がスッキリした。

 三日経って何事もなければ大丈夫だという事だろう。賭けに勝ったのだ。あとは最低限ベットした分を取り戻せれば良い。

 朝食をたらふく食べ、幾分血色が良くなったトレドは、櫛で髪を整え、目立たない程度に仕立ての良い服を着て宿を出た。ここからが本番だ。苦労して調べをつけただけあり、自然気合も入る。店主は無理だと言っていたが、それをどうにかするのが商人というものだ。

 地図を頼りに大通りを行き、小道に入り、曲がりくねった路地を抜け、寂れた通りに出る。元は活気のある通りだったのだろうが、今は見る影も無く、閉じている店がほとんどだ。その中の一軒、永久改装中の店の前で立ち止まった。こじんまりとした店で、入り口のドアには看板が最近外されたような跡があった。新しい看板はかかっていない。

 ゴクリと息を飲み。トレドはドアを押し開けた。

「いらっしゃいませ」

 のんびりとした声が入店したトレドを出迎えた。カウンターの向こうで、金髪碧眼、長耳の青年がニコニコしている。

 トレドは驚いて一瞬固まった。

 確かに不思議な店にまつわる噂の中に、店員の耳が長かった、というものはあった。それは精々「ああなんだか長いな」という程度のものだろうなと思っていたのが、確かに一目で分かるほど長かった。

 一体この店員は何者なのか? 興味が沸いたがぐっと堪える。いきなり根掘り葉掘り詮索するのは得策ではない。トレドはそ知らぬフリをして尋ねた。

「ああ、なんだか人の気配がするんで入ってみたんだがね。この店は営業中かな?」

「はい。実は開店初日なんですよ。お客様はあなたがはじめてですね」

 青年は笑顔を絶やさず答えた。

「ほー。何を扱っているんだ?」

「音楽に関するものを」

「楽器か? 譜面か?」

 店内を見回すが、店の壁際の長テーブルには小さな箱が並んでいるだけで、楽器も譜面も見当たらない。

「それもありますが」

 店員はカウンターから出てくると、トレドの傍にあった小さな箱を手に取り、側面についていた取っ手を引っ張った。途端に箱からチンチロと軽快な音色が漏れ出す。それは確かに音楽だった。

「なにい!? なんだこれは!」

「これは『オルゴール』と言います。ネジを巻いてこの取っ手を引いておけば特定の音楽を勝手に演奏してくれます」

「中に―――」

「―――誰もいませんよ。小人が入って演奏しているわけではありません。カラクリ仕掛けの演奏楽器だと思って下されば」

 いきなり売れば一財産になる商品を見せられ、否が応にも興奮が高まる。このような切り口のカラクリは見たことが無かった。水を利用した演奏機や、ハンドルを回して音を出すカラクリは見たことがあったが、どれも大人の背丈より大きいほど大型で音も良くない。これほど小型で美しい音色を出すものをトレドは知らない。

「幾らだ?」

「それは50,000シアンですね」

「シアン? シアン硬貨の事か?」

「はい」

 シアン硬貨で取引をする店らしい。トレドは巾着から銅貨六枚に銀貨一枚、ありったけを出して渡した。

「足りるか?」

「いえ、申し訳ありませんが48,940シアンの不足です」

 硬貨を数えて言った店員に違和感を覚える。シアン硬貨は普通硬貨の枚数で数えられる。シアン金貨何枚、シアン銀貨何枚というように。この店員のくちぶりはそうではなく、まるでシアンという金銭単位があり、硬貨をその基準で換算しているかのようだ。

「マニーをお持ちなら両替致しますが」

「ああ、頼む」

 5,0000シアンに対して銀貨一枚と銅貨六枚を出して48,940シアンの不足だから、銀貨一枚と銅貨六枚で1,060シアンになった訳で、と暗算しながら手持ちのマニーを全て渡す。はかりを出してマニー硬貨を数える店員を横目に計算を続けた。恐らく銀貨一枚1,000シアン、銅貨一枚10シアン。銅貨百枚で銀貨一枚……

「ん?」

 おかしい。銅貨一枚650マニー、銀貨一枚90,000マニーが相場だ。650マニーの百倍は65,000マニー。どう考えても計算が合わない。

 首を捻っていると店員が盆に載せてマニーを両替したシアン硬貨を差し出してくる。トレドは口をぱっくり開けた。出したのは170,000マニーほど。800,000マニーで金貨一枚だから、銀貨数枚と銅貨数十枚でなければおかしい。ところが盆に載っているのは金貨で、その枚数はどこからどう見ても、

「三十枚以上あるよな……レートおかしくないか?」

「はい? えー、と……いえ、正規のレートですが?」

 店員ははかりにもう一度盆を乗せ、目盛りを確かめて首を傾げた。トレドは頭を抱える。わけがわからない。両替しただけで所持金が百倍以上になってしまった。

 苦悩するトレドを不思議そうに見ていた店員は、何かに気付いたようにポンと手を打った。

「ああ、最近シアン硬貨も外国に出回ってきてるみたいですからね。交換レートが違うんでしょうね」

「違いすぎだろ……いや待て、外国?」

「はい。シアン硬貨は私達の国、エルフィリアで発行されたものですので」

 店に入ってから驚愕の連続だ。驚くトレドの顔を見て店員も驚いていた。

 シアン硬貨と不思議な店。まさかこんな繋がりがあったとは。

「シアン硬貨は金貨も銀貨も銅貨もその……」

「エルフィリア」

「エルフィリアで鋳造されてるって事なのか? 今? どこかの遺跡で発掘されたのではなく?」

「はい。正確には金貨、銀貨、銅貨ではなく炎貨、火貨、灯貨ですが」

「エルフィリアなんて国聞いた事ないぞ」

「東の森にある国です」

「はぁああああああああああ!? あんな危険地帯に国があるわけ……ああ……いや、まあ……それなら分からなくもないような」

 毒蛇に猛獣、触るだけで火ぶくれができる危険な植物、冬にこれでもかと降り積もる深い雪、政治経済の中心から離れた立地。東の森は人が住むのに適した場所ではない。この耳が長い人間達は、ずっとそんな、普通の人も、アンデッドすらも寄り付かない森の奥深くに隠れ住んでいたのかも知れない。古代魔法を携えて。暗闇で仄かに光る不思議な硬貨も、古代魔法を使って鋳造したものと考えれば納得できる。

 何故最近になって現れるようになったのかは分からないが、アンデッド達も手を出しあぐねているに違いない。

「……失礼ですが、あなた方は精霊やアンデッドと関係があるのでは?」

 敬語に変えて思い切って聞いてみると、店員は困ったように頭を掻いた。

「あー、はい、私達の種族は……エルフというのですが、精霊に近い存在ですね。古代魔法も使えます。でも精霊ほど積極的に魔王を倒そうというのは……なんといいますか、不可侵条約を結んでいるような状況でして」

 トレドは相槌を打つ。少なくとも不可侵条約を結べる程度には拮抗した力関係にあるという事だ。ポロポロと重要な情報が出て来てクラクラしてきた。

「こうして陰で商売をさせて頂いていますが、あまり表立って精霊と魔王の戦いに関わるのは」

 トレドは黙って続きを促したが、店員はもごもごと口を動かすだけで喋らない。

「……すみません、これ以上は」

「ああいえ、すみません。不躾でした」

 頭を下げあう。店員はホッとした様子で気を取り直して商品を薦めてきた。

「こちらの小さなオルゴールは短い曲ですが、全てそのオルゴールと同じお値段となっています。三つお買い上げ頂くと一割引にさせていただいています。そちらの大きめのオルゴールはスイッチの切り替えで二曲楽しめるオススメの品です。少々値段は張りますが、二曲ともエルフィリアで今人気の曲でして」

 セールストークを聞いている内にトレドは本来の目的を思い出していた。本来の目的に沿って行動するならば、このエルフと、同じように店を開いているであろう他のエルフ達を商会に勧誘すべきなのだろう。古代魔法を使う事ができ、世にも不思議な硬貨の鋳造も可能とする。他にも何が飛び出してくるのか分からない。独占取引の契約を結べば商会の発展どころか一国の支配すら可能になるに違いない。

 しかしここでエルフを引き込んでしまうと、死霊教と敵対する事になりかねない。あの店主の皮を被った死霊教司祭が「商会に組み込むのは無理」と言った理由が分かった。中立の立場にあるらしいエルフを表舞台に引っ張り出せば、そのままアンデッドと全面戦争も有り得る。戦争は上手く乗れば良い金蔓になるのだが、準備が足りない。根回しも済んでいないのにトレドの判断だけで今すぐ戦端を開くような事をしてしまう訳には行かない。

 準備を行ってからならどうか、と言っても、死霊教の情報網を持ってすれば簡単に準備を整えている事を察知されてしまうだろうし、察知されれば邪魔をされない訳が無い。更にエルフの説得も必要だ。その説得材料もなく、説得材料を探すのも難しく思える。

 自分の手には負えない案件だとトレドは判断し、今回知りえた事は胸の奥にしまっておく事にした。

 手間隙かけた物事でも、損益の方が大きいとなれば執着せず潔く身を引く事が出来るのも商人の資質の一つだ。

 不思議な店を商会に組み込むのは無理だったが、両替だけで元は取れている。今はシアン硬貨は希少価値もあり高値で取引されているが、出元の交換レートと差がありすぎるし、流通量も増えていくだろう。恐らく今後価値は下がっていく。それぐらいなら兄に知らせても大丈夫だろう。それが分かっただけでも大きな収穫だ。オルゴールの仕組みを調べて複製できればそれも相当な儲けになる。

 結局トレドはオルゴールを四つだけ買い、店を後にした。

 数年後、このオルゴールの劣化複製品は市場を大いに賑わせる事になる。

 不思議な店のエルフ達は物見遊山を兼ねた出稼ぎに来てるだけです。出店許可だの入国許可だのショバ代だの同業ギルドとの折衝だののゴタゴタが面倒でコソコソ経営中。店が消えたり現れたりするのは魔法で移動しているだけ。



連合国の通貨単位。1マニー≒2.5円

1シアンは1円。




【魔王】

 最高権力者。アンデッドの親玉。魔王の命令は絶対である。マホウ大陸最果ての北の山脈にある魔王城に居る。


【司教】

 リッチとなり、魔王の命を受けて一つの街での策謀を取り仕切る。アンデッドは精霊に判別されてしまう(という設定)ため、精霊使いとの遭遇を避けるために表社会から姿を消し、地下に身を潜める。


【司祭】

 助祭の中でも信仰心が篤く、有能で、魔力密度が高い者が選ばれ、黄金の蜂蜜酒(ムスクマロイの抽出液を混ぜた蜂蜜酒を飲んで魔力覚醒する事によって成る。アンデッドではないため、精霊には判別されない。策謀の実行犯は大抵司祭である。


【助祭】

 アンデッドの手引き、精霊教への妨害工作、情報操作、各種根回しを行う。司祭やアンデッドの手助け、計画の下準備が主な仕事。


【信徒】

 一般的な死霊教徒。日ごろから情報収集をし、集会に参加した時にそれを提出する。異教徒なら家族すら売る。


【名状し難き者】

 ウィスプの隠語。闇に潜み、精霊の目を掻い潜って情報を集めている(という設定)。決まった形はないが、どの個体もおぞましい姿をしている。


【墓に群れる者】

 犯罪者上がりのリッチ、ゾンビを指す隠語。アンデッドと言うと彼等を指す事が多い。立場的には司祭より上、司教より下。しかし司祭よりも使い捨ての手駒にされやすい。

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[一言] シアン硬貨を無意味に流出させちゃってるぞ。。。
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