六話 日本語と踊る大根
東の森に移住して二年も経つとどこか落ち着かず不安気だった住人達の暮らしも安定し、さも昔からここで住んでいたかのような顔つきをしはじめる。
兵農分離ができているのは最初からだが近頃では職業の分業化が進んでいた。大工やる奴、畑耕す奴、薪を割る奴、水を汲む奴、狩りをする奴、その他諸々。職業が分かれるとこう……秩序みたいなモンが生まれてなんか安心する。地に足がついているというかなんというか。俺自身が文字通り地に足がつかないフワッフワした暮らしをしてるもんだから余計に感じ入る物があった。
内政担当のシルフィアは現状の流れを崩さず村を安定させていくために四苦八苦しているようだが、基本的に俺はノータッチ。そもそも部署が違う。
リッチによる帝国での情報収集とその編集も手慣れてきたため、自然最近は研究資料の編纂に力が入っていた。
仕事場は件のログハウス風倉庫に新しく併設された書庫。床面積にして八平方ミールほどの部屋の壁際は天井まで届く書棚で埋められ、スカスカの中身を晒している。まあその内埋まってくるだろう。
その棚に包囲された部屋の奥に設置された小テーブルでガリガリ羽ペンを動かすロザリー。の背後に漂い前世の音楽を口ずさみながら時々修正指示を出している俺。
「そこは『フ』じゃなくて『ワ』だ。……おい『7』にしてどうする。落ち着け」
「落ち着いてますー」
「落ち着いてそれか」
「これです。日本語難し過ぎて発狂しそーなんですが」
ウダウダ言いながらロザリーは羊皮紙をナイフでカリカリ薄く削り、間違った箇所を書き直した。
そう、研究資料は編纂の際に全て日本語に変換していた。勿論これには水溜まりよりも深く膝小僧よりも高い理由がある。
以前ロンバンだかリンバンだかいうヴァンパイアが殺人(?)未遂事件を起こした事があったが、その時に研究資料の秘匿性が問題になった。
もしもシルフィアやエルマーを狙わず研究資料の奪取を狙われていた場合、守り切れたかは微妙だ。ゾンビを見張りにつけておく手もあるが、強引に突破され強奪され逃げられる可能性は否めない。万一帝国にでも情報をリークされたら一巻の終わりだ。
なら盗まれてもいいように暗号化すればいいじゃない、という事で研究資料の暗号化を決定。
しかし一から暗号を作っても俺如きではあっという間に解読されるものにしかならない。シルフィアは俺よりも脳のスペックは高いが暗号というものに馴染みが無く、前後に一文字ずらすとか一文字飛ばして読むとかどこかで聞いたような発想しかできない。エルマー? 論外。
そこで問題だ! この状況でどうやって研究資料を暗号化するか?
3択―ひとつだけ選びなさい
答え①ハンサムなロバートは突如暗号のアイデアがひらめく
答え②エマーリオが生き返って助けてくれる
答え③ロクな暗号にならない。現実は非情である。
答え―① 答え① 答え①
うむ、日本語にすりゃあいいんだよ。素人考えの暗号化よりも全く別の言語にしてしまうのが一番手っ取り早く確実だ。
普通二百ウン十年経てば前世の言語なんて忘却の彼方だろう。しかし俺は知恵熱で強化された高い記憶力がある。難解で使用頻度の低い単語以外はほぼ全て思い出す事ができた。
魔法の効果は行使者の認識に依存するため、魔法を使っても知らない事は分からない。従って未知の言語に対する翻訳魔法は存在しない。日本語は前世に数多くあった言語の中でも難しいと言われていたし、真っ当な手段で解読しようと思えば十年やそこらでは不可能だろう。ナイスアイデア俺。
……しかし難しい言語なだけあって習得も難しく、ロザリーがなかなか覚えてくれない。
こうしてつきっきりで間違いを正し教え込んでいても未だ間違える。今度は『ケ』が『ク』になっていた。間違え過ぎだろ。
「えーと、『形質魔力は本質的にはじゅん魔力と』……純魔力の純ってどんな漢字でしたっけ」
「こんな感じの漢字」
「把握」
テレパスで文字をダイレクトに伝えられるおかげで説明の手間はかなり省けていたが、ロザリー一人に翻訳作業を任せられるようになるまでにはしばらくかかりそうだった。
夜になり、文字が読めなくなった所で本日の翻訳作業は終了。ロザリーに自由にしていいと言うとそそくさ村の端の小屋へ入っていった。またラキと四方山話でもするのだろう。前は徹夜で話続けていた事もあった。
一体何をそんなに話す事があるのかと思うが女ってのはそんなものなのだろう。奴らはたまに喋り続けていないと死ぬ病気に罹ってるんじゃないかと思うぐらい喋りまくる。偏見かも知れないが。
俺はロザリーが入っていった小屋に背を向け、ムスクマロイの様子を見に行った。
畑の隅に作られた小さな囲いの脇に月明かりに照らされた一体のグールがぬぼーっと立っている。俺を映さない空虚な瞳が自業自得とは言え憐れみを誘った。
創っておいて放置するのもなんなので見張りっぽくムスクマロイの側に配置しているが、ぶっちゃけ「待機」しか命令していないので無視してムスクマロイを摘み取る事もできる。下手に「ムスクマロイを守れ」だのと命令すると水やりに来たゾンビにすら襲いかかる単細胞具合なので待機しか選択肢はなかった。誰もいないよりはいいだろう、程度の認識だ。
植え替えて1ヶ月ほどになるムスクマロイは暗さのせいもあり葉も茎もしなびて元気が無さそうに見えた。原生地の土を持ってきて日照量を調節し一日あたりの水やりの回数を試行錯誤してもやはり徐々に枯れてきてしまう。当初は植え替えて三日で完全に駄目になってしまったのだから進歩はしているものの栽培して増やすにはまだ無理があった。
ムスクマロイは迂闊に水をやれば根が腐り日照量が多ければ葉がしなび暗がりで育てると黴が生える鬱陶しいほどデリケートな植物だ。原生地はなぜあんなに勢いよく繁茂しているのだろう、と首を捻っていると、視界の端で何かが動いた。
何気なく目線を移せばそこでは根分かれした大根が踊っていた。ただし二本。
「こだ……ま?」
思わず疑問系になる。探しに行く前に向こうからやってきた。しかもなんか分裂してやがるこいつ。いや別個体か?
俺の呟きに反応して片方の大根が悩ましい動きでクイクイ腰を振りながら手……のように枝分かれした根を振ってきた。反射的に振り返す。
懐かしさは感じるもののいざ再会するとどう反応すればいいやら分からない。あちらは植物、こちらは動物。意思疎通は難しい。
どう声をかけるべきかかけないべきか少し悩んだが早々に思考放棄した。こいつはひたすら踊るだけのゴーストだから踊らせておけばいい。
じっと見ているといきなり一体が独楽の様にくるくる回りはじめた。充分に回転速度が上がると今度は回転する個体の上にもう一体が飛び乗り逆回転しはじめる。
そして上の回転が充分になると下の個体がジャンプして跳び上がった。頂点に達した所で上の個体が二段ジャンプをする。そして着地。
跳ぶ、跳ぶ、着地。跳ぶ、跳ぶ、着地。跳ぶ、跳ぶ、着地。
二体のプラント・ゴーストはぴょこぴょこ跳びながら村をゆっくり横切り、再び森の奥に消えていった。
……なんだったんだ。
呆然と見送った次の日から、木霊達は時折夜になると村にやってきてはコンビネーションダンスを一方的に見せ付けて去っていく様になる。意味不明だが踊りはやたらと上手かった。