十話 編纂終了
研究室でいつものようにロザリーがカリカリと羽ペンを動かしていた。俺もいつものように背後に漂い前世のポップミュージックなんぞを口笛で吹いている。
毎日毎日ひたすら王国語をひたすら日本語に訳し続けていたお陰でロザリーの日本語力は俺の次に高く、淀みなく手は動き白紙を埋めていく。
書いている紙が半分ほど埋まった所でロザリーは手を止めた。
王国語で書かれた原本と自分が書いた紙を何度も見比べ、羽ペンを机に投げ出しいつにもましてふにゃけて脱力した声で言った。
「終わりましたぁー……」
「そうか。……長かった」
俺は研究室の壁にならんだ棚の内一つを半分ほど埋めている研究資料を見て感慨深く息を吐く。
東の森に移り住んで十一年。「里」の呼称を気に入ったシルフィアが村から里に改称して二年弱。
エマーリオの研究資料の編纂が、この日終了した。
これほど編纂に時間がかかったのは単に日本語に訳していただけではないからだ。
エマーリオは当時、生来のスパコン頭脳に加え俺の魔術の概念と現代知識という核燃料をぶち込まれ、超絶ブーストがかかっていた。
俺とエマーリオの共同研究期間は約五年、エマーリオの脳内で超高速処理され導き出された情報を一から十まで紙媒体に出力する時間はなかったと断言できる。人間は書くよりも喋るよりも考える速度の方がはるかに速いのだ。エマーリオの場合はそれが顕著だった。
従ってエマーリオは多くの考察を結果しか書いていない。途中経過がすっぽ抜けている。ただでさえ天才ならではの卓越した発想力と精密な論理展開に裏打ちされた考察だ。経過が書かれていたとしても理解できるかは微妙な所。
勿論エマーリオは凡才にも理解できる様に噛み砕いて説明する術を知っている。しかしそんな事をやっていればますます思考速度と出力速度の差が広がってしまう。
だから結果しか書かない。本当に前後の脈絡なく結果だけ走り書きされている考察の多い事多い事。凡才である俺やロザリーには半分謎かけか暗号に見えた。フェルマーが残した数式の証明に挑んだ数学者達はこんな気持ちだったのだろうか。
そんな考察の意図を少しでも推測推察推理し、分類整理し、可能ならば略された文を補足する。並大抵の労力ではなかった。
結局論理が飛躍し過ぎていて意味不明のまま放置する事になった資料は全体の五分の一に及ぶが、それでも現状で可能な限りは上手く編纂できたと自負している。
俺はなんだか偉業を成し遂げた気分になった。魔法を始めて使った時のような充実感を噛みしめる。いや偉業を成し遂げたのはエマーリオなんだけどなんとなくね。
俺達頑張った。エマーリオとの隔絶したスペックの差を見せつけられ何度も打ちのめされそのたびに立ち上がりやがて悟りを開き……とにかく頑張った。
「よくやった俺。よくやったロザリー」
「どーもーロバさーん……もー一生分頭使った気がしますわー。このまま十年ぐらい眠りたいー」
「そうか。それなら喜んでシルフィアに報告に行ってくれるな?」
「どーいう文脈ですか? ちょっと休憩したいですけど。肩凝ったんで」
「嘘つくなやオイ、ノーライフの筋肉が疲労するかよ。さっさと行け」
「はい」
ロザリーを追い出し、俺はテレパスで帝国に派遣中のリッチと連絡を取る。情報収集は毎日欠かせない。
帝国ではエカテリーナが九年という最長在位記録を打ち立て一線を退いていた。年齢による肉体の衰えが理由らしい。
エカテリーナは帝国軍の訓練官になっていた。王国を攻め滅ぼし、歴代皇帝の中で最強と評されるエカテリーナの指導が受けられる軍は従軍志願者が倍近くに増え選抜が必要になったとか。
帝国軍は魔法隊と戦士隊に分けられるようになっていた。
帝国は魔力密度によって魔法が使えたり使えなかったりする事に気付き、魔力密度が高い帝国民の希望者から順に魔法使いにしていた。王国と違い魔法使いになる際に金は取らないが強制的に死ぬまで軍属になる。当然だ。貴重な魔法を野放しにするのはいくら帝国でもやらないだろう。
帝国民である事以外完全に素質(魔力密度)が物を言う登用で、努力の余地が無いという事でこのシステムはあまり評判が宜しくない。才能も必要ではあるが日々の努力が物を言う武術大会とは正反対だった。
一方戦士隊は従来の部隊に加え精鋭隊が新設されている。
精鋭隊は魔力密度が低いか高い者で構成される。魔力密度が低ければ魔力覚醒していなくとも魔力を察知し易い。魔力密度が高ければ魔力密度が低い者を威圧し心理的に有利に立てる。どちらも白兵戦で有効だ。
エカテリーナの指導に加え王国と帝国の戦争を経験した世代がまだ現役である事もあり戦士隊の練度は全体的に高水準でまとまっていた。
しかし年々魔法使いが台頭してきている。
魔法使いの人数が増え、また魔力放出の熟練度上昇により射程が伸び凶悪な戦力として幅を利かせ始めているのだ。
魔法使いは武術大会に参加できず、いくら強くなっても皇帝にはなれない。それが気に入らず魔法使いは戦士を敵視し、戦士は素質だけで魔法を得た魔法使いを敵視していた。
強いは正義な帝国だがそれは今まで武術や剣術を土台に成り立っていたものだ。帝国の魔法使いは魔力覚醒の代償に肉体的に弱体化し、肉弾戦は実質不可能。
帝国はそもそも身体能力にプラスされる魔法を評価し欲しがっていたのであり、身体能力を代償にする魔法に対する評価は微妙なものになっていた。
身体的に弱いならば魔法が使えても皇帝には相応しくないと主張する派閥があれば、身体能力は関係無い、魔法有りで戦闘能力が高ければその者が皇帝になるべきだと主張する派閥もあり、今帝国は魔法をめぐり不穏な情勢になっている。
これは銃や爆弾が発明され、戦闘における技術の比重が下がり装備性能で勝敗が分かれるようになれば噴出した問題だ。きっかけがたまたま魔法だっただけであり、起こるべくして起こった問題であると言える。
俺達としてはできればこのまま亀裂を広げ内紛でも起こしてもらいたい所だ。内側にかかりきりになってくれれば里に目を向ける余裕も無くなるだろう。
俺がリッチ達からテレパスで送られた情報をまとめているとロザリーがのこのこ戻ってきた。
「ロザリー、報告書」
俺が言うとロザリーはあからさまに嫌そうな顔をしたが渋々椅子に座り羽ペンをとった。
「ロバさんゾンビ使い荒くないですかね……」
「いや? 自分で言うのもなんだが良識的な方だろ。あと今日は大した情報入ってないからすぐ終わる」
「よしきた」
ロザリーは背筋を伸ばして俺が言う最新情報を書き付け始めた。
良識的、というのは冗談ではない。シルフィアなら命令で縛りまくってゾンビに一切の口答えと自由行動を許さないだろう。
しかし俺は最低限の命令だけして後は好きにさせている。だからロザリーは文句を言ったり冗句を飛ばしたりするのだ。
こき使っていても自由意思を許してるんだから十分良識的だろ。命令しなけりゃゾンビは勝手に自分で考え自分の意思で動く。
いやまあ命令で雁字搦めに縛ると言動も行動も機械的になりそばに置いていても面白みがないという自分本意の理由も七割ぐらいはあるのだけども、三割は自由意思を奪うのが忍びないからだからよし報告書作成完了。
「よし、シルフィアに届けに行くぞ」
「えええ二度手間じゃーないですかぁ」
「……気にするな」
余計な事を考えている内に報告書作成が終わった。並列思考ができるって便利だ。全然別の事を同時進行で考えられる。
報告書を持ってロザリーが再び研究室を出る。今度は俺も付いていく。シルフィアが時々報告書の内容について質問してくるからだ。
通い慣れた短い道を通り俺とロザリーはシルフィアの屋敷へ向かった。
シルフィアはほとんど一年中屋敷に籠もっている。大体俺やラキからの報告をまとめているか人間の陳情を聞いているかエルマーといちゃついているかだ。たまには外に出ろよ不健康な、と思うがノーライフには健康もへったくれも無いわけで……
「ん?」
突然背後に感じた魔力に俺は振り返った。が、何もない。周囲を見回してもこちらに魔力を伸ばしてきている者どころか見える範囲では人間すらいない。
……気のせいか? いや、一瞬握り拳程度の魔力の塊が見えたような……あれ?
「ロバさん? どーしたんですかゾンビでも見たよーな顔して」
「それいつも通りの顔だろ。……なんでもない、行くぞ」
釈然としなかったが、なにせ一瞬の事だ。資料の編纂が終わり気が抜けて変な物が見えた気がしたとかそんな所だろう。
俺は少し先で怪訝そうにこちらを窺っているロザリーを促し屋敷に向かった。
報告書も機密扱いなので日本語で書かれているがシルフィアも書きは怪しいが読みはほぼ完璧でロザリーの次に日本語ができる。執務室でロザリーが渡した報告書をざっと流し読みしたシルフィアは紙面を睨みながら言った。
「大御祖父様、帝国はまだ魔力放出訓練ばかりしているんですね?」
「遠目に監視させているが訓練内容を変更した様子は無いな」
「良かった……」
シルフィアがホッと息を吐く。
俺達が魔法技術を発達させれば当然帝国の優位に立てるが、帝国の魔法技術が停滞してくれれば相対的に優位を保つ事ができる。帝国の魔法技術発展はシルフィアの望む所ではないし、俺も自分の国というか里が優位に立っていて欲しいと思っている。王国と違い里とその住人には愛着があった。
俺達が魔力の神秘に多少なりとも近づけたのは、現代知識と、エマーリオと、魔術のお陰だ。
現代知識については俺がいなければ地道に文明を発展させる以外に入手法は無いと言っていい。
勿論俺と同じように現代世界から新しく転生してくる輩がこれから現れ、帝国に現代知識を齎す可能性も無いとは言えない。俺は自分だけが転生した特別な存在なのだと自惚れるほど馬鹿じゃない。
しかし現代で死んだ誰もがこの世界に転生してくるとは到底考えられない。未だに俺以外に転生した者を見た事も聞いた事も無く、その痕跡を見つけた事も無い。
この世界に転生するには何か達成がひっじょ~に難しい条件があると思われる。例えばトラックに跳ねられて入院した先のベッドで刺し殺された十八歳の男限定、とか。まあ何がフラグになって転生したのかさっぱり分からない以上は推測は無意味だ。
要するに俺以外の転生者が現れ帝国を発展させる可能性は限りなく低いという事だ。
次にエマーリオだが、エマーリオ級の天才がポコポコ生まれたら今頃人類は宇宙に飛び出しているだろう。俺はあと五百年はあれほど突出した天才は生まれないと見ている。
で、最後に魔術。これは何かのきっかけ、偶然があれば簡単に習得できる。現に俺がそうだった。
最悪帝国は人口にあかせてノーライフ軍をつくるかも知れない。
洒落にならん。
他にも何かの拍子に俺もエマーリオも気付かなかった、魔法でも魔術でもない第三の魔力活用法を見つけないとも限らない。これは心配しても仕方ない事ではあるが。
「どうにか帝国の魔法技術発展を妨害できればいいのですが……」
シルフィアがポツリと言った。
「そうは言ってもなぁ」
一番ありそうなのは魔術の発見で、妨害できそうなのも魔術の発見だ。魔法使いを全員監視し、誰か一人でも魔力体内操作の訓練を始めたら暗殺すればいい。相手が魔法使いでも一人暗殺するぐらいならなんとかなるだろう。
しかし問題は帝国の魔法使い全員を監視する人手がないという事だった。帝国が「きっかけ」を掴まない事を祈るのみだ。まあ王国が少なくとも二百数十年気付かなかった事に帝国が十年やそこらで気付く事はない。と思いたい。
俺が黙り込んでいるとシルフィアは肩をすくめ、報告書を机の上に放った。
「まあいいです、この件は心の隅にでも留めておいて下さい。大御祖父様は明日から研究を進めるという事で良いですか?」
「その予定だ。あんまり期待するなよ? エマーリオがいないんだ、前よりも研究速度は落ちる」
「分かってます。期待してますよ」
「分かってないじゃねーか馬鹿」
「期待するなと言われても期待してしまいます。魔法技術の発展は里の生命線ですから」
微笑を浮かべてのたまうシルフィア。この小娘プレッシャーかけてきやがった。
いいさ、なかなか成果が上がらない研究にガッカリするがいいさ。研究に手を抜くわけじゃないがもっと凡才をあなどれよ!
伏線……あからさまな伏線っ……!
次回から研究再開。