九話 文化
早いもので村ができてから八年になり、土地っ子第一世代が明るい笑い声を上げながら村中を元気に駆け回るようになっていた。相変わらずヘイホー歌いながら斧を振るう男達に、ゆったり雑談しながら草むしりに精を出す女達。村は平和そのものだ。
一昨年はちょっとした凶作になったが蓄えていた食糧を放出し海へ派遣するゾンビの数を一時的に増やす事で事なきを得、新たに赤子が四人産まれすらした。
しかし死人が出ない訳ではない。大分歳がいっていた村人が三人亡くなっている。
一人が天寿を迎え、一人が雨の日に転び頭を強打して死に、一人は狩りの最中に油断して獣に喉笛を咬み千切られた。天寿を迎えた者は衰弱の予兆があったため死亡時に俺が立ち会う事ができ、本人たっての希望でスケルトンになっている。
村人の中でスケルトンはかつて魔法使いであった者、という認識だが、シルフィアの発案により後付け設定で非魔法使いでも条件次第でスケルトンになれるようになったという事にしてある。んなご都合主義が通るもんかね、と俺は最初は半信半疑だったが、魔法について無知な村人はあっさり納得していた。色々ひどい。
とにもかくにもスケルトン=村の守護者、という概念はかなり浸透してきており、死後はスケルトンにしてくれと頼んでくる者は存外多い。大体は村というか家族を守りたいがためにスケルトン化を希望していた。くぅ、泣かせやがるぜ。
ちなみにスケルトンに自我が無い事は知らせてあるため不死の躰を求める者はいない。
村人には「スケルトン=村の守護者」「ゾンビ=なんか凄い魔法使い」「ヴァンパイア=なんか偉い魔法使い」と捉えられているようだった。ヴァンパイアに高貴なイメージが定着してきているのは村のトップとその雑談役がヴァンパイアだからだろう。ヴァンパイアに血を提供するのを嫌がる者はいない。
俺? 俺は村の守護霊のイメージを持たれている。
地道な魔力操作訓練のお陰か魔力固定・圧縮技術が向上し、俺の自己魔力密度はエルマーを僅かながら上回る程度にまでなっていた。魔力密度の差が圧迫感を生むのは周知の通りで、魔力覚醒していなくても圧迫感威圧感は感じとれる。従って人間が高い魔力密度を保持するようになった俺を認識しだしたのだ。
勿論俺の姿が見える訳でも声が聞こえる訳でもない。ただ漠然と、しかし確かに感じ取っている。
で、そんな存在がなにやら村をうろついていて、どうもヴァンパイア達と協力関係にあるらしい、と。
件のスケルトンを創る時に俺がずっと死体を見守っていた(ように見えていた)事もあり、村の守護者の同類=見えないスケルトン、という公式が成り立ったようだった。論理の飛躍があった気がしてならないがそうなっていたものは仕方ない。魔力覚醒しておらず魔法についてほとんど何も知らない人間に魔術を理解しろというのは無理な話だ。
スケルトンはあくまでもシルフィアの配下という事になっているので必然的に俺もシルフィアの下に見られているのだがそれはむしろナイスだ。俺としては実質的に自由なら有象無象の人間にどう思われようが構わないし、俺が下についていると認識されればシルフィアの権力強化になる。独裁体制な村でのシルフィアの権力基盤の補強は重要だった。
人口は増加傾向にあり、畑の収穫も治安も政治基盤も安定していく一方で変わっていくものもある。
まずは食文化が変化した。
これは東の森は王国とは育つ作物が違うのだから当然とも言える。王国から持ち込んだ作物は結局小麦以外まともに育たなかった。
海からゾンビが定期的に運んでくる海産物、砂糖人参から生産される砂糖、東の森固有の獣の肉。魚の干物があり、芋の煮っころがしがあり、肉じゃがモドキがあり、きんつばモドキがある。
なんとなく日本臭いのは俺の仕業だ。森や海の食材は、村人に親しみは無くても俺は前世で似た食材を知っていた。調理法も想像がつくためロザリーを通して口出ししていたら自然にこうなってしまった。
綿の発見による布地の変化と植物染料の発見による服装の変化も大きな変化だろう。平原にある王国と違うため森の中は湿気が多く、比較的露出度が高く風通しが良い服が好まれた。中には甚平を着ている者もいる。例によって原因は俺だ。
いや洋服より涼しげで風通しがいいイメージがあったもんだからさ。実際目新しい(と村民は感じる)デザインもあり、村人には好評を博している。
甚平を着た村人達が日本好きの欧米人の様に見えて時々笑いそうになるのは秘密だ。
一番予想外だった変化は建築だ。
粘土が見つかったため家を煉瓦造りに移行していこうとシルフィアは考えていたのだが、大工職の人間がこの八年間で木造建築に愛着を持ってしまい、今更煉瓦の家は建てたくない(建築ノウハウも違う)と主張し頑として首を縦に振らなかった。職人気質だ。
そして何をトチ狂ったのかその大工が瓦を作り始めた。というか最初は屋根に煉瓦を敷き詰めた。
なんでそんな事をしたと問い詰めた所、大工は「とにかく煉瓦を使って家を建てればゴチャゴチャ言われないと思った。全て煉瓦造りにするのは癪なので一部だけ煉瓦にした。反省も後悔もしていない」と供述。雨漏り対策の意味もあったらしい。
木造建築の屋根にとって付けた様に乗せられたら煉瓦は非常にシュールだったが、大工が気に入ってしまい次も似た様な家を建てると宣言。
村の全ての建築はその大工が主導しているため、このままでは妙ちくりんな家が乱立してしまう。慌てたシルフィアは俺に大工を殺しゾンビにして言う事を聞かせてくれと過激な注文をつけてきた。
いやねーよ。なにその信長と秀吉の折衷ホトトギス思考。
聞けばシルフィアは自分の美意識を逆撫でしない建物になるなら文句は無いとの事だったので、俺は大工に煉瓦を瓦に変えるようにいった。
木造(和)に煉瓦(洋)はシルフィアのお気に召さないようだったので木造(和)に瓦(和)で行く。シルフィアの美的感覚は悪くない。きっと和風建築にも理解を示すだろう。
大工は瓦でも煉瓦でも良いそうで賛同が得られ、建設。できた建物は多少の違和感はあるものの日本家屋に見えた。壁も丸太から板に変化している。
俺はその建物に懐かしさを感じたがシルフィアはエキゾチックに感じたようで及第点を出す。村の建物の屋根が全て瓦になる事が決定した瞬間だった。
しかし料理に服に建物に……木こりの歌もそうだが、どうも日本の匂いが強い。
そりゃあ村をつくるにあたり俺の現代知識が火を吹いた、とまではいかなくとも火の粉を飛ばすぐらいはしたのだから、俺の前世である日本の文化が全く侵食して来ない方が可笑しいのだが。
村のどことなく牧歌的で日本風な雰囲気に、俺はロザリーと影ながら村の事を「里」と呼んだ。なんとなくそちらの方がしっくり来る。
その内小国ぐらいにはなるのかね? そもそもシルフィアとエルマーが平和に暮らすためにつくられた里なのだから管理の手間を考えれば最低限の規模に抑えようとするのだろうけども。
しかし永遠に隠れ住める訳は無い。いつかは存在を外部に知られる。その時外交で平和を保つか、武力で平和を保つか、大穴で新天地に逃げるか。長生きしていても未来は読めない。それが怖くもあり、嬉しくもあった。
……まーアレだ、なんくるないさぁ。
この話を読んで村がどこに終着するか分かった読者様には履歴書の資格欄に「対クロル読心術検定一級」と記入する事を許可しよう!
ふふふふ……ふははははははは!
※実際に記入する方は自己責任でお願いします