二十話 The end of......
「は? すまんもう一度」
「私が単独で帝国軍に立ち向かい玉砕します」
帝国があと三日で町に辿り着くという時になってエマーリオが何か言い出した。
とうとう惚けたか。もう歳だからな……いやエマーリオに限ってそれは無い、こりゃ素面だ。
流石エマーリオ、俺達に出来ないことを平然とやってのけいやいや待て待て待て。何言っちゃってんの。何言っちゃってんの。お前俺達と一緒に東の森に逃げるんとちゃうかったんか。
「足止めをするのか?」
「いえ、玉砕します」
「……玉砕って比喩表現だろ?」
「いえ、この命尽きるまで戦い続けます」
なぜ玉砕前提?
愛国心がある訳でなし。王国に借りがある訳でなし(むしろ貸しがある)。帝国に恨みがある訳でなし。帝国兵を減らしたいなら玉砕より王都へ後退しながらじわじわ削っていった方が断然良いことは俺にだって分かる。エマーリオは俺よりも分かっているだろう。
そんなエマーリオが。
「なぜ」
「私も男だった、という事です」
「わけわかめ」
説明を要求するとエマーリオは丁寧に答えてくれた。こいつは頭良い上に凡人の思考回路も下手すりゃ本人以上に理解してくれるから助かる。
曰く。
確かに始めは逃げるつもりであったが、帝国軍が近づき、寿命が近づくにつれて何か惜しくなってきた。
果たして本当にこのまま最後まで研究漬けで人生を終えて良いものか? エマーリオは超一流の研究者であるが、シルフィアの祖父であり人間であり、男である。
エマーリオは研究結果以外のモノを遺そうと考えた。エマーリオを構築するモノは「魔法研究」だけではないのだ。後世、自分が魔法研究だけの男であると評されるのは不快であるし、避けたい。
自分でもこれほど自分に自己顕示欲があるとは思わなかったらしいが、その欲は決して悪いものではないとも思ったそうだ。
だからエマーリオは帝国が接近すると研究を止め、様々な物をつくった。
絵画を。彫刻を。武具を。服を。人形を。レシピを。音楽を。劇を。小説を。数式を。設計図を。
そしてこの世にヒトが在る限り永劫に語り継がれる、戦闘者としての姿を。
つまるところエマーリオは一匹の男として最後に一華咲かせたかったのだ。
逃げも隠れもせず、
単身大軍にぶつかり、
暴れ足掻き、
砕け散る。
エマーリオが語る全てを聞いた俺は不覚にも泣きそうになった。
エマーリオは生きている。猛烈に生きて、輝いている。それは俺が二百数十年も前に失ってしまった命の輝きだった。
二度も死んだ俺は死にそこまでの「何か」を見いだせない。二百年以上性欲も睡眠欲も食欲も無いゴーストはをやっていたせいか俺の喜怒哀楽は薄く、熱意も弱く、エマーリオの感情は理解できなかった。だからこそそんな感情を抱ける事が羨ましいとすら思った。
いやエマーリオの真似をしようとはこれっぽっちも思わんけども。
一方エマーリオの行動に難色を示したのは、やはりというかシルフィアだった。
無駄だと分かっているだろうに、しつこく苦言を呈す。何を言ってもやんわり拒否されるシルフィアは、苦虫を噛み潰した様な顔で決まって俺をターゲットしてグチグチ言い始める。
「何も死ぬまで戦う必要も無いでしょう。王都へ撤退しながら削っていけば最終的な戦果は玉砕を上回るはずです。大軍を散々翻弄し苦しめ追跡を振り切って逃げおおせた、では駄目なのですか」
「何も分かってないな。死ななきゃ意味無いんだよ。あと俺に言うな」
「お祖父様がなぜあんなに死にたがるのか分かりません。怪我したら痛いでしょう? 死ぬのは苦しいでしょう? まだ健康な身体で生きられるのになぜ命を道端に捨てる様な……」
「死にたがっている訳じゃないだろ、死に場所を選んだだけだ。あと俺に言うな」
「理解できません。それにお祖父様は残された者の気持ちを無視しています」
「お前はエマーリオの気持ちを無視している。生き汚いのも潔く死ぬのも両方美徳だと思うがね、俺は。シルフィアは前者でエマーリオは後者なんだろ。だからこういう事は直接エマーリオに言えって」
「お祖父様に言うと説得されてしまうので嫌です」
んな理不尽な。なんとなく気持ちは分かるが。
エマーリオによるとあと二十二~二十四時間で帝国軍の先鋒が町に到着するだろう、との事だった。数日の内に帝国が攻めてくるから逃げろと町中でふれ回っていた王国兵よりも情報が正確っぽいのは何故なんだ? ……エマーリオだからか。
既に町民のほとんどは北へ逃げている。人気の無い通りに淋しげに吹く風が無人の民家の戸を軋ませていた。家財道具がかなり残っているが火事場泥棒はいない。なぜなら王国が徴収するから。
町に残っているのは百人程度の王国兵と、俺、エマーリオ、シルフィア、エルマー。プラス魔法使いが一人。
魔法使いはどうもエマーリオの監視の為に潜伏しているらしいのだがバレッバレだ。エマーリオが教会が自分を監視している可能性が非常に高いと言うのでゾンビネズミのローラー作戦で探したらあっさり見つかった。やっこさんは教会の地下室で時折魔力をエマーリオ屋敷近くに伸ばして何か魔法を使いながら普通にワインを飲んでいた。それでいいのか魔法使い。
監視役の魔法使いはちょいちょい屋敷にやってきてはエマーリオを引っ張り出そうとしてシルフィアに追い払われていた奴だった。下手に刺激して帝国に寝返ったら目も当てられないため、権力を振りかざし無理に王国側に立って戦えとは言わないのが好印象だったが、単に以前下手打って引退された挙げ句田舎に引っ込まれてしまった反省を生かしているだけという事を考えると冷める。
まあ監視魔法使いは王国に敵対行動をとらない限り敵にはならないだろう。
恐らくメインでエマーリオ、サブにシルフィア、ついでにエルマーの行動と帝国の様子を探って王国に報告する心積もりだろうが、心配せずともエマーリオは特攻をかます。シルフィアとエルマーについて上手くごまかし、俺の存在に気付かれないようにすれば問題無い。
王国兵が百人ほどいるが、連中は大体ただの王国公認火事場泥棒と思っていい。家財道具を次々と馬車に積み込み、金目のものが無くなった家に油をしこたまぶちまけている。ロクな武装もしていないようだし、火付け役以外は帝国が来たら逃走するのだろう。
王国からの妨害は家を焼き払い略奪を阻止するのと、土壁と落とし穴で町を囲む事。土壁と落とし穴は二日前に王国から帝国の情報を対価に要請されたエマーリオが一晩で作ってくれました。
分かってはいたが魔法卑怯過ぎる。高さ二ミールの壁で小規模とは言え町を丸ごと囲むのは正攻法でやれば数百の兵士を投入しても丸一日はかかる。普通の魔法使いでも一晩でやるとなると二十人は必要だと言うのだからエマーリオの狂いっぷりがよく分かった。単純計算で魔法使い×20人=熟練兵20人×20=熟練兵400人。エマーリオの場合そこに天才補正がつく。もうこれ人間じゃねーよ。種族エマーリオだよ。
で、俺達はと言えば屋敷にバリケードを築き町と運命を共にすると見せ掛けながら逃走準備を完了させていた。
ゾンビやらスケルトンやらは既に全員東の森へ退去させ、人間ゾンビの指示で例の木霊の木を中心に集落を作成させている。募集したはいいが実験に使われず残った純粋な人間も五十人弱いるし、ヴァンパイアの吸血用にそのあたりの人間も匿われている。生きた人間が暮らすのだから衛生管理やら食料確保やらが大変になりそうだがそれはまた後で考えるとして。
帝国に対する俺達のアプローチはこうだ。
まずエマーリオが突っ込んでいく。ある程度戦ったらシルフィアが隠れながら自分の外見に似せた土人形を作り、エマーリオを助けに行くような形で突っ込ませる。所詮土である以上腕を切り落とされたり魔法の効果時間が切れたりしたら偽物だとバレてしまうが、その前にメガンテして周囲の兵を巻き込んで爆散すれば分かりゃしないだろ。
エルマーは簡単だ。シルフィアと一緒の手順で爆散。以上。
俺は監視魔法使いに気をつけながらエマーリオの戦いぶりを目に焼き付け、エマーリオが死ぬか帝国軍が壊滅するかその他状況次第で撤収。
どうせ王国も教会も滅びるのだから偽装死する必要も無い気もしないではないが、シルフィアは帝国を野蛮であると軽蔑していて関わりたがらない。
吸血しなければ生きられないヴァンパイアに帝国がどんな印象を抱くか分かったモンじゃないから、軽蔑云々を度外視しても足跡を消して東の森に隠れるのは間違いではないだろう。
そして最後まで食い下がったシルフィアの説得も失敗に終わり、エマーリオ最後の戦いが始まる。
時の皇帝、エカテリーナは当時の手記にこう書き残している。
『小高い丘を越え、私が目にしたのは町を囲む土壁を背に立つ一人の老人だった。短い、真っ白な髪は確かに積み上げられた歳月を感じさせた。藍色のローブを風にはためかせ仁王立ちする彼に牙をうち鳴らし前脚に力を溜める猛獣の群を幻視したのは私だけではないだろう』
『遠目にも分かる、老いてなお力強い覇気。私は彼が王国最強の魔法使いであると確信した』
『私は右手の采配を上げた。合図を受け、高々とラッパが鳴り響く。全軍が一旦停止し、素早く対魔法使いの陣形に変わっていく』
『油断は無い。王国の魔法使いには幾度となく辛酸を嘗めさせられてきた。一切手心を加えず、全力を以て押し潰す』
『帝国の強兵にかかれば魔法使いも嵐の海の小舟に相違ない』
『その時、私は分かっていなかったのだ。王国の魔法使いの中で彼だけが唯一〈大〉魔法使いと呼ばれる、その由縁を』
ロバートは上空から一面紫色の帝国軍と相対するエマーリオを見ていた。身体の形を変え、少し歪な鳥の姿をとり、ゆっくりと旋回する。こうしていれば遠目には魔力覚醒していてもゴーストだと分からないだろう。
シルフィアとエルマーは町を囲む土壁に開けた覗き穴から様子を窺っている。
監視役の魔法使いは二人から少し離れた位置で同じ様に外の様子を窺っていた。
帝国の進軍は丘を越えた所で止まり、陣形を変え始めた。密集していた兵の間隔が広がっていく。魔法で一網打尽にされるのを防ぐためだ。帝国も無策ではない。
本隊から少し離れた後方に居る補給部隊を除外すると、帝国の兵は約八万。八万の兵がうぞうぞ動いて陣形を変えていく光景はかなり気持ちが悪い。
帝国の装備は不揃いで、最前列には槍兵が、その後ろには弓兵が揃っているが、三列目からは鎌の者もいれば剣の者もハンマーの者もいて、防具も革が主流だがデザインはバラバラ。産業革命も起きていないのに八万の兵に統一規格の装備を配給するのは不可能だった。唯一統一されているのは剣と盾が描かれた赤い帝国旗のみ。
帝国が陣形を変え終わる。それなりに訓練を積んでおりなかなか早い。
今回エマーリオは狡い手は使わない。落とし穴を作っておいたり油を撒いておいたり火薬樽を埋めておいたりと、事前準備をしておけば帝国の被害は倍増するが、帝国にとって幸いな事にエマーリオは王国の為に戦う訳ではない。自らのプライドのために戦うのだ。
だから陣形が整うまでエマーリオは攻撃しなかった。
高らかとラッパの音が鳴り響き、声の大きさだけで命を奪おうとしているかのような雄叫びが上がった。
蹂躙が、始まる。
槍を正面に構えた槍兵を先頭に全軍が地響きを立て一斉に駆け出した。魔法使いのアドバンテージは攻撃の瞬間まで攻撃が見えない事と、長い射程。一気に距離を詰めようとするその作戦は正しい。
しかし次の瞬間突撃する槍兵達は全員身体が上下泣き別れになり上半身が宙を舞った。下半身が血の噴水を上げ、倒れて血の川を作る。地面と水平に紙の様に薄く薄く広げた魔力を、槍兵と重なった瞬間ほんの一瞬物質化したのだ。人を殺すのに派手な魔法は要らない。
魔力が見えなければ訳が分からない怪奇現象でも帝国は慣れたもので、焦らず全軍急停止。エマーリオとの距離はおよそ九十ミール。弓の射程圏内だ。
弓兵達は素早く弓を構え、一斉に放った。
ヒョウヒョウと風切り音をたて無数の矢が緩い弧を描きエマーリオに降り注ぐ。
対してエマーリオは足元の草むらに隠しておいたタワーシールドを拾い上げ、斜めに立てかけその後ろに隠れた。殺到する矢の雨は全て分厚い鋼鉄の盾に阻まれ地に落ちる。
帝国の弓兵達は動揺した。無理もない、普通の魔法使いは魔法で防御するか跳ね返す。
魔法使いは後方で守られているのが常識で、エマーリオの様に単騎で姿を現す事自体帝国にとって初めての経験だ。
魔法使いを相手にする時はとにかく魔法を使わせ続けなければならない。休む間を与えず押して押して、魔法が尽きた所を仕留めるのだ。盾で防がれてしまうと射かける意味は無い。
後方で帝国を指揮するエカテリーナは二射目の号令を躊躇した。その躊躇が一射目と二射目の間に致命的な空白を作る。
エマーリオは第二射が来る前に盾を投げ捨て、ローブの下に隠した鞘から抜剣すると帝国軍のド真ん中に瞬間移動した。直後移動先地点で剣が閃き瞬きする間に四人の首が飛ぶ。
エマーリオの周囲の兵は恐慌状態に陥った。
熟練の魔法使いの最大射程が九十ミール。これは弓の射程と大体重なる。
帝国は度重なる魔法使いとの交戦で魔法の射程を凡そ把握していた。魔法使いは敵を自分に近づけたがらないから、射程圏内に入った瞬間に魔法を使ってくる。最前列の槍兵は言わば射程を見極めるための捨て駒だったのだ。
ところがエマーリオの射程は帝国の想定より遥かに長い前代未聞の二百七十ミール。加えて有り得ないと思われていた特攻。
動揺する兵の間をエマーリオが縫うようにして駆け抜けた。すれ違いざまに剣が幾度も風を切り、はねられた首はその数二十。
エマーリオはエルマーの剣の師であり、若かりし頃は王国一の剣士でもあったのだ。肉体は衰えようと技の冴えに衰えはない。
血と脂で切れ味が鈍り、二十一人目の首をねじ切る様に斬り落とした剣は折れ飛んだ。
くるくる回り地に落ちる刃を見て我に返った兵達は狂乱の絶叫を上げ、エマーリオに殺到した。
一秒でも早く殺さなければ自分が死ぬ。恐怖に身体を蝕まれながらも逃走しなかったのは流石訓練を積んだ帝国兵と言えるが、エマーリオは斬り殺した兵の手から大剣をもぎ取り、即座に腰を落とし一歩大きく前に踏み込み薙ぎ払う。正面にいた三人の兵が纏めてあばら骨を粉々に砕かれ崩れ落ちた。エマーリオは振り抜いた大剣の遠心力を殺さず、重心を後ろに残した足に戻しつつ反転、背後に迫っていた兵二人の肋骨を粉砕し吹き飛ばす。
一連の動きで折れ曲がった大剣をエマーリオは手近な兵に投げつけ怯ませ、代わりに屍の手から今度は棍をもぎ取る。そして半狂乱でがむしゃらに斬りかかる兵に応戦した。
前のめりに上体を倒し左から首を持っていこうとした剣の下を潜り、右からハンマーを振り下ろそうとしている兵の鳩尾を棍でしたたかに打ち据えつつ背後に蹴りを放ち後ろの兵の股間を潰す。
頭上の剣が過ぎるや身を起こしたエマーリオは、剣を振り抜き隙を見せた兵の利き腕に鋭い棍の一閃を見舞った。呻き声を上げ取り落とした剣の腹を蹴り上げ、左手で柄を握る。
右手に棍、左手に剣の歪な二刀流をとったエマーリオは群がる兵を片端から薙ぎ倒した。
踊るような戦い、という表現があるが、エマーリオの戦い方はまさしくそれだった。動きに無駄が無いのは勿論、一つ一つの動作が次の動作を意識しており、止まる事なく滑らかに繋がっている。まるでエマーリオの殺戮の舞に兵が吸い込まれていくようだった。
八万を相手にするとは言え、一度に相手にしなければならないのは精々三、四人。三、四人を相手に戦い続ければ良いのだ。エマーリオにとってそれは不可能な事ではない。血の臭いを嗅ぎ付けたピラニアの様に群がる兵を紙一重で、しかし確実に捌き戦闘不能にしていく。
そうしてエマーリオを中心にいつしか密集していた兵達は全員身体を半分に斬られ、絶命する。
近接での戦いを続ける事で魔法への警戒を薄れさせ、一網打尽にしたのだ。エマーリオを囲んでいた兵の上半身が一斉にずるりと地に落ち鮮血が噴き出す様は白昼夢――――それも最悪の悪夢のようだった。
全身に返り血を浴び、屍に囲まれたエマーリオは息を整えつつローブを脱ぎ去った。
上半身に鎖帷子を身に付け、下半身には頑丈な革の長ズボン。鎖帷子の下にはとても老人のものとは思えない引き絞られた筋肉があった。
エマーリオは手の甲で口の端を拭い、刃こぼれした剣と亀裂が入った棍を捨て、大鎌を拾い上げ構える。白髪に赤い斑点をつけ大鎌を掲げるエマーリオはもはや死神にしか見えない。帝国兵は本能的恐怖に身震いし、我知らず後退る。完全にエマーリオに呑まれていた。
その時、ようやく指揮系統が復活した。ラッパの音が粘つく緊張を孕んだ空気を切り裂いて鳴り響き、兵が波の様に引いていく。エマーリオは追わず、その場で油断無く大鎌を構えながら荒い息を整えた。
魔法使いは魔法しか使えない、という事はない。鍛えれば普通に近接戦闘も可能だ。遠近両方の戦闘ができれば当然その方が強い。
ではなぜ普通の魔法使いがそれをしないかと言えば単純に死ぬ可能性が急上昇するからだ。敵の攻撃が届かない安全な位置から一方的に攻撃できるならそれに越した事はない。
しかし今回エマーリオが相手にしているのは八万の兵の津波。魔法攻撃一辺倒ではあっという間に魔力が尽きる。
故に上手く魔法と近接を交互に使い、魔力の消費を抑えつつ体力の回復を図るのだ。一歩間違えればあっという間に死ぬが、間違わなければ恐ろしい戦果を叩き出す戦い方だった。
エマーリオは帝国軍に完全に包囲されているが、むしろ危険なのは帝国の方だった。特攻する魔法使いの対策をしていなかった事もあり、被害は既に想定を越えつつある。それでもまだまだ増えるだろう。
しかし撤退して態勢を立て直す事はできない。時間を置けば魔力は回復し、魔法の使用回数も回復する。半端に攻めて撤退して、では被害は増えるばかりだ。更に撤退すれば今まで常勝だった分士気も著しく低下する。
無理やりにでも押し切ってしまうしかない。そのための八万の兵だ。
エマーリオの息が整うのとほぼ同時に帝国は陣形を組み直し終えた。
今度は一斉に斬りかかってくる事なく、一人が倒されたらすぐもう一人が切りかかる、という一対一を延々と繰り返させる戦法に切り替わった。視界の端でエマーリオを遠巻きに取り囲む兵もただ見ているだけではなく、武器をちらつかせ時折投石を行いプレッシャーをかける。
エマーリオは魔法も使わず延々と敵を斬り伏せ続けた。心臓を貫き、槍を受け流し、喉笛をかっ切り、斧をかわし、頭を殴打し、投石を弾き、首を折る。
手にした武器は次々と壊れていき、そのたびに新しい武器に代えていく。
武器を持ち替える隙が無ければ素手で戦った。鞭の様にしなる腕で顎を強打し、脳が揺れてふらつく足を刈り、自分と体の位置を代えさせ背後からの鎚の一撃を防御すると同時に同士討ちさせる。あるいは手刀で目玉をえぐり、絶叫する兵を背負い投げして地面に叩き付け、情け容赦なく首を踏み潰した。
足元には地面が吸いきれない量の鮮血によって紅い池ができていた。むせかえるような血の臭いの中で碧眼を爛々と輝かせエマーリオは悪鬼にも英雄にも見えた。どちらにせよ凄絶には違いない。
やがて積み上げた屍が高くなるにつれエマーリオの動きが鈍り始める。老いた体では集中力が続いても体力が続かない。
疲労していくエマーリオをと反比例して帝国兵の士気は上がっていった。
魔法使いも人間だ。かつてないほど優れた魔法使いではあるが、決して勝てない相手ではない。
戦場の空気にアテられた帝国兵達は自らの命を省みず、我こそ彼の者を討ち取らんとエマーリオに挑み、そして散っていく。消えた命の数だけ確実にエマーリオの体力は削られていた。
耳をつんざく爆音が戦場に轟いたのは、エマーリオが大上段から振り降ろされたグレートソードをシミターで受け止め、押し込まれて膝を折った時だった。
帝国兵は何事かと反射的に音源に目を向けた。
下手人は町を囲む土壁から飛び出した絶世の美女とそれに追従する精悍な剣士、シルフィアとエルマー――――を模した土人形だった。本人達は土人形を創ると同時に自らに透過魔法をかけ姿を消している。
土人形とは言え外見は完全にオリジナルをコピーしており、見た目で判別するのは不可能。そこに感覚同調と操作魔法をかけ、本人と遜色ない動きを可能とする。
結果だけ抜き出せば魔法の行使者が土人形に憑依して操っている形になる。体が欠損した瞬間大爆発する条件付けをした魔法もかけてあった。
それぞれの魔法は多重持続魔法で効果時間を伸ばしてあり、一分は身体を保っていられる。
二人は疾風の様に駆け抜け、慌てて武器を構えた帝国兵を数人天高く殴り上げた。
その明らかに有り得ない腕力に、帝国兵は魔法使いだ! と絶叫を上げる。
エマーリオと戦う前ならば魔法使いに強化魔法をかけられた非魔法使いである可能にも頭が回っただろうが、まさに肉弾戦を仕掛ける異色の魔法使いと戦闘中の帝国兵は疑う事も無く新手の魔法使いだと信じ込む。
それは町の中から魔法で戦況を監視していた魔法使いも同様で、本人達の姿が先程いた場所から消えている事もあり、二人はエマーリオの助太刀へ向かったのだと思い込んだ。
しかし数人に鉄拳を見舞い殴り上げた所で二人は帝国兵に襲いかかられ、剣で数回切り結び、切り傷を負う。
瞬間、大爆発が起きた。
爆炎と爆風が周囲の兵をなぎ倒し吹き飛ばし、離れていた兵も爆音で一時的にショック状態になった。
爆心地には半径三ミールほどのクレーターができ、灰と肉片と武具の破片がパラパラと落ちてくる。
帝国兵は呆然とし、困惑した。呆気ないと言えばあまりに呆気ない魔法使いの最後。強力な人型爆弾を投げ込まれた様なものだった。
二人の突撃から自爆まで時間にすれば精々十数秒だっただろう。
その間にエマーリオの動きは最高潮に戻っていた。
レイピアが手が霞む速度で空を切り、正面にいた兵の首から血が噴き出す。
再び敵陣奥へ瞬間移動したエマーリオの暴風の如きレイピア捌きにバタバタと兵が倒れていった。
魔法知識が半端な帝国兵にはほんの少し目を離しただけで体力を全快させた様に見えた。兵達はあれだけ犠牲を出して削っても無駄だったのか、と恐れおののく。
有り得ない速度での体力回復も「これは魔法ではない」と思わせてしまう異常さをエマーリオは持っていた。
はったりの効果は絶大だった。どれだけ攻撃し続けても切り傷一つ負わず隙一つ見せないエマーリオ。たった一人の魔法使いに帝国が押されている。
帝国兵の間にじわじわと絶望感が広がっていく。
こいつは化物だ。人間が勝てる存在ではない。
そんな戦場の空気の変化を敏感に感じ取ったのは、後方で指揮を飛ばしていた。エカテリーナだった。
このままではまずい。
帝国の被害が出るばかりでエマーリオに有効打を与えられず、士気が落ちている。負ける事こそ無いだろうが士気の低下は死傷率の上昇を招く。
帝国はエマーリオを倒して終わりではないのだ。王都へ攻め登り、残存勢力を叩き潰し、戦後も軍の体裁を保てるだけの戦力を維持しなければならない。ここで兵を損耗させる訳にはいかなかった。
既に帝国の死者数は千を超えていた。もっともいっそ清々しいまでの必殺で、負傷者は驚くほど少ない。
エカテリーナは決断する。自分がこの流れを変えなければならない。でなければ総大将が前線に出た意味が無い。
エカテリーナは横に控える副官に采配を預け、馬から降りた。
訝しげに何のつもりかと尋ねる副官にしばらく指揮を頼むとだけ言い、エカテリーナは姿勢を低くし戦場を駆けた。背後から聞こえる泡を食った副官の声は無視した。
総大将が前線に立つと指揮を出し易くなるのは勿論、士気上昇効果がある。兵としても命をかけるならば後方でふんぞり返っている大将よりも同じ戦場に立つ大将の為の方がやる気も出る。
大将の存在は大きい。討ち取られれば帝国は瓦解する。
しかしそれ故に、大将が剣をとり武威を見せつければ兵はこれ以上無いほど奮起するだろう。
兵の間をすり抜け疾走するエカテリーナの顔は抑えようもない笑みを作っていた。帝国の皇帝は即ち帝国最強の武人。エマーリオの獅子奮迅の戦いを見て血が騒いでいた。
分厚い兵の壁を走り抜け、エカテリーナは回し蹴りを兵の腹に深々と食い込ませ蹴り飛ばしているエマーリオを視認した。舌なめずりをし、肉食獣のような狩りの雄叫びを上げ腰の双短剣を引き抜く。
が、エカテリーナは突然急停止し、短剣を投擲しながら無理やり後ろに跳んだ。直後、エカテリーナのいた空間にほんの一瞬亀裂が見える。エマーリオとエカテリーナは互いに驚愕に目を見開いた。
エマーリオは魔法を回避された事、エカテリーナはかつてないほど濃密な覇気を感じ取った事に少なくない動揺を感じた。
魔力の密度差は魔力覚醒しているか否かに関係なく圧迫感、威圧感を生む。
エマーリオは人類最高峰の魔力密度を持ち、反対にエカテリーナは人類最低の魔力密度を持っていたのだ。
エカテリーナは常に他者に威圧され、しかし鋼の精神力ではねのけ続け生きてきた。エカテリーナはほとんど全ての人間に対してプレッシャーを受けるのだが、それを逆手に取り相手の動きや気配を読む事で帝国最強にまでのし上がっていた。
そんな威圧感、つまり魔力に殊更に敏感だからこそ、エマーリオが伸ばした魔力が自分の身体に侵入する事に強烈な違和感を感じ、避ける事ができたのだった。
エマーリオは投げられた二本の短剣を避け、弾き、場にそぐわない落ち着いた興味深そうな目でエカテリーナを見た。エカテリーナはごくりと息を飲み、予備の短剣を抜く。
戦場の音が死んでいた。兵は皆動きを止め、二人の動きを固唾をのんで見守る。
数年前、エマーリオが常時展開している魔力は半径八ミールだった。しかし魔術を修めきれず半端に習得してしまったため魔力操作が乱れ、現在常時展開できているのは精々半径二ミール。それ以上の距離で魔法を使おうと思えば意識的に魔力を伸ばすしかない。
エカテリーナはエマーリオが伸ばしてきた魔力を察知し、横っとびに避けた。エカテリーナの身体があった場所で小さな爆発が起こる。
その反応に魔力覚醒しているのか? と眉をひそめたエマーリオだが、エカテリーナの魔力密度の低さからすぐさま正答を弾き出した。
エマーリオは直接エカテリーナに向かわないよう、左右へ回り込ませるようにして魔力を伸ばした。それを察知した訳ではないが、エカテリーナがその俊足をもってエマーリオの懐へ飛び込んだ。
刹那の一瞬、短剣とレイピアが交差する。
エカテリーナが腹を狙った左の短剣はレイピアに防がれたが、コンマ一秒の時間差で首を狙い下から振り上げられた右の短剣はエマーリオの頬を切り裂いた。
エカテリーナは一回転しながらエマーリオの脇腹に肘鉄を入れ、突き飛ばした勢いに乗って走り抜ける。小爆発がエカテリーナの背中の肉を抉ったが、歯を食いしばりなんとかその場を離脱する事に成功する。エマーリオはエカテリーナを包囲しようと前方に伸ばしていた魔力を背後に向けたが、魔力の移動よりもエカテリーナの足の方が数段早い。エカテリーナは一撃離脱に成功した。
途端に歓声が爆発した。
総大将が一騎打ちでエマーリオに手傷を負わせた。帝国兵の士気はこれ以上無いほどに上がる。
一種のトランス状態に嵌った帝国兵は、今度こそエマーリオの気迫に打ち勝ち怒涛の攻勢を見せた。
なんとか後方に駆け戻ったエカテリーナは大歓迎を受け、引きつった笑みでそれに答えた。
エマーリオから離れた事でどっと嫌な汗が吹き出していた。遅れてきた極度の緊張に手足がガクガクと震えるのを抑えるのに全精力を費やす。ここで大将が崩れ落ちては命をかけた意味がない。
エカテリーナは平静を取り繕い、衛生兵に背中の傷の手当てをさせながら今にも張り裂けそうな心臓を押さえた。
次は、死ぬ。
エカテリーナが生き残っているのは運が良かったからだ。エマーリオの魔法の発動がほんの少しでも早ければ命はなかった。
二度目はこうはいかない、とエカテリーナは思う。次は必ずタイミングを合わせてくるだろう。
しかしその「次」はない。エマーリオはここで死ぬ。死ななければならない。
エカテリーナはかつてないほど鮮烈な死を感じさせたエマーリオに深い畏怖と畏敬を抱いた。彼が味方であればどれほど頼もしかった事か。
だが今それを言っても詮無き事。
賽は投げられたのだ。もはや帝国はエマーリオを――――王国を飲み込むまで止まらない。
決して。
帝国兵は止まらなかった。
全長二十メートルの土の巨人(中身は空)を創っても怯まず、竜巻を起こしても突き進んでくる。
熱狂した帝国兵はほとんど死兵と化していた。戦好きな帝国民の血がそうさせるのだ。王国の兵ではいくら士気があがろうとこうはいかない。
エマーリオは体力を回復させる暇がなかった。帝国兵には威嚇もはったりも通じなくなっており、ひたすら愚直に向かってくる。魔法で疲労を消したり土壁で自分を囲み安全地帯を作ったりはできるが、体力回復のために魔力を消費してはわざわざ斬り合いを演じる意味がない。一度魔法で体力を戻したのははったりをかけるためであり二度目は無意味。
やがてエマーリオは斬り合いを控え魔法を頻用するようになった。そうせざるを得なくなったと言っても良い。
エマーリオを囲む兵の体が魔法で横一線に両断されていくが、兵の密度が薄いため一度にあまり多くは仕留められない。エマーリオを中心に円形に空いた空間はすぐさま後詰めの兵に埋められた。それをまた魔法で一掃し、命を惜しまぬ兵がまたエマーリオを囲む。
同じ魔法の繰り返しで相当数の兵が倒れていったが、魔法の知識が無い帝国側は兵の密度を薄くする以上の対策を立てようがなかった。
エマーリオは多大な犠牲を帝国にもたらしながらも確実に疲労していく。
数度魔法を使い、斬り合いに切り替え、疲労が溜まれば魔法で兵を倒しながら体力回復を図る。
朝から始まった戦闘はいつしか昼になっていた。
エマーリオの莫大な魔力は効率良く節約して使ってはいたが、もう残り少ない。
休憩を挟もうと抜けきらない重い疲労にとうとうエマーリオは腕が痙攣し始め、長槍を地面に突き刺しそれに掴まって立つ様になった。鎖帷子の下に無数の青あざができ、頬の他にも手に背中に足に傷を作り血を滲ませている。
吐き出す息は荒く、額から汗が珠になって赤い地面に落ちた。エカテリーナから受けた傷を皮きりにじわじわと受けた怪我はエマーリオの動きを鈍らせ体力回復を遅らせる。
エマーリオは短剣を拾い上げ、魔法をかけて鋭く投擲した。狙いが甘く標的の心臓ではなく肩に突き刺ささったがそれでも良い。短剣は内部で小さな小さな爆発を起こし、飛び散った破片が数人の兵を負傷させた。
しかし負傷した兵は無言で頷き合い、体の至る所に食い込んだ破片を抜きもせず武器を構えエマーリオ突撃をかけてきた。逝かれているのは自分なのか兵なのか、それすらエマーリオには考えられないほどの疲労が蓄積している。
エマーリオは地面から槍を引き抜き、背筋を伸ばし、構えた。
切りかかってくる負傷兵に渾身の力を込め一閃。槍は革鎧の上から骨をへし折り、変わりに折れて木の皮一枚で繋がっている状態になる。
その一撃でエマーリオの体力は底をつき、手から壊れた槍が滑り落ちた。そこに追い討ちがかかる。
ドス、とふらついたエマーリオの背中に一本の矢が突き刺さった。エマーリオは目を見開き、がくりと膝をついた。
どこか遠く、帝国兵の歓声が聞こえる。灼熱の痛みに声を出さず喘ぎながらも、手を握りしめまだ体が動く事を確かめる。エマーリオは矢が心臓や脊髄を傷つけなかった事に安堵した。痛覚は半分麻痺しており、痛みはあまり感じない。
ふらりふらりと、エマーリオは幽鬼のように立ち上がる。
これでとどめだとばかりに獣の様な雄叫びを上げ吶喊する兵の波を、エマーリオは両手を広げ微笑みすら浮かべて迎えた。
そして先頭の兵の剣の先が届く寸前にエマーリオの体から最後の魔力を注ぎ込んだ火柱が上がる。
エマーリオはこの戦いでずっと小さな魔法ばかり使ってきたため、直径三十ミールに及ぶ火柱は鮮明に帝国兵の印象に残った。
空を焦がす火柱は十数人の兵を焼き尽くし、しばしの間燃え続け、唐突に消えた。
後に残るのは真っ黒に焼け焦げうっすらと煙を上げる地面のみ。
討ち取った兵数、六千八百。
帝国に重すぎる痛打を与えた大魔法使いエマーリオの体は、骨も残さず燃え尽きた。
~エマーリオが手段を選ばず戦っていた場合~
・撤退を意味するラッパの音を魔法で再現し、指揮を混乱させる
・エカテリーナに化けて更に指揮を混乱させる
・事前に大量の落とし穴を作っておく、火薬樽を埋めておく
・王国軍の大隊の幻影を創り威圧をかける
・帝国兵の体を操り同士討ちさせ、疑心暗鬼に陥らせ内部から崩す
・補給部隊を襲い食料や予備兵装を奪う
・シルフィアがしたように土人形を使い死んだと見せかけ、気が緩み油断した隙に強襲
・わざと殺さず負傷に留め、動けない兵数を増やし、士気の低下を狙う
などなど。王国のためにそこまでする義理は無かったのでやりませんでしたが、やろうと思えば帝国の被害を三倍ぐらいにできたでしょう。
書いててエマーリオを勝たせてしまいそうになった。一人で六千八百人倒すとかそれなんて中二病? でも魔法があれば案外いけそうな気がするんだ
賢者は、生きられるだけ生きるのではなく、 生きなければいけないだけ生きる
ミシェル・ド・モンテーニュ