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ノーライフ・ライフ  作者: 黒留ハガネ
二章 蠢く者達
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二十三話 勇者のくせになまいきだor2

 山に入って三日目、どんよりとした曇りの日。低木が疎らに生える台地で、討伐隊の只中にアンデッド達が突如空から次々と降ってきた。大部分がスケルトンで、着地の衝撃に耐えられず自壊しカラカラと骨を散乱させたが、瞬く間に再生し討伐隊に襲い掛かる。

 前日の反省を生かし、討伐隊は地中にアンデッドが潜んでいないか警戒しており、意識が下に向いていた。そこを突いた見事な奇襲だった。魔法使いが混乱しながら空を見上げればそこには無数の名状しがたき姿をした者が飛び回っていた。魔法を使う実体のない怨念の亡霊、ウィスプである。ウィスプがスケルトン達を上空に運び、落としたらしい。曇り空のせいで影が分からなかった。

 襲撃された地点が比較的歩き易い台地であり、隊列を太くしていたのも災いした。隊列のド真ん中に落着したアンデッドが内側から牙を剥く。

 完全に奇襲を決められ討伐隊は度肝を抜かれて混乱し、たちまちの内に十数人が斬り殺され、百人以上が負傷した。

 スケルトンは切られても即座に再生するため、同士討ちが同士討ちにならず、密集地帯でもあたりかまわず縦横無尽に武器を振り回す。対して帝国の戦士達は同士討ちを恐れて思うように動けなかった。白骨の亡者達の身体が返り血で赤く染まる。剣を振るうたびにカタカタと鳴る骨の乾いた音は、まるで歓喜の声のようだった。

「散開ッ! とにかく広がれェ! 味方の邪魔にならない間合いをとれ! 魔法使いと精霊使いは自分の身を守ってろ!」

 混乱の最中、剣と剣がぶつかり、怒号が飛び交う戦場でも一際よく通る皇帝の大声が討伐隊を叩いた。ここまで混乱している状態で複雑な命令を出しても混乱を助長するだけだ。簡潔な指示は速やかに討伐隊の頭に染み込み、実行された。

 混戦になってしまうと魔法使いは弱い。目まぐるしく位置が変わる敵と味方に正確に魔力を伸ばして魔法を発動させるのは至難の技だ。タイミングがズレれば味方を纏めて吹き飛ばしてしまう。王国時代の熟達した魔法使いならいざしらず、帝国の魔法使いは手探りで十数年しか魔力操作を訓練していないため、大群をまとめて吹き飛ばす大雑把な魔法は使えても小規模な魔法を的確に使う能力がなかった。

 精霊使いは精霊がある程度自動的に照準をアンデッドに向けてくれるので魔法使いよりは誤射をしにくいが、それでも攻撃に味方を巻き込んでしまう可能性は高かった。精霊使いの多くが最近精霊と契約するまで一般人だった者で、乱戦で冷静に動けるほど訓練を積んでいない、という理由もある。

 従って魔法使いと精霊使いに徹底防御を命じた皇帝の判断は正しいと言えるだろう。強力な戦力でも使い方を誤れば害悪にしかならないのだ。

 魔法使い・精霊使いと同様に弓使い達も予備の剣を抜いて慣れない剣技でアンデッドの猛攻をこらえていたが、シモンだけはやはりと言うべきか、弓を構えて戦場を走り回り、器用に間合いをとりながら機械じみた正確さでアンデッドに矢の連射を叩き込んでいた。

 ハンスは戦士達の中でも際立って多くのアンデッドを屠っていた。正確無比で強烈な剣撃がスケルトンを砕き、ゾンビを斬り捨てていく。鈍重でもないが決して軽いとは言えないチェインシャツに厚い毛皮まで着ているというのに驚くほど敵の攻撃は当たらなかった。

 しかし敵が大方片付き、混乱も収まり掃討戦の様相になってきた頃、不意にハンスはざわめきを感じて飛びのいた。次の瞬間ハンスがいた場所で小爆発が起き、余波で肩を焼いた。爆風と衝撃でよろめくが、それすらも利用し、勢いにのせてスケルトンに回し蹴りを放って粉砕する。今は亡きエカテリーナに魔法使いとの戦い方を学んでいなければ即死だっただろう。

「リッチがいるぞ!」

 ハンスが警告を発し、その場を離れる。魔力の射程から離れなければならない。ゾンビの魔法使いであるリッチは同じ魔法使いか精霊使いがなんとかするだろう。

 ハンスは右肩に火傷を負ったまま平然とアンデッドが全滅するまで戦い続けた。










 その夜、ハンスはテントの中で魔法使いに治療を受けていた。重度の火傷で赤黒く焼け爛れ、垂れ下がった皮膚を切除し、水で洗い流した所に隻腕の魔法使いの治療魔法をかける。治療中ハンスは眉を少し潜めただけで、呻き声一つ漏らさなかった。

「こんなものでしょう」

 魔法使いは魔法で出血を止めた肩に包帯を巻いて言った。ハンスはぐるぐると肩を回し、ふむ、と呟く。

「完治までどの程度かかる」

「あー……いえ、私は医者ではないのでちょっと……」

 魔法使いは気まずそうに頭を掻き、そそくさとテントを出て行った。

 魔法使いの治療に勉学は必要ない。魔力で患部を包み、回復のイメージで魔法を使うだけで良い。従って医術の心得が皆無にもかかわらず高度な治療を可能とする奇妙な状況が発生する。本人も何をどうして怪我を治しているのか分かっていないのだ。だから完治までの時間も分からない。

 ハンスは腰の剣を鞘に入れたまま怪我をした方の腕で数度振り回し、調子を確かめる。多少痛みはあるが普通に戦えそうだった。常人なら激痛のあまり息ができなくなるほどの痛みなのだが、そこはハンスだから仕方ない。

 一通り肩の調子を確かめたハンスが脱いでいた軍服と毛皮のコートを着直していると、テントの入り口の布を潜って皇帝が入ってきた。皇帝はハンスが立ち上がって敬礼しようとするのを手で制し、楽にしろと言う。

 皇帝は口ひげを手でしごきながらじろりとハンスを見た。

「怪我をしたと聞いたが?」

「かすり傷です」

 皇帝は背筋を正し澄ました顔で即答したハンスに歩み寄り、肩を小突く。ハンスの体が一瞬硬直した。それを見抜いた皇帝はできる限り優しい音を出そうとしてもっと怖い音になってしまった野獣のような声で言った。

「無理をするんじゃない、後方に下がっていろ。その肩で武器は使いにくいだろう。お前の活躍が無ければ被害は三倍になっていた。お前は今日だけでも充分に働いた。今は休め」

「……………………………………………………………………………………………………了解しました」

「悩みすぎだろう。いや、まあいい。俺が許可するまで出撃は許さん。安静にしていろ」

 皇帝はそれだけ言って去った。ハンスの暴走癖を知っていて、釘を刺しに来たのだ。怪我をした優秀な兵を無理に使い、使い潰してしまうのも馬鹿らしい。休ませる時はしっかり休ませるのは用兵の常識だった。

 が、ハンスは存在自体が非常識であり……

 ハンスが負傷した翌日と、そのまた翌日は襲撃も無ければアンデッドの影も見えなかった。アンデッドが二日連続で襲撃をかけてきたためこのまま魔王城まで連戦か、と覚悟していた討伐隊は肩透かしを喰らう。

 山の奥に進むにつれて深くなる雪の中にアンデッドが潜むのを警戒し進む討伐隊は気を抜いてこそいなかったが、その分精神的疲労がたまりはじめていた。

 特に訓練を受けたわけでもなく、これが初めての実戦という者も多い精霊使いの顔色は特に悪い。慣れない気候、質素な食事、張り詰めた空気、いつ来るとも知れない襲撃への恐怖。連日アンデッドが襲ってくれば逆に覚悟を決める事もできただろう。しかし襲撃に間が空くと、その分嫌な想像も膨らみ緊張感を保つのにも気力を使う。

 よくない傾向だ、と列を成して渓谷を進む討伐隊の後方でシモンは苦い顔をした。士気が落ち始めている。まだまだ十二分に侵攻を継続できる戦力は保っているが、果たしてこのまま魔王城までたどり着けるかどうか。討伐隊二千人は死亡・重軽傷者を除いて約千八百人に減っている。対するアンデッドは何人いるかも分からない。襲撃が止んだのは手駒が全て倒されたから、と考えるのは楽観的に過ぎる。精霊達によれば、過去に魔王は地平線を埋め尽くすほどの死者の軍勢を率いていたのだ。完全に復活していなかろうが、魔王がこの程度の数しか手駒を用意していないとは考えにくい。それに「ウィスプ」と呼ばれる不可視のアンデッドがいる筈だが、未だに姿を現していない。ここぞという時に使うために温存しているのだろう。

 シモンはこの二日間の沈黙が大攻勢の前の準備期間である事を推察していた。

 一方ハンスは「明日大攻勢がある気がする」と思っていた。









 魔王が潜む山の奥に向かって進軍する事六日目、再び襲撃があった。両側を崖に挟まれた、幅五ミールほどの道だった。崖の上から転がり落ちてきたアンデッドの群に討伐隊は即座に対応した。

 上方向に魔力を伸ばしていた魔法使い達が不可視のハンマーで降り注ぐアンデッドを纏めて殴り飛ばし、戦士達は盾を上に向けて構え、二人一組で背中合わせになった。

 降り注ぐアンデッドの土砂降りから身を守った討伐隊は、すぐさま着地したスケルトンやゾンビへの攻撃に移る。が、

「首がない!?」

 戦士の一人が驚愕の声を上げた。彼が剣を打ち合わせていたのはゾンビだったが、ソレははじめから首から上がなかった。ゾンビは首を刎ねれば動けなくなるはずだ。にも関わらずこいつは動き、自分に向かって棍棒を振り下ろしている。一体なぜ―――

「ぐあっ!」

 戸惑いが硬直に、硬直が隙に変わる。首無しが振り下ろした棍棒は戦士が掲げた剣を常人離れした怪力で持って押し込み、頭蓋骨を強かに打ち据えた。前かがみになり、苦悶の声を上げる戦士の鳩尾に追撃を放つ首無し。戦士は激痛と共に肋骨が砕ける音を聞き、剣を取り落としてそのまま意識を失った。

 戦場のそこかしこで同じような光景が見られた。首無しのアンデッドは棍棒を振り回して荒ぶり、戦士達を手当たりしだいに殴り飛ばしていく。棍棒を受け止めた盾はひしゃげ、剣は折れ、槍はくの字に曲がった。受け流そうとしても刃こぼれしたり歪んだりで武具が痛む。首無しはゾンビと比べて格段に強かった。

 アンデッドは心臓を貫いても死なず、毒を盛っても死なない。故にゾンビとリッチは首を刎ねて殺す。スケルトンは何度も砕いて殺す。では首がはじめから無いゾンビはどうすれば良い?

 困惑する戦士達。力で負けていても技で勝てる者は良かったが、力でもってのし上がってきた者は首なしの力に押し負け、屠殺される豚のような鳴き声を上げて叩き潰されていく。血飛沫と怒号が飛び交う戦場で、死者は生者を地獄に引き摺り降ろしていった。

 シモンは首無しに数本矢を放ち効果が薄いと判断するや、すぐさまゾンビ掃討に切り替えていた。ゾンビを減らせばその分戦士達が首無しを相手にする余裕ができる。シモンが次々と放つ矢は乱戦の中でさえ魔法のような正確さでゾンビの頭に吸い込まれ、貫く。着々とスコアを上げていくシモンはバックステップで正面から掴みかかってきたスケルトンをかわし、近くにいた剣士に目線で相手を任せるように合図して後ろに下がった。

 シモンが次の矢を番え、さてゾンビはあと何体か、と周囲を見回すと、覆面の剣士が首無し二体を同時に相手取っているのを見つけた。覆面の剣士は首無しの棍棒を巧みにかわし、ドつき、体当たりをしてバランスを崩し、片方の首無しの肩を掴んで体を入れ替えもう一方の首無しに盾にした首無しの右腕を斬らせ、その勢いに乗って余った手足を斬り落として無力化していた。芋虫にされたアンデッドはもぞもぞと転がるだけで何もできなくなっている。

「……隊長? 間違いなく隊長ですね、あれは」

 イキイキとアンデッドを狩る剣士を見てシモンは確信した。後ろに目がついているかのようにひょいひょい攻撃を避け、暴風のように敵を叩き斬るあの姿はハンス以外有り得ない。

 覆面の剣士が膂力の差を物ともせずばったばったとアンデッドを薙ぎ倒していく勇ましい姿に鼓舞され、討伐隊の猛反撃が始まった。精霊使いと魔法使いも乱戦に慣れてきたのか、一部の者が土を操り、風を吹かせ、アンデッドを氷漬けにして援護する。

 アンデッドの数が減ると崖上から岩石落としが行われ幾人が潰されたものの、二時間強の戦いの末になんとかかんとかアンデッドの撃退に成功した。

 









 精霊も知らない種類のアンデッドの出現は、討伐隊に少なからぬ衝撃と損害を与えた。

 今回の戦いでの死傷者・行方不明者は百七十人に上り、討伐隊は千六百人弱にまで削りとられた。一般的に軍は兵力損耗率三割で全滅、五割で壊滅、十割で殲滅と判断される。損耗率三割で全滅なのは、通常兵数の三割を失うと軍としての機能を維持できなくなるからだ。例え七割が残っていようが組織的に行動できなければ烏合の衆となり、寡兵に容易く打ち破られたり、内輪もめを起こし内部分解したり、碌な事にならない。従って、全滅した軍は一度後方に下がり、軍を再編し組織として立て直すのが常識だ。

 討伐隊は二千の兵で進軍を開始し、現在は千六百人(慰安婦や荷駄運びの人員は入山時に帰っている)。入山六日にして兵力の二割が失われた計算となる。まだ魔王城までの道程は半分以上残っており、このペースが続けば全滅は必至だった。

 討伐隊に大損害をもたらした首無しは精霊によって「デュラハン」と命名された。古代語のようだが意味は不明である。デュラハンは怪力を特徴とするアンデッドで、かつて古代文明が滅びた戦いでは存在しなかった。つまり魔王は復活しきっていない今でさえ新たなアンデッドを生み出し、操っているという事だ。早く討たなければ人類がどうなってしまうのか想像するのも恐ろしい。

 皇帝は渋面を作りながら野営テントの群の中を大またで歩いていく。良くない。実に良くない。

 精霊使いと魔法使いが思ったより使えなかったのが最大の誤算だった。精鋭隊、戦士隊と比べ、魔法使いの練度は低く、精霊使いの練度はそれに輪をかけて低い。付け焼刃の訓練でこの討伐隊に参加した者、これが初めての実戦だという者すらいた。力があってもそれを使いこなせていないのだ。連携がとれているとも言い難い。それぞれ邪魔しないように動いてはいるが、協力できていない。

 更にアンデッドの数が想定していたよりも多いのも問題だった。いや、人間のアンデッドは予想していた数を越えていないのだが、動物のアンデッドの数が予想を越えていた。熊のアンデッド、オオカミのアンデッド、ネズミのアンデッド。魔王はアンデッドにできるものならなんでも使うつもりのようだ。これは先ほどの報告で知ったのだが、倒したスケルトンの骨を調べた所、爪の先や肘などが鋭利に削られていたという。奴らは体そのものを武器にしているのだ。そのせいで、たかが骨と侮り負傷した兵が幾人もいた。

 皇帝が眉根を寄せながらテントの中に入ると、足に包帯を巻いたハンスが口笛を吹きながら剣の手入れをしていた。皇帝は呆れ返る。

「休んでいろと言ったろうが」

「は。休んでおりましたが」

 ハンスはシレッと言った。簡易ベッドの上にある汚れた覆面を後ろ手にシーツで隠そうとしているが、丸見えだ。

「嘘をつくな。ではあの覆面の剣士は誰だったと言うつもりだ? その足はどうした?」

「覆面の剣士? はて、皆目見当もつきませんな。足は躓いて転びました」

「お前という奴は……」

 あまりに杜撰な誤魔化し方に皇帝は嘆息した。

「まあ、良い。お前の活躍で被害が減ったのも確か。ゆっくり休め。俺が許可を出すまで今度こそ出撃するなよ。絶対するなよ。肝心の魔王討伐の時に怪我が悪化して参戦できないのでは本末転倒だ」

「は。了解しました」

 嫌に素直なハンスを皇帝は胡散臭そうに見ながらも、それ以上何も言う事なくテントから出て行った。

 ハンスはそれを見送ってから、足でぐっぐっと地面を踏みしめ、うむ、と頷いた。

 問題なく出撃できそうだった。









 その精霊使いの名をニパと言った。彼女は風の精霊シルフと契約している、二十歳になったばかりの帝国人だ。紫の髪をショートカットにしていて、瞳は青。祖母がビルテファ王国の出だったらしい。

 ニパは緑のマントを体にピッタリと貼り付けて丸くなって横になり、テントの中で雑魚寝していた。しかし目はぱっちりと開いている。

 最初の戦いで、ニパは運悪く魔法使いが放った火球の弾幕に巻き込まれたのだが、運良く密度が薄い所にいたのでローブがこげるだけで済んだ。

 二度目の戦いでニパは運悪く振ってきたアンデッドに頭を踏みつけられて昏倒したのだが、運良くトドメを刺されず気がついたら戦いが終わっていた。

 三度目の戦いでニパはウィンドカッターを使い、デュラハン一体とゾンビ四体、リッチ一体を倒す大戦果を上げた。運悪く崖の上から落ちてきた岩石の下敷きになったが、運良く岩の隙間に入ったため傷一つ負わなかった。

 三度も「あ、死んだ」と諦め、三度も生還したニパは、この数日で悟りを開いていた。人生、もうだめだと思っても意外となんとかなる。

 同じように、魔法使いと精霊使いの中でも戦場の空気に慣れてきた者は多かった。表情が抜け落ちている者、妙に優しげな顔をしている者、食事の時ですら血走った目をしている者、夜中に叫び声を上げてとび起きる者。変化した方向に差はあれど、「まとも」な精神をしている者は既に討伐隊の中からいなくなっていた。

 ニパは魔力覚醒をしているが魔法を使えない魔法使いであり、精霊使いでもある。故にニパは自分の腰の上に腰かけて足をぷらぷらさせている少女、シルフの姿を見る事ができた。

 ニパは小声で、確かめるようにそっとシルフに問いかけた。

「このまま勝てるよね? シルフ」

 シルフはニパを見てにっこり微笑んだ。

《調子のってんじゃねーぞ》

 言葉の意味は分からないが、その柔らかな微笑みと溢れる慈愛のオーラにニパは安心し、瞼を閉じて眠りについた。討伐隊の朝は早い。あまり夜更かしする訳にはいかないのだ。










 三度目の襲撃から次の襲撃まで、三日の間が開いた。最初の襲撃で軽傷を負った者は、魔法の助けもあり完治している。重傷の者も動ける程度には回復していた。毎夜聞こえる救護テントからのうめき声が減り、戦友が戦線に復帰した事で士気はいくらか上がっていた。

 その士気を再び叩き落す出来事が起きたのが十日目の朝だった。

 テント村の端で見張りをしていた兵士二人は、山の稜線が白んでくるのを眺めながら白い息を吐いていた。周りは白い残雪と黒いゴツゴツとした岩に囲まれていて、いつ岩の影からアンデッドが飛び出してくるかと一晩中緊張していた彼らも、無事に朝を迎えてほっと肩の力を抜く。

「……ん?」

「な、なんだ?」

 欠伸を噛み殺していた兵は、相方が発した声に緊張を取り戻し、腰の剣に手をかけた。

「なあ、あれって人か?」

 三十ミールほど離れた位置にある岩陰を指差す相棒。兵が目を細めてそちらを見ると、確かに人らしき手が岩肌にかかっているのが見えていた。

「人の手、に見えるな」

 兵士二人は警鐘を鳴らすべきかどうか躊躇した。手だけしか見えていないし、アンデッドが襲ってきた訳でもない。テントの外にいるヒトガタはアンデッドであると判断しろと命じられているが、この距離だと岩陰に枝が引っかかっていて、それを見間違えているだけという可能性もある。

 躊躇っていると、手がずるりと岩肌を滑り落ち、よろよろと真っ赤に染まった毛皮のコートを着た男が岩陰から姿を現した。今にも雪の中に倒れこみそうにぐらぐらと体を揺らし、こちらにむかって一歩一歩命を振り絞るようにして歩いてくる。

「ガーデル!? 生きていたのか!」

 最初に声を上げた兵が叫び、駆け出そうとした。相方が慌てて袖を掴んで止める。

「あ、おい、待てよ。こういう場合は精霊使いを呼んでくる決まりだろ?」

「そんな事してたら死んじまうだろうが! あいつ俺の幼馴染なんだよ! 放せ!」

 死んだと思っていた旧知の友の姿を見せられ冷静さを無くした兵は、掴まれた手を振り払って雪の中に倒れた友に向けて走った。残された兵はまだ人が動く気配のないテントと命令違反をした相方を見比べ、ガリガリと頭を掻き、悪態をつきながら念のために抜剣して相方に追従した。アンデッドである可能性が高いとは思っていたが、彼もまた行方不明になった戦友が生きていたら、という望みを捨てきれていなかったのだ。

「しっかりしろ!」

 雪の上に倒れた戦士の顔は真っ青だった。ヒュウヒュウとか細い呼吸をしている唇は紫色になっている。生気のない死にかけの体がかえってアンデッドに見えなかった。リッチ、ゾンビは生者に紛れ込む性質上、血色が良いのが普通だ。

 声をかけられ、頬を叩かれた死に体の戦士は焦点の合わない目で友の姿を見、口をぱくぱくと動かした。氷のように冷たい肌に触り、もう助からないと悟った兵は泣きそうになりながら今際の言葉を聞き取ろうと耳を近づける。

「―――すまんな」

 凶刃が閃き、友の上に屈んでいた兵の首から鮮血が噴き出した。

 疑念を捨て去っていなかったもう一方の兵はコンマ数個の忘我を経て凶行に走ったアンデッドの首を落とそうと剣を振る。しかし剣がアンデッドの首を捉える前に、アンデッドは常人離れした強烈な足払いをかけてきた。たまらず苦痛の呻き声を上げた兵の剣筋は乱れ、刃が虚しく空を切る。

「敵襲ッ!」

 辛うじて大声を上げる事に成功した兵だが、鳩尾に一撃をもらい、それ以上喋れなくなる。更に流れるような動きで剣の柄で体の各部を打たれ、関節を破壊され四肢を動かせなくなった。

 擬態からの奇襲で二人を仕留めたアンデッドは虫の息の獲物を肩に担ぐ。

 他の見張りが大声を聞きつけて集まってきた時には、アンデッドは軽快に岩の上を飛び移り、山の尾根の向こうに姿を消す所だった。









 山に入ってから十日目から十四日目にかけてはアンデッドによる誘拐が多発した。夜陰に乗じテントの中に(恐らく魔法を用いて)侵入して攫っていったり、行軍中に隊列の最後尾に忽然と現れ二、三人を抱えて逃げていったり、仲間のフリをして近づいてきたり。全ての誘拐が成功した訳ではなく、精霊使い達の警戒や謎の覆面剣士の活躍の成果もあり十数体のアンデッドは返り討ちにしたのだが、討ち取った以上の数の戦士、精霊使い、魔法使いが攫われて行った。その人数は五日間の合計で六十人に上る。

 これは六十人分の戦力低下だけでなく、魔王勢力の六十人分の戦力増強も意味している。討伐隊はアンデッドを狩る事しかできないが、アンデッドは殺した者の魂を邪法によって拘束し、仲間に引き込む事ができるのだ。更にアンデッドは魔王に忠実であり、討伐隊の者がアンデッドになってしまうと、それまでに計画されていた行軍計画や作戦、物資の状況が細大漏らさず知られてしまう。

 戦略で魔王軍を上回るのは実質不可能だった。討伐隊の者が攫われる度にコロコロ作戦を変えていたら混乱が起きる。

 分かっていた事ではあるが、地の利はアンデッドにあり、時間もアンデッドに味方する。アンデッドは食料要らずでかつ不眠不休で活動可能だ。対して人間は何もしなくても食料を消費していき、睡眠を取らなければならず、慣れない北の大地で活動し、常に襲撃を警戒し気を張り詰め、加速度的に消耗する。

 皇帝は日中の行軍時間を伸ばし、魔王城へ急ぐ事にした。かつての仲間がアンデッドとなり襲ってくるという不安と疑心暗鬼が討伐隊を蝕み、夜に攫われる事への警戒心から不眠症になる者も多い。行軍を長引かせると内部分解しかねなかった。多少無理をしてでもできる限り早く魔王城にたどりつく必要がある。

 勝っているはずだが、まるで勝っている気がしない。誰もが我知らず怖気を感じて身震いし、肩をさすった。アンデッドの見えざる手に体を掴まれ、ずるずると罠に引き摺り込まれる。そんなイメージが頭にこびりついて離れない。

 帝国は強い。一度も戦争に負けた事がない。だから今回も勝つ。未だ誰一人として脱走者が出ないのは、大陸最大の国の精鋭部隊である誇りがあったからだ。









 山に入り、道なき道を行く事十五日目の夕方、討伐隊はとうとう魔王城へたどり着いた。切り立った崖を背にして聳える魔王城の周囲は広場になっており、無数のアンデッドが跋扈していた。更に魔法使いが魔王城の上空を旋回するウィスプの群を見つける。崩落した岩盤の陰から様子を伺う討伐隊の面々は舌打ちし、苦い顔をした。

 討伐隊の残存兵は千五百人強。対してアンデッドの群は五百ほどか。三倍の差がある。

 が、当然城内にもアンデッドはいるだろうし、リッチ・ウィスプなどの魔法を使うアンデッドは割り増しして数えなければならない。更に城攻めになった時、篭城されると討伐隊は著しく不利になる。

 通常、篭城戦は篭城する側が不利になる。常に周囲を敵に囲まれ士気は落ちていき、時間が経てば内通者が出る危険性が増していくし、物資・食料も減っていく。篭城は援軍が来るまで持ちこたえるための作戦であり、援軍が期待できない状況でするのは愚策としか言えない。

 ところがアンデッドは魔王の元で完全に統率されているため内通者が出る心配が皆無で、忠実に魔王の命令を実行する不死者に士気もへったくれもなく、食料要らず、睡眠要らず、魔法があれば矢玉が尽きる事すらない。そうなれば攻める側が疲弊していくのみだ。

 もっとも討伐隊はアンデッドを全て狩る必要はない。魔王を倒せばアンデッドは全て無力化できるのだから、有象無象のアンデッドは相手にせず一点突破で魔王の元まで一気に攻め込み、倒せば良い。討伐隊は魔王一人を倒せば勝利だが、魔王軍は討伐隊を殲滅しなければ勝利ではないのだ。

 今までの襲撃からして確実に今も居場所を捕捉されていると知りながらも、討伐隊は岩陰に隠れるようにしてテントを張る。居場所を知られているからと言って敵陣の眼前にテントを張る訳にもいかない。

 ニパは昼間、自分の口を塞いで攫うアンデッドをヘッドショットして仕留め、命を救ってくれたシモンに礼を言いに救護テントを訪れていた。シモンは射撃の隙を狙われて攻撃を受け、肋骨を数本折っていた。

 簡易ベッドに寝ているシモンと軽い雑談をしていると、テントの中のベッドを区切る垂れ幕の向こうで皇帝と口論する誰かの声が聞こえた。ニパは興味を引かれ、会話を止めて耳を傾ける。

「―――ら、あの細切れになったゾンビとスケルトンの小山はどう説明するつもりだ? お前、出撃しとるだろ!」

「たぶんみんなで一斉に奇襲をかけたんでしょう。私は知りません」

「馬鹿を言うな。テント設営のほんの一時間の間にざっと三十のアンデッドを狩るなんぞお前以外にできるわけないだろうが」

「不思議な事があるものですな」

「まだ白を切るか……いいかハンス、お前を前にして面と向かっては言いにくいが、もうこれ以上は出撃するな。見るたびに怪我が悪化しとるじゃないか。褒賞は欲しいならこの宝剣付黄金柏葉騎士精霊勲章をやろう、だから大人しくしていろ、少しでも体を休めろ」

「もう二度と私に後方待機しろと言わないのならば、その勲章を受け取りましょう」

 ニパは目を瞬かせ、同じく耳を澄ませていたシモンの顔をまじまじと見た。

「なんか凄い会話が聞こえるんですけど……」

「隊長なら仕方ない」

 シモンは悟りきった顔で肩をすくめた。








 魔王城に到着した翌日、討伐隊は朝もやの中で次々と起き出した。身を切るような冷たい空気に震えながら、バラバラとテント群の中央広場にいる焚き火代わりのサラマンダーの周囲に集まってくる。

 既に水も薪も尽きている。サラマンダーが雪を溶かして作った湯で干した果物と細切れにした干し肉を軽く煮たスープを、討伐隊は貪るように腹にいれた。これが最後の食事になるかも知れない。漠然とそう思っていたのだろう、無言で、奪い合うように深鍋の中身は飲み干され、普段よりも早く食事の時間は終了した。

 短い休憩を挟み、討伐隊はチェインメイルを着込み、毛皮のベルトを留め、武器を手に整列した。点呼を行い、昨夜の内に四人、攫われた事が判明する。もう誰も騒がない。

 整列した戦士達の前に立った皇帝は、出立時と比べ四分の三まで減ってしまった戦士達をぐいと見回し、舌打ちしたくなる衝動を堪えた。逆に考えるんだ。四分の三も残ったと考えるんだ。

「一点突破だ」

 皇帝の声が私語の一つもなく、衣擦れの音すらさせず直立不動の姿勢をとる討伐隊の面々に染み込んだ。

「魔王城の入り口まで一丸となって突っ切る。雑魚は相手にするな。魔王城にたどり着く事だけを考えろ。アンデッドは固まった人間をまとめて排除しようと苛烈な攻撃をしてくるだろう。魔法使いと精霊使いは地下と上空からの攻撃を防御しろ。水平方向からの攻撃は四番から八番隊が防御する。それ以外は魔王城に入るまで体力を温存。魔王城の前までたどり着いたら魔法使いは扉を破壊しろ。九番隊以降は扉の前を堅守。一から三番隊で魔王城に突入、魔王を撃破する。もしも―――」

 皇帝は言いかけ、口を噤んだ。

「―――いや……アンデッド共に帝国の剣の味を思い知らせてやれ!」

 出立時と同じように精鋭達は武器を空に突き上げ大歓声を上げてそれに答えたが、どこか空虚に山間に響いた。








 討伐隊は雄叫びを上げ、岩陰から飛び出し一つの鏃型の集団となって魔王城前の広場に突撃した。たちまち上空のウィスプの群から雨あられと弾幕が降り注ぐが、精霊使いの風刃、石礫、炎弾、水槍がそれを迎撃する。魔法使いは防壁を張って余波から突入隊を守った。

 皇帝は集団の先頭を巨体に見合わぬ俊敏さで駆け、短槍を自在に操り、ゾンビを貫き、スケルトンを粉砕し、デュラハンを撥ねて突進していく。最前線で勇猛果敢に槍を振るう皇帝に討伐隊の士気は高揚していった。

 広場を埋め尽くすアンデッドは濁流の様に討伐隊に押し寄せる。中にはかつて討伐隊だった者も混ざっていて、彼らは生前の武器と技を魔王のために振るい、生きとし生ける者を死の世界へ蹴り落としていく。

 戦士の一人が鎚を叩きつけた相手が戦友である事に気付き、叫びながらも迷わずもう一撃を見舞った。

「あやまらねぇーぞ、ヘンシェ!」

「ああ、俺も許しを乞おうなんざ思わん!」

 アンデッドは盾で鎚の一撃を受け止め、短剣を突き出す。

 かつての友と言葉を交わしながらも、討伐隊は次々とアンデッドを殺し、その魂を開放していく。広場には怒号と悲鳴と血、そして命をかけた戦いに身を投じる者達の熱気が満ちていた。

 短槍の柄でゾンビの顎をカチ上げ、ガラ空きになった首を穂先でねじ斬った皇帝は凄まじい殺気を感じて咄嗟に短槍を眼前に構えた。次の瞬間、勢いをつけたスレッジハンマーに相当する強烈な衝撃が二連続で短槍を通じて皇帝の腕を揺さぶる。

「ぬうぁあ!」

 皇帝は腕の筋肉が断裂したのを感じながらも短槍で攻撃が来た方向を薙ぎ払った。

 そこにいたのは黒光りするフルプレートメイルに身を包んだ二刀流の剣士だった。ヘルムに開いた穴から覗く碧眼が皇帝を一瞥し、ふいと視線を外し討伐隊に正面から斬りこむ。

 姿勢を低くし、身を屈めて踏み込んだ剣士の左右の剣が光り、ほんの数秒で三人の戦士の首が飛んだ。

 皇帝は前へ突き進むのを中断し、反転して、自分に背中を向け四人目の心臓を裂いた剣士の背後から突きかかる。ところが短槍は背中に刺さる前に突然爆散した。魔法だ。

 振り返ると木の面で顔を隠した金髪のアンデッドが、レイピアを片手に悠然とバラバラになったスケルトンの骨の山の上に立っていた。

《OK,Let's Party!!》

《エルマー、あまり前に出ないで下さいね? フォローにも限界がありますから》

《わーかってるって!》

 金髪のリッチと何事か言葉をかわしたアンデッドの剣士は洪水の様に討伐隊に食い込み、暴風の様に暴れ回る。

 フルプレートメイルの剣士は他のアンデッドと比べ桁外れに強かった。流麗で、力強く、実戦慣れした剣を振るう。虚実入り混じったその剣と十合を越えて打ち合える者は一人もいない。皇帝ですら予備の短槍を使って数秒食い止めるだけで精一杯だった。人間離れした膂力に、反応速度。新種のアンデッドなのか、魔法を使って近接戦闘をしているリッチなのか判然としない。しかしどちらにせよ恐ろしい勢いで死を振りまいている事に変わりは無かった。

 近接で負けるならば、と精霊使いが呪文を唱えても金髪のリッチが張ったらしき防壁に妨害され、魔法使いに至っては不可視の防壁に阻まれ魔力を剣士の近くに伸ばす事ができない。剣士は鎧の重さなど無いかのように軽々と二ミールも宙に跳び、着地点にいた精霊使いを踏み潰し、振り下ろされた斧を右の剣で巻き上げ手からもぎ取り、すかさず左の剣で首を刈る。

 討伐隊に襲い掛かるのはフルプレートメイルの剣士だけではない。スケルトンも、ゾンビも、リッチもデュラハンもこれでもかとばかりに跳びかかってくる。討伐隊は魔王城まであと二十ミールという所で足を止められてしまった。

「正面、魔法! 全員防御!」

 ウィスプがずらりと横一列に並び、魔力を伸ばすのを見て魔法使いの一人が警告を発した。精霊使いと魔法使いが協力して強固な防壁を前方に展開すると、一拍遅れて衝撃波が防壁を揺さぶった。数十体のウィスプが放った魔法は討伐隊の魔法と相殺し、消失する。

 一息ついた魔法使い達は、魔法を放って縮んだウィスプ達が再度魔力を伸ばしてくるのを見て目を剥いた。

「正面、再度魔法!」

「駄目だ、魔力がもうない!」

「俺もだ!」

「いかん、伏せろーッ!」

 精霊使い達が魔法使いが駄目だとしても自分達だけでも、と防御呪文を唱えるのと同時に、討伐隊を魔法の猛威が飲み込んだ。











 ベッドの上で休んでいたハンスは、テントの外から遠く聞こえてくる戦乱の音にあっという間に我慢ができなくなった。ベッドから跳ねるようにして起き上がり、頭に巻かれていた包帯をむしり取ってテキパキと軍服を着始める。ハンスは今回の作戦の大本命である魔王討伐戦をベッドの上で終わらせるつもりは全くなかった。

 愛用の剣を腰に帯び、賜ったばかりの勲章を胸に留め、ブーツの紐をしっかりと結ぶ。ハンスは垂れ幕を跳ね除け、肋骨を折った程度で呑気にベッドに横になっている相棒に向かって実にイイ笑顔を浮かべ、威勢良く言った。

「休んでいる暇は無いぞシモン、出撃だ!」










 爆音と共に飛び散った土くれ、木の葉の様に舞う人の体。

 戦場に駆けつけたハンスが目にしたのは死屍累々の討伐隊だった。魔法攻撃を受けたらしく、半数以上が地に倒れ伏し苦痛に呻いている。立っている者も鎧を壊し、あるいは毛皮を血に染め、背中に木片を突き刺していた。無事な者の方が少ない。

 ハンスは抜剣して抉れて凸凹になった地面を矢のように駆け、倒れた戦士にトドメを刺そうとしているゾンビに跳び蹴りを見舞った。もんどりうって三、四ミール飛んでいくゾンビは、すぐさま起き上がりスケルトン二体を伴って再び向かってくる。

「シモン!」

 ハンスが小樽を数体固まって向かってくるアンデッドに投げながら合図した。ハンスから十ミールほど遅れて走ってきたシモンが火矢を放ち、小樽を空中で射抜く。

 瞬間、小樽が大音響と共に爆裂してアンデッドを吹き飛ばした。ハンスは火薬入りの樽を数個拝借してきていた。

「汚い花火だ……まだ戦えるな?」

「あ、ああ」

「よし!」

 ハンスは倒れた戦士を助け起こすと、またアンデッドの密集地帯に向けて小樽を投げた。それをシモンがベストタイミングで射抜き、アンデッドを数体まとめてバラバラにする。

 魔法の衝撃で脳を揺らされふらふらと立ち上がった皇帝は、揺れる視界の中で八面六臂の大活躍をするハンスの姿を見た。最早覆面すらしていない。

 あーあーあー、もういいわ、と皇帝は投げやりな気分になって叫んだ。

「突き進め、ハンス!」

「拝命しました!」

 ハンスは最後の小樽を放り投げながら叫び返した。

 ハンスがちょっと目を疑う様な速度でアンデッドをみるみる駆逐していくのを見て、魔法攻撃で一度心を折られかけた戦士達は奮起した。命の炎を燃やし尽くすように苛烈にアンデッドに喰らいつく。

 フルプレートメイルの剣士と金髪のリッチがいつの間にか姿を消していた事も討伐隊に味方し、魔王城の門まであと五ミールという所まで進んだ。

《きゃー、遅刻遅刻~☆ おかわりドゾー》

「魔王城方向からウィスプ! 百体ほど! なんとかしろ精霊使いぃ!」

 ところがどっこい、アンデッドもそう簡単に入城は許さない。城の中から石壁をすり抜けて湧いて出たウィスプ達が討伐隊の前に立ちはだかる。

 腹を背中から槍に貫かれ、地面に縫い付けられた半死半生の魔法使いから死力を振り絞った警告を受けた精霊使いの生き残りは、かつてないほどの見事な連携で一斉に詠唱し、ウィスプに向けて魔法を放った。四属性の攻撃が数十体のウィスプを貫き、かき消す。ウィスプは魔法を使ってくる厄介な魔力と怨念の塊であるアンデッドだったが、魔法に対して脆くもあった。魔法を使ってくる前に先制攻撃すれば簡単に倒せる。

 討ち漏らしのウィスプから魔法が放たれ、地面が隆起し十数人の戦士を飲み込み、爆風が精霊使いを薙ぎ倒す。皇帝も魔法を避け損ない、十ミールも宙を舞って地面にクシャリと落ちた。そのまま動かなくなる。

 しかし最早指揮系統もへったくれもなく、討伐隊は暴れ者の帝国の血を滾らせ好き勝手に戦っていた。皇帝が死んだ事に誰も気付かない。もう誰が誰かも分からず、アンデッドも討伐隊も手当たり次第に敵っぽい相手に剣を打ち合わせている。戦場は狂乱の空気に包まれていた。

《ぐああああ! ここで俺が死んでも第二第三のウィスプが貴様をひでぶっ!》

 ウィンドバーストの呪文で何か言っているウィスプを霧散させたニパが次の標的を探して周囲を見回すと、もう立っている者は十数人になっているのに気付いた。無数の屍が地面を覆いつくし、土が見えなくなっている。

《まさかここまで削られるとは思いもしなかった……デュラハンとスケルトン全滅とか無いわー》

 シルフが何か呟いていたが、「デュラハン」と「スケルトン」しか分からない。彼女も千年の時を越えた魔王との戦いに思うところがあるのだろう、とニパは自己完結する。

「清キ風ヨ護リノ盾トナレ、エアリアルバリア」

 未だかすり傷一つないニパは防壁の魔法を自分にかけ直し、その場で深呼吸して荒くなっていた息を整える。息を大きく吸い込むと血と肉と臓物の匂いがしたが、もう鼻も胃も麻痺していて吐き気はしない。

 ニパは足元に散乱する死体の群から起き上がる者がいないか慎重に注意しながらそろそろと魔王城に向けて進んだ。精霊はアンデッドを見分けてくれるが、自動で迎撃してはくれない。精霊の警告を生かすも殺すも精霊使い次第だ。

 じわじわと城門ににじり寄ったニパは、骨の山を踏み越え、うつぶせに倒れた死体を跨ぎ、門に手をかけた。かける事ができてしまった。

 ニパは冷たい鉄の門に手のひらを当てたまま固まった。ごくりと唾を飲み込む。城の前の広場ですらあれだけの戦力を投入してきたのだ。城内を守護するアンデッドとなれば更に強力な―――想像もつかないほど強力なアンデッドが待ち構えていてもおかしくない。いや、全兵力を投入したからこそ広場の攻勢が凄まじかったのだ、という考え方もできなくはない。しかしニパにはがらんとした魔王城に入り、魔王との一騎打ち、という絵図をどうしても想像できなかった。

 ニパには扉を開き、魔王の元に進む勇気がどうしても湧いてこなかった。背後から誰かが「撤収」と言えば、ニパは迷わず扉から手を放して逃げただろう。

 その時、カタカタ震える手を扉に押し付けて静止するニパの隣に誰かが立った。

「やれやれ、傷口が開いて痛みが酷い。隊長、手っ取り早く終わらせましょう」

 横を向くと、シモンが血が滲む脇腹の包帯を手で押さえながらしかめっ面で立っていた。

「生き残ったのは我々だけだ」

 別の声に反対を向くと、血がべっとりとついた長剣の背で肩を叩くハンスがいた。

 ニパはハンスの言葉を数秒かけて咀嚼し、背後を振り返る。ほんの十分前まで幾多の人間が命を燃やしていた戦場には、無言の屍があるばかりの凄惨な光景が広がっていた。生きている者もいるのかも知れないが、風の音に消されて声も物音も聞こえない。

「皇帝陛下は―――」

「……戦死された」

 ニパの問いかけにハンスが暗い顔をして答えた。ニパは絶句する。シモンは目を閉じて短い黙祷を捧げていた。

 実際のところ、ハンスの方が皇帝よりも強いだろう。皇帝になると出撃回数が減るので、ここ数年ハンスは武術大会に出場していない。しかし帝国最強の戦士が死亡したという事実は変わらずニパの心に重くのしかかった。

「二千人いて、残ったのがたったの三人だって言うんですか?」

「一人よりは上出来だろう? なにしろ三倍だ」

「隊長は前向き過ぎますよ」

「そうかね? ……開けないのかね?」

 ハンスの不思議そうな顔を見て、ニパはハンスの中に「開けずに逃げ帰る」という選択肢が存在していない事を知った。ハンスは生粋の帝国人だった。

 ニパは「はい、私は逃げます」と言いたい衝動を押さえ込み、空っぽの闘志を空焚きして無理やり勇気を呼び起こした。大きな、大きすぎる犠牲を払ってここまできたのだ。何も成さず引き返す訳にはいかない。

 さあ、ここからが本番だ―――

 ニパが覚悟を決め、思い切って魔王城の扉を開ける。鍵がかかっておらず、重厚な見た目の割に驚くほど簡単に扉は開いた。

「……えっ?」

 ニパは扉を開け放ち両手を左右に広げた体勢のまま間抜けな声を漏らした。

 ウィスプが広々とした玄関ホールをみっちりと埋め尽くしていた。数えるまでもなく千体は軽く超えている。

 ウィスプ達は顎を、口を、顔の切れ目を、あるいは嘴を開き、一斉に唱和した。

《死 ぬ が よ い!》

「たっ、退避ぃぃぃぃ!」

 意味は分からずとも、絶対に好意的な言葉ではないことをニパは確信した。叫び声を上げ、脱兎の如く逃げ出すニパにハンスもシモンも反射的に追従する。

「ぬお!?」

「ぐっ!?」

「きゃあああああっ!?」

 十歩も走らない内に背後で魔法が炸裂した。爆発、爆発、爆発、爆発。ウィスプが立て続けの放つ魔法の衝撃で三人は宙に放り投げられ、多方向から時間差で襲い掛かる爆発でもみくちゃにされながら三十ミール近く離れた場所に落下した。折り重なった屍がクッション代わりになり、三人は奇跡的に骨折一つせずに済んだ。数秒遅れで三人と魔王城を隔てるように蝶番がねじ切れた門が片方落ちてくる。ニパはズドンと重々しい音を立てて目と鼻の先に突き刺さった分厚い門を見て、どっと全身から冷や汗を噴き出した。

「いいいいいい、いやいやいやいやいやいやいや。無理です。無理でしょう。あれは無理。絶対無理。とにかく無理。凄く無理」

 ニパはカタカタ震える足を手で抑えつけて立ち上がりながら、無理無理無理を連発した。

 魔力覚醒しておらず、ウィスプが見えなかったシモンは首を傾げる。

「なぜ? 絶対とは言」

「城いっぱいにウィスプがぎゅうぎゅう詰めになっていました」

「ハハハッ!……それは無理だ」

 シモンは虚ろな笑い声を上げた。

 ニパとシモンの目がハンスに向く。二人ともまさか、という期待半分恐怖半分の目をしていた。

「流石に無理だろう。攻撃が効かない相手には私もやりようがない」

 ハンスはちょっと眉を上げて言った。ニパとシモンはほっと息をつく。ハンスなら単身魔王城に乗り込んで魔王の首を取ってきかねないと心のどこかで思っていただけに、一応ハンスも人間に分類される事を思い出して安心していた。

「ま、無理となっても今後の為にアンデッドの数を減らすぐらいはしておくべきだろう。ニパ、だったかな? 何をするにせよ、ひとまずは『ウィスパー』で討伐隊の全滅を帝国本土に伝えて貰えるかね」

 ハンスに促され、ニパは頷いてウィスパーのスペルを唱えた。

「我ガ声ヲ風精霊ノ同胞ヘ、ウィスパー」

 しかしなにもおこらない。スペルを間違えたのか、とニパはもう一度一語一語ハッキリ唱えたが、何も起こらない。成功すれば口の周りに風が渦巻くはずなのだが……

 三度唱えた所で、ニパは周囲にシルフがいない事に気付いた。四度目の詠唱と共に辺りを見回し、ニパはシルフが自分の元から去ってしまった事を認めざるを得なくなった。シルフはアンデッドと違い善なる存在ではあるが、ウィスプと同じ魔力体だ。魔法の直撃を受ければ消滅する。あれだけの弾幕の嵐を受ければ消滅するのも必然だった。むしろ生きている三人がおかしい。

「私のシルフは……あー、倒されたみたいです」

「ふむ? 私は精霊魔法に詳しくないのだが、倒されるとどうなる?」

「消滅して風に溶けて、いやそっちの意味ですか。えーと、精霊魔法が使えなくなります」

「再契約はできないのかね?」

「残念ながらシルフそのものがいなくなってしまったので……」

 ハンスは沈黙した。

 魔王討伐という本来の目的が達成不可能になった以上、情報を持ち帰るのは最重要だ。精霊使いは毎日帝国本土とウィスパーで連絡をとっていたが、今日の戦闘内容、今日得た情報については連絡が行っていない。ハンス達が帝国にその足で戻り、情報を届けなければ、帝国は魔王城の中にひしめくウィスプの存在も討伐隊の全滅も、知る事がない。いや後者については消息を絶った事から予測が着くだろうが。

 シモンは沈黙するハンスを見て、また「出撃だ!」などと叫び出す前にと急いで進言した。この場で一番地位が高いのはハンスであるから、行動には彼の指示を仰ぐ必要がある。 

「撤退しましょう。情報の伝達が最優先です。魔王の討伐が不可能である以上、皇帝陛下もそれを望んでおられるでしょう」

 ハンスはニパの顔を見て、シモンの顔を見て、いかにも不承不承と言った風に頷いた。

「ならばせめてアンデッドの数を削れるだけ削っていく。行きがけの駄賃だ。どれ……おおっと!」

 ハンスはちょうど魔王城に対して盾のように突き刺さっている門の陰からひょいと顔を出し、慌てて引っ込めた。一拍遅れてハンスの顔があった場所をナイフが貫いて地面に転がる死体の一つに柄までぐっさり突き刺さった。

「ゾンビが三十体ほど城門から出てきた。今の投げナイフはジャックだ。まったく、ゾンビになっても良い腕をしているな」

「言ってる場合ですか。奴ら、追い討ちをかけて私達を始末する気ですよ」

 シモンは弓の弦を爪弾いて張りを確認し、背中の矢筒を手で探って残りの本数を確かめた。ゾンビ達が骸を踏み越える音が段々近づいてくる。

「うむ。黙っていてもおかわりをくれるとは親切だな」

「ああもういいです。隊長に聞いた私が馬鹿でした。ニパ、君は魔法は使えないのか? ウィスプは見えていたな?」

「えと、魔力の強さが足りないので無理です。でも一応秘薬は飲んだので魔力を見て誘導するぐらいならできます」

 ちなみにニパの秘薬摂取によるハンディキャップは生殖器にきているので、戦闘行動には差し支えない。

「上出来だ。隊長、私が援護するのでゾンビの相手をお願いします。ニパは魔法とウィスプの動きを警戒。ゾンビを駆逐するか矢玉が尽きたら撤退。こんな所でどうでしょう」

「よろしい。では行こう、諸君」

 ハンスが再度門の盾から出て体を晒す。三ミールほど離れた位置から武器を構えてじりじり近づいてきていたゾンビ達は、散開して三人を包囲するように広がった。

 ハンスは一番手近なゾンビに斬りかかり、シモンは矢を射て包囲しようとするゾンビ達を牽制……しようとしてうっかりヘッドショットで倒し、ニパは魔力とウィスプの接近を警戒しぐるぐると回りながら戦場を見回す。

 相手の多くは元精鋭隊のゾンビであり、その技も装備も力も生前と同じだった。スタミナ切れがなくなっている分生前よりも強くなっているかも知れない。そんなゾンビ達をハンスとシモンはざっくざっくと流れ作業のように屍に戻していった。

 二人の人外より人外な戦いぶりを見たニパは目を丸くした。

「ちょっ、二人とも異様に強いですね!? 皇帝陛下より強いんじゃあ……一体どうやればそんな事できるんですか?」

「そんなに不思議なのかね? 私にはこれという秘訣は無いのだが」

「練習だ」

 ハンスとシモンは両極端に答えた。ニパが頭痛を堪える様に目を閉じて人差し指で額を押している。シモンは散々即死級の攻撃に巻き込まれてまだ普通に生きているニパの方がとんでもないと思ったが、口には出さないでおいた。なんだかんだで自分も同類だろうから。

「いやもう私なんてゴミみたいな……!? 足元からウィスプ! ハンスさん跳んで下さいッ!」

 ハンスはニパの警告に従って即座にゾンビの腹に蹴りを入れ後ろに跳んだが、一瞬遅かった。ウィスプが自身の体を構成する魔力を全て消費した魔法でハンスの片足が吹っ飛ばされる。

「……おお、しまった」 

 ハンスはバランスを崩してどたりと転び、これはまいった、と思いながらシモンに言った。

「足が無くなってしまった」

 シモンは振り向きもせず立て続けに矢を射掛けながらおざなりに返す。

「そんな事はないでしょう。足が吹っ飛んだら話なんかしていられるもんですか。そんな事より矢が尽きました。帰還しましょう」

「うむ」

 ハンスは腰のナイフを抜いて服の袖を裂き、即席の包帯にして素早く千切れた足を縛って止血する。ニパは呆気に取られて二人のやりとりを見ていた。もうなんなのこの人達。

 幸い三十数人いたゾンビはちょうど全員駆逐できていた。魔王城にひしめくウィスプ達は外に出てくる様子もない。シモンはハンスに肩を貸し、ニパにしんがりを任せできる限り急いで戦場を後にした。戦友の屍を弔いたい所だったが、そんな悠長な事をしていたら自分達が屍になる。 

 そして三人は氷点下ギリギリまで下がった極寒の河を潜って下りアンデッドの追跡をかわしたり、丸二日飲まず食わずで山道を歩き続けたり、無茶苦茶な手段で三人は下山していった。下山後最寄の村にたどり着いた時、三人は酷く衰弱していたが、二週間で元気を取り戻し、旧王都に戻っていった。

 かくして第一次魔王城攻城戦は、失敗した上に生存者三名という人間の大敗北に終わったのである。










 ちなみにシモンは帰還後退役して結婚した。



※元ネタ


ハンス=ハンス・ウルリッヒ・ルーデル。破壊神。

シモン=シモ・ヘイヘ。白い死神。

ニパ=ニルス・カタヤイネン。すごくついてない/ついてる

ガーデル=ガーデルマン。ルーデルの相棒。

ヘンシェ=ヘンシェル。ルーデルの相棒

ジャック=切り裂きジャック。



 ハンスはいい感じで負けさせるのに苦労した。ハンス、シモン、ニパが逃げ切ったのはロバートが三人ぐらいなら生かして返してもいーかな、と思ったからです。実際半分ぐらい本当に見失っていたというのもありますが。ぱねぇ。

 ハンスに「それにしても勘のにぶいアンデッドだ」と「ま、そんな事はどうでもよろしい。風呂と食事を頼む」を言わせ損ねたのが心残り

 ここからは内政、文化の変化、国家の動きなどについての数話を挟んで研究のターンに戻ります。

 にしてもまさか後編が二万字いくとは思わなかった。けっこう飛ばしたのに……

 余談ですがニパが魔力覚醒しているのに魔法が使えないのは、魔法が使用できる魔力の強さを見極めるための実験台として秘薬を飲んだからです。ニパはギリギリ魔法が使用できる魔力密度に達していませんでした

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― 新着の感想 ―
[気になる点] 普通にアンデッド側が日本語話してますけど大丈夫なんですかね? 帰還者に聴かれてなければセーフ?
[一言] まんまルーデル閣下で草
[一言] フラグ立ってたのに……死ななかったか
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